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熱の居場所 ―ある研究者の記録―  作者: カワカン
第二部 統合 (Systems Integration)

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18/30

第18話 読めない需要

 共同研究から数週間が過ぎた。


 木村の机には、新しい論文が積み上がっていた。


 タイトルに並ぶ言葉は、これまでとは少し違う。


 『データセンター廃熱利用』


 『地域熱供給』


 『AIコンピューティング』


 『サーバー冷却技術』


 読み進めるほど、一つの事実が浮かび上がってくる。


 海外ではすでに、データセンターの廃熱を地域暖房へ利用する取り組みが始まっていた。


 北欧では住宅へ。


 欧州では病院や学校へ。


 実証実験はいくつも行われている。


 木村はページをめくる手を止めた。


「やっぱり、みんな同じことを考えるんだな……。」


 しかし、その続きには必ず課題が書かれていた。


 熱需要の変動。


 設備投資。


 配管距離。


 温度差。


 利用率。


 どの論文も、可能性を語る一方で、実用化の難しさにも多くのページを割いている。


 木村はノートへ同じ言葉を書き写した。


 **需要変動。**


 何度も目にする言葉だった。


 そのとき、研究室の扉が開く。


 教授が湯気の立つコーヒーを片手に入ってきた。


「ずいぶん難しい顔をしていますね。」


 木村は苦笑した。


「廃熱利用の研究を読んでいるんですが……。」


「技術の話より、『需要変動』ばかり出てくるんです。」


「熱はあるのに、使えない。」


「そんな例ばかりで。」


 教授は木村のノートをのぞき込み、小さくうなずいた。


「当然です。」


「熱源だけあっても、システムは動きません。」


 教授はホワイトボードへ歩き、ゆっくりと三つの丸を書いた。


 **熱を作る。**


 **熱を運ぶ。**


 **熱を使う。**


「この三つがそろって、初めて一つのエネルギーシステムになります。」


「どれか一つだけでは成立しません。」


 木村は静かに聞いていた。


 ボイラーの研究を始めた頃は、熱を作る設備しか見えていなかった。


 その後、現場を知り、人の暮らしを知り、街全体を見るようになった。


 そして今。


 熱を『使う側』にも、大きな課題があることを知ろうとしている。


 教授はホワイトボードを見つめたまま続けた。


「研究とは、不足しているものを探すことではありません。」


「つながっていないものを見つけることです。」


 木村はその言葉をノートへ書き留めた。


 熱はある。


 使う場所もある。


 それでも、うまくつながらない。


 その理由を知りたかった。


 午後になると、企業との定例打ち合わせが始まった。


 データセンターを運営する企業から、新しい運転データが届いているという。


 木村は資料を受け取り、何気なくグラフへ目を落とした。


「……あれ。」


 思わず声が漏れた。


 病院やホテルの需要曲線とは明らかに違う。


 ある日は緩やかに推移している。


 ところが翌日には、熱回収量が突然二倍近くまで跳ね上がっていた。


 その翌日には、また元へ戻る。


 故障でも、季節変動でも説明できない。


 木村はグラフを見比べながら、小さく首をかしげた。


「何が起きているんだ……。」


 その疑問が、新しい共同研究の始まりだった。



研究室へ戻った木村は、企業から提供された運転データをパソコンへ取り込んだ。


 これまで分析してきた病院やホテルのデータと並べ、同じ尺度でグラフを表示する。


 まずは病院。


 朝になると需要が増え、昼間にピークを迎え、夜にはゆるやかに下がっていく。


 休日でも多少の変化はあるが、大きく崩れることはない。


 次にホテル。


 夕方から夜にかけて給湯需要が伸び、深夜には落ち着く。


 土日や連休には利用が増えるものの、毎年ほぼ同じ傾向を示していた。


 温浴施設も似ている。


 営業時間が始まる前にボイラーが立ち上がり、閉館後には需要が下がる。


 木村は画面を見つめながら小さくつぶやいた。


「やっぱり、人の生活には規則がある。」


 平日。


 休日。


 季節。


 天気。


 多少の違いはあっても、人の暮らしには一定のリズムが存在する。


 だからこそ需要を予測できる。


 だからこそ設備の運転計画も立てられる。


 木村は最後に、データセンターの運転データを表示した。


 画面に折れ線グラフが現れる。


「……?」


 思わず眉をひそめた。


 昨日まで見ていたグラフとは、まるで別物だった。


 午前二時。


 熱回収量が突然跳ね上がる。


 朝方まで高い状態が続き、午前九時には急激に低下する。


 翌日は逆に、一日を通してほとんど変化がない。


 三日目には再び深夜だけ急上昇。


 四日目は穏やかなまま終わる。


 木村は一週間分、一か月分と表示期間を広げた。


 それでも規則性は見えてこない。


「故障……じゃない。」


 設備の異常なら警報が記録される。


 保守点検の日とも一致しない。


 外気温とも関係が薄い。


