第94話 証の重量と、ラグトライア
聖王騎士団の執務室。
数人の屈強な騎士たちが滝のような汗を流しながら運び込んできた、異常な重量を誇る『返品』と書かれた木箱。
騎士たちを下がらせた後、聖王騎士総隊長カイ・ルシェルドは、バールの代わりに取り出した自身の剣の柄で、厳重に打ち付けられた木箱の蓋をガコンッ!とこじ開けた。
「さてさて、うちの可愛い生徒は、一体どれだけ可愛がられて帰ってきたのかな……っと」
ギギギ、と軋む音を立てて蓋が開く。
途端に漂ってきたのは、むせ返るような土埃と、濃厚な血の匂いだった。
箱の中を覗き込んだカイは、思わず「おやまぁ」と目を丸くした。
そこに放り込まれていたのは、文字通り『ボロ雑巾』のように全身を赤黒く腫れ上がらせ、衣服もズタズタに引き裂かれたほぼ原形をとどめてないレンの姿だった。
常人ならばショック死していてもおかしくないほどの凄惨な傷跡。だが、当のレン本人は、ピクリとも動かないものの、なぜか口元に満足げな笑みを浮かべ、スースーと規則正しい寝息を立てていたのである。
そして、そのボロ雑巾のような少年の顔の上に、一枚の大きめの羊皮紙が無造作に乗せられていた。
そこには、筆圧が強すぎて紙が破れかけているほど乱暴な文字で、こう殴り書きされていた。
『めんどくさいこと教えんな』
その文字から滲み出る、最強の英雄レグルス・バーンの「苛立ち」と「照れ隠し」。 それを正確に読み取ったカイは、堪えきれずに吹き出した。
「ははっ。楽しそうに殴り書いちゃって」
カイが笑ったのには、明確な理由があった。
羊皮紙をどかした先。気絶してニコニコと眠るレンの小さな両手が、あるものを絶対に手放さないとばかりに、死後硬直のように固く握りしめていたからだ。
それは、漆黒に鈍く光る二本の金属の筒――大気すら歪める超重量の鉱石『重魔鉱』。 他でもない、レグルスが自身の足枷として身につけていた重りだった。
(……やるじゃないか。あの化け物を相手に3日間生き延びただけじゃなく、本当に重りを引っぺがしてくるとはね)
カイは、かつてないほどの深い感嘆の息を漏らした。
10歳の少年が、剣帝から戦果をもぎ取ったのだ。
*
タタタタタッ! その時、執務室の外から慌ただしい足音が近づき、勢いよく扉が開け放たれた。
「カイ! レンが帰ってきたって本当……ッ!?」
飛び込んできたのは、第三王女ナタリーと、その専属メイドのアリスだった。
二人は木箱の中を覗き込むなり、顔からサーッと血の気を引かせた。
「ひっ……!」
カイのような戦闘の専門家から見れば「見事に戦い抜いた名誉の負傷」であっても、彼女たちから見れば、愛してやまない大切な弟(あるいは息子)が、原型を留めないほどの凄惨な状態にされている光景でしかない。
「レン! レン! 大丈夫!?」
ナタリーが王女としての体裁も忘れ、泥と血にまみれるのも構わずに木箱の縁にすがりつき、涙目で絶叫する。
常に氷のように冷静なアリスでさえ、この時ばかりは完全に理性を吹き飛ばしていた。
「レン、意識はありますか!? 私、医療魔法を使える方を起こしてきます! ナタリー様とカイ様はレンを大至急救護室に!」
ドレスの裾を翻し、血相を変えて医務室へと走り出そうとするアリス。
その時だった。
「――ど、退いてくださいッ!!」
執務室の入り口に、もう一人の少女が転がり込むようにして現れた。
歴代最高の聖女、シルフィー・エリオス・ルーメリア。
彼女は、王城の端にある旧礼拝堂からここまで、全速力で走ってきたのだろう。白銀の髪は乱れ、額からは滝のように汗が流れ落ち、息は限界まで上がっていた。
「ハァッ……ハァッ……レ、レンッ……!!」
木箱の中のレンの姿を見た瞬間、シルフィーの黄金の瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
彼女はナタリーとアリスを押しのけるようにして箱の前に崩れ落ちると、震える両手をレンの血まみれの身体に翳した。
「《神脈直結》」
なりふり構ってられないシルフィー。自身の体が発光し密度と純度が高い魔力が漏れ出す。
「《聖域の雫》! 《痛みの箱舟》! 《生命の息吹》!!」
一切の躊躇なく、詠唱の破棄すら交えながら、ありとあらゆる高位の聖属性回復魔法を同時多重展開していく。 鎮痛、身体の欠損修復、極限の疲労回復。
シルフィーの小さな身体から、常識外れの莫大な黄金の魔力が嵐のように吹き荒れ、執務室全体を昼間のような光で包み込んだ。
「はぁッ、はぁッ、はぁッ……! いや、だめ、もっと……もっと治さないと……っ!」
それは、明らかな異常事態だった。
いくら歴代最高の聖女とはいえ、これほどの高位魔法を無詠唱で連続行使すれば、魔力回路が限界を迎え、急激な魔力欠乏に陥る。
現にシルフィーの顔色は死人のように蒼白になり、体内の魔力を根こそぎ搾り取られる苦痛から肩を激しく上下させ、浅い呼吸を繰り返している。眩暈で視界が歪み、立っていることすらままならない状態だというのに、彼女は絶対に魔法を止めようとしなかった。
「シルフィーちゃん! もう大丈夫よ、レンの傷は塞がってるわ! あんたが倒れちゃう!」
「だめですっ! まだ、まだレンが痛がってるかもしれない……っ! 私が、私が治さなきゃ……っ!!」
ナタリーが慌ててシルフィーの肩を抱きとめるが、シルフィーは半錯乱の状態で首を横に振り、さらに魔力を振り絞ろうとする。
ただひたすらに、愛する少年の命を繋ぎ止めるため。魔力が尽きて指先が痺れても、彼女は掌を退けなかった。
「……シルフィー様。もう十分です。彼の顔を見てください」
見かねたカイが、そっとシルフィーの手を包み込み、魔法の行使を優しく止めた。
「はっ……、あ……」
魔力欠乏で霞む目を瞬かせ、シルフィーは木箱の中を覗き込んだ。
そこには、先ほどまでの痛々しい傷跡が完全に消え去り、健やかな寝息を立てるレンの姿があった。 苦悶の表情は消え、スースーと気持ちよさそうに胸を上下させている。その両手には、レグルスから奪い取った重魔鉱が、決して手放してなるものかとばかりにしっかりと抱き抱えられていた。
「よかった……っ。あぁ、本当によかった……っ」
無事を確認した瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、シルフィーはその場にへたり込んだ。 ぼろぼろと涙をこぼしながら、シルフィーはレンの綺麗な頬にそっと触れる。指先から伝わる確かな体温と、穏やかな鼓動が、彼女の焦燥しきった心をゆっくりと溶かしていく。
ナタリーもその場に座り込んで安堵の息を吐き、アリスは目頭を押さえて深く、深く一礼をした。
彼が死線を越えてまで両手に握りしめていた、二つの黒い塊。
満ちていた黄金の光の残滓が、ふわりと空気に溶けて消えていく。
シルフィーは、ただ静かに、泥のついた少年の寝顔を見つめ続けていた。




