第弐幕:不期戦闘
夏風院葵嗣は困惑していた。
列車が停まったので、一足先に外の空気でも吸おうとプラットホームに降り立ったのだ。
途端、あまりの驚きにステップに片足を残した姿勢のまま、その場で固まってしまった。
「わあ! なになにっ。急に立ち止まらないでよ、アオくーん」
すぐ後ろで腐れ縁の秋風院菊嗣が何か騒いでいるが、そんなことを気にかけるほど今の葵嗣には余裕はなかった。
「……ううぅ」
「…………?」
「……二尉」
「……はい」
「――っ!」
その時、眼前で跪いていた少年がいきなり顔をあげた。衣服から彼も葵嗣と同じ聖騎兵であることが知れた。折襟章は中二生、三等園尉の刺繍だ。桜乃の副官の雪嗣と同学年だが、階級はこの少年の方が一つ上である。
「に、二尉!」
「は、はい」
「二尉がっ! ひっく……僕を庇って!」
「…………」
葵嗣は彼に向けていた視線をそのまま下へとずらしてみた。あえて気づかない振りをしていたが、やはり彼は血まみれの男を抱きかかえていた(といっても体格差から、少年は横たわる男の上半身を抱きしめるような格好になってしまっていたが)。
「ああー、っと。……とりあえず、二尉ってのが俺でないことだけは分かった」
「なに言ってんの? アオくんは二尉さんでしょ?」
背後で馬鹿だ何だとのたまっている菊嗣に軽く殺意は芽生えるものの、何だか構うのも癪なので、今この場には完全に存在していないかのごとくすっかりと無視を決め込んでステップを降りた。
その場に膝を折ってしゃがみ込む。後ろの菊嗣も幾分か状況を察したようで口を噤むと、ゆっくりとステップを降りてきた。
「どうかしたの? この人、だいぶ怪我してるみたいだけど……」
恐る恐るといった感じで、すぐ後ろから尋ねる声があがった。
葵嗣は彼を見た。折襟章は確かに二尉で、学年は高二生であるらしかった。
「これは、噛み傷だ。それも類人猿か何かの」
「る、類人猿ッ? るいじんえん、るいじんえん。ねえアオくん、類人猿ってなんだっけ」
「霊長類の中でも、とりわけて人間に近しい動物のことだ」
「れいちょうるい? サルとかゴリラってことっ? どうしてそんなのの噛み傷がっ」
菊嗣は酷く混乱しているようだった。無理もない。実際のところ葵嗣も相当混乱している。
確かに傷の様子からはそうだと分かっても、現実的に考えて、こんな街中にまでサルや何かが下りてきて人を襲うだなんて聞いたことがない。まして子どもとはいえ、眼前の負傷兵は歴とした男子高校生である。気絶し意識を失うほどの大怪我を負わせられるとは到底思えないが。
「サルじゃ、ありません」
その時、唐突に少年が口を開いた。「――です……」
葵嗣は一瞬、この少年が何と云ったのか聞こえなかった。
いや、本当は聞こえていた。ただ理解することができなかった。しばし理解することが躊躇われた。
「……ヒト、です。二尉を殺したのは」
葵嗣は驚いて少年を凝視した。菊嗣もひゅうと息を飲む。
「ヒトなんです、二尉を殺したのは。光月二尉は喰い殺されたんです」
『…………』
しばらくの間、二人は少年のいうことの意味が頭に入ってこなかった。脳が理解することを拒んでいた。
ふとと、葵嗣が我に返ると、彼を抱き寄せる格好で地べたに膝をつけて座っていた少年が、しゃがみ込む葵嗣のすぐ横に立っていた。
「僕、知ってるんです。噛まれた人間がどうなっちゃうか……」
そう云って三尉はおもむろに腰のそれに指をかけた。真新しい拳銃がフォルスターから抜き取られる。
