第71話 剣帝の覇気と、ドミナンスオーラ
「――なら、俺はおチビの護衛を辞めるぜ」
鋭利な刃物のような声が、粘つく空気を切り裂いた。
部屋の全員が、声の主――レグルス・バーンを見た。
彼はポケットに手を突っ込んだまま、つまらなそうに天井を見上げている。
「そのガキ……レンだっけか? そいつはこいつの拾いモンだが、俺の『便利道具』でもあるんだ。それを勝手に取り上げられて、こいつをここで飼い殺しにするってんなら、俺がここにいる意味はねぇ。それに、帝都の空気は肌に合わん」
レグルスの言葉に、ダリウスは眉一つ動かさずに頷いた。
「それは構わん。ガルヴァンがシルフィーの護衛を引き継げばよいことだ」
ダリウスが目配せをすると、控えていたガルヴァンが恭しく一礼する。
帝国最強の盾である彼が護衛につくなら、警備上の問題は何もない。むしろ、奔放なレグルスよりも安心だろう。
誰もがそう思った。
だが。
「そりゃダメだ」
レグルスは即座に否定した。
その声には、先ほどまでの気怠さとは違う、熱い芯のようなものが混じっていた。
「こいつは、育てなきゃいけないクソガキを一匹抱えてるんだよ。それを大人の理屈で勝手に放棄させることは、俺が許さん」
「貴様ッ!!」
ダンッ! と床を鳴らし、一人の側近が声を荒らげた。
「さっきから黙って聞いていれば……! 皇帝陛下に対し、口のきき方に気をつけろ! たかが傭兵風情が、決定事項に口を挟むな!」
側近たちの顔には、明らかな怒りと侮蔑が浮かんでいた。
神聖な会議の場を乱す無礼者。皇帝の慈悲深い提案を蹴る愚か者。
彼らはレグルスを、ただの「腕の立つ野蛮人」としか見ていなかったのだ。
その瞬間だった。
ドォン……。
音がしたわけではない。
けれど、部屋にいた全員の鼓膜が、内側から圧迫されるような錯覚を覚えた。
「――あ?」
レグルスが、ゆっくりと視線を側近たちに向けた。
ただそれだけの動作。
なのに、部屋の空気が一変した。
酸素が鉛に変わったような、息苦しい重圧。肌を刺すような、濃厚な死の匂い。
窓ガラスにピキピキと亀裂が走り、花瓶の水が一瞬にして凍りついたように波紋を止める。
「ひッ……!?」
叱責していた側近が、白目を剥いて腰を抜かした。
ガルヴァンですら、反射的に剣の柄に手をかけ、冷や汗を流して硬直する。
抜けば殺される。本能がそう告げていても、動かずにはいられない。
これは殺気ではない。もっと根源的な、生物としての格の違いによる「捕食者の威圧(覇気)」だ。
「お前らこそ、口のきき方に気をつけろよ?」
レグルスが一歩、足を踏み出す。
その足音が、心臓を直接鷲掴みにするような恐怖となって響く。
「この場にいる奴ら全員……ここからの一挙手一投足含め、一言一句に命を懸けて話せ」
黄金の獣のような瞳が、部屋中の人間を射抜いていた。
誰も、息をすることさえ忘れて立ち尽くす。
震えるシルフィーだけが、その背中を見て理解していた。
(……レグルス)
これは、ただの暴力ではない。彼の不器用な優しさなのだと。
彼は何よりも「不自由」を嫌う男だ。
だからこそ、まだ5歳の少女が、国の政治や大人の都合でがんじがらめにされ、自分の意志や願いを封じ込められている現状に、猛烈な苛立ちを覚えているのだ。
他人の不自由にこれほど怒れるなんて、きっと彼自身にとっても初めての経験だろう。
そのことに、レグルス本人は気づいていないかもしれない。
だが、この場にいるダリウスも、レオニスも、そしてガルヴァンも、その感情の正体に気づいていた。
「……ふぅ」
ダリウスが小さく息を吐き、苦笑した。
「確かに、レグルスの言う通りだ。……すまなかった」
「え?」
思わず聞き返したシルフィーに、ダリウスは続けた。
「我々は少し、急ぎすぎていたようだ。シルフィーちゃん、配慮に欠けたことを謝罪させてほしい。申し訳ない」
皇帝の謝罪。
それに続き、レオニスも、にこりと柔和な笑みを浮かべたままシルフィーを見つめた。
その瞳は、すべてを見透かしているようで、底知れない。
「い、いえそんな! 頭を上げてくださいダリウス陛下!」
シルフィーは慌てて手を振り、それからレグルスの袖をキュッと引っ張った。
「レグルスも、殺気を放つのやめてください! 騎士の方や皆さんが、ストレスで倒れてしまいます!」
「……チッ」
レグルスが舌打ちをして、ふいっと顔を背ける。
途端に、部屋を支配していた重圧が嘘のように消え去った。
側近たちが「はぁっ、はぁっ」と酸素を求めるように荒い息をつく。
「……で、おチビ」
レグルスは乱暴にシルフィーの背中を押した。
よろめいたシルフィーは、前に立っていたアレイシスの方へと倒れ込み、慌てて手を伸ばしたアレイシスに、しっかりと支えられた。
「あ、アレイシス様、すみません……」
「だ、大丈夫かい!? 怪我はない?」
シルフィーを支え起こしたアレイシスが、今度はレグルスを見る。
「レグルスさん、何を急に……」
抗議の声を上げようとしたが、レグルスはそれを無視し、二人を交互に見つめて低い声で問うた。
「お前らは、どうしたいんだ」
その問いは、政治も、立場も、全てを取り払った純粋な意志への問いかけだった。




