第8話「王都からの招かれざる客」
灰谷に来て十五日目。
バロッサの手紙を受け取ってから三日。
その間に、できることは全てやった。
今朝、全員を集めた。
小屋の前。朝食後。
俺、リーネ、マルト、エルナ、ドラン、フィオ。六人。
「話がある」
手紙の内容を伝えた。
教会の異端審問官がエルナを追って来ること。
そして——セルディオが来ること。
エルナが手首を握った。あの癖だ。
「わたくしのせいで皆さんに迷惑を——」
「お前のせいじゃない」
遮った。
「追ってくる方が悪い」
エルナの口が閉じた。目が揺れている。だが、俺が言い切ったことに救われたようにも見えた。
「で、どうする」
マルトが聞いた。声に緊張はない。元S級冒険者の余裕か。
「迎え撃つか」
「戦いたいわけじゃない」
首を振った。
「だが、ここにいる奴を渡す気もない」
ドランが立ち上がった。
「よっしゃ。まず柵を強化しようぜ。見張り台も仕上げる」
「頼む」
リーネが静かに口を開いた。
「……わたしも、戦えます」
その声には覚悟があった。折れた角の付け根に手をやりかけて——やめた。
自分で自分の弱さを隠すのをやめた、ように見えた。
フィオが不安そうな顔をしている。服の裾を握っている。
リーネがフィオの前にしゃがんだ。
「大丈夫。ここは誰にも渡さない」
フィオが小さく頷いた。
準備に取りかかった。
ドランが柵の補強と見張り台の仕上げ。丸太を運び、杭を打ち、二時間で村の防御力が格段に上がった。
マルトがリーネに実戦を想定した動きを教えている。足運び、間合いの取り方、避けるべきタイミング。
エルナが薬草を調合し、治癒に備えた。魔力を温存するため、治癒魔法は使わない。
フィオには——。
「お前は村の裏手で待機だ」
「ぼくも何かしたいです」
「お前の仕事は、逃げ道を覚えておくことだ。いざという時、ここから離れられるように」
フィオが顔を曇らせた。
分かっている。この子は「役に立てない自分」を一番怖がっている。
だが——十歳の子供を戦いに巻き込むわけにはいかない。
「これは大事な役割だ。お前にしか頼めない」
嘘じゃない。万が一の時に、この子だけは逃がさなければならない。その道を知っているのがフィオ自身なら、自分で判断して逃げられる。
フィオは唇を噛んで、頷いた。
全員の配置と役割を決める。
誰に何をさせれば最も効率がいいか。
ドランは前衛。力と体格で入口を押さえる。
マルトは遊撃。膝の負担を最小限にしつつ、技術で相手を制する。
リーネは後方支援兼防衛。氷魔法で壁を作り、進路を塞ぐ。
エルナは最後方。治癒に専念。
俺は——。
俺は全体を見る。
それが俺の仕事だ。
誰がどこで何をすべきか。どこに穴があるか。何が足りないか。
「輝きの剣」で二十年やってきたことと、変わらない。
いや——一つだけ違う。
今は、ここを守りたくてやっている。
昼過ぎ。
リーネが見張り台から声を上げた。
「来ました。南東の街道から四人。馬はなし。徒歩です」
立ち上がった。
村の入口に向かう。
柵の向こうに、四つの影が見えた。
先頭に立つのは、黒い法衣を纏った中年の男。
細面で、冷たい目をしている。
その後ろに騎士が三名。軽装の鎧に剣を帯びている。
教会の人間だ。
黒い法衣の男が柵の前で立ち止まり、俺を見た。
「この村の責任者か」
横柄な声。
「そうだ」
「異端審問官ゼノ。王国教会の命により、聖女エルナ・フォン・クレーリスの身柄を引き渡すよう求める」
予想通りだ。
「引き渡す気はない。帰れ」
ゼノの目が細くなった。
「たかが辺境の開拓村如きが、教会に逆らうと?」
「逆らうもなにも、ここは王国の放棄地を正規に開拓した村だ。ギルドに届を出してある。お前らの管轄じゃない」
ゼノの口元が歪んだ。笑っているのか、怒っているのか。
「この村に、異端者と魔族がいることは把握している。引き渡さなければ——村ごと焼く」
脅しとしては上等な部類だ。
だが、俺は——怖くなかった。
なぜかは分からない。いや、分かっている。
俺の後ろに五人がいる。
その五人を渡す気は、微塵もない。
