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第十一話 不思議の国とキス。

 休暇の最終日はどこへ出かけるでもなく、家の中でぼんやりと過ごした。木崎さんの疲労が溜まっていたというのもあるし、私もここ二日で色んな知識を詰め込みすぎて、少し休みたかったからだ。お互いの希望が一致したので、明日からの英気を養うためにも、と非常に休日らしい休日を過ごした。

「明日からは一緒に職場へ向かうから、色々と準備をしておかないといけないね」

 晩ごはんを食べ終え、またも体を洗われてぐったりしていた私に、木崎さんが言った。へ? と首を傾げそうになったけれど、そういえば動物を同伴させる人が多いのだと前に聞いていた。ずいぶんとおおらかな世界だなと感じていたけれど、どうやらそういう事ではないらしい。

 この世界でのペットという概念は、私の世界と似ているようで少し違う。ただ可愛がるために動物を傍に置く人というのはかなり稀で、それこそ大金持ちくらいのものらしい。では何故、犬や猫、鳥などを飼うのか。それは、魔法を行使する上で欠かせないパートナーになるからなのだと木崎さんは説明してくれた。

「相性って最低限あるんだけれど、波長が合うと、その相手に自分の魔法を分け与える事が出来るんだ。ルナにもそれをしたよね? 人間同士よりも動物が相手のがそれが簡単なんだ。彼らは自分の中に魔力があり、魔法を行使出来る事を知らない。自分の色がどんなものか想像もしないから、他の色に染まりやすいからなんだ。だから体内に他人の魔力が入り込んでも、抵抗する事なくすんなり受け入れてくれる。これにはね、様々な利点があるんだ」

 魔力を魔石に変える事は、本当に初期の魔法だから、誰にでも使えるものらしい。そしてそれを動物に飲み込ませると、その魔石は使われる事なく、動物の体内に居座り続ける。いざという時、魔石を取り出す事が出来るらしい。つまりは、魔力を温存し、いざという時に行使出来るというのだ。そもそも、力を単純に石にした物はエネルギーの塊ってだけだから、術式を刻んで魔石化するのとは違う種類の魔法なんだって。木崎さんが私に施す術式付きで魔石化させる魔法っていうのは割合と難しい物で、かなり得意分野の、何度も使っている術式じゃないとやらない、出来ないそうだ。更に言えば、術式を刻んだ魔石を、わざと魔力切れの状態にして飲み込ませれば、それも使われずに体内に残しておけるのだとか。あくまでも木崎さんが私に魔石を飲ませた時のように魔法が行使されるのは、木崎さんがそういう術式を刻んで、魔力を込めたからなんだって。そうじゃなきゃ、魔法の概念がないはずの私たちみたいな動物は、たとえ石を入れられても魔法は発動しない。だからそれを逆手に取って、色んな魔法を温存したり、オリジナルレシピの隠し場所としてはいちばん安全な私たちに術式を託すらしい。変な話、魔法を行使する上で大変に便利なアイテムとして動物は活用されているらしいのだ。それを聞くと、とてつもなく複雑だけれど、木崎さんは微笑んで続けた。

「アイテムだなんて思って接する人間がいないのは、意味がわかっていないとはいえ、自分以外の力を受け入れてくれる動物たちは、自分を信頼してくれているからだと知っているし、その温存した力を取り出す時も、こちらの意図を汲んでくれる。魔法や魔力の概念がないのに、こちらが何をしたいかを分かってくれるんだ。それは、彼らの純粋な献身なのだと誰もが知っている。だからこそ、俺たちは彼らをパートナーと呼ぶんだ。彼らを敬い、大切にしなければ俺たちの魔力を彼らの体は受け入れてはくれないからね」

 そうか……ちょっと複雑だなあって思う部分もあったけれど、お互いに信頼があってというならば、きっとそうなんだね。私が木崎さんの魔法を受け入れたのもそういう事なんだろうし……って、ちょっと恥ずかしい。

「特に研究職の人間はパートナー同伴がほとんどなんだよ。だからルナ、一緒に仕事へ行ってくれるかい?」

 私でも役立てるのならば、と即座に頷いた。やっぱり、タダ飯食らいは抵抗ありましたから。お仕事を与えられた事はすごく嬉しい。

 それでね、と木崎さんは続ける。

「ルナが魔法を使えるって事は、当面、隠しておく方が無難かと思うんだ。仕事仲間の事を信頼していないわけじゃあないんだけど、やっぱり、国の施設だからね……不特定多数の人間が出入りするわけだし、神経質くらいでちょうどいいと思うんだ。だからこれは、外にいる間は預かっておくよ」

 その言葉に少し残念だと考えながらも、木崎さんとふたりになればいつだって会話は出来るのだし、と思い直した。ペンをぶらさげたネックレスを首から外す木崎さんの手に抵抗せず、身を任せる。

