第十話 不思議の国と秘密。
「これを神と崇めるのは承服しかねる、という事、ルナにも理解してもらえたようで嬉しいよ」
『人間臭さがぷんぷんする』
私の言葉選びが面白かったのか、木崎さんは珍しくぷ、と噴出した。堪えきれない笑いを漏らしながら肩を揺らす木崎さんは、もう重たい雰囲気もない。よかったよかった。……にしても、そんなにおかしい?
「ごめんごめん、実に的を射た意見だと思ってね。いやあ、こんなに笑ったのは久しぶりだよ」
穏やかな瞳で微笑む木崎さんに、私も微笑みを返したいなあと思ったけど――いかんせん、犬だからね。犬はあれだよ、大体が常に笑ってる、ように見える生き物だからさ。長年いっしょにいるとかなり表情豊かになるもんだけどね、限界もあるよね、うん。
「どうしようか、ルナ。とりあえず用事は済んだかな」
うん、そうだねえ。私は木崎さんの言葉に頷いた。
なんていうか、そもそもがなーんか居心地悪いよね、ここ。聖域だなんて大仰な名前付けてるけど、その実、人をもてあそんで楽しんでいるとしか思えない。なんだってまた、こんな物を造ったのか。もしも理由があるなら、教えてほしいもんだ。出口へと歩く木崎さんに、最後に訊いておこうと私は言葉を紡いだ。
『閉鎖するのは駄目なの?』
私の質問に、木崎さんはそうだね、と苦笑する。
「確かにここを閉鎖してしまえば、直接ここを訪問は出来なくなる。実際に、そういう動きもあったんだ。ただ、ここの出入り口はどういうわけかどんな魔法でも閉鎖をする事が出来なかった。だから開放したままにしておくしかない。ならば直通の陣を消すという話にもなった。人力でしか辿り着けないように魔法を紡げば、これだけの高さだ。そうやすやすとは到達出来ない」
木崎さんの言葉に頷く。やっぱり、そういう措置を取ったんだ。でも今に至る。それってなんで?
「けれどそうすると不思議なものでね。人々はこの山に登り、意地でもここを訪れようとする。苦労して聖地に足を踏み入れる事で、よりいっそうここが神の宿る何かに見えるのか、祈りを捧げたり、理の最後に到達する場所として生涯をかけ研究しようとする学者も増えた。人間の心理というのは不思議なものだね。こうやって誰でも簡単に訪れる場所にする方が、圧倒的にここへ傾倒する人間が減ったんだ」
なるほど。あれか。絶対に中を覗かないでくださいねって言われたらどう考えても覗きたくなるじゃんですよねー、の心理か。それはなんていうか、うん、わかる。あの物語どうかと思うもん。絶対覗くな、絶対だぞ! って言われたらさあ。夜中にこっそり織るとか出来なかったのかよって思うよね。あ、話逸れた。
納得したように私がこくこくと頷いていると、木崎さんは苦笑しながら、人間というのは複雑なようで単純なものだね、と呟く。確かにそうだなあ。
「そうだルナ、お昼を貰ってきたのを忘れていたよ。駅には座れる場所があるからそこで食べよう。おなかへったろう?」
ああ、言われてみれば。
けっこう気が張ってたんだな。木崎さんに指摘されて初めて、自分がけっこう空腹だと気が付いた。ひょっとして定食屋さんに寄ったのって、ごはんを貰う為だったのかな? 木崎さんは全くもって自炊をしなさそうよね。
木崎さんに抱っこされながら駅まで辿り着くと、行きは目に付かなかった休憩所のような建物に入る。東屋よりはきちんと壁があってしっかりした造りだ。中央に大きなテーブルがあり、四方の壁に沿って出入り口以外に板のようなものが出っ張っている。なるほど、椅子代わりか。
腰掛けた木崎さんに倣って私もぴょん、とそこに飛び乗り、さらにテーブルへと移った。お行儀がよろしくないけれど、食べるにはこれがいちばん楽なスタイルなのですよ。
かけた体温調節の魔法はそろそろ切れる時間らしく、この部屋は常に暖かいので安心なのだと頭を撫でつつ木崎さんが告げたところで、ああ、と何かを思い出したかのように小さく声を上げた。
「そうそう、肝心な事を説明し忘れていたね。聖域は、この国だけではなく各国に存在していて、そのおかげで戦争もなく平和が保たれている、という事。その理由を、まだ話していなかったね」
そう話しつつも、何もない空間に手をやると、まるでそこにひきだしがあるかのように指で何かをつまんでつい、と引くと、え! 本当にひきだし的な何かが出てきましたけど!?
あ。ひょっとして昨日話してた、空間から物を取り出す魔法ってこれかな?
