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第十八話 不思議の国とお仕事。

「念の為コピー作っておいてよかった……お前なあ、いきなり破壊するやつがあるか」

「ちっ」

 コピーがあるという言葉に堂々と舌打ちする木崎さんに首を傾げながら、どうしたの? と問う。木崎さんは、なんでもないよと笑うと、室長さんを睨んだ。

「お話が以上であるならば用はありません、帰ります」

「俺か井草の魔石がなきゃ帰れないだろ。いいからゆっくりしてけって。そもそもどうして反対するんだ」

 安全面はお前が守りの魔法をかけてやればいいだろ? とお茶を飲みながら呑気に話す室長さんに、そんな事は問題じゃない、と木崎さんは声色をどんどん低くしていく。

「どうしてルナを不特定多数に見せびらかすような案に賛成しないといけないんです」

「……お前、え? まさか――却下した理由ってそれ?」

 他に何があるのだと鼻を鳴らす木崎さんに、思いっきり脱力した室長さんが背もたれに体を預けながら長く深いため息を吐いた。大丈夫ですか室長さーん。

 にしてもさっきから当事者っぽいのに蚊帳の外でもやもやするんですけど。木崎さん、いいかげん教えてよ! 私は催促するように木崎さんの腕を前足でぺしぺしと叩く。木崎さんは私に話したくないようで、ずっと眉間に皺を寄せ難しい顔をしながら私の顔を無言で見つめている。

「ルナ、俺から話してやろうか?」

 にやにやと人の悪そうな顔で笑いながら室長さんが言う。うーん、木崎さんは話してくれそうもないしそうした方がいいのかな。室長さんと木崎さんを見比べてちょっと考える。いやしかし、出来れば木崎さんから話を訊きたい。私は室長さんに首を振って、木崎さんへと再度顔を向けた。

「……なんだこの失恋したかのような気分は」

「ふられましたね、室長」

 いや、何の話ですか。

 私が呆れていると、ルナ、と隣から妙に色っぽい声が聞こえる。……うん?

「ルナはどこまで俺を夢中にさせれば気が済むの?」

 いや、瞳を潤ませて意味深な事を言われても困るんですが。怖いよその色気。しまってくれ。想像妊娠する!

「おい木崎。話してやれよ。さすがにルナが嫌がるようなら俺も無理強いしねえよ」

「……その可能性が著しく低いから話したくないんですよ」

 ん? と首を傾げる私に、木崎さんは苦笑する。観念したかのように深呼吸すると、木崎さんは真剣な表情で私を見つめた。

「雨流家のご子息のような人間を救う役目を自分が担えるとしたら、ルナはやってみたいと思うかい?」

 雨流家のご子息――て、文君? それってつまり?

「迷子の案内役。いやまあ、子どもに限らずだけどね。どうやら室長は、ルナにこの研究所の道案内をお願いしたいようだよ」

 道案内。それって、私が、労働力になるって……そういう事?

「ルナが助けてくれた雨流文は、まだ魔力のコントロールが上手く出来ない子どもだった。そんな年端のいかない子どもが迷い込むと危ないような場所が、ここには山ほどある。まあ、本当にやばい場所にはあらかじめ辿り着けないようにはなってるんだけどな。かといって、機密が守られても子どもの安全は保障出来ない。現状ではな」

 そうですね、と頷く秘書さんは、室長さんに続いて簡単に施設内の問題点を説明してくれる。

「あらかじめ辿り着けない、というのは言葉通りの意味です。魔力が発動しなければまだしも、へたに力を感知してしまい何かの拍子に扉を開いてしまえば、永遠に無限迷路をさまよい歩く可能性も、決してゼロではありません」

「そこまで大掛かりな仕掛けの場所は端から最初の扉も開かないようにはなっているけどな。それでも、子どもの魔力の暴走は大人では予測出来ない部分がどうしてもある。単純に昨日のような事態ならすぐ発見も出来るが、うろうろされる事自体が危ない場所はあくまでもその場所の秘密を守る事が最優先だ。人命よりも、理を取る。ここはシステム上そうなって仕方のない機密を扱っている――ルナ、ここまでの説明は理解出来るか?」

 代わる代わる説明された言葉は、恐らく私にわかりやすいようにとかなり噛み砕いてくれている。要するに、そもそも迷子になったら危険が危ない! て事はわかった。いや、簡単に言いすぎだけど。でも、今更だけど……私、ここでわかりましたと頷いていいの? かな?

