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汚染少女  作者: 桜町院熾雪
10/11

第漆幕:友軍合流

「お前は馬鹿なのか?」

「……いいえ」

「では何を考えて、こんな行動を思い立ったんだ?」

「…………」

「…………」

 駅舎の待合室。貧相なプラスチック製のベンチに腰かけている桜乃は、手にした缶ココアのプルタブを爪先で引っ掻いて遊びながら、先ほどから続く不毛なやり取りを半分ほどの意識で聞いていた。

「お前は馬鹿なのか?」

「……いいえ」

「では何を考えて、こんな行動を思い立った?」

「…………」

「……なぜ答えない、一尉」

「…………」

 不意に、寒気がして桜乃は思わず身震いをした。古い建物だ。あちこちから隙間風が染み入って来ても不思議ではない。ぬるくなったそれに口をつけた。「…………ぅ?」彼が何か呟いた。

「おい、何だって?」彩都が問う。

 ややあって一尉が、「彩都さまは暫く、私と口を利きたくないのでしょう?」苦笑交じりに云った。

「お前……何も私はそこまで言ってはいないだろ。ただ少し顔を会わせたくないと――「同じことではありませんか」

 一尉は彩都の発言を遮る形で言葉を発した。

「同じことです。少なくとも、私にとっては」

 それきり一尉はまた黙り込んでしまった。彩都もじっと一尉の顔を見やりながら沈黙している。

 桜乃は今にもひしゃげそうなプラスチックのベンチに深く座り直して、そうして思考の半分ほどでは別のことに思いを巡らしていた。

 駅の裏手で不必要にこそこそしていれば南口の警備兵に見つかるというもので、今は捕えられて、葵嗣と菊嗣らから尋問を受けているはずだ。まあ心配はしていないが、二人のことが幾分気がかりではある。

「……はあー」

 どれほどか経って、卒然彩都が溜め息を吐いた。長い溜め息だった。桜乃は再び意識を眼前の二人へと向ける。

「何でそんなにむくれてるんだ」

「……別にむくれてなど、おりません」

「むくれてるさ。いじけているところもあるな」

「むくれてもいじけてもおりませんっ」

「そうやって意地になるところが何よりだ」

「…………」

「そう言われてすぐに黙り込むところも、な」

「……くっ」

 一尉が苦々しげな表情を浮かべて唸る。それを見て彩都は小さく笑った。

 桜乃は誰にも気づかれぬようにして、小さく安堵の吐息を漏らした。

 遠くでは、断続的に銃声が響いている。外の兵士たちに慌てた様子はない。

「悪かったな。言いすぎたと思う。機嫌を直しておくれ」

「別に……機嫌など上々です。しかし彩都さまの謝罪は素直に嬉しいです」

「ははっ。そうか。ありがとう」

 彩都は照れ臭そうに笑った。彼の副官も恥ずかしそうに笑っていた。

 桜乃も小さく微笑して、残った缶ココアに口をつけようとした。

「天幽院三佐。先ほどは本当に無礼を働きました。謝罪致します」

「主である私からも謝罪する。申し訳なかった」

 起立し、深々と頭を垂れる二人に応えて桜乃も立ち上がる。手にした缶を置き、両足の踵を揃えて直立する。

「すべて水に流します。もうお気になさらず」

 そう云って笑みを浮かべてみせた。准将と一尉も安堵の笑みを浮かべている。

 手放したアルミ缶を再び取り戻すと、桜乃はそのまま歩いて待合室を出て行った。引き戸を潜る直前、桜乃は手にした缶を専用の屑箱に捨て去った。実は中身はほとんどないに等しかった。