まじまじと見ていたら、木崎さんが視線に気付いてこちらを見た。
「これは、空間を切り取る魔法なんだけれど、ちょっと想像力が必要でね。これには何故か術式が存在しないんだよ。ただ、ここではない、何もない空間を感じ取り認識し、切り取る事が出来るか。五歳でこの魔法を使える子もいれば、大人になっても使えない人もいて、完全に適性があるかないかの話になってくる。非常に感覚頼りの魔法だから、ルナが覚えられるかどうかは俺にもわからないなあ」
苦笑する木崎さんが空間から取り出したのは、お昼ごはんのセットが入った木箱だった。本当に簡素な作りで、私がよく見かけるようなランチボックスみたいに、金具があってそれを操作すると開閉するなんて仕組みはなく、ただかぶさっただけの蓋部分を開けるだけ。これだと中身が簡単に出ちゃいそうだと思ったけれど、そこには刻まれた術式がある。なるほど、恐らくだけれど魔法で外れないように定着させているのだ。中はお茶と、私には白身魚の煮込み料理、木崎さんのは……なんかすごく豚の生姜焼きっぽいものが。お味噌汁なんかもセットになってるんだけど、私にはない。味噌汁は味が濃すぎるから飲めないのよね。
「食べながら話そうか」
木崎さんが微笑んで、私に飲みやすいように、と温かいお茶を平皿に注いでくれる。料理から何から温かいのがすごいな、と目を丸くしつつも、木崎さんの言葉に頷いた。
「じゃあ、いただきます」
手を合わせて、唱える。この習慣さえもが同じ。やっぱりここって……まあ、日本、なんだろうなあ。認めるのがほんの少し怖かったけど。
もしもここが日本だという結論になれば、私が持つこの記憶は何なのだろうと疑問を抱く事になる。だって、生まれ変わりだなんて、そんなの、嘘かもしれない。本当はずっと長い夢を見ていて、病院生活をしていた私は幻だったのではないかって、怖かった。こちらが現実であり、科学なんて概念はずっと存在しない世界が普通なのではないかと。もしくは、その反対。昏睡状態の私が見ている夢だから、現代日本を基礎とした物語が今、展開しているんじゃないかって。目の前で微笑む木崎さんが存在しないのかもしれないと考えると、私は怖くて仕方がなかった。
「ルナ、大丈夫? 美味しくなかったかい?」
心配そうに私を覗き込む木崎さんの顔に、私は驚いて飛び上がった。急に食べるのを止めてぼんやりとする私に何事かと思ったのだろう。いけないいけない、食事中くらいは楽しくいただかなくちゃね。私は大丈夫だと伝えるようにひとつ吠えて、食事を再開させる。木崎さんは、そんな私の頭をゆったりと一回撫でた。
今は、まだ、シリアスになるのはやめよう。私が思い悩んでいる事は、すべてが想像の内だ。今は、目の前の温かい手を信じよう。
ゆるく尻尾を振りながら食事を平らげる私に安心したのか、木崎さんも食事を再開させた。それからしばらくは食べる事に集中して、気付いたらあっという間にお皿は空になっていた。なんだかんだ、お腹はすいていた、うん。
「聖域が平和の象徴なのはね、とても単純な理由があるんだ」
食後のお茶を飲みながら、いよいよ木崎さんが口を開くけれど、どうやらそう長い話でもないらしく、あまり改まった様子はない。
「聖域は、攻撃魔法に反応するように作られている。大きな力で国と国が衝突すると、聖域は形を変え、無差別にすべてのものを消滅する殺戮兵器になるんだ」
昔、大きな戦争があったのだそうだ。そしてそれを終結させる為に、聖域が造られた、らしい。らしい、というのは、そういう記録があるものの、それが事実なのかはわからないからだ。聖域は禁忌。故に、それが事実なのか調べる事は不可能なのだ。
「まあ、とにかく謎だよね、聖域って。どうも俺たちのいる世界とは違う種類の力があるみたいだし。やっぱりそれは神の力ってやつなのかもしれない。けれどそれにしては生々しい。聖域に魅せられる人間は、結局、一定数いつの時代も存在する。それによって命を落としても、神罰なのだと人は言うけれどね」
理を解く人間としては、実にお粗末な結論だ、と眉根を寄せる木崎さんは、きっと納得なんて出来ていないのだろう。だからこそ、ずっと傷が塞がらなかった。
木崎さんの指先を、ぺろりと舐める。私の行動に目を丸くしながらも、彼は微笑む。こんな事くらいで元気になってくれるなら、いくらでも可愛さを振り撒いてあげますとも! なんせ私、犬だからね! 超らぶりーな犬だからね!
