第68話 訓練場の影と、シークレットプラクティス
人気のない回廊を抜け、二人が足を踏み入れたのは、城の裏手にある野外訓練場だった。
華やかな式典の喧騒とは無縁の、土と汗の匂いがする場所。
そこで、一人の少年が自身の背丈ほどもある木剣を、必死の形相で振り回していた。
「――ふんッ! ……はぁ、はぁ……せいッ!!」
汗だくになりながら、重たい剣を振るうその姿。
昨日までの傲慢さはどこへやら、そこにあるのはただひたすらに己を鍛えようとする、泥臭い努力の色だった。
「あら、あれは……ルーカス様?」
シルフィーが目を見開く。
「はんっ。こんな式の最中に訓練なんざ、見上げた根性してやがる。騎士の連中は全員警備に出払ってるってのに、新手のサボりか?」
レグルスはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、音もなく訓練場の柵を乗り越えた。
「お~い。ご健勝なこったな、クソガキ」
背後からかけられた声に、少年――ルーカスはビクリと肩を震わせ、勢い余って木剣ごと転びそうになった。
「な、誰だ! 俺をクソガキ呼ばわりす……レ、レグルス様!?」
「よう。そんなデカい木切れ振り回して何やってんだ? 俺への憧れかぁ~?」
レグルスがからかうように覗き込むと、ルーカスは顔を真っ赤にして仰け反った。
「茶化さないでください! ……そ、そうです! 悪いですか!」
「へぇ?」
ルーカスは木剣を握り直した。
「聞いたんです! 二度の魔王討伐、そして単身で城門を粉砕した伝説……! その英雄譚がきっかけで、世界中で大剣使いが流行したって!」
ルーカスは泥だらけの手で木剣を握りしめ、目をキラキラと輝かせた。
そこには、かつての卑屈な嫉妬心など微塵もない。あるのは、純粋な英雄への憧憬だけだ。
「俺は見たんです! 昨日のあの『竜巻』を! あれこそが本物の強さだ……俺も、貴方みたいになりたいんです!」
直球すぎる好意と尊敬の眼差し。
これには流石のレグルスも調子が狂ったのか、バツが悪そうに頬を掻いた。
「お、おう……そうかそうか。ま、いい心がけだな。うん」
「意外ですね。レグルスなら、もっと調子に乗ると思っていましたけれど」
シルフィーがくすりと笑う。
「うるせぇ。こういう純粋なタイプは調子狂うんだよ……」
レグルスがたじろいでいると、ルーカスの護衛として控えていた一人の若い騎士が、おずおずと進み出てきた。
「あ、あのっ……! す、すみません! 実は私も、レグルス様に憧れて騎士団に入った者でして……! このような形でお会いできるとは、光栄の極みです!」
「はあ?」
騎士は前のめりになる。
「よ、良ければ……サインを! 私のこの胸当てにサインをいただけないでしょうか……!」
騎士は興奮気味に、自身の甲冑の胸元を指差してペンを差し出した。
それを見たルーカスが、「ず、ずるいぞ!」と叫ぶ。
「俺もだ! 俺の木剣に書いてください! 家宝にします!」
「お前らなぁ……俺は今、トイレ休憩中なんだよ」
シルフィーが口元を押さえる。
「レグルスが焦ってる! 珍しいこともあるものね」
シルフィーはクスクスと笑い、レグルスの背中をポンと押した。
「書いてあげればいいじゃないですか。ほら、未来の英雄たちのために」
「……チッ。茶化すなよおチビ。ったく、仕方ねぇな……聖女様の命令だ。このおチビに感謝しろよ」
レグルスは渋々といった様子で騎士からペンを受け取ると、騎士の胸甲にサラサラと走り書きをし、ルーカスの木剣にも豪快にサインを刻んだ。
「おぉぉ……! レグルス様の直筆……!」
「ありがとうございます聖女様! この恩は忘れません!」
甲冑と木剣を抱きしめて喜ぶ二人を見て、シルフィーは温かい気持ちになった。
1周目の世界で「裏切り者」として処刑されたルーカス。その運命は今、完全に書き換わったのだ。
「俺……決めたんです」
ルーカスが木剣を大事そうに抱えながら、真剣な眼差しで言った。
「俺は今まで、どんな手を使ってでも兄上から王位継承権を奪ってやろうと思ってました。自分を見ない奴らに、痛い目を見せてやろうって」
「ルーカス様……」
ルーカスは木剣を強く握った。
「でも、今は違う! レグルス様という本物の英雄を見て思ったんです。自分の力で証明して、奪い取るんじゃなくて……『頼むから王になってくれ』と周りから請われるような、そんな男にならなきゃいけないって!」
5歳の少年が抱いた、大きすぎる志。
けれど、その言葉には確かな熱が宿っていた。
「……素敵です、ルーカス様」
シルフィーは花がほころぶような、極上の笑顔を向けた。
「貴方のその『強くなりたい』という気持ちは、きっと誰よりも貴方自身を支える力になります。努力は決して裏切りません。私は、貴方を心から応援していますよ」
ドクンッ。
ルーカスの心臓が、大きく跳ねた。
聖女からの全肯定。
それは彼の荒んだ心に染み込み、歪んだ根性を完全に浄化する一撃だった。
「せ、聖女様……あんた、最高の女だな! ありがとうございます! 俺、頑張ります!」
顔を真っ赤にして叫ぶルーカスに、シルフィーは「ふふっ」と微笑み返した。
(よかった。これで彼はもう、道を間違えることはないわ)
安堵と共に、シルフィーはレグルスの服の裾を軽く引っ張った。
「さて、そろそろ行きましょうか。あまり長居すると、騎士団の方々に見つかってしまいます」
「おう。じゃあなクソガキども。精々励めよ」
レグルスはひらひらと手を振り、シルフィーを連れてその場を後にした。
再び静けさが戻った通路を歩きながら、シルフィーは隣の大男を見上げた。
「レグルスは人気者ですね」
「……ケッ。あの英雄譚、読んだことあるか? だいぶ脚色されてんだぞ。そもそも俺の『重魔鉱』や能力がバレるのが嫌だから、外見から何から変えさせた架空の物語だ。言ってしまえば偶像だよ、あんなのは」
シルフィーが首を傾げる。
「あら? 外見を変えているのに、どうしてあの騎士さんは貴方だと気づいたんでしょう?」
「……ヴァルガとガルヴァンの奴らが、面白がって吹聴して回ってんだよ。『今の剣帝はこんなツラだぞ』ってな」
レグルスは心底面倒くさそうに溜息を吐いた。
最強の剣士でありながら、有名税に悩まされるその姿がおかしくて、シルフィーはまた笑みをこぼした。
「このまま城をぐるっと散歩してから戻るか。……ふぁ~あ」
「ありがとう。そうね、そうしましょう」
シルフィーは小さく頷き、レグルスの歩調に合わせて歩き出した。
「はっ。俺のサボり癖が、おチビに移っちまったかな」
「もう、人聞きの悪い。……『休憩』と言ってくださいな」
穏やかな陽だまりの中、二人の笑い声が溶けていく。
嵐のような式典の裏側で流れる、つかの間の平和な時間。