「今度、美味いイタリア料理の店に連れて行ってやろう、そこのマルゲリータが絶品なんだ」

「我が君、私は何もマルゲリータが大好物という訳では……」

「良いじゃないか。そう言わずにつき合え」

 背後ではすっかり楽しげな会話が聞こえている。桜乃は素早く引き戸を閉めて、待合室を後にした。

「しばらくはそっとしておいてあげたら?」

「はい」「もちろんです」

 寒いだろうに、吹き抜ける北風の中、部屋の外でじっと中の様子を窺っていたのは彩都の部下たちだった。二、三言葉を交わす。

「我々はもう少しここでお二人をお待ちします」

「そう。ご苦労さま」

 暗に立ち去ってくれと言われているのを無視する理由もない。

 桜乃はそのまま歩を進めて、駅舎北口の正面ロータリーに出ることにした。

 さて、うちのお馬鹿たちはどうなったろう。






「「さんじゅー……」」

「おらおらッ、いつまで経っても終わンねーじゃねぇか! サンジュウッ!」

「「さ、サンジュウっ!」」

「声がちぃせえ! サンジュウッ!」

「「サンジュウッ!」」

「おい、雪嗣ッ、しっかり肘曲げろ! 梅嗣、横向くなッ!」

「「はいッ! サンジュウイチっ!」」

「聖騎兵ナメてんのかぁ、ああッ? やり直し! サンジュウイチッ!」

「「サンジュウイチッ!」」

「遊びじゃねぇンだよ、分かってンのかッ! サンジュウニッ!」

「「サンジュウニッ!」

 ロータリーに出ると、階段(といってもわずか五、六段だが)を下りたすぐのところに人だかりができていて、その中心だけがドーナツ状にぽっかりと空いていた。

 輪の真ん中で腕立て伏せをする少年将校が二人見える。勿論、雪嗣と梅嗣だ。

 菊嗣の姿を見つけ、桜乃は段を降りて彼に近寄った。向こうは直ぐにこちらに気づいて正対した。

「アオくん張り切ってるね」

「あはは。よっぽど心配したんだろうね」

「情けない……」

「まあまあ。良いじゃん良いじゃん。誰も怪我しなかったんだしー」

「そうだけどー、それは結果論だし」

 野次馬の隙間から雪嗣らの様子を見やる。

 外套も上衣も脱いで白シャツになって、真っ赤な顔で腕立て伏せをする二人は何も、血の巡りが良くなったために赤面しているだけではあるまい(と信じたい)。まったくもって恥ずかしい話である。あまりにも短絡的で思慮に欠けた行動だ。

「ようやく声が出てきたなぁ! おらッ、ヨンジュウニッ!」

「「ヨンジュウ二ッ!」」

 桜乃は視線を彼らに向けつつ、菊嗣に問うた。

「ねえ、キクちゃん」

「なあにー、さっちゃん?」

「じきに日が暮れる。その前に、ここを拠点として機能させないと」

「司令部と連絡は? まだつかないの?」

「ダメだって。中心街の方がだいぶ混戦してるっぽくで、救援を請う無線でめちゃめちゃみたい」

 菊嗣は渋い顔で腕を組んでいる。桜乃も悩んでいた。

 ここまでの正味二時間のうちで受けた損害は、殉教者二十九名、重傷者十二名、軽傷者十三名。軽傷者を含めた残存兵力は百二十九名。実に四分の一近い兵士を失ったことになる。合流した第六・第七・第八鎮圧隊の残存兵力を合算しても、二百ほどにしかならない。

 あと二時間半で日没になる。夜は視界も悪くなるし、何より兵士たちの判断力も鈍る。休息を取ろうにも、ここが絶対安全であると言う保障もない。

「市民の皆さん、もう大丈夫です」

「焦らず列に並んでください」

「衛生担当が、簡単な身体検査を行います」

「切り傷、噛み傷、引っ掻き傷のある方は申し出て下さい」

 市民整理している部下らを見やる。「…………」

 保護した市民の数はすでに百を超えており、今後もますます増えていくだろうことは明らかだった。

 今のところ目立った混乱は生じていないが、この後の不安を考えればどこかで制限をかけるか最悪、保護を打ち切る必要もあるかもしれない。

 葵嗣の怒声が響き渡る。

「終わんねえだろがッ! ロクジュウロク!」

「「ロクジュウ、ロクッ!」

「とっとと終わらせよーぜ、ロクジュウナナッ!」

「「ロクジュウ……ナナ」」

「声が小さいッ! ロクジュウナナッ!」

「「――っ! ロクジュウナナ!」

 桜乃たちが、〈発狂市民〉のことで分かっていることは、大きく二つ。

 一つは、〈発狂市民〉は人間を襲うということ。それからもう一つは、〈発狂市民〉に襲われて負傷した者は、発狂市民化するということ。しかしすべての負傷者がそうなるわけはないということ。

