第十七話 不思議の国とお呼びだし。
呼び出しを受けたという事実が、いささか私の歩む足を重くさせる。木崎さんが大丈夫だよ、と微笑んでくれれば少しは軽くもなるのだろうけれど、どういうわけか、木崎さんは朝からずっと緊張しているようだった。勘の良い彼の事だ。きっと、何かを察しているに違いない。そう考えると、私は気が重い所か怖くなってくる。まさか、変な話にならないよね? いや、わからないけれど。魔法を使えるっていう事実がばれてしまったとか――いや。
いやいやいやいや。そう考えるのは失礼だ。私は、あの少年、文君を信頼したからこそああいう姿を見せたのだ。きっと彼は、私の事を言いふらすような真似はしていない。だからきっと、木崎さんの懸念はそこではない――と、思いたい。いや、そう思っている、いるとも! でも、そうだとしたら。
ちらり、と隣を歩く木崎さんを見やる。
職場に着いて、いつもとは違う場所へと歩を進める木崎さんの横顔に、何かを問いたかったけれど出来なくて、今の今までずっと無言で横を歩いていた。普段と変わらないようでいて、彼を取り巻く空気が普段よりも何度か低いのがわかる。動物だから敏感になっているのか、私と木崎さんの付き合いがそれほど親密なものになっているのか。後者だとすると嬉しいけれど――。
「ルナ」
あれこれと思考が飛んでいったところで、木崎さんに名前を呼ばれる。唐突だったからかあまりにも驚いて飛び上がると、木崎さんが目を丸くした。そして次の瞬間、彼の口元が綻んだ。
「ごめん、ちょっと深刻にさせてしまったかな」
あれ? いつも通りの空気だ。木崎さん、何か真剣に悩んでいたんじゃないのかな?
首を傾げる私に、木崎さんが進めていた足を止めたので、私もそれに倣った。……いつもの柔らかい木崎さんだ。あれ?
「さっきまでずっと、別に悩んでたわけじゃないんだ。そうだね――腹が立って仕方ない、というのがいちばん自分の今の心境を表すのに的確な言葉かな? 不機嫌だったのを勘違いさせてしまったんだね」
ごめんね、と木崎さんが屈んで頭を撫でられたかと思うと、次にはひょい、と抱え上げられた。どうやらここからは抱っこのようです。今から上司に会うのに、いいのかな? あ、直前で下ろしてくれるか。
それにしても――不機嫌だったのか。ならばそんなに心配する必要も……いやでもどうして不機嫌?
物言いたげな表情で私が彼を見つめていると、木崎さんが苦笑する。
「これから会う森屋室長はね、なんというか……強烈なんだ」
とても深いため息を吐いて木崎さんが言うので、私は口元を歪ませた――気になってるだけだけど。
強烈って、一体どういう方向で? 訊きたいけど詳細を話されるのも怖いな。
「あの狐の呼び出しだ。きっと厄介な事になるに違いない。そう考えると憂鬱でね。しかもどう考えても室長の目的は、ルナ――君だろう」
わ、私? いやまあ、確かにセットで、というか連れて来い的な呼び出しだったからそれはそうなんだろうと思っていたけれど……。
「魔法云々の話ではない事は確かだと思うよ。もしもそうだったとしたら、ルナと俺はとっくに引き離されているだろうからね」
木崎さんの言い分だと、私がすでに魔法の使える動物だとばれていたら、昨日の内になんらかのアクションがないのはおかしいらしい。今日も、普通に職場に辿り着いた事から、室長さんが何かを勘付いたという事はないだろうと。もしもそうならば、木崎さんと私は別々に捕えられ、連行されていただろうという事だった。
えー、怖いな。そんなに大事になっちゃうの? うんまあ……なっちゃうんだろうな。わかってるつもりでいたけれど、やっぱりわかってなかったのかもしれない。そもそもが、元が人間だしー、っていう気持ちがあってやってるから余計かもしれない。自分が実験対象になるような稀な生命体なんだっていう自覚は今でもあまりない。
「だからね、ルナ。とにかく室長の前では警戒心を忘れないようにしていてね。へたに取り繕わなくていい。あくまでも、人語を解する犬っていう立場でいて。それ以上の何かを匂わせては絶対に駄目だ」
ふむふむ。多い嘘はついたらすぐぼろが出るけど、本当を交えた嘘ならばぼろが出にくいって事ですね。なんか詐欺師っぽい! でも了解!