「汝に、神の憐みをッ!」
カチリっ、という撃鉄を起こす音が小さくホームを満たした。
「お、お前……。何を――」
菊嗣が問うたまさにその瞬間、少年は引き金を絞った。目の前の男の頭蓋に弾丸が吸い込まれて、見る見るうちに鮮血が広がっていく。葵嗣も菊嗣もどうすることもできずに、ただ黙って傍観している以外、何もできなかった。
二尉の、目の前の男から溢れ出た血がプラットホームの床を紅く染め上げていく。白いタイルやブロックが敷き詰められたホームの床に染みて、これ以上ないくらいに良く映えている。
刹那、線路を挟んだ向かいのホームから機関銃の連射音が鳴り響いた。
それも一つや二つではない。たくさんの機銃が、一斉に射撃し合う音だった。
視線を感じた。見ると、すぐ隣に菊嗣がしゃがみ込んでこちらを見やっていた。葵嗣は静かに頷いてみせた。
けたたましい銃声の轟く中、二尉官は静かに黙祷を捧げた。
§ § §
一等園佐は飛騨稲荷神学校の高等部三年。聖年騎士団作戦科所属の上級将校である。
この三年間、一佐は必死になって努力してきた。勉学はもちろん、聖騎兵の任務も忠実にこなしてきた。すべては帝都大学に入学するため。そうして父と同じように官僚に成りたいがため。
今回の暴徒鎮圧作戦は、そんな一佐の最後の任務だった。
〈東部方面群〉の司令官として現場で指揮を執り、発狂した暴徒を制止、暴動を鎮圧させる。容易なことではないだろうが、聖騎兵生活最後の任務に相応しい、実に光栄な任務だ。
しかし、どうやら日頃の信仰心が足りなかったとみえる。
両親ともに爵位持ちではなかったが、父は大蔵官僚、母は小学校教師で、生活に困ったことなどこれまで一度もなかった。決して安くない神学校の学費などの支払いに苦労したことも一度もない。十二分に裕福とまではいえなくとも、そこそこ十分な暮らしは約束されていた。
自分はそんな生活の上に胡坐をかいていたのだろうか。
だから、空の上の神とやらは一佐に、いわゆる試練というものを与えられたのだろうか(あるいは罰ともいうが)。
「第二鎮圧隊のヒルベルト隊より入電! 第十一、及び第十二封鎖線を維持できないとのことです!」
「第三封鎖線、突破されます! ディリクレ隊、交信途絶ッ!」
「第一鎮圧隊、残存兵力、七割を切りました! 第二鎮圧隊は八割を維持」
「第十二封鎖線は破棄する。ヒルベルト隊には第十一封鎖線の防衛に専念させよ。ディリクレ隊の僚隊は第八封鎖線に急行せよ。抜けた穴を塞げ」
通信兵らの報告を受けつつ、一佐は全体に指示を出す。
大丈夫だと将兵や自身にも言い聞かせるが、戦況は明らかにこちらに不利だった。兵たちの動揺が無線通信のノイズに乗って一佐にも伝わってくる。
当初、司令部も各部隊長も、兵・下士官でさえも、このような暴動の鎮圧はすぐに収束するだろうと考えていた。無論、一佐もだ。
「全部隊に打電。各遊撃部隊は、周囲の警戒を怠るな。暴徒進攻を抑えつつ、消極的防勢でもって目標らを無力化せよ」
「……一佐殿」
野営テントの指揮所の中。市街地図を睨みやりながら指示を飛ばしていると、そばに控える将校の一人に声をかけられた。
「分かっている、一尉。このままでは、いずれ我々は孤立するな」
「はい。やがては弾薬も底をつきます。ですがその前に――」
「ああ。おそらく夜は越せないだろう」
一佐の言葉に、将校は大きく頷いた。他の将校らも一斉に頷く。怒声を上げていた通信兵らも黙ってこちらを凝視する。
