第70話 人質と殺気と、テンカウンシル
煌びやかな式典から一夜明けた、翌朝。
シルフィーは早朝から、王室(皇帝の私室)へと呼び出されていた。
重厚な扉が開き、レグルスと共に入室すると、そこには昨夜の会談メンバーに加え、第一皇子アレイシスの姿もあった。
アレイシスはシルフィーの姿を見るなり、パッと顔を輝かせて嬉しそうに微笑む。
シルフィーもまた、聖女としての柔らかな笑みを返した。
「おはようございます、ダリウス陛下、レオニス陛下。そしてアレイシス様」
「うむ。おはよう、シルフィー。朝早くからすまないね」
レグルスが大口を開けた。
「ふぁ~あ……ほんとだよ。昨日の酒がまだ残ってんだぞ」
大欠伸をするレグルスに対し、レオニス王が「お前には言っておらん、馬鹿者」と呆れたように釘を刺す。
少しだけ緩んだ空気に、シルフィーは苦笑いを浮かべた。
だが、その和やかな雰囲気は、ダリウスの次の一言で瞬時に凍りつくこととなる。
「さて、前置きはこれくらいにして、本題に入ろうか」
ダリウスは組んだ手の指先を見つめ、低い声で告げた。
「シルフィー。……アルヴァレインには戻らず、このままこの城に住みなさい」
「――え?」
シルフィーは目を丸くした。
思考が停止する。今、なんと?
「あ、あの……ダリウス陛下? 先日お伝えしました通り、私はまだ広い世界を見て回り、見聞を広めたいのです!」
シルフィーは必死に言葉を紡ぎ、抵抗を試みる。
「ダリウス陛下も仰ったではありませんか、『若い内は旅をせよ』と!」
「わかるよ。だから、約1年という期間をあげたじゃないか」
シルフィーは食い下がる。
「ぜ、全然足りません! せめて12歳の、王立学園の入学式までは……!」
あと数年。せめてレンが自立できる年齢になるまでは、彼のそばにいたい。
シルフィーの悲痛な訴えに対し、ダリウスは冷めた目でため息をついた。
「『世界を見る』と言いながら……君は、隣国アルヴァレインの、それも城内でも少し離れた『旧礼拝堂』でコソコソしているだけではないか」
ドキリ。
シルフィーの心臓が大きく跳ねた。
行動を把握されている。
レンを匿い、彼を育てるために足繁く通っていたあの場所が、既に筒抜けだったのだ。
「そ、それは……祈りを捧げるのに適した静かな場所でして……」
「そうか。だが、君が気に掛けている『拾い物』の少年なら、心配はいらんよ」
横から口を挟んだのは、アルヴァレイン国王レオニスだった。
彼は穏やかな笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。
全てを見透かす王の目だ。
「シルフィーちゃんが拾ったあの子……レンだったかな。彼は今、私の娘であるナタリーの所にいるね?」
「――ッ!?」
ドッと、冷たい汗が背中を伝う。
ナタリー・アルヴァレイン。アルヴァレイン王国の第三王女であり、類稀なる直感と、奔放な性格で知られる人物だ。
レンが彼女に見初められ、付き人のような形で行動を共にしていることは知っていた。だが、それが国王レオニスにまで筒抜けだったとは。
「私も心配でな。先週、ナタリー本人と話したのだよ。そうしたら『あの子は超面白いの! 私とアリスで育てるから、パパは手出ししないで!』と言われてしまってな」
レオニスは「やれやれ」と肩をすくめた。
「だから安心してくれ。あの子のことは、王家が責任を持って資金的にも全面的に援助し、安全と教育を保証しよう。君がわざわざ、隣国に出向いて世話をする必要はもうないのだよ」
それは、あまりにも優しい「通告」だった。
『君の大事なものは、君がいなくてもこちらで手厚く育てる』。
『だから、君がそこにいて何かをする必要はない』。
『これで、アルヴァレインに帰らなければならない理由はなくなったね?』
親切心に見せかけてレンを引き剥がし、帝国から離れる理由を完全に奪い去る。
逃げ場がない。
レンの安全と未来が保証された以上、ここで「嫌です」とは言えない。
聖女としての立場、両国の政治的思惑、そして何より「レンのためになる」という事実が、彼女をがんじがらめに縛り付けていく。
「がっはっは! ナタリー姫がか! そりゃあ相当いい拾い物をしたようだな、レオニス王!」
ダリウスが豪快に笑う。
「と、いうわけだシルフィー。あの子のことは彼らに任せておけばいい。だから君は……」
ダリウスはアレイシスへと視線を移し、ニッコリと微笑んだ。
「安心してこの城に留まり、アレイシスとの仲を存分に深めてほしい。それが帝国のため、ひいては世界のためなのだから」
「あ……」
シルフィーは言葉を失った。
心臓の鼓動が、耳障りなほど大きく鳴り響く。
冷や汗が止まらない。
どうすればいい? 何と答えれば正解なのか? レンを守るために動いていたはずが、そのレンを理由に自由を奪われるなんて。
アレイシスは何も知らず、ただ「これでずっと一緒にいられる」と嬉しそうにこちらを見ている。
その無邪気な視線すら、今は苦しい。
重苦しい沈黙が部屋を支配し、シルフィーが絶望に押しつぶされそうになった、その時。
「――なら、俺はおチビの護衛を辞めるぜ」
鋭利な刃物のような声が、粘つく空気を切り裂いた。