「やるなら好きにしろ。ただし——」
柵の内側で、氷が生えた。
リーネの氷壁。
地面から腰の高さまで、透明な氷の壁が柵に沿ってせり上がる。
騎士たちの足が止まった。
「うちの住民は全員、それなりに強い。覚悟はできてるか」
ゼノの顔から余裕が消えた。
「——やれ」
騎士に命じた。
三人の騎士が抜剣して、柵に向かって突進する。
一人目がリーネの氷壁に突っ込んだ——壁が砕けるかと思ったが、砕けない。
足元に氷が広がって、騎士の靴が滑った。態勢を崩す。
だが、すぐに体勢を立て直した。訓練された動きだ。
ドランが柵を越えて、一人目の騎士と正面から対峙した。騎士が盾を構える。ドランが一歩踏み込む——が、騎士は後退して間合いを取った。力の差を悟ったのだろう。睨み合いが続く。
二人目の騎士がマルトに向かった。
マルトが剣の柄に手をかけた——だが、抜かなかった。
半歩動いただけで、騎士の踏み込みを止めた。
「やめておけ。怪我をするぞ」
穏やかな声だが、騎士の足が止まった。構えを崩せないまま、動けなくなっている。格の違いを肌で感じたのだろう。
三人目の騎士がリーネに向かう。
リーネが手を翳した。地面から氷の槍が三本、騎士の進路を塞ぐように突き上がる。
騎士は足を止めた。無理に突破すれば怪我をする。
膠着状態だ。
ゼノの顔が青ざめている。力押しでは通じないと悟ったのだろう。
そこへ——別方向から、馬の蹄の音が聞こえた。
全員がそちらを見た。
一頭の馬が、街道を全力で駆けてくる。
乗っているのは——。
金髪碧眼。
見間違えるはずがない。
セルディオだ。
「待ってくれ!」
叫びながら馬を飛び降りた。息を切らしている。長距離を一気に駆けてきたのだろう。
「ガルドさん、僕は——」
セルディオが口を開きかけた瞬間、ゼノがその腕を掴んだ。
「ちょうどいい。A級冒険者のレクト家の者なら、教会に協力する義務がある。この村に異端者と魔族がいる。手を貸せ」
セルディオの顔が凍りついた。
板挟み。
教会に逆らえば名門レクト家に傷がつく。セルディオにとって家名は重荷であると同時に、拠り所でもある。
だが目の前にいるのは——かつて自分が追い出した恩人。
セルディオは動けなかった。
目が泳いでいる。唇が震えている。
いつもの、何も決められない顔だ。
二十年見てきた、あの顔。
「お前の答えは聞いてない」
俺は言った。静かに。
「俺はここを守る。それだけだ」
セルディオに背を向けた。
ゼノが叫んだ。
「ならば明朝、正式に審問を行う! それまでに異端者を引き渡さなければ、力ずくで排除する!」
最後通牒か。
ゼノは騎士たちを引き連れて、街道の手前に陣を張った。
焚き火が遠くに光っている。
セルディオは——その場に立ち尽くしていた。
日が暮れた。
緊張した夜だ。
だが——俺は夕飯を作った。
いつも通り。根菜と肉の煮込み。
ドランが切った薪で火を起こし、マルトが水を汲み、リーネが食材を冷やして保存し、エルナがハーブを摘んで添えた。
フィオは食器を並べた。裏手の逃げ道をちゃんと確認してきたらしい。偉いぞ。
六人分の椀に、スープを注ぐ。
「明日がどうなろうと、今日の飯はうまく食え」
全員が椀を手に取った。
リーネが一口飲んで、言った。
「……ガルドさんらしいですね」
「どういう意味だ」
「どんな時でも、まず飯を作る人だということです」
褒められているのか呆れられているのか。
多分、両方だろう。
食後。
全員が各自の小屋に戻った。
俺は暖炉の前で火を見ていた。
明日。
教会の追手を——退けなければならない。
そしてセルディオ。
あいつは何をしに来た?
俺を連れ戻しに来たのか。
それとも——。
小屋の扉が叩かれた。
開けると、セルディオが立っていた。
夜風に金髪が揺れている。
目の下に隈がある。ろくに寝ていないんだろう。
「ガルドさん……話を、聞いてくれませんか」
俺は——少し考えて。
扉を開けた。
湯を沸かして、茶を淹れた。
セルディオの前に、湯気の立つ杯を置いた。
「座れ」
セルディオが腰を下ろした。
長い夜になりそうだ。