 経験則だが、重症化し発狂するのは半分くらいの確率だろうか。あるいはもう少し低いかもしれないが、負傷した聖騎兵のうちだいたい二人に一人が発狂したので。

 もう一つ分かっていることがあった。

 発狂市民化する直前、負傷者は必ず心肺停止状態になるということだ。つまり生物としては一度死ぬということである。勿論これは医学的にも、また常識的に考えてもありえない事象である。理解の範疇を超えている。

「おっ、お父さん? お父さん!」

「……っ、うう……ぅ」

「すみません、離れて下さいッ。離れて!」

「ま、待ってッ、父はてんかんなんです! お願いですッ」

 桜乃は騒ぎの方へと視線を飛ばした。周囲の兵士らが慌ただしく駆け寄る。

 二人も手をとめ、跪いた状態のまま事の次第を注視している。葵嗣と菊嗣も、ともに腰に吊った拳銃に手をかけた。

 桜乃は歩き出した。菊嗣の制止する声を背に受けながら、なおも騒ぎの中心へと歩を進める。

「噛み傷が……噛み傷があるぞ! 皆さん、離れて下さい!」

 士官の少年がじりじりと後ずさりながら吠えた。銃を持つ手がわなわなと震えている。雪嗣や梅嗣と同じ学年だろう、おそらくは。

「お父さん、お父さん! お願い治まってッ」

 たぶん娘であろう学生服を着た少女が、何か薬らしきものをその人の口許にあてがっているが、なかなか上手く口が開かない。

 桜乃はじっと、警戒する兵士らの輪の中で佇んで、何をするでもなくただ事の成り行きを傍観していた。

 市民たちは聖騎兵の背に怯え隠れ、歩兵は今か今かと引き金に指を伸ばし、衛生兵はいつ発狂するかと時間を測ってさえいる。

「死なないでッ!」

 娘の切実な涙声がロータリーに響いた。

「…………」

『…………』

「ひっ、ひぅ……」

 少女は父親の手を取り泣いた。

「………………」

『………………』

「おと……さん」

 彼女は目を見開いたまま事切れた父親に手を伸ばすと、その瞼をそっと閉じさせた。彼女の涙がコンクリートの地面を濡らす。その落涙の音がぽたぽたと、あたかも聞こえてくるような気が桜乃にはした。

 桜乃は手を払う仕草をして、部下たちに、一切制止するよう指示を出した。兵士が不審げな顔で銃口を下ろす。

 刹那――

 ううぅ……

 男が唸り声を上げた。娘の頭に手を伸ばす。

 桜乃の立ち位置からでは表情は知れない。けれど、少女は諦めたような雰囲気を醸し出していた。男のそばに膝をついたまま、微動だにしない。

 ああぁ……

 男が、なおも少女に腕を伸ばそうとする。

 きっと娘はともに召されるつもりなのだろう。

「…………祝福を」さらに歩み寄る。

 しかし桜乃は、それでも〈聖騎兵〉なのであった。もう一歩、男に歩み寄と、

 ダン――

 ロータリーを、一発の銃声が轟いた。

 皆が静観していた。少女は嗚咽を隠さずに泣いている。伸ばされた男の腕が静かに地面を打つと、男は今度こそ事切れてその生涯の幕を閉じたらしかった。

『…………』

『…………』

『…………』

 暫くの間、一切誰も身動きが取れなかった。市民も聖騎兵もただ、この男の御霊が祝福されることだけを願って黙祷を捧げていたのだった。

 しかし、

「お前たち、いつまでそうしているつもりだ! とっとと終わらせろッ!」

『――!』

 桜乃の怒声を皮切りに、再び場の時間が動きはじめた。

 娘だけは、父親のそばで泣き続けている。

「「は、はい!」」

 雪嗣ら二人が再び、腕立て伏せを再開する。

「夏風院二尉、だらだら遊ばすな」

「……了解」葵嗣が頷いた。

「「ハチジュウイーチっ! ハチジュウニーっ! ハチジュウサンーッ!」」

 兵士たちは仕事を再開し、市民たちは再び列に並びはじめる。腕立ての二人を野次る笑声と、少し離れたところから届く断続的な銃声。

 桜乃は大声でカウントしはじめた。他の兵士らも「キュウジュウイーチ、キュウジュウニ!」と一緒に加わる。桜乃と入れ替わるように、菊嗣が親子に歩み寄って、何か配慮のある言葉かけをしているのが気配で分かった。部下に、遺体を運ぶよう指示を出している。

