第45話 聖剣の顕現と、ジェネブレイド
ズガァァァァァァァンッ!!
轟音と共に、積み上げられた岩盤が内側から弾け飛んだ。
舞い上がる砂煙。その奥から、血走った二つの眼光が闇を切り裂くように現れる。
「ガァァァァァァッ!!」
暴食の黒獣。
その巨体は、狭い横穴をミチミチと押し広げながら、圧倒的な質量で二人に迫った。
「チッ……!」
レンは舌打ちと共に飛び出した。
速い。
150キロの枷を外したその身体は、重力から解き放たれた羽毛のように軽く、そして弾丸のように鋭い。
「奥へ行って隠れてろ!」
叫ぶと同時に、レンは黒獣の懐へと潜り込んでいた。
武器はない。あるのは自身の四肢のみ。
レンは跳躍の勢いを乗せ、黒獣の鼻先へ渾身の右拳を叩き込む。
ガィンッ!!
硬い。
岩を殴ったような反動が拳に走り、レンの表情が歪む。
効いていない。この魔獣の皮膚は、鋼鉄よりも強固な剛毛と魔力障壁で守られている。素手でどうこうできる相手ではない。
「グゥルアッ!!」
黒獣が腕を振るう。
レンは紙一重で回避しようとしたが、狭い洞窟内では逃げ場がない。
ドゴォッ!!
「が、はッ……!」
丸太のような豪腕がレンの脇腹を捉え、壁へと叩きつける。
さきほど治癒したばかりの骨が再び軋み、口から赤黒い血が噴き出した。
「レンッ!!」
「来るなッ……!」
レンはふらつく足で立ち上がり、再び魔獣の前に立ちはだかる。
勝機などない。
それでも、背後の少女に指一本触れさせるわけにはいかない。
それは善意ではない。
ただ、自分のプライドが――「守られるだけの弱者」に戻ることを拒絶しているのだ。
しかし、現実は無慈悲だ。
黒獣が巨大な爪を振り上げる。今度こそ、その小さな命を刈り取るために。
その光景を見た瞬間。
シルフィーの脳裏で、何かがプツンと弾けた。
(――いや)
かつての記憶がフラッシュバックする。
1周目の世界。結界が壊され、魔族に蹂躙され、その結界を壊した張本人は、すでに壊れていた。そして最後には、涙を流しながらシルフィー自身の心臓を貫いた。
彼は「加害者」にさせられたのだ。
守る力がなかった私のせいで。私がただ祈っているだけだったせいで、彼は人殺しの業を背負わされた。
(もう嫌だ。あんな思いはさせない)
癒やすだけじゃ足りない。盾になるだけじゃ守れない。
彼を救うためには――その理不尽を叩き斬る「力」が必要だ。
聖女は争わない? 攻撃魔法は持たない?
そんな「神の教え」なんて、知ったことかと。
「レンを……傷つけないで!!!」
シルフィーが絶叫した。
その魂の叫びに呼応するように、彼女の身体を中心として世界が軋む。
――《神脈直結》・強制励起。
カッッッ!!!!
洞窟内の空気が凍りついた。
天上から降り注ぐ光の柱が、物理法則を無視して岩盤を透過し、シルフィーの右手に収束していく。
天使も、精霊も介さない。神の座にある「力」そのものを、彼女は無理やり引きずり下ろした。
バチバチバチッ!!
空間が歪むほどの魔力密度。
黄金の光が物理的な質量を持ち、一本の「剣」の形を成して顕現する。
それは、1周目の世界では決して発現し得なかった、聖女が絶対に顕現できないはずの剣。
「――レンッ、これを使って!!」
シルフィーは、全霊の魔力を込めてその光の剣を投げ放った。
ヒュンッ!!
回転しながら空を裂く黄金の刃。
レンは振り返りもせず、背後から迫るその気配を、野生の勘だけで感じ取った。
(……あぁ、上等だ)
レンが右手を掲げる。
吸い込まれるように、その手の中に光の柄が収まった。
ジジジッ……!
触れた瞬間、掌が焼けるような熱さを感じる。
聖なる力が、暴れている。
だが、レンは怯まない。むしろ、その暴れるエネルギーを、自らの殺意でねじ伏せるように握り潰した。
「黙って俺に従え」
攻撃魔法《聖剣》。
レンの瞳が、黄金の燐光を放つ。
全身の神経が研ぎ澄まされ、世界の動きがスローモーションに見える。
右手に宿る、神殺しの力。左足で踏み込む、大地を穿つ脚力。
黒獣の爪が振り下ろされるより、刹那に速く。
一閃。
レンは、レグルスの動きを模倣した「予備動作のない一撃」で、光の刃を横薙ぎに振り抜いた。
ズパァァァァァァンッ!!!!
音が、遅れて聞こえた。
閃光が洞窟内を埋め尽くす。
鋼鉄よりも硬い剛毛も、魔力障壁も、分厚い筋肉も、骨も。
聖なる刃の前には、濡れた紙切れと同義だった。
「ガ、ア……?」
黒獣の動きが止まる。
その巨体に、真横一文字の黄金のラインが走り――。
ズルリ。
上半身と下半身が、音もなくズレ落ちた。
断面は焼かれ、血の一滴すら流れない。
圧倒的な熱量による、完全なる両断。
魔獣は絶命の悲鳴を上げる暇もなく、光の粒子となって霧散していく。
「…………」
静寂が戻った。
レンの手の中で、役目を終えた光の剣がサラサラと消えていく。
勝った。自分の力で。いや、彼女がくれた「牙」で。
振り返ると、シルフィーが糸の切れた人形のように崩れ落ちるところだった。
限界を超えた《神脈直結》の代償。
気絶するように倒れる彼女を、レンは咄嗟に駆け寄って受け止めた。
その身体は驚くほど軽く、そして高熱を発しているように熱かった。
「……ん、ぅ……」
シルフィーが、薄く目を開ける。
焦点は定まっていない。意識も朦朧としているはずだ。
それでも、彼女の黄金の瞳は、レンの姿だけを捉えていた。
彼女の唇が、震えるように動く。
「……レン」
「……あぁ」
「貴方の命は……もう、貴方だけのものじゃ……ありません」
それは、愛の告白ではない。
もっと重く、もっと切実な、魂の縛鎖。
「私が救ったんです。……だから、勝手に死ぬことは許しません」
シルフィーは、消え入りそうな声で、けれど聖女としての絶対的な命令を下した。
「最後まで……私のために、生きてください」
――私のために、その命を使え。
そう言われた気がした。
それは呪いであり、同時に、世界で初めてレンという存在の「使い道」を肯定する言葉だった。
レンは、腕の中の少女を見下ろした。
こんな小さな体で、ボロボロになりながら、俺を生かすためだけにすべてを投げ打った女。
その重みが、心地よかった。
「……あぁ」
レンは短く答えた。
それは、これまでの反発とは違う、静かな受容。
「契約は成立だ。……お前のために生きてやるよ」
シルフィーは安心したように微笑み、そのまま深い眠りへと落ちていった。
雲の切れ間から、朝焼けの光が洞窟に差し込んでくる。
ボロボロの少年と、泥だらけの聖女。
最悪の夜が明け、二人の運命が――「飼い主」と「狂犬」という歪な共犯関係が、ここに結ばれたのだった。