 ちらり、と木崎さんを見ると、盛大なため息。どうやら、もう何かを諦めたのか、好きにしてくれとさじを投げられたのか。わからないけれど――まあ、好きに答えてもいいみたいだ。

 私は、こくん、と室長さんに頷いた。と、同時に、室長さんは目を丸くする。

「――驚いたな。人間の言葉を理解しているとも話には聞いていたが……多少どころか、完全に会話が出来るじゃないか。おい木崎、この子は本当にアリスから生まれた子犬なんだな?」

 室長さんの言葉に思わず小さく身体が揺れる。変な方向に興味を持たれたらどうしよう、と冷や汗が伝う感覚が内心を巡るけれど、そんな私とは打って変わって、隣に座る木崎さんは冷静なものだった。

「ええ。天音は出産に立ち会ってますから、間違いないですよ。それに、最初の一ヶ月程度はこちらの言葉を理解していないみたいでしたから……俺自身、信じられない部分もありますけど、ルナは徐々にこちらの言葉を覚えていったみたいです」

「そうか……まあ、アリスも賢い犬ではあるがなあ……父親の血か? たしかあれだったよな、どこの犬かわかんねえっつってたよな」

「そうですね――まあ、彼女に関しては俺はそういう方向に興味はありませんから。ルナを相手に理を求めようとは思いません。彼女は大切な俺の相棒ですから」

「相棒ねえ。恋人の間違いじゃねえのか?」

 恐らくはからかう名目で言ったに違いない言葉。けれど室長さん! その会話、遅いです!

「俺はそう思われてもかまいませんが。ルナは恥ずかしがりやさんですから。ねえ?」

 ほらやっぱりそういう返し……。やめて、木崎さん、変態じゃないんだから! そして人間だったら、絶対に私は今、顔が赤い!

「木崎君がよもやそんな道に目覚めるとは」

「ルナを囲う計画は諦めるしかねえか」

「はい? 今なんて? ひょっとして俺に研究施設をすべて破壊しろっておっしゃいました?」

 ぼそりと呟いた室長さんの言葉を目ざとく拾った木崎さんの返しに、室長が慌てて首を振る。ていうか室長さん何て言ったの? 犬の耳で拾えない音を拾うとか木崎さんすごいな。ていうか物凄く満面の笑みでそんな事を言わないでほしいんですけど。怖いんですけど。

 室長さんも心なしか顔が引き攣って見えます。うん、普通に驚くよね、これね。おかしいもんね。

「冗談はさておき」

「え? 冗談に聞こえました?」

 仕切り直そうと、こほん、と咳払いして見せた室長さんの努力をさらっと流して微笑む木崎さん。おいこら。話が進まないじゃないか。ひょっとしてわざと?

「とりあえず今は冗談で済ませろ。ルナだって続きの話が気になるだろうよ」

 なあ? と首を傾げる室長さんに、返事のつもりで一吠え。木崎さんの舌打ちはそれはよく響きました。

「ルナ。この施設の問題点は、鍵役を増やせないという事だ。入り口を道案内する人間も、幹部や課の責任者を除けば全てを把握する人間はほぼいない。どこかに迷い込んで探そうにも、立ち入り出来ない場所がある。そういう時に動ける絶対数が少ないし、小回りが利かない。そういうあらゆる問題点を払拭出来るのが、お前の存在なんだ」

 問題点を全て解決……? 人間じゃない私に利点があるって事なんだろうか。

「例えばですが、鍵役である人間は常に機密を保持している事から色んな危険を伴います。様々な企業からその情報を狙われたり、時には他国から探りを入れられる場合もあります。新しい交友関係を築く際はかなり神経質にならざるを得ません」

 秘書さんの言葉に、なるほど、と頷くと、木崎さんは私の頭を撫でながら微笑んだ。

「けれどルナの場合そういう心配はないだろう? 何よりも命を狙うような輩、俺の防御陣で全て蹴散らすからそれも問題はない。そもそもルナをさらったりした所で機密情報を漏らすなんて出来ないしね、犬なんだから。言葉を話すわけでもないし、理もわからない。そんな立場の者から取り出せる情報なんてひとつもないさ」

