第十二話 不思議の国と職場。
木崎さんも心配性なんだなあーと腕の中で考えていると、着いたよ、と木崎さんが話す。え、もう? 驚いて目を丸くしていると、木崎さんが微笑みながら、扉に手をかざす。何の変哲もない木の扉だけれど、一瞬、光った。これって、もしかして何かの認証みたいなものをしたのだろうか。
「機密事項だらけの部屋だからね。魔法にはそれぞれ自分だけの色というものがある。それをこの扉に登録してあるんだ。ここに入れるのは、研究職の人間と一部の上司だけなんだよ」
やっぱりそうなんだー。指紋とか網膜とかそういう感じだよね、きっと。いや識別しているものは全然違うものだろうけれど。なんだかんだ、科学と相通ずるものを感じるよね。たとえばその人の魔法を体内に込めた状態だとどうなの? と追加で質問してみたけど、その場合は元々あるその人の魔法の色と混ざってしまうから、結局認証されないんだって。なるほど。
ちなみに私は、動物なので入れるのだそうです。どうやら動物には魔法の色? が人間のように認識出来ないようで、扉は人間以外は通せる仕組みなのですって。難しい事はよくわかんないんだけど。
動物を顔パスにするのは危険もないのか? なんて疑問をここで抱きそうだけど、実は似たような質問をこの前すでにしているのだ。休暇中に木崎さんから訊いた話なのだけど、この世界って、動物を媒介にする、みたいな魔法がないんだって。使い魔とかいう概念もないみたいだものね。この世界は、思考や意思と魔法が直結している。他者を操ったり、例えば五感を他者が乗っ取り、自分が見ているようにする魔法とか、ありそうなものだけど出来ないのだそう。どうしてかというと、それをするにはどうしても媒介とする本人と意思疎通する必要があって、強制する事が出来ないんだそうだ。無意識の内に使おうにも、必ず媒介とする人の魔力が必要になるから、それは不可能。あくまでも、自分がこういう魔法を使いたい! という意思によってのみ魔法は発現する。だから、操るわけではなく、双方が合意の上で視野を共有したり、味覚を共有する魔法はもちろん存在する。本人の意思に反して、っていうのは出来ないというわけだ。動物の場合も同じだから、動物の目を使いたい! となったら、動物がそういう魔法を使いたい! と念じなければならなくなる。だから、私利私欲の為に都合よく使うって事はほぼ出来ないわけだ。ジーピーエスみたいな魔法や、ある程度離れるとくっつく、ていう魔法は、動物の意思を必要としない魔法、所謂、物にも使えるような魔法ならばもちろん可能。万能なようでいて、案外と頭を悩ませる事も多そうだ。まあ、当然か。この世界の人は神様でもなんでもなく、ただ科学技術の代わりに魔法技術を駆使しているってだけの話だものね。
大人しく木崎さんと一緒に入室すると、そこはなんだか懐かしい光景で、私は目を丸くした。
これって、ほとんど病院、みたいな場所だ。清潔なにおいに、白い空間。機械類が一切ない事と木製のものが多いから、田舎の診療所みたいな雰囲気もあるけれど。あと、理科の実験室? ラボって言葉がしっくりくる。研究所っていうのは、どこも似たような形になっていくものなのかな。でも、物の配置が少し特徴があるかな?
空間の特徴は前述したように清潔感のある病院のような、研究所のような、という具合だけれど、まず机の配置が少し変わっている。真ん中にどどん、と大きなテーブルがあって、部屋の壁に沿ってずーっとやっぱりテーブルが並んでいる。長い長いそれには仕切り板が間にいくつも等間隔で挟まっているから、恐らくはあれが個人のデスクなのだと思う。綺麗に整頓されているものもあれば、書類が積み重なってたり物体エックスというか、実験の残滓みたいな得体の知れない物が置いてあったりする机もあった。驚いたのは、椅子が自動的にあっちやこっちに動いている事だ。立ったり座ったりするから椅子をあちこちに動かすのが面倒なのか、まるで乗り物のように椅子に座りながら右へ左へたくさんの人が動いてる。危なくないのか。多分、ぶつかるのを防ぐ為にこういうデスク配置になったのかなと思われる。椅子にはそれぞれ違う模様……術式が刻んであるから、あれも多分、本人以外には動かせないのだろう。木崎さんをちらりと見ると、短くそう説明してくれた。やっぱりか。ちなみに部屋の外では動かない仕様なんだとか。あれに乗って色んな場所に行ってみたい……と少し思ったからちょっと残念。でも、そういえば空を飛んでる人って見た事ないけど、出来そうだよなあ、今度訊いてみよう。空を自由に飛びたいな……ってもう馬鹿か! キャスターないから不便ねえ、とか思ってた自分がなんだかむなしい。