「ただ、受け答えくらいはしていいと思うんだ。元々、俺たちの間ではルナがどうもこちらの言う事がわかっているらしいって噂になっていたから。今更、普通の犬っぽく振舞う方がかえって胡散臭い。あくまでも研究所の中限定だけれど、何か質問されたら変事をしてくれてかまわないよ。最初は珍しがっても、皆あまり気にしないだろうから」

 なるほど。変に隠し立てする方が、色々と興味をひいてしまうって事ね。私は頷いた。

「ほとんどは当番で面倒を見てくれた連中ばかりだから、あまり構えすぎないようにね。ただ――」

 途中で不自然に言葉を切った木崎さんは、これまた不自然なほど眩い笑顔を貼りつけて、言った。

「あまり俺以外の男と仲良くしないように。わかったね? ルナ」

 『男』をやたら強調されて微笑まれた。ど、どういう意味なんだろう……よくわかんないけど、とにかくここは頷く方が良さそうだ。私は木崎さんに万が一伝わらない事を恐れて、何度も首を縦に振る。木崎さんは私の様子に満足したのか、先ほどまでの胡散臭い笑みを解いて、自然に笑うと、それじゃあ、と私に手を伸ばした。

「寝よう、ルナ。明日は寝坊出来ないからね」

 私を懐に抱えて、木崎さんが頭頂部に頬ずりする。毛がふわふわだから気持ちいいんだろうなー。私も、わんこにもふりたい。もっふもっふしたい。……いや、無理だってわかってますけどね。

 とりあえず、腕の中って気持ちいーなあ。慣れたと思ったけど我慢出来ない……おやすみなさい、ぐう。


「おはよう、木崎くん。休暇はゆっくり出来た?」

「おはよう、天音。おかげさまで」

 よかったわね、とにこやかに微笑む天音さんの隣には、アリスお母さんがいる。そっか、天音さんに同伴していたんだ! と私は嬉しくなって尻尾を振った。

「あら? ルナちゃん、ちょっと木崎くんから離れてない?」

 首を傾げる天音さんの言葉に、私はぴたり、と揺れていた尻尾を止める。そうだ、忘れかけていたけれど、私は今、怒っているのだ!

 今朝の事である。私はここ数日の癖で、木崎さんにいつもより早く起きるんだよ、と言われたにもかかわらず、寝坊してしまった。木崎さんはそんな私を起こしてくれたのだが――。

「ルナ、いいかげん機嫌を直して」

 木崎さんがしゃがんで私の顔を覗きこむけれど、そうはさせまい、と私はふいっと横を向く。

 ふんっ。朝いちばんで乙女の唇を奪った罪は重いんだい! 今朝の食事に好きなものを選ばせてくれたり、美味しいお茶を淹れてくれたり、色々と私に尽くしてはくれたけれど、ここですぐに懐柔されてしまっては、いつまたキスされるかわかったものじゃない。満面の笑みで、おはようルナ、なんて言って! 当たり前みたいに寝起きのちゅー、みたいな! そういうの! 恋人でもないのにやめてほしいのよねっ。まったく!

 職場と木崎さんの家は刻まれた術式があるから、直通なわけで。ごはんを食べ終えれば少しの身支度で出かける事が出来てしまう。だから私は木崎さんが扉をくぐる時だけ渋々腕に抱かれたけれど、見慣れたロビー付近に到着したらすぐに木崎さんの腕から飛び降りたのだ。で、廊下を歩いていたら天音さんに遭遇し、現在に至る。

「ルナ。あなた、キザキくんとどうかしたの?」

「お母さん! 私は木崎さんが反省するまで絶対に許さないから! 説得とかやめてねっ」

 ていうか久しぶりの対面だから、近況を報告したりとか、今の暮らしがどうとか、色々と話したかったのに。どうしてこういう初日を迎えるかな、私。

「アリスがどうにかしてくれるかもしれないわよ?」

「どうかな……まあ、気長に待つよ」

 私が何か怒っているらしい事を察した天音さんは、アリスお母さんに何やら話しかけられている私を見てくすくすと笑っている。木崎さんはそれに対して肩を竦めてる。むう……そのうちほとぼりが冷めるとか思ってるようだ。私の怒りが伝わってないわね。

 私とアリスお母さんは木崎さんたちより少し先を歩いていたので、振り返って、木崎さんを睨み、唸り声を上げた。そんな態度だったら許してなんかあげないから、という意思を込めて。隣に並ぶお母さんは、ルナ、と私を窘めるような声を上げるけれど、知るもんか。私は絶対に悪くない、と鼻を鳴らす。

 しかし、強気の姿勢を崩さずにいたのが、まずかったのだろうか。どうした事だろう。そんな私の態度に、笑顔から滅多に顔を崩さない彼が、表情を変えた。

「天音、先行ってて。ちょっとルナのご機嫌を取っておくから」

「……ほどほどにしなよ。アリス、行きましょう。ルナ、また後でね」

 呆れ交じりの吐息をこぼした天音さんが、お母さんを連れて去って行く。どうやら木崎さんが一瞬真顔になっていた事に、天音さんは気付いていなかったようだ。ちょっと待って、今ふたりきりにされたらまずいと思うんだけど!