彼のいうことはもっともだった。拠点もなく、安全な宿営地もない。それだのに、発狂した暴徒は夜闇に紛れてどこからでも攻めてこられるのだ。
「安全を確保できる場所を探さねばなりません」
今まさに一佐が考えていたことを、代わりに一尉が発言してくれる。
一佐が大きく頷くと、野営内の兵士らが荷物のまとめに取りかかりはじめた。
一佐はテントから出た。目の前の封鎖線では、何人もの発狂暴徒が聖騎兵に襲いかかっている。一佐は腰に吊った拳銃を抜くと、
ダダダン――
「ううぅ……」
眼前に迫ってきた発狂暴徒を射殺し、男が倒れ込んだところにすかさず発砲して眼窩を潰す。
脳をやらなければ彼らが死なない――。
それは、この数時間のうちに直感で分かりはじめていた。
考えたくはないが、奴らに普通の攻撃は通用しない。
「ありが……とう、ございました」
襲われていた兵士は地に腰をつけたまま、まだ呆然としているようだった。周りの兵士が駆け寄ってくる。
(ここも、いよいよダメだな)
眼下に手を差し出して、腰を抜かした彼を立ち上がらせる。
「なあ、兵長。お前、どうしたらいいと思う?」
何となく、目の前の少年に問うてみた。「お前が指揮官だったら、どうする? この状況下で」
「は、はあ……?」
兵長はぽかんと口を開けたまま、間が抜けたような顔でしばし一佐の方を見つめていたが、
「ま、まず、友軍と合流します。そ、それから、安全な宿営地を確保しま……す?」
「そうか。そうだよな。友軍と、宿営場所か」
「は、はい……」
一佐は眼前の少年の鉄帽を軽く小突くと、
「全遊撃部隊に通達しろ! 全部隊は至急、〈グレゴリウス・1〉に集結せよ!」
背後の通信兵に吠えた。慌てた様子で兵士が指揮所に駆け込む。
「どうなさるおつもりで?」
一尉が問うてくる。
「友軍と合流する。そうだな、飛騨稲荷駅を目指そうか。学校に戻るのは無理だろう、中心街は越えられない」
話している間にも暴徒に腕を掴まれそうになり、すぐさま銃を構えて眼窩を潰す。「途中、残存部隊と合流しながら駅舎を本陣にする。そうすれば、とりあえずは夜も越せるだろう」
「しかし、一佐殿。そう上手く行くでしょうか……」
「分からない。だから行動するんだろ」
一佐は云いながら、弾倉の残弾を確認した。
まだ三発もあった。
§ § §
手近にあった鉄パイプを振り上げながら、桜乃はこれでもかというくらいに声を張り上げて叫んだ。
「本当なんだなッ!」
眼前の男に、横から鉄パイプを食らわせて薙ぎ払う。「本当に、発砲許可は下りているんだな、秋風院三尉ッ!」
「そ、そうだよーっ! この子が――」
云いながら菊嗣は拳銃を構えて三発、続け様に発砲して襲撃者を撃ち抜いた。
「な、なんで死なないんですかっ! 急所のはずですよ!」
「ボクに聞かないでよ、ユキくん。でも、この子が……急所は頭だって……」
「あっ、頭ですって? それじゃ、ホントに死んじゃうじゃないですか!」
「だから! 射殺命令が出てるつッてんだろ! あーっ、もう!」
葵嗣は鬱陶しそうに銃口を突きつけると、目の前の男の頭部に狙いをつけて引き金を絞った。サラリーマン風のその男はそのままゆっくりと後ろに倒れ込んだ。
「僕は……私は、鎮圧総隊南部方面群、第六鎮圧隊所属。ガウス隊隊長の塩小路光明三尉です……」
桜乃は少年を見た。三尉と准尉も手をとめ、ともにその少年の方を見やった。