私が元気いっぱいに吠えると、木崎さんは微笑んで、頼んだよ、と言いながら私の頭を撫でた。ああ、やっぱり木崎さんに撫でてもらうと安心する。今朝はそれが全然なくて寂しかったんだ。ちょ、ちょっとだけだけどね!
いつもの研究室を通り過ぎて随分と奥に進むと、幹部室と呼ばれる場所があった。正確に言うと幹部室はまだこの先だ。扉をノックして室内に入ると、そこは受付になっていて、一人の男性と二人の女性がこちらを見つめていた。あれだね、お偉いさんの部屋に続く前の秘書室みたいなものだね、大きい会社の。いや、想像だけど。
「木崎です。森屋研究室長に呼ばれて来ました」
木崎さんが受付のお姉さんにそう伝えると、つい、と手を滑らせ魔石を作り上げた。それを手渡され頷いたお姉さんは、そちらでお待ちください、と置かれた小さなソファを示した。木崎さんは一礼してそこに腰を下ろす。……そういえば私抱っこ状態のままなんだけどいいのかな。
「森屋室長、木崎様がお見えです」
おお!
そう、気になっていたんですよ、重厚なデスクの上に置かれた鳥の彫刻。ふくろうかな? ていうかすごいな、木で出来てるとは思えないくらい細密! なんて思ってたら、お姉さんが木崎さんの魔石をその鳥の口に放り込んで、鳥の腹部分に埋めてある魔石に手を添えた。なんていうか、スイッチを押すみたいな触れ方だ。きっとそこから自分の魔力を注ぎ込んでいるのだろう。ああ、やっぱり。暗かった魔石が緑色に輝いた。まじまじとそれを見つめていたら――わあ!
鳥が、本当に生きているかのように翼をはためかせ、やがて開いている小窓からどこかへと飛び去って行った。そうか、あんなに高い位置に小さい窓があるのはなんでだろう、と思っていたけれど、この為だったのか。
しばらく待っていると、鳥が戻って来た。
「木崎とルナ――犬の事だ。上へ通してくれ」
男の声が鳥から発せられる。おお、すごーい、と感動していると、鳥がぽろりと何かを吐き出した。魔石だ。
「では、木崎様。こちらをお持ちになってください」
木崎さんの手にそれが渡される。頷いて振り返ると、男性がこちらへ、と木崎さんを促した。
この部屋は不思議な造りで、入って右側に応接セットと受付のテーブル以外はさっき鳥が出た小窓があり、左側には何故かずらりと扉が四つ並んでいるのだ。案内役らしい男性は右から二番目の扉の前へ立つと、木崎さんが手に持つ魔石を受け取り、取っ手の近くにある鍵穴のような部分へそれをはめこんだ。更に男性が魔石に触れると、がちゃん、と開錠されたような音が響く。
「では忘れずにお持ちください」
言って、扉から魔石を取り出すと、木崎さんの手に再び戻す。木崎さんがありがとうございます、とお礼を伝えて扉の中へと進んだ。
「幹部室には色んな機密情報があるから、要人警護の意味もあるけれどそれを守る為に色んな魔法がかけられているんだ」
歩き出した木崎さんが口を開く。どうやら今起こった事を説明してくれるようだ。
「それぞれが認証の為に提出している魔法識別情報があるのはいつか説明したよね。研究室の扉にかけられている魔法と大元の種類は一緒だ。最初に、俺の魔石を渡したろう?」
木崎さんの言葉に私が頷くと、それを確認して木崎さんが話を進める。
「個人を識別する魔法の色データが、室長室には保管されているんだけど、あの鳥は訪問者が本当に木崎深であるかどうかを確認する為の道具なんだ。後は伝言の役割かな。室長が俺の魔石を確かに本人であると確認したら、今度は室長の魔石をくれるんだ。それを鳥に持たせる。そして鍵の役割をしている職員が、室長の魔石にみずからの魔法を込める。するとあの扉が開く仕組みになっている。室長本人だけの魔力でもあの扉は開かないから、面倒だと時々ぼやいているけどね」
人間が鍵そのものか。なんかすごいな。
「で、この魔石を持っていないと室長室に辿り着けない。迷路の魔法をこの空間はかけられているんだ。だから、もしもこの魔石を失くしたら俺とルナは死ぬまでここをさまよい歩かないといけない」
だから大人しく抱っこされてるんだよ、と微笑む木崎さんの言葉に、私は何度も首を縦に振った。なんなのそれ、めちゃくちゃ怖い!
気持ちしがみつくみたいな形になった私を、木崎さんがおかしそうに笑う。誰だってそんな事言われたら怖いでしょうが!