 桜乃は一切、背後を振り向かなかった。

「キュウジュウゴ、キュウジュウロークッ!」

 百回まで、もう少し――。



     §     §     §



 冬風院雪嗣は眼前の二人に気づかれぬよう、胸中でこっそり溜め息をついた。

 それは何も今しがた、腕立て伏せ百回(実際には百五十回はやったと思うが)を満足にこなせなかったということについてではない(勿論、それもちょびっとはあるが……)。

 無論、情けなくも不甲斐ない自分自身に対してである(繰り返すが、己の肉体に対してではない)。

 と同時に、これだけいろいろな言葉かけをしているにも関わらず何一つ、まともな返事を返してくれない眼前のこの少年にも少々腹立っていた。

「元気出してよ、って言葉が正しいのか分かりませんけど。光明くん、みんなのところへ戻りましょう」

「…………うん」

「ねえ、光明くーん」

 云いながら梅嗣が光明の肩をちょんちょんと(ウザい感じで)つついた。

「うん……」しかし、彼の反応は薄い。

 プラットホームの端っこ、隅の柵の近くで膝を抱くようにして座っている彼を、雪嗣はすぐ後ろから見下ろす形で突っ立っていた。

 身体的な懲罰を受けた雪嗣と梅嗣に課せられた次のそれは、落ち込んだままの光明をどうにかしなさい、という内容のものであった。

(なんてアバウトな)

 桜乃さまの考えはいつも正しいし、まあ光明のことは雪嗣も気になっていたから異存はないが……。

 口の達者なあの梅嗣が苦戦しているという芳しくない状況。かれこれもう半時が経とうかとしていた。

 これだけ周りで梅嗣が騒いでどうこうできないのに、自分が何か気の利いたことを言ってやれるとも思えない。「よっこいしょ、と」もう良い。何も言えないのなら、せめて彼のそばにでもいてやろうと、雪嗣は軽く地面の塵を払うとその上に自身の腰を下ろした。

「なに?」光明の視線を受けて、雪嗣が問うた(腕がひどく怠い)。

「ううん、別に」

「いいよね、僕も隣」

「うん……」光明は再び前を向くと、またどこだか分からない一点を凝視したまま閉口した。

 梅嗣も黙っている。しばし沈黙が続いた。

 ホームの中央付近が騒がしい。一番乗り場に移された装甲列車からは金沢に持っていっていた銃火器やらテントやらが次々と運び出され、まるで戦争でもはじめんがごとき容相だ。

 雪嗣は先ほどの、駅に着いたばかりの不期戦闘のことを思い出してみた。

 本当に恐ろしいことだ。ああもたくさんの人間の気が、一度に違えるんだろうか。集団ヒステリーなどという言葉は耳にしたことがあるが、集団発狂はどうなんだろう。あんな風におかしくなれるものだろうか。

(神の子が、あんな風に……)

 雪嗣はその光景を思い出しそうになって、慌てて首を振って思考を誤魔化した。幸い、お昼に食べたオムライスを逆流させずにはすんだが、胸の辺りが焼けついたように気持ちが悪い。

「二尉は……、光月先輩はいつも、僕のことを気にかけてくれてた」

 光明が口を開いた。雪嗣も梅嗣も黙って頷いた。

「街がおかしくなって、授業どころじゃなくなって。二時間目が終わる頃にはもう、治安当局だけじゃ収拾がつかなくなって。鎮圧部隊の人選に加えられた時、僕は大喜びで光月先輩に会いにいった。先輩は不安そうな顔をしてたけど、別に初陣ってわけでもないんだしって。それよりも何だか、一部隊長として信用されてないんじゃないのかって思ったんだ。それで口喧嘩になって……」

「……うん。そっか」

 雪嗣はただ頷いてやることしかできなかったが、それでいいような気がした。光明も別に、何か返事がほしいわけではなさそうだった。

 二人は努めて彼の話に耳を傾けることに集中した。

「伏見宮さまも、夏風院二尉も、あらゆることには理由があるっておっしゃってた。理由のないことを、神も主もなさらないって」

 光明の肩は小刻みに震えていた。彼は言葉を続けた。「でも違うんだ、ホントは。僕のせいなんだ。僕は先輩に認めてもらいたくて。だからあの時、僕は駅舎から出て、単隊でやつらを……。でも囲まれて、身動きが取れなくなって。そしたら、先輩が……ッ!」

