第96話 賑わう浴場と、テルマエカルテット
「ダ、ダメですッ!!」
王城の特別救護室。シルフィーの大音量が響き渡った。
シルフィーはレンを背中に庇うようにして、両手を大きく広げていた。聖女としての威厳などかなぐり捨て、完全に「過保護な小姑」モードだ。
「いくらアリスさんでも、一緒にお風呂に入るなんて破廉恥すぎます! レンはもう10歳の立派な男の子なんですよ!」
顔を真っ赤にして猛抗議するシルフィー。しかし、氷のメイドであるアリスは全く怯むことなく、淡々と論理武装で反撃を開始した。
「ですが聖女様、レンはまだ病み上がりです。浴室で倒れる可能性も否定できません。ちゃんと洗っているか、安全に湯船に浸かっているか、保護者として直接確認したいので」
「そ、それは……っ! でも、洗うなら私が……じゃなくて! とにかく混浴は禁止です!」
アリスは眉一つ動かさない。
「私はメイドです。主や部下のお世話をするのは当然の務め。お背中をお流しするくらい、造作もありません」
バチバチと火花を散らす白銀の聖女と氷のメイド。
その間に挟まれ、レンは完全に顔を覆って縮こまるしかなかった。死闘を生き抜いた狂犬も、女たちの謎のバトルには手も足も出ない。
「あーはははは! なにそれ、面白すぎる!」
そのカオスな状況を見て、ナタリーが腹を抱えて大爆笑した。
彼女は悪戯っ子のように目を輝かせると、パンッと柏手を打って高らかに宣言した。
「よし、決めた! どうせなら、みんなでお風呂に行きましょ! もちろん、大浴場にね!」
「ええっ!?」
アリスが涼しい顔で頷く。
「ナタリー様、名案です。それなら安全管理も完璧ですね」
「ななな、ナタリー様!? さすがにそれは……っ!!」
完全に悪ノリし始めた王女の号令により、救護室の平和な昼下がりは、一転してドタバタの渦へと呑み込まれていったのだった。
*
かくして4人は、王城の奥深くに位置する、王族と一部の特権階級のみが使用を許された豪奢な大浴場へとやってきていた。
高い天井には柔らかな光を放つ魔石のランプが灯り、脱衣所にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。
「あれ……?」
脱衣所へと続く長い廊下を歩きながら、レンは自身の身体を見下ろし、不思議そうに手を握ったり開いたりした。
あれほど全身の骨が軋むように痛み、泥と血にまみれてピクリとも動けなかったはずの身体が、嘘のように軽い。それどころか、死闘の疲労すら完全に抜け落ち、信じられないほどの活力が全身にみなぎっているのだ。
「身体の痛みが……なくなってる?」
「当たり前でしょ。シルフィーちゃんの規格外の回復魔法のおかげよ。あんたを死にかけのボロ雑巾から新品の雑巾みたいに元通りにしてくれたんだからね」
前を歩いていたナタリーが振り返り、腰に手を当ててジト目でレンを睨んだ。
「俺は元に戻っても雑巾かい」
軽く笑いながら突っ込むレン。
「まぁ命拾いしてよかったわね。……でも、しばらくカイさんの夜の特訓は無しだから!」
「えっ、嘘だろ!? なんでだよ、せっかくレグルスの重りを奪って……」
ナタリーは腰に手を当てた。
「ダメなものはダメ! せっかく治してもらったのに、すぐにまた怪我をされたらシルフィーちゃんが悲しむでしょ?」
姉としての威厳をたっぷりと込めたナタリーの言葉に、レンはぐっと言葉を詰まらせた。「シルフィーが悲しむ」と言われてしまえば、この忠犬に反論の余地はない。
「……わかったよ」
渋々頷くレンの肩を、隣を歩いていたアリスがぽんと軽く叩いた。
「ただし、レグルス様から伝言を預かっています。『奪った2本と、元々つけていた2本。追加した重りを含め、計4本は常につけておけ』とのことです」
「……っ! まじかよ、あの野郎……」
4本の重魔鉱。ただ立っているだけでも常人なら内臓が潰れるほどの殺人的な負荷だ。しかし、それを聞いたレンの黄金の瞳には、ほんの少しだけ闘志に火がついたような嬉しそうな光が宿った。 訓練が休みでも、日常そのものを地獄の負荷に変えてやるという剣帝からの無茶苦茶な宿題。それは、確かにレンという強者を認めた証でもあったのだ。
*
貸し切り状態に手配された大浴場の脱衣所。
