第72話 狸の絵図と、スキームペインター
「お前らは、どうしたいんだ」
レグルスの問いかけが、部屋の空気を支配していた重圧を拭い去った後、奇妙な静寂が訪れた。
アレイシスとシルフィーは互いに顔を見合わせ、言葉を探すように視線を彷徨わせる。
「……はぁ。まったく」
レグルスは呆れたように溜息をつき、頭をガシガシとかきむしった。
「いいか? 俺が頭も物分かりも良い5歳児と、頭も物分かりも良いはずなのに煩悩で周りが見えてない10歳のガキにもわかるよう、簡潔に教えてやる」
彼はダリウスを親指で指し、辛辣な言葉を続けた。
「現状『歴代最高』といわれてるが、まだ操りやすいガキのうちに身柄を国の資産にし、政治の圧倒的優位に立ちたい爺さんがここにいる。そのために5歳児の意見もやりたいことも束縛して、煩悩でアホ面下げた王子と一緒にいさせようとしてるわけだ」
「ぐっ……」
アレイシスが呻く。
「煩悩でアホ面」。あまりに直球な指摘だが、今の彼には反論できない。
彼はシルフィーへの好意に舞い上がり、彼女が置かれている状況や、その心中を全く慮れていなかったのだ。
「そんな『義務』で隣にいてもらって、それで幸せなのかよ? お前は」
レグルスの問いが、アレイシスの胸に突き刺さる。
彼はハッとしてシルフィーを見た。
そこには、困惑と不安に揺れる、5歳の少女の等身大の顔があった。聖女としての微笑みではない、ただの女の子の顔が。
「ぼ、僕は……」
アレイシスは唇を噛み締め、拳を震わせた。
自分の未熟さが、浅はかさが、どれほど彼女を追い詰めていたのか。
彼は意を決して一歩前に出た。
「お祖父様!!」
その声は、かつてないほど力強かった。
「僕は! シルフィーが嫌がるようなことはしたく……ありません! 申し訳ございません。お祖父様の命令とはいえ、これを受けることはできません!」
「……ほう?」
ダリウスが眉を上げる。
アレイシスは真っ直ぐに祖父を見据え、叫んだ。
「彼女を鎖で繋いで手に入れる王座なら、僕は王などいりません!」
その言葉に、ダリウスが目を見開く。
そこには、かつて早逝した息子でありアレイシスの父だった男の優しさと、王としての強さを同時に見たような、驚きと感慨の色が浮かんでいた。
「……レグルスの言うことはもっともだ。ただ、まだ子供とはいえ歴代の聖女を圧倒的に超える才覚と優れた人格。世界の平等な平和のためには、これがベストなのだ。婚約を結んだ男女が一緒の場所に住まないのも、気づかれると政治的な見え方もよろしくない」
ダリウスは杖をつき、諭すように言った。
だが、その表情には先ほどまでの絶対的な威圧感はない。
「はっはっは。レグルスが自分のこと以外で感情的になるのは珍しいな。小僧も成長するというわけか」
愉快そうに笑ったのは、レオニスだった。
「小僧はとっくのとうに成長してんだよ、盲目なおっさん。あんたほどの男なら、もっと上手く俺も含めて丸め込んで進められたはずだ。そこも匂ってきて不快なんだよ」
「おや? 何のことかな?」
レオニスはニコニコと笑っている。
その笑顔を見て、ダリウスがハッとしたように顔を上げた。
「レオニス。……お前、図ったな? 全く、上手く踊らされたもんだ、私も」
「はて、何のことやら」
白々しくとぼけるレオニスだが、その目は最初からこの結末を見越していた策士の目だった。
ナタリーを使った『追い込み』も、レグルスの暴発を誘ったのも、すべてはダリウスを「折れざるを得ない状況」に追い込むための布石。
「……チッ。食えねぇ狸だ」
レグルスが忌々しげに吐き捨てる。
シルフィーは恐る恐る口を開いた。
「で、では……私がこのまま城に滞在する期間として、1年間はいかがでしょうか?」
「1年は短すぎる。最低でも4年はいてもらわないと困る」
ダリウスが渋い顔で返そうとした、その時。
「じゃあ、こういうのはどうだいダリウス王?」
レオニスがパンと手を叩き、軽妙な口調で提案に割り込んだ。
「ではこうしよう。4年はこの城で過ごしてもらう。9歳か10歳から学園入学12歳まではアルヴァレインで過ごす。ということにしよう」
すべての者の視線がレオニスに集まる。
「そして、次のシルフィーちゃんが主役となる『半成人式』、これはシルフィーちゃんが住んでいる我がアルヴァレインで開催させてもらう」
「なに?」
聞き咎めるダリウスに、レオニスは続ける。
「シルフィーちゃんに不要な長距離移動はさせたくないしねぇ……そして各国の王族貴族が集まるあの一大イベントだ。国としての経済効果は計り知れないからねぇ。その利益は譲ってもらう」
適当な建前を付け軽快に話すレオニス。ニヤリと笑い、さらに畳み掛ける。
「半成人式後、10歳から12歳まではアルヴァレインの領地で過ごさせる。そして12歳になったら帝国の学園へ入学し、修業を終えた後に正式にルーヴェル帝国へ嫁ぐ……このシナリオなら文句ないだろう?」
「……クックック」
ダリウスは肩を揺らして笑い出した。
4年間の滞在確保。その代わりの経済的・時間的譲歩。
あまりにも完璧な落とし所に、ぐうの音も出ない。
「がっはっは! これがお前の描いた絵か! 一本取られたな。全くだ、食えん狸だよお前は」
ダリウスは観念したように笑い、大きく頷いた。
「良かろう。その案で手を打とう」
「ありがとうございます、ダリウス陛下! レオニス陛下!」
シルフィーはパァッと顔を輝かせ、深々と頭を下げた。
(4年……。ここで4年過ごせば、そこから12歳まではアルヴァレインでレンを支えられる……!)
4年間の離別は寂しいが、その後の2年間はレンのそばにいられる。
今の彼女にとって、それは十分すぎる希望の光だった。
「定期的にアルヴァレインにお邪魔してもよろしいでしょうか? それでも良ければ」
「頻繁には困るが構わんよ。……ただし、アレイシスとの手紙のやり取りは欠かさぬようにな」
ダリウスが応じる。
「はい! 勿論です!」
シルフィーの元気な返事に、部屋の空気が一気に和んだ。
「これにて解決! シルフィーちゃんの誕生日会をこちらではできてなかったからね。来年の誕生日会は各国のお披露目会も済んだことだし、去年できなかった我々の分も含め盛大にやってくれると期待しておりますよ、ダリウス王」
「ああ、任せておけ。……その時はとっておきの『狸鍋』を振舞うよ」
ダリウスはニヤリと笑い、親友であるレオニスにウィンクを飛ばした。
「最高だ。とっておきの狸は、俺が獲ってくるとしよう」
レグルスもまた、口元を歪めて笑う。
三人の大物たちが交わす、高度な駆け引きと冗談。
その中で、シルフィーは安堵の息を吐きながら、窓の外を見上げた。
4年。
レンと再会できるのは、4年後。
それは長いようで、きっとあっという間の時間だろう。
(待っていてね、レン。私、もっともっと勉強して、立派な聖女になって戻るから)