 天音さん達を追いかけようとした私より素早く、木崎さんが私を腕に抱く。暴れようかとも思ったけれど、無表情の木崎さんが怖くて、私はかたまった。

 まずい――本当に怒らせたっぽい。

 木崎さんは、会議室っぽい部屋に入ると、机の上に私を下ろした。空間から私のペンを取り出し、少し乱暴な仕草で私の首へとかける。

「ルナ……君は、俺が嫌いなのかい?」

 唐突な質問に数秒沈黙したけれど、私はすぐに首を振る。木崎さんを嫌うわけがない。

「なら、どうしてキスをそんなに嫌がるの? 山城の犬にされた時には満更でもなさそうだったじゃないか」

 え!? い、今その話するの? 私は困惑しつつも、また首を振る。

『あの時だってちゃんと嫌だからやめてってナイトには伝えた』

「へえー、ナイトって呼んでるんだ。俺には木崎さんなんて他人行儀なのにねえ」

『木崎さんは飼い主で、ナイトは友だちだから』

「キスをされた相手を友だちだって? ルナは警戒心が足りないんじゃないかい?」

 どんどん低くなる木崎さんの声に慌てながらも、私はどんどん言葉を紡いでいく。文字が全然安定しないよう。

『同じ犬だし、別に友だちって言うのも他に当てはまる言葉が思い浮かばなかったから便宜上そう表現しただけです!』

 て、これ何。私って何だか下手な言い訳してるみたいじゃない? 浮気を追及されてる人みたいになってない? いやいやいや、おかしくないかな、この図!

「何だか浮気の言い訳みたいだね」

 同じ事を思ってるー! ていうかそもそも浮気って何! 言い訳って何!

『たとえナイトとどうなろうと、木崎さんには関係ないでしょう? それとも、子どもが出来たらどうしようとか心配してるの?』

 動物っていうのは、本能の部分が大きいわけだから、人間みたいにあれこれと駆け引きしたり、悩んだりして子どもを作る作らないなんてやらないってわかってる。だからこそ、仲良くなっちゃったら行き着くのはそういう事で、木崎さんがそれを懸念する気持ちはわからなくはない。だけど私は中身が人間だし、そういう事にはさすがにならない、と思ってる。

「子どもだって……?」

 ひっ!

 私がぐるぐると木崎さんの内心を考えていると、今まで聞いた事もないような声を彼が発した。さっきまでは皮肉めいた笑顔も見え隠れしていたのに、今は完全に表情を消し、あらぬ方向を睨んでいる。

 股の間に尻尾をぐるりとしまいこみ、ぶるぶると体を震わせていると、木崎さんが、ルナ、と私の名前を呼んだ。

「君を誰かのものにするつもりはない」

 え?

「どこぞの犬と恋愛したりだとか、ましてや子作りなんてさせるつもりもない。キスだって、俺以外とするのを許すつもりはないよ」

 え? いや、かまわないけど。なんで? キスしたらすぐに子ども……いや、動物ならあり得るのか? いや、わからん。

『私は別にナイト含めて誰かとそういう事するつもりないよ』

 とりあえず、心配しなくていいんですよ、という気持ちを込めて伝えれば、木崎さんはいくらか空気をやわらげた。しかしまだちょっと怖い。

「……ルナ。君が俺とのキスを了承するまで、急にそういう事をしたりはしない。今はとりあえず、それでいいかい?」

 今はっていうのが多少気になるけれど、まあ、それならば。私は頷く。

「知らなかったけれど、俺は嫉妬深いらしい。あんまり俺に、他の男と仲良くしてる姿を見せないようにね、ルナ」

 いや、まあ、犬の知り合いなんて今のところナイトくらいなものだし、あまりそういう機会もないとは思うけどなあ。私は、再度頷く。

「隠れて仲良くなんて、もってのほかだけどね」

『そんな事はしないから!』

 慌てて刻んだ言葉に満足したのか、木崎さんはそこでやっと重たい空気を霧散させた。

「それじゃあ、行こうか。遅刻してしまうからね。ルナ、もう仲直りって事で……いいかい?」

 最後は少し不安そうな顔。それが私はおかしくて、尻尾を揺らして頷いた。木崎さんは小さく息を吐き、私の首からネックレスを外す。

 私を腕に抱いて廊下へ出た木崎さんの顔を見つめながら、今していたやり取りを反芻してみる。ううん……木崎さんて、そこまで犬が好きなわけじゃないのか、すごく真面目なのかのどっちかかな。しかし、そんなに子どもを生ませるのは反対なのかあ……キス的なものをしたらそのまま交尾成立とかならないと思うんだけど犬社会……いや、動物なんだしそれもあり得るの? まあ、子ども云々は私自身、木崎さんに養ってもらっている身だし、そもそもそんな気は起こせないだろうから、じゅうぶん気をつけようとは思うんだけどもさ。しかしあんなに怒らなくたって、いいのに、ねえ?


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