そういえば、広い研究室の部屋には、いくつか扉がある。もっと込み入った実験をするのに使うのかもしれないし、試す為の材料を置く倉庫なんかもあるかもしれない。しかし色々と面白いなあ。
「木崎くん、やっと来たわね」
「ああ、お姫様のご機嫌がなかなか直らなくて」
木崎さんが自分のデスクまで歩き、何やら色々と準備に取り掛かっていると、天音さんがくすくすと笑いながら話しかけていた。アリスお母さんも、私に遅かったね、と首を傾げていた。いやいやいや、決して私のせいではないと思う。濡れ衣だ。
「ルナ、仕事中はこの部屋で好きにしていてくれてかまわないけれど、呼んだら来てもらえるかい? これは、どんな小さい声で君を呼んでも聞こえる魔石だから」
言って、木崎さんが口に放り込んだ石は、やっぱりあっという間に溶けてしまった。一方通行の電話みたいなものかしら。私は少し疑問に思いつつも、納得して頷く。そんな私に微笑みつつ、木崎さんが魔石を持って小さく口を動かすと、どう考えても何を言っているかわからないくらいの音量だったのに、耳元で彼の声がした。
「あまり男と仲良くしないように」
あれは、私の耳に直接繋がるマイクみたいな役割なんだ、と思いながらも、またその話か! とわたわたする私にやっぱり微笑んで、木崎さんは作業を始めた。
いつの間に白衣着たんだろう……ああ、空間にしまっておいたのを取り出したのか。便利。他の皆と同じように椅子を駆使して木崎さんはあちこちへと移動すると、中央の大きなテーブルに色んな物を置いていく。新しい魔法を試す実験台になる材料たちなのだろう。積み木のような物やら、ガラスのような物やら、石とか土とか、とにかく色んな物がある。ペンで忙しなく空間に何かを書き出して、気になった箇所は記憶させる為の魔石に吸収させる。たくさんの人がそれを繰り返しながら、ひとりで、あるいはチームで色々な事を試していた。
ここをこうするとあっちが歪む、でもここは無視出来ない、これはこっちじゃなく最近出来たあの術式を応用してはどうか、等、専門知識がぶつかり合うこの空間を、最初は興味深く眺めていたけれど、そのうち暇になってくる。
「アリスお母さんは、いつもこんな風にしてて暇じゃないの?」
「そんな事ないわ。アマネさんと一緒にいられるもの」
微笑んでいるように見えるお母さんは、慈愛に溢れた声音でそう話す。なんだか、自分がすごく勝手に思えてきて、落ち込んでしまった。でも、アリスお母さんの境地にはまだ立てないなあ。どうしよう。
当然だけど、私とアリスお母さん以外にも、同伴出勤している動物の皆さんはいらっしゃる。でもそういえば、犬ばっかりだなあ。魔法使いっていうと猫ってイメージだけど、ひょっとすると主人と飼い主っていう構図が必要なのかも。意思疎通の面で、猫はどうしても主従関係ではなく同族と飼い主を見做すから、言葉が通じないと魔法を行使するって難しいのかも。説明すればわかってくれそうだけどねえ。従うっていうのが無理だとすると、やっぱり難しいのかな。皆無ではないけれど、彼らはきっと猫の中でもかなり賢い部類に入るのだろうな、と勝手に考える。鳥がいないのは、現実的にあれかな、長時間いると糞の始末とかが問題になってくるからかもしれないな……かしこい種類はたくさんいるけど、ここって閉鎖空間だからなあ。きびしいかもしれないなあ。
「暇を持て余しているなら、他の皆さんにあいさつしていらっしゃいな」
あれこれと考えている私に、お母さんが言った言葉は、私もずっと考えていた。そうなんだよね、やっぱりそれがいいよね。あと、当番をしてくれた人たちにさりげなくお礼を言いたい。一方通行だけども。最初に短くあいさつをしてくれた人たちはいたんだけど、やっぱり忙しいみたいで。私が近くまで行って少し顔を見せる分には、そこまで迷惑でもないかな、と思う。そしてやっぱり、同族のお付き合いは大事だろうし、ね。
でもなあ。
「木崎さんが怒りそうで怖い……」
ぶるる、と小さく震えた私に、アリスお母さんが首を傾げる。
「どうしてキザキさんがあなたを叱るの? 前に何か粗相でもしてしまったの?」
私は、そうじゃないんだけど、と首を振ってからお母さんにナイトの一件を話した。しかしそれでもお母さんは何か納得出来ないのか、困ったようにますます首を傾げた。
「キザキさんが心配するのはわからなくはないけれど……出会ってすぐにそういう事にはならないわ。私だって、好きだから彼の子を産んだのだし」
「そういえば、お父さんて会った事ないね」
「遠いところに住んでいて、ここにはすこし滞在しているだけだったから。わかっていたけれど、寂しいものだわ」
せつなそうに言うお母さんに、つきりと胸が痛む。動物だって、恋をするんだなあって思った。