ナタリーは軽快に服を脱ぎ、足取り軽く浴場へ先に入っていく。
アリスはナタリーの着替えを用意し、脱ぎ捨てられた衣類をたたみ、自身の脱いだ衣類をしまう。
そして、同じく服を脱いだレンの手を引き、浴場へ向かった。
「いくらシルフィー様の魔法で完治したとはいえ、激しい戦闘の後です。傷口が開くといけないので、今日は湯船に浸かるのはやめておきましょう」
アリスはそう言って、手にした柔らかい布製のタオルをレンに見せた。
「お湯を含ませたタオルで、私が優しく拭く程度にしておきます。血行が良くなりすぎると、治ったばかりの毛細血管が破綻する可能性がありますから」
「……なるほど。わかった、アリスに任せるよ」
レンは素直に頷いた。
*
「お、お待たせしました……っ」
脱衣所から大浴場に入ってきたシルフィーの声が浴場に響く、もじもじと身をよじらせながら一人の少女が現れた。
白銀の髪を高い位置で可愛らしくまとめ上げた聖女、シルフィーだ。
彼女は湯あみ着を着ており、顔は熟れた林檎のように真っ赤に染まっている。
「……ど、どうでしょうか……変じゃ、ないですか?」
上目遣いで、ちらりとレンの方を見るシルフィー。
10歳という思春期の手前にある彼女にとって、いくら湯あみ着を着ているとはいえ「お風呂に入る」というシチュエーション自体が、心臓が爆発しそうなほどの刺激なのだ。
「浴場で服着てるのは変だけど、服自体は変じゃないぞ。動きやすそうだし、いいんじゃないか?」
しかし、純粋無垢なレンには、そんなシルフィーの乙女心など微塵も理解できていなかった。ただ事実だけを淡々と述べ、こてんと首を傾げる。
「あらー! 遅いじゃない、シルフィーちゃん!」
そこへ、鮮やかな真紅の湯あみ着を着こなしたナタリーが、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて背後からシルフィーに抱きついた。
「ひゃうっ!?」
「も〜、真っ赤になっちゃって! 可愛いんだから! 裸の付き合いは恥ずかしいのかしらぁ?」
シルフィーは湯気の中で身をよじった。
「な、ナタリー様っ! からかわないでくださいっ! 私はただ、聖女としての威厳が……っ!」
必死に弁解しようとするシルフィーの柔らかな頬を、ナタリーが「ぷにぷに〜」と楽しそうに突っつく。 完全にナタリーのオモチャにされているシルフィーの姿を見て、レンは「またナタリーの悪い癖が始まった」とばかりに苦笑した。
*
「ナタリー様。シルフィー様はレンを意識しているんです。あまりからかわないであげてください」
そのドタバタ劇を見かねて、アリスが氷のようなトーンで冷静にツッコミを入れた。
「あ、アリスさんっ!? い、意識だなんて、そんな、私は別にレンのこと意識してなんか……っ!」
「あら?」
シルフィーがパニックに陥って両手をバタバタと振る姿を見て、ナタリーの翠玉の瞳がピキーンと怪しく輝いた。何かとんでもなく面白い悪戯を閃いた子供のような、極上の笑顔だ。
「そうよね! 意識なんてしてないわよね! 家族みたいなものだもの!」
「そ、そうです! 家族みたいなものですっ!」
シルフィーが涙目で力強く頷くと、ナタリーはポンッと柏手を打ち、にっこりと微笑んでとんでもない提案を投下した。
「じゃあ、シルフィーちゃんもレンの頭を洗ってあげて♪ 家族のスキンシップよ!」
「えっ」 「えっ」
シルフィーとレンの声が、見事にハモった。
「私が……レンの、頭を……?」
想像してしまったのか、シルフィーの頭頂部からプスプスと煙が上がり始める。大好きな少年の髪に触れ、泡まみれにしてあげるシチュエーション。それは彼女の許容量を遥かに超えた、破壊力抜群の提案だった。
一方のレンも、アリスやナタリーに世話を焼かれるのは日常茶飯事だが、自分が命を懸けて守るべき絶対の主――シルフィーに頭を洗ってもらうなど、畏れ多くて気まずすぎる。
「お、俺は一人で出来るぞ! シルフィー! 気にしなくていいからな!」
顔を真っ赤にして慌てて両手を振るレンと、頭から湯気を噴き出してフリーズしているシルフィー。 二人の初々しすぎる反応を見て、ナタリーは「あーはははは!」と腹を抱えて大爆笑し、アリスは「やれやれ」と小さくため息をついた。
立ちこめる湯気と、弾けるような笑い声。




