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神影の暦術師  作者: 乾為天女


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第12話 開いてはいけない日

 白蝶平原から戻ったのは、日が沈む少し前だった。


 ホーコンは四人で写した石碑の記録を机へ並べた。


 百八十七人。

 職員番号も名前も一致している。


 欠けているのは、七一二番だけ。


 「私だけ、最初から勤務者じゃなかったことになってる」


 クリストエインは自分の工具箱を見た。

 真鍮の銘板には、はっきり名前が残っている。


 「でも、これはある」

 「王国暦と切れていたから残った可能性があります」

 「なら、私が消された理由を探す」


 返事は迷わなかった。


 ホーコンは地下制御室へ向かった。


 万年カレンダーで何度も開いてきた五月二日。

 王国暦から十三日が消える、その前日だ。


 同じ日を開くほど記録が摩耗する。


 分かっている。


 それでも、七一二番が欠けている理由を知るには、事故前日の記録を直接調べるしかない。


 「範囲を制御室だけに絞ります」


 ホーコンは地下の四隅へ境界杭を打った。


 「給水塔も水路も呼ばない。油の消費も、記録への負荷も減らします」


 「負荷がゼロになるとは言ってないわね」


 アズが言った。


 「はい」


 「なら一人で決めないで。解除判断は私がする」


 ホーコンは一瞬だけ黙り、頷いた。


 「お願いします」


 クリストエインが横から見た。


 「少し進歩した」

 「測量結果に基づく分担です」

 「そういうことにしておく」


 ルアヴエルは入口で時刻を記録し、ルグエは油量計の前についた。


 ホーコンが五月二日へ針を合わせる。


 起動レバーを倒した。


     *


 錆びた壁へ白いタイルが重なった。

 割れていた計器に十二年前の針が戻る。


 クリストエインの姿も現れる。


 彼女は現存錨の工具を腰へ固定すると、すぐ制御盤へ歩いた。


 「七一二番の勤務記録を探す」


 「自分の?」


 「自分だから探せる場所がある」


 制御盤の右下に、細い金属蓋があった。

 現在では錆びて一枚板にしか見えない場所だ。


 クリストエインが測定針の先で留め具を押す。


 蓋が開いた。


 中には薄い記録板が縦に並んでいる。


 「整備班は、異常があった時に映像記録を残す。口頭報告だと、機械の音や計器の振れ方が伝わらないから」


 彼女は番号を追った。


 「七〇八、七〇九、七一〇……七一一」


 次の記録板には番号がない。


 表面だけが黒く曇っていた。


 「これ」


 クリストエインが触れる。


 制御盤の中央に光が走った。


 空中へ、ぼやけた人影が浮かぶ。


 灰色の作業服。

 後ろで束ねた暗い髪。


 現在、隣に立っているクリストエインと同じ顔だった。


 『記録番号、七一二。機関整備班、クリストエイン』


 映像の声が地下へ響く。


 現在のクリストエインが息を止めた。


 映像の彼女は何度も背後を振り返っている。

 いつもの率直な顔ではない。


 怯えていた。


 『これを見ているのがルグエでも、父さんでも、暦法院の人でもいい。十三日分を閉じるなら、最後まで聞いて』


 ルグエの肩がわずかに動いた。


 ホーコンは映像から目を離さない。


 『十三日目を開かないで』


 一拍。


 『私がまだ中にいる』


 そこで映像が乱れた。


 黒い線が顔を横切る。


 『外から開けば――』


 音が消えた。


 映像も途切れる。


 制御室に、古いポンプの駆動音だけが残った。


 「続きは?」


 アズが尋ねた。


 クリストエインは記録板を外そうとした。


 指が途中で止まる。


 「外れない」


 「無理に触らないでください」


 ホーコンが止めた。


 黒い曇りは記録板の内側から広がっている。

 神の影と同じ欠落だ。


 「十三日目って、五月十五日?」


 クリストエインが聞いた。


 「欠落の十三日目なら、そうです」


 「その中に、私がいる」


 彼女は自分の手を見た。


 腰の整備工具は現在の実物だ。けれど、その工具を握る本人は十二年前の五月二日から呼ばれている。石碑には名前がなく、映像の自分は十三日目の内側にいると言った。


 「変な感じ」


 「何がです」


 「私はここにいる。でも、別の私が十三日目に残ってる。どっちも私なら、どこからどこまでが今の私なんだろう」


 ホーコンは答えを急がなかった。


 「分からないことを、分かったふりはしません」


 「それは助かる」


 クリストエインは映像の消えた場所を見た。


 「五月二日の私は、翌日から何が起きるか知ってた」


 「少なくとも、この記録を残した時点では」


 「なら事故に関係してる」


 「関係と原因は別です」


 「同じ場所にいたなら、私が何かした可能性もある」


 言葉は朴訥だった。

 責任から逃げる響きも、自分を罰する響きもない。


 「調べます」


 ホーコンは答えた。


 「何をしたのか。なぜ十三日目に残ったのか。決めつける前に全部」


 「私にも見せて」


 「もちろんです」


 返事だけは、すぐに出た。


     *


 解除前、ホーコンは万年カレンダーの記録窓を確認した。


 五月二日。

 境界杭四本。

 召喚対象、制御室。


 その下に、未閉鎖記録の接続表示がある。


 『機関整備班 クリストエイン』


 ホーコンは目を細めた。


 文字が薄い。


 最初に彼女を呼んだ夜より、明らかに刻線が浅くなっている。


 「ホーコン?」


 後ろから声がした。


 彼は反射的に記録窓の前へ立った。


 「何でもありません」


 「なら、明日の作業を決めよう。映像記録の続きも探したい」


 クリストエインはそう言って、工具袋を持ち上げた。


 その時、小型圧力計を一度逆向きに差し込んだ。


 すぐ気づいて直した。


 ほんの一瞬だった。


 だが初めて会った夜、彼女は暗闇の中でも工具の位置を迷わなかった。


 同じ日を開くほど記録が摩耗する。


 ホーコンはその規則を、自分の野帳へすでに書いている。


 クリストエイン本人には、まだ言えなかった。


 事故の真相を知る前に、恐怖だけを渡すことになる。


 ――調べてからでいい。


 そう自分へ言い聞かせた。


 東の空が白み始める。


 「明日もまた会えるかな?」


 クリストエインが尋ねた。


 「会えます」


 ホーコンは答えた。


 日の出とともに彼女の輪郭が薄れる。


 最後に、万年カレンダーの表示窓が小さく明滅した。


 『機関整備班 クリストエイン』


 末尾の一文字が、音もなく消えた。


 『機関整備班 クリストエイ 』


 ホーコンだけが、それを見ていた。


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