「ルナ、キスはしてくれないの?」
あなたまだ言うの、それ。……乙女の唇はそうやすやすとあげられませんって。
しばらく無言の攻防を繰り広げたが、やがて諦めたのか木崎さんはわかったよ、とため息を吐く。これですべての用事は済んだらしい。木崎さんは立ち上がりつつ、帰ろう、と私をその腕に抱いた。
「ルナ、油断しすぎ」
え。
柔らかい感触を鼻先に感じて、私は目を見開いた。
い、今の。
「またキスさせてね、ルナ」
こ、この男……! 一度ならず二度までも! 乙女の唇をなんだと思ってんのよお!
『木崎さんの変態!』
私はばしばしと前足で木崎さんの腕を叩きながら文字で抗議すると、木崎さんはしれっと変態でかまわない、とのたまった。おい、こら。
「そもそも、犬にキスして喜ぶ男がノーマルなわけがないよ」
え、いや、まあ……いやいや、自分の犬にキスはするでしょ、ていうか向こうからけっこう深いキスをしてくるんだけど、キスっていうか舐めてくるんだけど。木崎さんの言ってるのってそういう意味合いではなく?
「そもそもルナだって犬としては規格外だろう? そもそもキスなんて概念どうしてわかるんだい。俺とキスをするのが不満だっていうのも地味に腹立たしいし」
木崎さんが突然しょうもない本音を漏らし出した! どうしよう、ご乱心!? 混乱してきゃんきゃん喚きながら暴れる私に困ったような顔をしながらも、どこか楽しそうにしている彼を、結局は許してしまう私も、なかなかに重症ではあるな、とは改めて思った。
いやでもさ。拾ってくれたご主人様だし。木崎さんとはずっとうまくやっていかないといけないし、ねえ? うん。
帰り道はあっという間で、あそこが富士山だとしたらどれだけの距離を行き来したんだろうとちょっと複雑だ。リアルどこでも××ってやつだよね。青いロボットどこかにいないかな、とか期待はしていないですけど。
それにしても、どうしたものだろう。ふう、と息を吐いたと同時に、ぴんと立っていた尻尾は、ぱたり、と私の意思とシンクロするように萎れた。
私は悩んでいた。家に帰って、お水を飲んで。くああ、とソファであくびをしている時も、ただ呑気にしているように見えるかもしれないけれど、頭の中ではある考えがぐるぐると巡っていた。
聖域についての謎。それを解く最大の鍵を、恐らく私は持っていて。なおかつ、それを木崎さんに伝える手段が既にある。それを、木崎さんに伝えるべきか、否か。
私が人間としての記憶を有している事。木崎さんが納得いかないという神の力の正体を知っている事。聖域の開かずの間を、恐らく開けるであろう事。それらすべてを、打ち明けるべきなのか。否か。
木崎さんは、聖域を憎んでいる。最初は気にしていない、だなんて、あくまでも冷静に距離を取るふりをしていたけれど、すべて打ち明けてくれた今ではそんな風に納得出来ていないはずだとわかっていた。神の力だと拝む人々をどこか冷めた目で眺めつつ、胡散臭いと鼻で笑っている。その内心は、決して穏やかではないはずだ。どうして多くの人が亡くなってしまったのか。木崎さんの大切な人まで奪われてしまったのか。真実を知る事すら、許されない。ただ神罰だと片付けられて終わりだなんて、あんまりじゃないかって、私も思う。研究者である彼ならばなおさらだ。それを紐解き、真実に辿り着く能力があるのだから。
けれど。
けれど、そこまで踏み込んでしまったら、木崎さんは? もしかすると、他の人たちと同じように――。
だめだ。やっぱり、確信が持てない限りは、私の内に秘めておくしかない。あの扉が存在する以上、恐らくだけれど、私は入る事が可能なんじゃないかという気がどこかしている。科学が存在する日本で生活をした私ならば――。
「ルナ、今日は疲れただろう? 少し早いけれど、そろそろ寝ようか」
木崎さん。私は、犬として、ちょっとヘンテコな犬として、あなたの傍にずっといたい。木崎さんにだって、どこにもいってほしくない。ひょっとしたらあなたは、死すらも厭わず、謎を解く事を望むのかもしれないのに、私はなんて恩知らずだろう。私は私の為だけに、木崎さんにこんな大きな事を隠すんだ。それはきっと、すごくずるくて、汚くて。
でも。
「ルナ? まだ眠くないかい?」
微笑む木崎さんに、無意識に揺れる尻尾。こんなにも幸せを感じる場所を、手離すなんて――出来ない。ごめんね、木崎さん。ごめんなさい。
首を傾げる木崎さんの腕の中へ、私は迷わず飛び込んだ。