「とにかく、嫌なら嫌だと言えばいいのだし、そう心配するものでもないわ。大丈夫だから、いってらっしゃいな」
優しく私の頬をぺろりと舐めたお母さんに、尻尾を振って応える。
「そ、それじゃあ、いってきます」
少し緊張しながらも、お母さんに別れを告げた。見渡す限り、私たち以外はひいふう……連れてない人もけっこう多い、というか連れてない人のが当たり前かもしれないけど多い。まあ、動物苦手って人もいるしなあ……ってでも、そうだとしたらこの空間に居るのは辛いか。そういえば職員の皆さんは基本的に私たちに友好的だったのを思い出した。ひょっとすると就職する条件にそれも含まれていたりして。さすがにないかな。
気を取り直して、挙動不審になりながらも話しかけやすそうな人をきょろきょろと探す。そういえば私、人見知りだった気がする。すん、と鼻を動かすと、かすめる消毒薬と似たにおい。さっきまでは好奇心と緊張で考える余裕もなかったけれど、胸の奥で何かがざわりとうごめくような気配がした。それは喜びなのか悲しみなのか。相対するふたつの心がしかしとても自然に私の中に広がっていった。
『――。今日の差し入れだよ。好きだろ?』
『わあ、ありがとう! でも動けないし太りそう』
『むしろもっと太れよ。どう? 友だちとか出来た?』
『私がそういうの得意じゃないの知ってて言う?』
『最初だけだろ? 一度仲良くなると早いじゃん』
笑っている。誰かと、誰かが。楽しそうなのに、どこか悲しく横たわる空間に、戸惑う。あれは、誰だろう。笑っているのは、女のひと――私?
「ねえ」
水の中にいるかのように、とても遠くから音や光を感じていた。クリアにならない景色に焦燥感を抱きながらも懸命にたぐりよせていた記憶の糸は、あっけなくぷつりと切れてしまった。
声をかけられた事に飛び上がって驚くと、声をかけてくれた相手も驚いたのか、わん! と一声鳴いた。
「ご、ごめんなさい、考えごとをしていて」
「カンガエゴトってなあに?」
「え? ええと……に、人間の真似、かな」
不思議そうにふうん、と首を傾げるのは、ききききキター! 世界最小と言われるチワワだあああ! てあくまでもチワワっぽいってだけだけど! そしてそんなに小さくないぞ! 私と同じくらいの大きさじゃんかわいい! なにこれかわいい!
取り乱して失礼。小型犬と中型犬の中間あたりな体格のチワワを見て興奮してしまった。ぴんと立ち上がった耳がとってもらぶりーです。ロングコート、長毛みたいだ。胸毛がふわふわ、尻尾もふさふさ。毛色はクリームシチューのような色をしているのに、足元だけ黒い。黒い靴下履いてるみたいで超かわいい。持ち帰りたいけど私も犬だから抱っこ出来ない。解せぬ! ってまだ興奮してるな落ち着こう、私。
「私、ソックスって言うの。あなたは?」
「あ、私はルナ。よろしくね」
女の子ですね。そしてまた英語由来っぽい名前きたぞ。気になるけどへたにつっこむと木崎さんを聖域に近づける事になりそうで怖いなあ。ただの勘だけど、未知の言語だとかだったらやばいし。
「ねえルナの飼い主ってだれ?」
「ああ、木崎さん? あそこにいるよ」
私が一吠えして示すと、ソックスは、やっぱりそうなんだ、と呟く。ありありと意外だと言いたげな雰囲気が気になって、私は尻尾をゆっくりと揺らす。それに促されたのか、ソックスは木崎さんから私へと視線を戻した。
「キザキさんって、ちょっと私たちを苦手みたいに見えたから、びっくりしちゃって」
「え? き、木崎さんて犬が嫌いなの?」
とても悲壮な声を上げてしまった私に、ソックスは慌てて尻尾を振った。
「そうじゃないのよ! なんていうか、好きでも嫌いでもない感じ? 可愛がってはくれるしやさしいんだけど、近くには寄ってこないっていうか」
ああー。なんとなくわかった。一定の距離を保った状態って事ね。それは――きっと生き物全般に対してそうなんでしょうね、彼は。つまり、人間に対してもって事だ。過去が原因なのだろうな。でも、そういえば、私に対しても最初はそうだった気がするなあ。はて、と首を傾げる。
木崎さんの態度が変わったきっかけって、なんだったろう――ああ。名前を初めて呼ばれた、あの時だ。疲れた顔をする彼の顔を……今にして思えばちょっと大胆だったかな。まあ、木崎さんが私を引き取るってその時決意してくれたのなら、結果的にはよかったんだけど。
でも、そうだなあ。
やっぱり、いつしか色んなひとにも寄りかかれる木崎さんを見たいな。私なんかじゃ何も出来ないかもしれないけれど。聖域を読み解く事が、それこそ死なずに私には出来る可能性があるかもしれない。
私は、ひょっとするとこの時すでに、人間に戻りたいと感じていたのかもしれないけれど、それを強く願うのは、あともう少しだけ後の話だ。