「――と、着いた。ほら、ここに室長の魔石をはめるんだよ」
ずっと一本道の廊下を歩いていると、正面に扉が見えた。先ほどと同じように鍵穴みたいな部分に魔石をはめ、今度は木崎さんが魔力を込めると、がちゃん、とやはり何かが開錠したかのような音がした。
「こっちは室長と訪問者の魔力で開く仕組みになってるんだよ」
へーえ、本当に厳重なんだなあ。感心した所で、木崎さんが扉をノックした。中から入れ、という声が聞こえてくる。
「何ですか室長」
木崎さんが扉を開いて一礼すると、さあすぐ本題に入れ、とでも言いたげに凄味のある笑顔で問うた。ちょっと、私に観察する時間くらいちょうだいよ。ていうか相変わらず抱っこ状態なんですがそれは。
「おまえな、せっかちな男は嫌われるよ? なー? ルナ」
かっわいいなあー! と笑いながら言う男の軽薄さに、私は、え? と思わずかたまった。
いかにもな人かと思ったらけっこう若く見える。案外五十代とかなのかもしれないけど、三十後半とか四十前半に見える。オールバックにちょっと濃い顔ってどこかの若頭か! と言いたい。紫のシャツとかやたら似合いそうだけど、普通に白衣姿だから違和感がある。いや、なんかあれか、時期院長とかだったらありか。
幹部室というのは、かなり広かった。部署がひとつ入るくらい大きい。少し小さい教室くらいの大きさあるんじゃないかなあ? こんな広い部屋にひとりってなんか寂しい――と思ったら秘書らしき人がいた。
部屋の真ん中にでん、とある大きなデスクの傍らに、少しこじんまりしたデスク。そこに座って呆れたようなため息を吐いているのはいかにも秘書です、という見た目の男性だ。黒髪に眼鏡にスーツ。女性が大好物な見た目にちょっとテンション上がるのは仕方ないよね。三十代くらいだろうか、などと首をにょっきり出して眺めていると、ふいにその男性と目が合った。にっこりと微笑まれて、私は内心鼻血を噴出しそうです。
「――ルナ」
びくう!
低い、とてつもなく低い声に、思わず身を竦ませた。ど、どうしてものすごく怒っていらっしゃるのでしょうか。
「そんなに井草さんが気に入った?」
え? い、いやいやいや。別にそんな! 慌てて首を振ると、さっきまで嬉しそうに尻尾を振っていたじゃないか、と言われる。えっ!? い、いやいやいや、そんなはずは……?
「おや、それは光栄ですね」
更に微笑む秘書さん――井草と書くと後から説明された――に、私はきっと人間の姿ならば顔を真っ赤に染めていただろうと思うほど、またも衝撃を受けた。やめてくれ、その微笑み。破壊力でかすぎるよ。私ってばこういうタイプに弱かったのか。知らなかった!
どきどきする胸をなだめていると、木崎さんが私を抱く腕に力を込める。
「浮気は許さないよ、ルナ」
何だその人聞きの悪い響き! 私が慌てて首を振ると、室長さんが、お前も眼鏡かければいいんじゃねえか? などとのたまう。何をそんな…………き、木崎さんの眼鏡?
「……ルナにそんな嗜好があったなんて、油断していたな」
はあ、とため息を吐くと、木崎さんは、あまりあちらを見ないように、と注意した。いや、眼鏡なら何でもいいとかそういうわけじゃないのよ? 木崎さんの眼鏡はすごく似合うとは思うけど、別にこう、眼鏡だから好きとか、そういうわけじゃないのよ?
私はどうしたものか、と尻尾を揺らしてみるけれど、木崎さんの機嫌は直らない。うーん、としばらく考えて、何度も何度もあれだけど、と木崎さんの顔へと伸び上がった。
ぺろり。
ええい! と気合を入れたから、唇にかなり近い部分を舐めたよ。な、なんならちょっと触れたかもしれない。
私は恥ずかしくなって木崎さんの腕から飛び降りる。少し距離を取って木崎さんを見つめていると、彼は呻き声を上げてその場にしゃがみ込んでしまった。
あ、あれ? 失敗した!?