「頭を……、頭を狙ってください。発狂暴徒を止めるには、それしかありません。頭部を……撃ち抜くんです……」
光明はそれきり黙り込んでその場にうずくまると、揃えた膝頭に顔を埋めてしまった。
直後、プラットホームにアナウンス放送が流れた。
『特急列車の扉を閉めます! お客さまは直ちに列車内にお戻りください。繰り返します、列車の扉を閉めます! 直ちに列車内に――』
桜乃は腰に吊った愛銃を勢い良く引き引き抜いた。
「ねえ三尉、お願い。ほら立って。とにかく車輌の中に入ろうよ」
手近の発狂暴徒三人の額にそれぞれ弾丸を撃ち込む。さらに奥の二人を相手しながら、桜乃はできるだけ優しく光明に語りかけた。葵嗣が暴徒二人の動きをとめる。
「はい……」
少年は静かに頷くと、覚束ない足取りながらも車輌のステップを上って中へと消えていった。続いて雪嗣と菊嗣も中に入る。
「ううぅ……、ああぁ……」
桜乃は足元を見下ろした。
見ると、もう足が動かないのだろう、腕の力だけで前へ前へと、今まさに桜乃の足を掴まんと這いずり寄ってくる一人の少年がいた。聖騎兵の制服を着ていた。
「…………」
桜乃は小さく胸中で黙祷を捧げた。それからその少年兵の頭部を撃ち抜いた。
頭上で車掌か誰かが吠えている。扉を閉めるとか閉めないとか。
「たいちょ、閉まりますよっ!」
「うん。分かってる」
扉からひょっこり雪嗣が顔を覗かせている。
桜乃はステップを駆けのぼった。
刹那、すぐ後ろで、鉄の装甲扉が怠そうな動きでその口を閉ざした。
桜乃らが先頭車輌に戻ると、そこはつい先ほどまでの発令所とはまるで違っていた。
「う、ううぅ! 車輌長っ、先輩っ!」
「落ち着けって、准尉! 取り乱したって仕方ないだろ」
「……いったい何があったんですか」
雪嗣の問いはもっともだった。
飛び散った血痕。壁に寄りかかったままぴくりとも動かぬ兵士たち。つい今しがたまで談笑していた車輌長は、梅嗣に覗き込まれるように床の上に横たわっている。
「外の様子がおかしいって、先輩が窓を開けたんです。そしたら突然そいつが!」
梅嗣の視線を追うと首から大量の血を流して倒れている下士官が目に入った。(おそらくはもう死んでいるのだろう)。その横には私服姿の初老の男が事切れている。一体何で殴ったらそうなるのか、男の頭部は完全に砕けて、最早その原形をほとんど留めてはいなかった。
桜乃は菊嗣と葵嗣に目配せして亡骸を壁際の方へ移動させた。怪我の具合や状況から、車輌長は襲いかかるその男を取り押さえようとして逆に噛みつかれ、助けに入った兵士らも皆ことごとく噛み殺されたようだ。
遺体は車輌長含め、全部で四体あった。
「聖騎兵が、四人がかりでも、返り討ちに合うだなんて……」
菊嗣の半ば呆然とした呟きで、その場にいた全員に動揺が走る。
確かに菊嗣のいう通りだった。いくら兵站部の兵士とはいえ、訓練を受けた一人前の聖騎兵がそう簡単にやられたりするだろうか。しかも四人、それもたかが噛みつかれたくらいで。
「ありえない。首の頸動脈にまで達してるんだぞ。どんだけ顎が丈夫なんだよ」
葵嗣は怪訝そうな顔で言葉を続けた。「ありえねえって。人間じゃねえよ。医学の常識を超えてる」
フィボナッチ隊の衛生担当も兼ねている葵嗣は多少の知識があるらしく、先ほどから傷の具合などを診ていたが、しゃがみ込みながらまるで自分自身に言い聞かせるみたいに独りごちた。
ううぅ……
ああぁ……