 後半部分に一瞬ひやりとしたけれど、木崎さんがさらりと言ってのけたから反応せずに済んだ。木崎さん、面の皮が厚すぎますよ……。

「そしてお前は犬だから、耳も良ければ鼻も利く。こちらの意図も十分すぎるほどに汲んでくれる。正直、ルナ以上の適役はいない。前々から、そういう訓練をしてもいいんじゃないかって話もあったんだがな。土台を作るにもやはり時間はかかる。まずはそれが出来るっていう証明が欲しいんだ。ルナが成功例を作ってくれれば、案内役に職員の相棒連中を訓練出来る。そのうちルナひとりだけではなく、犬の案内役を増やしたいんだ」

 ほう。室長さんの言葉を聞いていると、なんか警察犬とか盲導犬みたいだなと思えてくる。でも考えたら……この世界ってそういう役割の子たちがいないの不思議だ。誰かがそういう発想になってもおかしくないのに。いや、待てよ。逆に最初から役割があるから、そういう方面では動物に頼るって発想に至らなかったのかもしれないな。

 うんうんと勝手に納得していると、ルナ? と隣から声がかけられた。

「はっきり言うと、かなり責任重大な役だと思う。そもそもルナは俺の相棒として働いてくれているんだし、これ以上何かしようだなんて考えなくたっていいんだから、嫌なら断っていいんだよ?」

 責任重大。

 うん――確かにそうだ。要は、さっき言ったような特殊な訓練を受け、特殊な環境で働く犬のモデルケースになって欲しいという事なのだから、もちろん責任重大に決まっている。そうではなくとも、私のせいでトラブルが増える可能性だってある。けれど――。

「――木崎、ルナが是と言えば、お前に止める意思はないな?」

「何よりもルナに嫌われるのが怖い俺が、そんな事を出来るわけがないでしょう。わかってて訊いてますね?」

「君は本当にルナさんに弱いですね」

 くすくすと笑う秘書さんと室長さんに、私は首を傾げる。室長さんが、そんな私を見て口角を上げた。

「そんな真っ直ぐな瞳で前向く奴が断り文句を用意してるわけがねえ――そうだな?」

 室長さんの言葉に、私はゆっくりと頷いた。

 と、同時に、隣から盛大なため息が聞こえる……木崎さん、ごめんなさい。

「わかってる、わかってるよ。ルナは、きっと断らないと思っていた」

 複雑な表情で私を抱きしめる木崎さんに、私はゆっくりと尻尾を揺らす。私だって本当は、木崎さんを悲しませたくない。心配もかけたくない。出来る事なら、ずっと傍にいて、のほほんと木崎さんに頭を撫でられていたい。けれどそれは――文君と出逢ってしまった今の私には、不可能だ。

 迷子の心細さは、よくわかる。どこへ行けばいいのか、何に縋ればいいのか、自分の足元さえ覚束ないような気がしてくるあの感覚。今は子どもでも、大人としての人格を持ち合わせてる生まれ変わった自分。そんな私でさえ、あれだけ怖いと感じるのだ。まだ大人に寄りかかって歩いていくしかない文君のような年齢の子は、どれだけの恐怖だろうか。そんな思いをする子を見たくない。万が一、道に迷ってしまったとしても、誰よりも早く見つけて、道しるべになりたい。私が、少しでも希望になれるのならば、そう出来る権利を与えてくれるのならば、どんなに難しい事でも、そこへ飛び込みたい。

「ルナ」

「わん」

 沈みかけていた思考を引っ張り上げた木崎さんの呼び声に、返事をする。耳をぴくぴくと動かしながら、木崎さんの腕に抱かれつつ彼の顔を見上げた。瞳と瞳がぶつかって、真剣な表情をした彼で私の視界がいっぱいになる。

「ああ、もう。本当に何も言えなくなったじゃないか……そんな泣きそうな顔で見つめないで!」

 ああもう! と半ば叫ぶように私を抱きしめる木崎さんに、私は首を傾げる。

「わかった、わかったよ。ルナの仕事を俺は歓迎する。だから、そんな顔しなくていい。不安にも思わなくていい。俺がルナを、全力でサポートする」

 木崎さん……。

「もちろん、俺と井草もな。提案したからには最終的に責任取るのは俺だ。ルナ、お前はお前のまま、仕事してくれりゃあそれでいい。変に構える必要はない」

「そうですね。雨流家のご子息を発見した時と、いつも同じ気持ちでいて欲しいですね」

 え? そ、そんなんでいいの? 困惑しながら私は室長と秘書さんから視線を木崎さんに戻す。木崎さんはそんな私をじっと見つめると、やがて微笑んだ。

「ただし、必要以上に男と仲良くしないように、ね?」

 張りつめていた室内の空気が一気に霧散したのは言うまでもない。


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