「ルナ――それ、反則」
ずるいな、と呻き声と共にぼやく木崎さんの傍へ寄る。大丈夫? と肉球でどうしてだか真っ赤になっている頬をてしてしと叩いていると、木崎さんが大丈夫だから、と真顔で私の頭を撫でた。
「――ぶっ」
「!」
噴出したような音が聞こえて、しかもそれがひとつじゃない事に気付き、私と木崎さんは同時に顔を上げた。
「おまっ……メロメロじゃねえか!」
「あの木崎君が……実物を見るまではにわかには信じられませんでしたが……」
くつくつとこらえきれないように肩を震わせくぐもった笑い声をもらす大の男二人に首を傾げていると、うるさいですよ、と木崎さんの拗ねたような声が耳に届いた。
「だからこそ、早く終わらせたいんじゃないですか。俺一人だけならまだしも、ルナまで呼びつけてどういうつもりですか――いつまで笑ってるんですかあなた方」
はあ、とため息を吐いた木崎さんはすっかり立ち直ったのか、呆れたように室長さんと秘書さんを見ている。
「まあ、座れや。井草、茶ぁ淹れてくれや」
「はい。ルナさんは何をお飲みになりますか?」
立ち上がった室長さんは、自身のデスクからソファとローテーブルのある応接セットへと身を移した。頷いた秘書さんは、私と木崎さんを交互に見ると、木崎さんは小さく息を吐く。短い話じゃ終わらない予感に嫌気がさしているような顔だ。こんなに押されまくってる木崎さんてなんだか新鮮だなあ。
「同じで大丈夫です。少し温めにしてください」
「かしこまりました」
木崎さんの声に、すぐお持ちしますね、と私の頭を撫でて秘書さんが簡易のキッチンスペースへと向かう。
「ルナ、おいで」
室長さんの向かいに座った木崎さんがぽん、と隣を叩くので、私は尻尾を揺らしながらその場におさまろう――としたんだけど。
「やー、まじでかわいいな。まだ子犬?」
ひょい、と抱き上げられて、室長さんの膝へ下ろされる。うわあ! 木崎さんを刺激するような事はやめてくださいよう!
「まだ子犬ですよ。生後七ヶ月程度ですから」
言いながら、ふう、と風が吹いたかと思うと木崎さんの腕の中へとおさまっていた。おお、すごい。
またも笑う室長さんを木崎さんが無言で睨むと、室長さんは大げさに咳払いをする。
「じゃあまだまだかかるな。一年後はけっこう大きくなってるかもなあ?」
「そうですね、アリスの子どもですし」
微笑む木崎さんは、未来の姿を思い描いているのだろうか。私を見ながら愛おしそうに瞳を細めている。なんか恥ずかしいなあ。しかしこの世界ってもしかして二年で成犬なのかな?
「それで、いつになったら本題に入るんですか?」
「まあそう焦るなって。ちょっと前々から考えていた事があってな。おお、さんきゅ」
秘書さんがそれぞれにお茶を持ってきてくれる。私の前には平皿をローテーブルに載せてくれた。ありがたくお礼の意を込めてわん、と吠えると、秘書さんが微笑んで頭を撫でてくれる。
「少し相談っていうかな。井草、あれ持って来てくれ」
室長さんの言葉に頷いた秘書さんが、デスクから何かを取り出した。すごいなー、ツーカーっていうか。長年連れ添った夫婦みたいだ。
どうやら何かの資料のようだ。秘書さんが木崎さんに手渡したのは、いつも私が使っているペンと同じ形状だけれど、魔力を込めると文字が浮かび上がる、記録媒体のようだった。
「これって――」
木崎さんが資料を目で追っている。私も同じように読みそうになったけれど、さすがに字が読めると気取られるのはまずい。私は木崎さんと、室長さんや秘書さんの顔をそれぞれ見ながら首を傾げた。
「今回みたいな迷子騒動、実は前から問題になっててな。こっちにお鉢が回って来そうだったからちょうどよかった。警護魔法を見直せとか言われても知らねーつうの。守りつつ迷わせないとか無茶ぶりもいいとこだろ」
「単純に人員を増やすとなると、やはり開錠出来る人間が増えるという事ですからね。確かに頭の痛い問題ではありましたが、さすがに今回の提案は唐突すぎますよ」
「既に実績があるんだから、案も通りやすいだろ」
話がよく見えないぞ。木崎さん、まだ読み終わらないのかなあ。ちらちらと横顔を見ていると、木崎さんが顔を上げた。どうやらすべて目を通したようだ。私がじっと木崎さんを見ていると、木崎さんがにっこりと微笑み、やがて彼の正面に座る室長さんへと顔を向けた。
「――却下です」
ぼん! という何かが爆発したかのような音に驚いて飛び上がる。そんな私をなだめるように背中をさするのは、私を驚かせた張本人だ。
微笑みながらペンを破壊した木崎さんに、おい! と悲痛な叫び声を上げる室長さんに私はとりあえず同情した。




