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第47話 忍び寄る影と、インヴィテイション

季節は巡り、木々の緑が深さを増す頃。

森の掘っ立て小屋からは、今日も今日とて、大気が悲鳴を上げるような轟音が響き渡っていた。


「――オラァッ!!」


ドゴォォォォォンッ!!


5歳の少年が、自分の体重の数倍はある岩石を左拳で粉砕する。

レンだ。

あのダンジョンでの事件以来、彼の鍛錬は「狂気」の領域に達していた。


左腕だけではない。

右腕にも、レグルスから新たに譲り受けた重魔鉱(グラビタイト)が装着されている。

両腕合わせて総重量300キロ。

常人なら腕がちぎれ飛ぶほどの負荷を常に背負いながら、彼は休むことなく動き続けている。


「はぁ、はぁ、はぁ……ッ! まだだ……もっと、速く……!」


全身から噴き出す汗は、滝のようだ。

筋肉が断裂する音すら聞こえてきそうな過酷さだが、レンの瞳に悲壮感はない。

あるのは、飢えた獣のような向上心と、その奥底で静かに燃える「忠誠」の灯火だけ。


(弱いままじゃ、守れない)


脳裏に浮かぶのは、医務室で見た彼女の寝顔。

自分の命を削ってまで、ボロボロだった俺を治した「お人好し」な聖女。

彼女が二度と傷つかないために。彼女の前に立つ全ての敵を排除するために。

レンは自らの肉体をいじめ抜き、鋼へと変えていく。


「……ふふ。本当に、頑張り屋さんですね」


木陰からその様子を見守るシルフィーは、眩しそうに目を細めた。

手には、レンのために用意したタオルと、栄養たっぷりの果実水。

彼女にとって、こうして彼が成長していく姿を見ることは、何よりの喜びであり、救いだった。


かつての世界――1周目で、彼が抱いていたのは「世界への憎悪」だけだった。

けれど今の彼を動かしているのは、「誰かを守りたい」という意志だ。

その変化が、シルフィーには涙が出るほど嬉しかった。


この穏やかな日々が、ずっと続けばいい。

彼が立派な戦士になり、いつか自分の手から巣立つその日まで、こうして側で見守っていられたら――。


そう、願っていたのに。


「――失礼いたします。聖女様」


冷や水を浴びせるような声が、背後からかけられた。

王城からの使いの騎士だ。

彼は恭しく跪くと、一通の封筒をシルフィーに差し出した。


「ルーヴェル帝国より、早馬にて親書が届いております。至急、ご確認を」


「帝国から……?」


シルフィーの心臓が、ドクリと跳ねた。

受け取った封筒は、最高級の羊皮紙で作られ、金色の封蝋で閉じられている。

そこに押されていたのは、帝国の紋章。


嫌な予感がした。

震える指で封を切り、中身を取り出す。

流麗な筆記体で記されていたのは、簡潔かつ絶対的な「招待」だった。


『親愛なる聖女シルフィーへ。来る来月、我が国の第一皇子アレイシス・ルーヴェルトの半成人式が執り行われる。帝国の未来を祝うこの良き日に、其方の参列を切に願う――』


「……っ」


シルフィーは息を呑み、手紙を強く握りしめた。

アレイシス様。

ルーヴェル帝国の皇太子であり、この世界の重要人物の一人。


そして何より――かつての世界、1周目において、彼は自分の「婚約者」だった人。

今はまだ交わっていない縁。けれど、彼との再会は、止めようのない歯車の音を立てて近づいてくる。


(……時期が、来てしまった)


皇帝陛下直々の招待状だ。断ることは許されない。

聖女としての公務であり、出席は絶対的な義務だ。

けれど、そのためには――。


「帰らなきゃ、いけない……」


シルフィーの視線が、遠くで剣を振るうレンへと向く。

ここから帝国までは、馬車で片道に数日。

式典の準備や滞在を含めれば、一ヶ月以上はここを空けることになる。


まだ、早い。

レンの精神は安定しつつあるが、その根底にある「孤独への恐怖」はまだ癒えきっていない。

今、私が彼の側を離れたら?

「結局、お前も俺を置いていくのか」と、彼がまた心を閉ざしてしまったら?


「……レンを置いていくなんて、できません」


それは、親鳥が巣立ち前の雛を案じるような、切実な使命感と不安。

ようやく掴みかけた「彼の更生」という細い糸が、自分の不在によって切れてしまうことへの恐怖だった。

彼を一人にするくらいなら、国際問題になったとしても――。


「ですが聖女様。これは決定事項です。拒否権はありません」


騎士の言葉は冷酷な事実だった。

聖女は、一個人の感情で動いていい存在ではない。

世界の歯車として、その役割を果たさなければならない。


「……ッ」


シルフィーは唇を噛み締め、手紙を胸に抱いた。

金色の封筒が、鉛のように重く感じられた。

穏やかな日常の終わりを告げる鐘の音が、彼女の耳元で鳴り響いていた。


     *


その頃。

レンが修行に励む広場から少し離れた、レグルスの小屋の前。


主であるレグルスは不在だったが、そこには招かれざる「もう一人の来訪者」の姿があった。


音もなく現れたその影は、レンが残した足跡や、破壊された岩の跡を興味深そうに観察している。


「ほう……。随分と面白い玩具を拾われたのですね、隊長」


男はクスクスと笑った。


嵐の予感が、森の木々をざわめかせていた。

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