 木村はデータを印刷し、そのまま企業とのオンライン会議へ持ち込んだ。


「一つ、お聞きしたいことがあります。」


 画面の向こうで、データセンターの運用責任者がうなずく。


「この熱回収量ですが、深夜に急激に増える日があります。」


「設備に何か問題が起きているわけではありませんよね。」


 担当者はグラフを見るなり、すぐに答えた。


「ああ、その日ですね。」


「異常ではありません。」


「予定どおりです。」


 木村は首をかしげた。


「予定どおり……ですか?」


「ええ。」


「その日は、大規模なAI学習を実施していました。」


 木村は聞き慣れない言葉に、思わず聞き返した。


「AI学習?」


「生成AIのモデルを更新するための計算です。」


「数千枚のGPUを一斉に動かします。」


「その間だけ、消費電力も発熱量も一気に増えるんです。」


 木村はグラフへ視線を戻した。


 人が増えたわけではない。


 季節が変わったわけでもない。


 街の暮らしにも変化はない。


 それでも、熱だけが突然増えている。


 その理由は、人ではなく、一台のコンピュータでもなく、膨大なAIの計算だった。


 木村は静かに息をついた。


「人の生活を見れば需要は読める。」


「そう思っていたけれど……。」


 画面の中の折れ線グラフは、その考えが通用しない時代の始まりを、静かに示していた。



 オンライン会議が終わっても、木村はしばらく画面を見つめたままだった。


 人の生活では説明できない需要変動。


 その原因が、AIの学習だった。


 研究室には静かな空気が流れている。


 教授は木村の机の向かいへ腰を下ろした。


「驚きましたか。」


「はい。」


 木村は素直にうなずいた。


「需要予測というと、季節や曜日、天気ばかり考えていました。」


「でも、今回は違います。」


「人の暮らしが変わったわけじゃないのに、熱だけが突然増えている。」


 教授は窓の外へ目を向けた。


「時代が変われば、需要を生み出すものも変わります。」


「昔は工場でした。」


「その後、病院やホテル、商業施設が増えました。」


「そして今、新しい需要が生まれています。」


 木村はホワイトボードへ歩き、ペンを手に取った。


 これまで研究してきた需要を書き並べる。


 病院。


 ホテル。


 住宅。


 温浴施設。


 それぞれの横へ、人の生活と結びつく要因を書き加えていく。


 診療時間。


 宿泊者数。


 気温。


 営業時間。


 そこへ、新しく一つの項目を書いた。


 データセンター


 しかし、その横には何を書けばいいのか分からない。


 天気ではない。


 曜日でもない。


 人の数でもない。


「何が需要を決めているんだ……。」


 木村は小さくつぶやいた。


 教授は答えを教えなかった。


「それを見つけるのが研究です。」


 木村は企業から送られてきた運転記録を読み返す。


 GPUクラスタ稼働開始。


 学習ジョブ投入。


 モデル更新。


 推論サービス切り替え。


 これまで聞いたことのない言葉が並んでいる。


 木村は資料とグラフを何度も見比べた。


 やがて、一つのことに気付く。


「教授。」


「どうしました。」


「この熱需要……。」


「人の予定で動いていません。」


 教授は静かにうなずく。


 木村は続けた。


「病院なら診療時間。」


「ホテルなら宿泊客。」


「住宅なら生活時間。」


「全部、人の行動が基準でした。」


「でもデータセンターは違います。」


「AIモデルの更新。」


「学習スケジュール。」


「サービス開始日。」


「人が直接熱を使っているわけじゃない。」


 研究室に沈黙が流れる。


 木村はホワイトボードの前で立ち止まり、ゆっくりと振り返った。


「これからは、人だけを見ても需要は予測できない。」


「AIが、街の熱需要を変えていく。」


 教授は穏やかな表情で木村を見つめた。


「ようやく、その問いにたどり着きましたね。」


「ボイラーの運転を考える時代から、社会全体の熱需要を考える時代へ。」


「研究もまた、一歩先へ進もうとしています。」


 木村はホワイトボードの「データセンター」の文字を丸で囲んだ。


 その丸は、これまでの研究とは性質の異なる、新しい熱需要の象徴のように見えた。


 熱は変わっていない。


 変わったのは、熱を生み出す理由だった。


 そして、その理由を理解しなければ、未来の街を設計することはできない。


 木村は静かにペンを置いた。


 新しい共同研究は、設備を調べるだけでは終わらない。


 AIという、これまで誰も経験したことのない需要そのものを理解することから始まるのだと、ようやく実感していた。



 翌週、共同研究の定例会議が開かれた。


 大学の研究室には、企業の技術者たちも集まっている。


 木村は前方のスクリーンに、これまで整理した需要データを映し出した。


 病院。


 ホテル。


 住宅。


 温浴施設。


 そして、データセンター。


 五つの需要曲線が並ぶ。


「これまで私たちは、人の暮らしを基準に熱需要を予測してきました。」


 木村はゆっくりと言葉を選びながら話し始める。


「季節、曜日、気温、利用人数。」


「人の行動には一定の規則性があります。」