 光明はとうとう声を上げて泣き出してしまった。彼の嗚咽がホームの突端に響く。

 雪嗣は自身の唇を噛むことしかできなかった。こんな時、何と言えばいいのか、今の雪嗣にはまったく思いつかない。

 隊長なら……桜乃なら、こんな時、どうするだろう。

 雪嗣は胸中で自身の上官に訊いてみたが案の定、何の回答も得られはしなかった。

 雪嗣は隣に目をやった。

 見ると、梅嗣が光明の頭を自身の肩に招き寄せて、光明に自分の肩を貸しながら梅嗣もまた涙を流していた。梅嗣も親しい先輩や同輩を一度に失ったのだ。感極まったのだろう。

 二人ににじり寄って、雪嗣はそれぞれの頭を静かに撫でてみた。そうするより他に、どうすればいいのか分からなかった。

 どんな言葉も気休めみたいで薄っぺらくて、雪嗣にはいかなる言葉を口にすることも憚られた。今この瞬間では、何らの言語表現も意味を成さなかった。

 それらの頭を撫ぜつつ、雪嗣は虚空を仰ぎ見る。

 創造主は、我々人類を神の身許から奪い去り、この箱庭を新しい園として、神の世界に似せて造ったのだという。

 思うに、確かに神は創造主よりも遥かに偉大ではあるだろう。しかし、とも思う。

 教会は、今我々と、主が造ったこの世界が滅んでいないのは神が許したからだと主張しているが、それについては雪嗣にはどうしても疑問があった。

 神は単に、判断を保留にしているだけなのではないのだろうか。だからこそ、この庭の生きとし生ける者は惰性的な「生」を享受していられるのではないのか。

 けれどそれは、神の気まぐれによって支えられた危うい箱庭。いつどんな時、神が消滅を望まれるかは誰にも分からず、次の瞬間にも世界が闇に閉ざされようとも不思議ではない。

(だけど……)

 人間はつくづく生に貪欲な生き物だ。まして教会でさえも、このような状況に聖年騎士団を出動させ、事態を収拾させようとする。

(それでも生きたいんです、主よ)

 いまだ泣きやむことのない二人を撫で続けながら雪嗣は、虚空の彼方にいるであろう創造主に祈りを捧げつつ、そろそろ腕が怠くなってきたなと思うのであった。



     §     §     §


 

 その時、どこからか機関銃の連射音が聞こえてきた。

「各位、戦闘準備ッ。撃鉄を起こせ!」

 銃声からして聖騎兵が主で使っている機関銃のものだと思われた。

 軍や教会治安部からの払い下げ品が備品の大半を占める聖年騎士団では仕方のないことで、拳銃や機関銃などはいまだに半世紀前のそれを標準採用している。

 だから、銃声を聞いただけですぐにそれと分かった。

 銃火器にさほど自信のない葵嗣にとて、聖騎兵部隊かそうでないかの判別くらいならできる。勿論、周りの兵士たちがそれに気づかないはずがない。

 万が一に備えて、桜乃が号令をかけた。桜乃の指示の下、きびきびと兵士たちが戦闘態勢の間合いを取る。

 夏風院葵嗣は、隣に立つ菊嗣と顔を見合わせると、二人揃って腰の大型拳銃に手をかけた。

 機関銃を扱うことの多い兵・下士官とは違って、士官には基本的に大型の拳銃が配給されることになっている。士官用の拳銃には幾つか種類があって、好みや任務の特性に合わせて希望を出すことができるが、だいたいは体格や射撃の腕などで選択することが多い。

