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熱の居場所 ―ある研究者の記録―  作者: カワカン
第二部 統合 (Systems Integration)

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17/30

第17話 眠らない熱

 梅雨が明け、本格的な夏が始まった。


 大学へ向かう道には、朝から強い日差しが降り注いでいる。


 研究室へ入ると、木村は無意識に空調のスイッチを見上げた。


 この季節になると、建物全体の冷房設備は休むことなく動き続ける。


 人が快適に過ごすためには、熱を外へ逃がさなければならない。


 それは病院でも、ホテルでも、大学でも同じだった。


 机に荷物を置いたところで、教授が研究室へ入ってくる。


「今日は共同研究先ではありません。」


 そう言って、一枚の案内状を木村へ差し出した。


 表紙にはこう書かれている。


 **『次世代データセンター技術交流会』**


 木村は首をかしげた。


「データセンター……ですか。」


「ええ。」


 教授は静かにうなずく。


「近年、急速に増えている施設です。」


「熱利用の研究でも、避けて通れない存在になりつつあります。」


 木村は案内状を読み進める。


 クラウドサービス。


 生成AI。


 高性能計算。


 聞いたことはある言葉ばかりだったが、それらと熱が結び付かなかった。


「正直、あまりイメージが湧きません。」


 教授は穏やかに笑う。


「それで構いません。」


「研究とは、知らないことから始まります。」


 二人は大学を出て、交流会の会場へ向かった。


 受付を済ませると、会場には電力会社や設備メーカー、建設会社、自治体の担当者など、多くの技術者が集まっていた。


 ボイラー設備の研究会とは、少し空気が違う。


 展示されているパネルには、サーバーラックや冷却装置、液冷システムなど、見慣れない写真が並んでいる。


 木村はその光景を眺めながら、小さくつぶやいた。


「ここでも、熱の研究をしているんですね。」


 教授は会場全体を見渡しながら答える。


「ええ。」


「ただし、今日の主役は熱を作る設備ではありません。」


「熱を捨てる設備です。」


 その一言に、木村は思わず教授の顔を見た。


 これまで学んできたボイラーとは、まったく逆の発想だった。


 熱は、利用するもの。


 そう考えてきた木村にとって、その言葉は新しい問いの始まりだった。




講演が終わると、参加者たちは展示エリアへ移動した。


 会場の一角には、実物のサーバーラックが展示されている。


 黒い筐体が天井近くまで何段にも積み重なり、無数のランプが規則正しく点滅していた。


 耳を澄ますと、絶え間なくファンの回る音が響いている。


「これが……データセンターですか。」


 木村は思わず立ち止まった。


 教授は首を横に振る。


「正確には、その一部です。」


「実際の施設では、この何百倍、何千倍ものサーバーが並んでいます。」


 木村はラックの横へ回り込み、背面から吹き出す温かな風に手をかざした。


「暖かい……。」


 そこへ展示を担当していた技術者が笑顔で近づいてきた。


「触ってみると分かりますよね。」


「この熱を外へ逃がすのが、私たちの仕事なんです。」


 木村は思わず尋ねた。


「サーバーって、そんなに熱くなるんですか。」


「ええ。」


 技術者はラックを軽くたたいた。


「コンピュータは電気で計算します。」


「そして、使った電気のほとんどは熱になります。」


「つまり、計算すればするほど熱が増える。」


 木村は少し驚いた表情を浮かべた。


「そんなに発熱するとは思いませんでした。」


「一般のパソコンでも熱くなりますよね。」


「それが何万台も集まれば、一つの工場のような熱源になります。」


 教授は静かに補足した。


「ボイラーは燃料を使って熱を作ります。」


「しかしデータセンターは、計算した結果として熱が生まれます。」


「目的が違うのです。」


 木村は展示パネルへ目を向けた。


 そこには施設全体の模式図が描かれていた。


 サーバー。


 冷却装置。


 冷水配管。


 熱交換器。


 冷却塔。


 大量の熱を運び出すための設備が、建物の半分近くを占めている。


「熱を使う設備より、熱を逃がす設備の方が大きい……。」


 木村は思わずつぶやいた。


 技術者は苦笑する。


「そうなんです。」


「最近は、サーバーより冷却設備の方が悩みの種ですよ。」


「電気代も大きいですが、それ以上に冷却コストが年々増えています。」


 木村は資料の数字を見つめた。


 消費電力、数十メガワット。


 冷却設備の消費電力。


 年間運転時間。


 どれも、これまで共同研究で扱ってきた病院やホテルとは桁が違っていた。


「……こんな熱が、一日中出続けるんですか。」


「二十四時間三百六十五日です。」


 技術者は迷いなく答えた。


「データセンターは、基本的に止まりません。」


 その一言に、木村は静かに息をのんだ。


 病院でも夜間は需要が下がる。


 ホテルも昼間は比較的落ち着く。


 温浴施設にも営業時間がある。


 しかし、この施設だけは違う。


 昼も夜もなく、休むことなく熱を生み続ける。


 木村は展示パネルから目を離せなかった。


 これまで学んできた熱需要とは、まったく異なる世界が目の前に広がっていた。



展示エリアを見学した後、木村と教授は企業技術者との意見交換会に参加した。


 丸テーブルを囲み、それぞれの立場から課題を話し合う。


 話題は自然と、データセンターの冷却へ移っていった。


「現在は、冷却した熱をそのまま大気へ放出しています。」


 企業技術者が施設の模式図を示す。


 サーバーから回収された熱は熱交換器を通り、冷却塔で外気へ放出される。


 ごく一般的な冷却システムだった。


 木村は図面を見つめながら口を開く。


「この熱は……利用できないんですか。」


 技術者は少し困ったように笑った。


「その質問は、よくいただきます。」


「もちろん私たちも考えています。」