 画面が切り替わる。


 データセンターのグラフだけが表示された。


 深夜に急激な上昇。


 翌日は平坦なまま。


 数日後には再び大きな変動。


「しかし、この需要だけは説明できません。」


「人の生活ではなく、AIの学習計画によって熱が生まれているからです。」


 企業の技術者たちもうなずく。


 運用担当者が口を開いた。


「実際、私たちも数日先の発熱量を正確には読めません。」


「利用者から急な学習依頼が入ることもありますし、大規模モデルの更新時期も一定ではありません。」


 木村はその言葉を聞きながら、ホワイトボードへ向かった。


 一本の線を引く。


 左には『人』。


 右には『AI』。


 その下に、『熱需要』と書き込む。


「今までは、人だけを見ればよかった。」


「でも、これからは違います。」


 木村は二つの言葉を一本の矢印で結んだ。


 人 + AI → 熱需要


 研究室が静まり返る。


「これからの街では、人の生活だけでは需要を予測できません。」


「AIが、もう一人の利用者になる。」


「だから、人とAIの両方を含めて街を設計しなければならない。」


 その言葉に、企業の担当者が静かに息をのんだ。


「確かに……。」


「私たちは設備だけを見ていました。」


「でも、本当に考えるべきなのは、街全体なんですね。」


 教授は腕を組み、木村の描いた図を見つめていた。


 しばらくして、穏やかな声で言う。


「木村さん。」


「あなたは以前、街を設計すると言いましたね。」


「はい。」


「今日、その意味が一つ増えました。」


 教授はホワイトボードの『AI』という文字を軽く指した。


「街とは、人が暮らす場所だけではありません。」


「社会を支える計算も、その街の一部なのです。」


 木村は静かにうなずいた。


 病院を支える電子カルテ。


 交通を制御するシステム。


 物流を最適化するAI。


 生成AI。


 クラウドサービス。


 人の目には見えなくても、それらは街のどこかで動き続け、熱を生み出している。


 木村はホワイトボード全体を見渡した。


 人とAI。


 二つの需要が重なり、一つの街を形づくっている。


 ようやく、その全体像が見え始めた気がした。


 教授は静かに微笑む。


「研究とは、答えを見つけることではありません。」


「昨日まで見えていなかった世界を、見えるようにすることです。」


 木村はその言葉を胸の中で繰り返した。


 ボイラーから始まった研究は、いつの間にか街へ広がり、そして今、人とAIが共に生きる社会そのものへと視野を広げていた。


 新しい時代の熱は、もう人だけが生み出すものではなかった。



 会議が終わる頃には、窓の外は夕暮れに染まり始めていた。


 企業の技術者たちを見送り、研究室には静けさが戻る。


 木村はホワイトボードを眺めた。


 そこには、今日の議論の跡が残っている。


 病院。


 ホテル。


 住宅。


 データセンター。


 それらを結ぶ何本もの線。


 最初は複雑に見えていた図も、今では一つの街として見える。


「少し、散歩でもしますか。」


 教授が立ち上がった。


 二人は大学を出て、キャンパス沿いの道を歩く。


 夕方の帰宅時間。


 駅へ向かう学生。


 買い物帰りの家族。


 仕事を終えた会社員。


 街は、一日の役目を終えようとしていた。


 やがて木村は、一棟の小さなデータセンターの前で足を止めた。


 昼間なら気にも留めなかった建物だった。


 窓は少なく、飾り気もない。


 ただ、建物の外では大型の冷却装置が静かな音を立てて動き続けている。


 教授も歩みを止めた。


「この建物も、街の一部です。」


 木村は静かにうなずいた。


 昼も夜も関係なく計算を続ける機械。


 その熱は、今日も空へ捨てられている。


 しかし今の木村には、その熱が「もったいない」と思えるだけではなかった。


 なぜ、その熱は利用できないのか。


 どうすれば街へ届けられるのか。


 そのためには、人の暮らしだけでなく、AIの動きまで理解しなければならない。


 問いは、また一つ増えていた。


 教授は空を見上げる。


「社会は、これからも変わり続けます。」


「十年後には、また別の熱需要が生まれているでしょう。」


 木村は少し笑った。


「そのたびに、研究し直しですね。」


「ええ。」


 教授も笑みを浮かべる。


「だから研究は面白いのです。」


 二人は再び歩き出す。


 街には次々と明かりが灯っていく。


 その光の裏側では、人が暮らし、AIが計算し、今日も目には見えない熱が生まれ続けている。


 木村は、その景色を静かに見つめた。


 以前は、ただの夜景だった。


 今は違う。


 一つひとつの光の向こうに、エネルギーの流れが見える。


 人の営みが見える。


 そして、まだ誰も解いていない問いが見える。


共同研究 No.7


『熱需要は、人だけが生み出すものではなくなった。』


『研究とは、変わり続ける社会を理解し、その変化に備えることである。』


 木村はノートを閉じた。


 研究は、また一つ未来へ近づいた。


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