第9話「追放者たちの村、立つ」
「D級ダンジョンで壊滅しかけたこと……知っていますか」
セルディオが茶の杯を両手で包みながら言った。
「噂くらいはな」
知っていた。正確には、ギルドの掲示板に報告が出たことをバロッサから聞いた。
A級パーティがD級ダンジョンで。
驚きはなかった。
ただ、やっぱりか、と思っただけだ。
「罠を見抜ける者がいませんでした。食料管理もめちゃくちゃで。状態異常の回復手段もなくて。全員重傷で——辛うじて生きて帰るのが精一杯でした」
セルディオの声は震えていた。
茶の表面が波打っている。手が揺れているんだろう。
「ガルドさんがいなくなって初めてわかった」
顔を上げた。碧眼が赤い。
「僕たちは——僕は、あなたに甘えていた。全部任せて、何もしなかった」
知ってるよ。
とは言わなかった。
代わりに聞いた。
「それを言いに来たのか?」
「違う」
セルディオが杯をテーブルに置いた。
「謝りに来た。でも、謝って済む話じゃないことも……分かっています」
沈黙。
暖炉の薪がはぜる音。
俺は——何を感じている?
怒りか。
いや、怒りはとっくに通り過ぎた。追放された日に、もう終わっている。
悲しみか。
それも違う。
あるのは——がっかりだ。
二十年見てきた男が、二十年経っても同じ場所にいることへの。
「お前は」
口を開いた。
「優しいくせに何も決められない奴だった」
セルディオが息を呑んだ。
「それは今も変わってないな」
厳しい言葉だと分かっている。
だが、ここで甘い言葉をかけても意味がない。
二十年間、俺はこいつに甘い顔をし続けた。装備を整え、飯を作り、問題を先回りして潰し、この男が何も決めなくても済むようにした。
それが——間違いだったとは言わない。
だが、もう続ける気はない。
「変わりたい」
セルディオが拳を握った。
「変わらなきゃいけないのに——」
「なら、明日の朝、自分で決めろ」
セルディオの目が俺を見た。
「教会に協力するのか、しないのか。誰かの言いなりじゃなく、お前自身で」
「ガルドさん——」
「俺はお前を恨んじゃいない」
本当だ。恨みなんかない。
「ただ、お前にはがっかりした。だから——明日、お前が何を選ぶか、見届ける」
茶を啜った。ぬるくなっている。
セルディオは長い間黙って、それから立ち上がった。
「……ありがとうございます」
掠れた声だった。
扉が閉まる。
一人になった。
暖炉の火を見る。
「やれやれ」
独り言が漏れた。
似合わないことを言った気がする。
だが——嘘は一つもない。
明朝。
十六日目。
空が白み始めた頃に目を覚ました。
全員が既に起きていた。
朝食はいつもより軽く。パンと白湯だけ。
食べ終えて、村の入口に向かう。
ゼノが待っていた。
黒い法衣の男が、騎士三名を従えて柵の前に立っている。
昨日より顔が険しい。一晩待たされて苛立ちが溜まっているのだろう。
「時間だ。聖女を引き渡せ」
俺は全員を背にして立った。
リーネ。マルト。ドラン。エルナ。
フィオは村の裏手だ。
「引き渡す気はない。昨日と答えは同じだ」
ゼノの目が据わった。
「ならば——力ずくだ」
騎士三名が、今度は本気で来た。
昨日とは足運びが違う。陣形を組んでいる。
一人目がドランに向かって突進した。
ドランが受け止めた。
正面から。
金属同士がぶつかる音。ドランは素手だ。だが、騎士の盾を両手で掴んで押し返した。
「どけよ!」
一声。
騎士が三歩後退した。ドランの膂力は、鎧を着た騎士を上回っている。
二人目がマルトに向かった。
マルトの足が動いた。
右膝をかばっている。踏み込みが浅い。
だが——関係なかった。
騎士の剣が振り下ろされる。
マルトはそれを半歩でかわし、剣を抜かずに鞘で騎士の手首を打った。
かつん、と乾いた音。
騎士の指が開き、剣が落ちた。
「若いのう」
マルトの声は穏やかだった。
三人目がリーネに向かう。
リーネが手を翳した。
地面から氷の槍が突き上がる。一本、二本、三本。
騎士の足元を囲むように。
氷が靴の周りで固まり、騎士は身動きが取れなくなった。
三人。数秒。
だが——。