「でも、簡単ではありません。」


 木村は身を乗り出す。


「何が難しいんでしょう。」


「まず温度です。」


 技術者は模式図の配管を指差した。


「回収できる熱は四十度前後。」


「暖房には使えても、高温を必要とする設備では使いにくい。」


 別の担当者が続ける。


「それに、データセンターは郊外へ建設されることが多いんです。」


「近くに大量の熱を必要とする施設がありません。」


 木村は静かにうなずいた。


 熱があっても、使う場所がない。


 その一言が、胸に引っかかる。


 教授はその様子を見ながら尋ねた。


「木村さん。」


「十五話で、何を学びましたか。」


 突然の問いだった。


 木村は少し考え、ゆっくり答える。


「設備だけを見るんじゃなくて……。」


「街全体で考えることです。」


 教授は静かにうなずいた。


「では、この熱も同じではありませんか。」


 木村は再び地図へ目を向けた。


 データセンター。


 その周囲には住宅地がある。


 少し離れた場所には病院。


 温浴施設。


 福祉施設。


 学校。


 以前なら、それぞれを別々の建物として見ていた。


 しかし今は違う。


 街全体が、一つのシステムとして頭の中に浮かんでいた。


「もし……。」


 木村は思わずつぶやく。


「データセンターだけじゃなく、街全体で熱を考えたら。」


 企業技術者が興味深そうに顔を上げる。


「どういうことですか。」


「熱を運ぶ配管や蓄熱設備も含めて設計すれば。」


「病院や温浴施設、住宅の給湯に利用できるかもしれません。」


 会場が一瞬静かになる。


 技術者は腕を組みながら考え込んだ。


「技術的な課題は多いでしょう。」


「でも、その発想は面白いですね。」


 教授は木村の横顔を見つめ、穏やかに微笑んだ。


「研究とは、今ある設備を改良するだけではありません。」


「別々に見えていたものを、つなぎ直すことでもあります。」


 木村は地図を見つめたまま、小さくうなずく。


 熱は余っている。


 熱を必要としている場所もある。


 問題は、その二つが結び付いていないことだった。


 その瞬間、木村の中で新しい研究の輪郭が、ゆっくりと形を取り始めていた。



大学へ戻った木村は、その日のうちに研究室のホワイトボードへ向かった。


 何も書かれていない白い面をしばらく見つめる。


 そして一本の線を引いた。


 左に『データセンター』。


 右に『病院』『温浴施設』『住宅』。


 さらに、その間を一本の配管で結んでいく。


 木村は立ち止まり、もう一度図全体を見渡した。


 熱は、ここで生まれる。


 そして、あちらでは必要とされている。


 今までは、それぞれを別の問題として考えていた。


 しかし、本当は一つの街の中で起きている出来事なのだ。


「教授。」


 木村はホワイトボードから目を離さずに言った。


「熱を利用する方法を考えるんじゃない。」


「熱を利用できる街を設計するんです。」


 研究室が静まり返る。


 教授は木村の描いた図を静かに見つめていた。


 やがて、小さく微笑む。


「その発想は、ボイラーの研究だけをしていては出てきません。」


「現場を見て、人を見て、街を見てきたからこその考えです。」


 木村はゆっくりとうなずいた。


 病院。


 ホテル。


 温浴施設。


 地域熱供給。


 未来予測。


 これまで積み重ねてきた研究が、一つの線としてつながっていく。


 研究テーマは変わったのではない。


 見ている世界が広がったのだ。


 教授はホワイトボードの隅に、小さく一つの丸を書いた。


「では、次の問いです。」


「この街全体を、どうすれば持続可能なエネルギーシステムとして設計できますか。」


 木村はその問いを聞き、迷うことなく新しいページを開いた。


 共同研究 No.6


 ペンを握り、ゆっくりと書き始める。


 『熱は、捨てるものではない。』


 少し考え、もう一行を書き加える。


 『研究とは、熱の流れではなく、人と街のつながりを設計することである。』


 木村はノートを閉じた。


 その一文は、ボイラーの研究から始まった共同研究が、新しい時代のエネルギーシステムへ歩み始めたことを静かに物語っていた。




研究室を出る頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。


 木村はキャンパスの坂道をゆっくりと歩く。


 駅へ向かう途中、街には一つ、また一つと明かりが灯り始める。


 コンビニ。


 病院。


 ホテル。


 マンションの窓。


 信号機。


 何気なく眺めていた夜の景色が、今日は少し違って見えた。


 あの光の向こうでは、人が暮らしている。


 食事を作り、風呂に入り、眠りにつく。


 その暮らしを支えるために、熱が使われている。


 そして今、この街のどこかでは、データセンターのサーバーも休むことなく計算を続け、静かに熱を生み出している。


 木村は足を止めた。


 昼間までなら、その熱は「捨てられるもの」だと思っていた。


 だが今は違う。


 その熱を必要としている場所が、きっとどこかにある。


 問題は、まだ結び付いていないだけなのだ。


 教授が隣に並ぶ。


 二人はしばらく無言のまま街を眺めていた。


 やがて教授が静かに口を開く。


「研究というのは、不思議なものです。」


「新しい技術を知るたびに、世界が変わるわけではありません。」


「世界の見え方が変わるのです。」


 木村は夕暮れから夜へ移り変わる街並みを見つめながら、小さくうなずいた。


 設備しか見えていなかった頃には、この景色はただの街だった。


 今は違う。


 熱の流れが見える。


 人の暮らしが見える。


 そして、その先にある未来まで、少しだけ想像できるようになった。


 二人は再び歩き始める。


 街の灯りは静かに広がり続けていた。


 その一つひとつの光が、木村には新しい研究課題のように見えていた。


 研究は、まだ始まったばかりだった。

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