車外のプラットホームには何十、何百もの発狂した暴徒が蠢いていて、そのうちの何人かはこちらの存在に気づいているようだ。しきりに窓ガラスに自身らの頭をぶつけている。
桜乃はここにきて、ようやくと冷静な頭でもって、眼前の彼らの姿形、様子に目をやることができた。
頭から血を流している男。右腕が明らかにおかしな方向を向いてしまっている制服姿の駅員。顔の半分の皮膚がえぐられて、顔面筋を露出させているサラリーマン(よく見ると片方の目がない)。
「ひ、ひゃあ!」
「ウメくん、危ないよっ!」
「バカッ、早く下がれッ!」
突然上がった悲鳴で、桜乃は眼前のそれらに注いでいた視線と意識とを、再び機関車内に呼び戻した。先ほどまでは完全に屍であったはずの車輌長が、這いずって梅嗣に襲いかからんとしているところだった。
桜乃は銃の撃鉄を起こすと、彼に銃口を向けた。そして指先に力を伝えて引き金を、
ダン――
だが、桜乃のそれより先に別の銃声が空気を震わした。それは雪嗣によるものだった。
そうして車輌長は今度こそ、完全な亡骸と化した。
梅嗣は泣きながら雪嗣に抱きつき、雪嗣もまた半泣き顔で梅嗣に抱きついた。
「ああ、創造主さま。我らを救いたまえ……」
誰の者とも知れぬ声が車内を満たしたが、暴徒が車窓を叩く音に阻まれて、きっと虚空には届かないだろうと思われた。
桜乃は天を仰ぎ見ようと顔を上げた。
鈍い鉄色の天井で遮られた向こう。高い高いところからこの下界を見下ろしているであろう神を、いつまでもいつまでも、桜乃は睨み続けた。
§ § §
一尉はじりじりと歩み寄ってくる発狂市民どもに対して無差別の掃射攻撃を行いつつ、腰に吊った手榴弾に手を伸ばして、それを口元へとやった。
「頭、庇えよ」
ピンを噛んで引き抜き、一際キチガイの群がっている方へと投げ捨てる。刹那、爆風が一尉らの周りの空気を震わせて後方へと吹き抜けた。
「やったっ! やったっ!」
「凄いですねっ、兄さま!」
背後で二つの拍手が聞こえる。一尉は舌打ちしつつも彼らの鉄帽を軽く小突いた。どこのどいつだ、こいつらを戦場に連れてきたのは(……おれか)。
「お前らなー。胸の中で大事そうに抱え込んでるそれは飾りか? それと、俺は隊長だ。お前らの兄貴じゃねーし」
機関銃の弾倉を交換しながら指摘してやると、しかし両名はあっけらかんとしてみせて、
「嫌だなー、兄さま……じゃなくて隊長っ!」
「隊長殿ともあろうお方が、トイガンと実銃の区別もつかないんですかー?」
「僕らでも分かるのに。これはね、たいちょー。実銃なんですよ、本物です!」
「そうですとも、本物なんです」
「ちゃんと弾だって込めてあるんですよ、ねーっ!」
「ねーっ!」
そう云って嬉しそうに機関銃を握りしめる双子の曹長を呆れた眼で見ていたが、不意に背後で唸り声がして、一尉は振り返り様に引き金を絞った。数発の弾丸が銃口から解き放たれる。
案の定、そこには発狂者と思しき初老の女が立ち尽くしていたが、残念ながら即死には至らなかった。
「ちっ、うぜー」一尉は躊躇うことなく彼女の頭蓋を吹き飛ばした。繰り出された弾丸が女の眼窩を潰す。
二人は終始興奮気味で、
「わあ、凄い! さすがは我らが隊長殿ですっ!」
「お見事っ! ドイチュ軍なら間違いなく、柏葉剣付騎士鉄十字章ものですっ!」
「いやいや、ダイヤモンド・柏葉剣付騎士鉄十字章は下らないでしょう」
調子の良い御託を並べている(まんざらでもないと思っている俺も俺だが……)。