 菊嗣はこう見えて射撃のセンスもピカ一なのだが、正直な話、葵嗣には射撃の自信がない。からきしダメというわけでもないが、だいいち機械関係全般が不得手なのだ。

「かなり近い」葵嗣が呟いた。

「うん。二百メーターないくらいかな」菊嗣がおおよその目星をつける。

「ああ、そうだな。総員、警戒を怠るな」

『イエス、マイ・ロード――』

 桜乃の指示で、全員が引き続いて警戒の態勢を維持する。

 銃声はますます大きく轟いていた。

 そして、次の瞬間――

 ダダダダダダダダ――

 五、六台の装甲車輌が勢い良くロータリーに侵入し、停車するや否や中から聖騎兵が飛び降りる。

「よ、良かった! 我々は東部方面群です。共闘願います!」

 指揮車輌の車体上部から上半身を出し、肩から弾帯を下げた将校が吠える。

 暫し見つめ合う形になったが、すかさず桜乃が命令を発した。

「各部隊ッ、散開して防戦しろッ! かかれッ!」

『イエス、マイ・ロード!』

 返答するや、機関銃を携えた兵たちが弾かれた玉のごとく駆け出した。

 駅舎の中から、何十もの聖騎兵が飛び出してくる。

 我に返り、葵嗣も銃を構えて駆け出した。

「来い、第壱小隊ッ!」

 視線は前方に固定したまま、首だけを横へ向けて背後の部下に叫んだ。「アルファ2、アルファ4は前衛だッ。アルファ10とアルファ9は後衛で退路を確保しろッ。残りは俺につけッ!」

「「「イエス、マイ・ロード!」」」

 端的に支持を飛ばしながらも葵嗣は、数十メートル先に佇む女に発砲する。外した。頭を狙ったのだが、喉に命中し、その反動で女は大きくのけ反った。その隙を見て急接近し、すかさず頭蓋に弾丸を撃ち込む。

(やっぱ移動しながらだと、ムズいな……)

 すぐ目の前に迫る三人の発狂市民に立て続けに発砲すると、今度は上手く当たった。三発ともそれぞれの頭部に銃創の穴をあけて、三人はゆっくりと地に伏した。

「曹長! ちゃんとついて来てるかッ」

「は、はい! ここにっ!」

「お前は腕がいいんだ、しっかりと俺のミスをカバーしてくれ」

「えっ? はっはい!」

「よしッ。アルファ2、アルファ4、さらに先行しろ。三つ向こうの電信柱まで前進だッ。背中は俺たちに護らせろ。後衛ッ、退路の確保を抜かるなよッ!」

「「「イエス、マイ・ロード」」」

 指示を受けた兵士が隊列を整えて移動を再開する。

 葵嗣も再び前方の発狂市民に集中する。少し肝を冷やした。奴らが葵嗣から十数歩のところにまで近づいて来ていたのだ。前衛の兵士が射殺してくれる。

「……ッぶねー」

「葵嗣さま、大丈夫ですか?」

「うっせーよ、曹長。いいからお前は奴らに集中してろ」

「ひぃ! 了解っ!」

「…………」

 さらに二人の発狂市民を銃殺する。

 すぐ隣の曹長が、おっかなびっくりといった様子で(けれど射撃の腕だけは特級なもので)五人を仕留めた。

 葵嗣がもう三人、発狂市民を無力化せしめる。加えて隣の少年がもう五人を地に伏させた。追加で葵嗣がさらに二人の発狂者を無力化させる。

 部下の兵士らもそれぞれ四、五人ずつ射殺したところで、僚隊の部隊の活躍もある。その通りに集まってきた発狂市民は完全に沈黙した。

「夏風院二尉、そろそろ後退しますかッ?」

「そうだな。ライオネル隊、先に後退して退路を確保しろ。アルファ4、アルファ2、ライオネル隊を援護射撃ッ。ピアジェ隊は緩やかに後退!」

『イエス、マイ・ロード――』

 ちょうどその時、後方から拡声器の音に乗せて、聖年騎士団の戦場ラッパの信号が届く(これは装甲車に装備されている音源だろう。ちょっと粗い)。

 周囲への警戒だけは続けつつ、意識の三割ほどを聴覚に傾ける。

 ラッパ信号は三度繰り返された後、

『駅舎周辺で展開中の全部隊に告ぐ――。緩やかに後退行動に移行せよ――。目視されうる発狂市民を出来うる限り無力化しつつ、緩やかに後退行動に移行せよ――。繰り返す、全部隊はただ今より、緩やかに後退行動に――』

 桜乃の声が響いた。

 葵嗣は僚隊の隊長(あるいは隊長代理)と顔を見合わせて頷き合った。

「よしッ。俺たちも下がるぞ。第壱小隊、後退!」

 葵嗣は、空になった大型拳銃の弾倉を引き抜いた。




 〈第漆幕・終〉


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