ゼノが動いた。
黒い法衣の袖から、白い光が溢れた。
聖属性の魔法。
教会の高位聖職者が使う攻撃魔法——冒険者時代に資料で読んだことがある。
光の矢が——エルナに向かって飛んだ。
「エルナ!」
叫ぶより先に体が動いていた。
エルナの前に飛び出した。
両手を前に突き出す。
詠唱——いや、正式な詠唱じゃない。言葉が出る前に、魔力が手のひらから溢れた。
防護の支援魔法。
対象を守るための、盾。
パーティの仲間をダンジョンの罠から守る時に何百回も使った、あの感覚。
だが——今日は、違った。
今日は本気だった。
光の矢が俺の防護魔法にぶつかった瞬間、衝撃が全身を貫いた。
足が地面を削る。二歩後退した。
だが——防いだ。
光の矢は、俺の防護の壁に弾かれて四散した。
「……なっ」
ゼノが目を見開いた。
俺の手のひらから、淡い光が放射状に広がっている。
これが——俺の支援魔法か。
こんなに強い光を見たのは初めてだ。
いつも「まあ、こんなもんだろ」と思って使っていた。
本気で使ったことなんて、一度もなかったから。
マルトの声が背後で聞こえた。
「やはりお前さん……とんでもない支援魔法使いじゃのう」
「……まあ、支援しかできないからな」
体が重い。魔力を一気に使った。
だが、立っていられる。
ゼノが歯を剥いた。
「この村は——」
二発目を撃とうとしたその時。
横から——影が割り込んだ。
金髪が朝日に光った。
セルディオがゼノの前に立ちはだかっていた。
「審問官殿。これ以上は無意味です」
「貴様——何をしている。名門レクト家の三男が教会に逆らうのか」
ゼノの声が裏返っている。
セルディオの背中が——震えていた。
怖いのだろう。当然だ。家名に逆らうということは、この男にとって全てを失うことに等しい。
だが。
「逆らうんじゃない」
セルディオの声は震えていた。
けれど——目は真っ直ぐだった。
「僕は——僕の意志で、ここに立っている」
俺は——。
笑った。
声には出さない。口元がほんの少し緩んだだけだ。
「……ようやくか」
ゼノが周囲を見回した。
騎士三名は無力化されている。自分の魔法は防がれた。目の前にはA級冒険者。
勝ち目がないことを、さすがに理解したのだろう。
「覚えておけ。この件は本部に報告する」
捨て台詞を吐いて、騎士を引きずりながら去っていった。
その背中を見送りながら、俺は息を吐いた。
まあ、報告されたところで——あの人は冒険者ギルドの公正さを何より重んじる人間だ。教会の横暴を黙認するタイプじゃない。バロッサがギルド経由で状況を記録してくれているはずだ。
完全な解決じゃない。
だが、今日のところは——守れた。
セルディオが、俺の前に立った。
目の下の隈。震える唇。それでも、まっすぐな目。
深く、頭を下げた。
「ガルドさん。二十年間、ありがとうございました」
声が震えている。
「そして——追い出して、すみませんでした」
頭を下げたまま、動かない。
俺はしばらくその頭を見下ろして——。
「頭を上げろ」
セルディオが顔を上げた。涙が頬を伝っている。
肩を、軽く叩いた。
「お前が自分で決めたなら、それでいい」
セルディオの顔がくしゃりと歪んだ。
泣くな。いい歳した大人が。
——まあ、俺も人のことは言えないか。
「僕は王都に戻って、パーティを立て直します」
セルディオが袖で顔を拭いた。
「ヴィルマとも……ちゃんと話をします。今度は、自分で」
「そうか」
それだけ返した。
「飯食っていけ」
セルディオが驚いた顔をして——笑った。
「はい」
全員で昼飯を食べた。
七人分のスープ。
セルディオは一口飲んで「懐かしい」と呟いた。
そして「うまい」と笑った。
ドランが「だろ?」と胸を張った。お前が作ったわけじゃないだろ。
リーネは黙って食べていたが、セルディオをちらちら見ていた。警戒というより、観察しているようだった。
マルトが「若いのは涙もろいのう」とからかった。
エルナが「でも、立派でしたわ」と微笑んだ。
フィオが裏手から戻ってきて、「終わったですか?」と首を傾げた。
ああ。終わった。
今日は終わった。