「ここも奴らの数が増えてきましたね」
「きっと、さっきの爆音のせいですよ」
「隊長、早く逃げた方が良さそうです」
「そうですよ。逃げましょうよ、隊長」
通常軌道の昇進コース上にいる一尉と違って(一等園尉という階級も、十分高い方ではあるだろうが)、成績も能力も高いスペックを有している二人は将来、間違いなく幹部になっていく神学徒だろう。有能な幹部候補は他にもたくさんいるだろうが、少なくとも騎士団上層部の一翼を担うことは確かだ。単なる叩き上げの、一介の遊撃部将校には計り知れない次元の話である。今後のことを考えると、二人を無下にもできまい。
しかし、今はそんな自身の立身栄達のことを気に病んでいる場合ではなく……。
今日の命すら危ない状況なのだ。
次の瞬間に生きていることすら、保障されえぬ世界なのだ。
「何してんだ、とっとと行くぞ」
それぞれの鉄帽を小突いた。周囲の警戒を怠らずに、細心の注意でもって路地裏の方へと歩み出した。
何がそんなに楽しいのか。初めて戦闘に加わることの分かった初陣前の新兵でもあるまいに、二下士官は心底嬉しそうにそこら辺りを駆け回っている。
「隊長っ! ぼく、ちょっぴりお腹が空いちゃいました!」
「あっ、ぼくもです! 兄さまっ、ピザが食べたいなあー」
「……隊長、な。でも確かに、腹ごしらえは重要だな。ピザかー。他には?」
「ラザニアでしょ、ボルシチでしょ、ピロシキに、パエリアっ!」
「あのなー、もっと簡単なのにしろよ。はあ……、もういい。ほら、ピザ屋を探すぞ」
一尉は嘆息交じりに二人を見やった。銃帯を肩にかけつつ、この辺りで近場のピザ屋はどこだったかと記憶を辿る。
くすくすと無邪気に笑う二曹長の声を背に、一尉は路地裏のさらに奥の方へと進んでいくのだった。
§ § §
鎮圧総隊本部ヨリ、市内デ活動スル全鎮圧部隊江――。
発狂暴徒(以下、当該暴徒ト呼称ス。)ハ我ガ方ノ予想ヲ大キク上回ツテ、爆発的速サデ賛同者ヲ増ヤシツツアル。又、当該暴徒ハ不必要ニ一般市民、並ビニ治安当局・部隊ヲ襲撃シ、其ノ血肉ヲ喰ラフト云ウ奇行ヲ繰リ返シテオリ、此レラノ常軌ヲ逸シタ行動ハ既ニ正気ノ沙汰デハ無ク、従ツテ我々聖年騎士団ハ、此ノ様ナ異常ナル事態ヲ見過ゴス事ハ断ジテ出来ナイ。
其処デ、飛騨稲荷市対策本部トノ協議ノ結果、当該暴徒ヲ「発狂市民」ト改称シ、其ノ対象範囲ヲ当該暴徒ニ襲撃セラレ、後ニ発狂シタ者ヲモ含ム物トス。
市内ニテ活動スル全部隊ハ、引キ続キ発狂市民ヘノ鎮圧活動ヲ展開サレタシ。又、第二次暴徒鎮圧作戦発動ニ伴ツテ、鎮圧総隊ハ解隊、飛騨稲荷校司令、及ビ司令部ガ、直接ニ以降ニ於ケル作戦ノ全指揮ヲ執ル事ト成ツタ。
尚、第二次暴徒鎮圧作戦ニ於イテハ、其ノ部隊編制ハ凡ソ以下ノ通リデアル。
最上級ノ部隊単位ハ六個群集団(東部・西部・南部・北部・中央・特務)デ、四十個鎮圧隊ヲ基幹トシ、各群集団ニハ二乃至三個方面群ガ宛ガワレ、更ニ其ノ各方面群ノ下ニハ二乃至三個ノ鎮圧隊ガ配サレル物トス。
市内ニ残リテ、果敢ニモ発狂市民ト交戦ヲ続ケシ遊撃部隊ノ各将兵ハ、第二次暴徒鎮圧作戦発動迄、引キ続イテ暴徒抑留、暴動鎮圧ノ使命ヲ全ウサレヨ。
栄誉アル聖年騎士団ノ騎士タル気概ト勇気トヲ、我等ガ神ト、我等ガ法皇二御示シ奉レ。法皇、万歳――。
以上。
皇暦一九一七年三月十八日
午後一(十三)時三十五分
飛騨稲荷支部校聖年騎士団
司令・伏見宮彩仁(元帥)
〈第弐幕・終〉