第3話「かかしと畑とスープの味」
灰谷に来て三日目。
朝、畑に出た。
昨日植えた根菜の列が、朝露でしっとり光っている。
だが問題がある。
昨日の夕方、鳥が何羽か畑の上を旋回していた。
まだ芽も出ていないが、放っておけば種をほじくられる。
対策がいる。
小屋の裏にあった朽ちた木の棒を二本拾い、十字に組んだ。
古い麻袋をかぶせて、藁を詰めて形を整える。
前の人生の記憶。婆ちゃんの畑の端に立っていた、あの案山子。
もう少し恰好をつけたいが——まあ、機能すればいい。
畑の中央に杭を打ち込んで、案山子を立てた。
風に揺れて、麻袋の頭がかさかさ鳴る。
「それは何ですか?」
背後から声がした。
リーネだ。
修繕した隣の小屋から出てきたらしい。昨日より顔色がいい。足取りもしっかりしている。
「かかしだ。鳥除けにする」
「……鳥に効くんですか?」
懐疑的な目をしている。
まあ、確かに。この出来栄えだと鳥も怖がらないかもしれない。
「効くかどうかじゃない。畑に立ってるだけで意味がある」
「……よく分かりません」
リーネは首をかしげた。
案山子の頭に、持っていた布の切れ端をかぶせてやった。
帽子代わりだ。
リーネがそれを見て——小さく笑った。
声は出さなかった。ただ口元がほんの少し動いただけだ。
でも、確かに笑った。
見なかったことにして、作業に戻る。
今日の予定は多い。
まず井戸の補強。
石組みの目地が崩れて、隙間から土が落ちている。このままだと水が濁る。
渓流の方で適当な石を拾ってきて、隙間に詰め直す。泥を練って目地に塗り込む。
リーネに声をかけた。
「手伝えるか?」
「何をすれば」
「泥をこねて、俺に渡してくれ。それだけでいい」
「……分かりました」
リーネは素直に泥をこね始めた。
手つきはぎこちないが、丁寧だ。言われた通りの量を、言われた通りの硬さで渡してくる。
几帳面な性格らしい。
それとも、軍の幹部というのはこういう正確さが身につくものなのか。
どちらにせよ、助かる。
一人でやれば半日かかる作業が、二人だと三分の二で済む。
午前中で井戸の補強が終わった。
試しに水を汲む。
澄んだ水が上がってきた。
「いい水だ」
「……そうですね」
リーネは水面をじっと見ていた。自分の顔が映っているのか、それとも何か別のものを見ていたのか。
俺には分からない。
午後は畑の拡張。
畝を二列増やす。
鍬を振り下ろすたびに、腕と背中に心地いい痛みが走る。
リーネは石を拾って、畝の間に置いていった。
歩く道を作っているらしい。頼んでないのに。
「気が利くな」
「……別に。足元が泥だらけになるのが嫌なだけです」
そう言いながら、丁寧に石を並べている。
やっぱり几帳面だ。
日が傾く頃には、畑が昨日の倍になっていた。
夕飯の支度に取りかかる。
今日は少し手間をかけた。
朝、井戸の修理で渓流に行った時に見つけた山菜を数種類摘んでおいた。
根菜は昨日掘ったものの残り。干し肉の最後の一切れを細かく刻んで出汁にする。
鍋に全部入れて、じっくり煮込む。
塩加減を見て、もう少しだけ足す。
二つの椀に注いで、一つをリーネに渡した。
「今日もスープですが」
「文句はない」
食う。
……うん。昨日より美味い。山菜の香りがいい。
リーネも黙々と食べている。
二口、三口——。
「……ガルドさん」
「ん?」
「ガルドさんの料理を食べると、なんだか体が軽くなる気がします」
「腹が減ってただけだろ」
そう返した。
だって、そうだろう。ここに来るまでろくに食えてなかったんだから、温かい飯を食えば体が楽になるのは当然だ。
リーネは黙った。何か言いたそうにしていたが、結局口を閉じた。
食後。
暖炉の前で明日の計画を立てる。
薬草ポーチの中身を確認した。
傷薬の原料が残り少ない。リーネの手当てで使ったし、今後のためにも補充しておきたい。
灰谷の南の森には薬草が自生しているはずだ。ギルドで貰った土地の情報にそう書いてあった。
それと、干し肉がもう切れた。
当面は畑の野菜と森の山菜で食いつなぐしかないが、動物性の蛋白質も欲しい。
罠を仕掛けるか、釣りをするか。渓流があるなら魚がいるかもしれない。
「明日は南の森に薬草を採りに行く。あとは渓流の様子も見たい」
独り言のつもりだったが、隣の小屋の窓が開いていたらしい。
「わたしも手伝います」
リーネの声が聞こえた。
「無理するな。まだ体が戻ってないだろ」
「……別に。暇なだけです」
出た。「別に」。
昨日もこれを言っていた。この子の口癖なのか、それとも本音を隠す癖なのか。
多分、後者だろうな。
「そうか」
深追いしない。来たいなら来ればいい。
暖炉の火を落として、寝台に横になった。
天井の隙間から星が見える。昨日と同じ星だ。
三日目が終わる。
畑は倍になった。井戸は補強した。かかしも立てた。
住民が一人増えた。
一人で始めた場所に、二人の暮らしが生まれ始めている。
「悪くない」
目を閉じる。
明日は森だ。何が見つかるか分からないが——まあ、どうにかなるだろう。
前の人生では、こういう「明日が楽しみだ」という感覚を持ったことがなかった。
毎朝、目覚まし時計を止めるたびに「また今日が来た」としか思えなかった。
今は違う。
明日の朝が来るのが、少しだけ嬉しい。




