第43話 雨の中の再会と、レイユニオン
天が裂けたかのような豪雨だった。
視界を白く染めるほどの雨粒が、容赦なく森を打ち据えている。
「ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」
ぬかるんだ地面を、小さな影が駆けていた。
シルフィーだ。
普段の彼女なら絶対に汚さない純白の聖衣は泥にまみれ、銀色の髪は濡れそぼって頬に張り付いている。
けれど、彼女は構わなかった。
靴が泥に取られて脱げそうになっても、茨が肌を切り裂いても、足は止めない。
(お願い……お願いだから……ッ!)
心臓が早鐘を打っている。
嫌な予感がする。かつての世界で何度も味わった、「大切なものが指の間から零れ落ちる」あの感覚。
「――《広域探知》ッ!!」
シルフィーは叫ぶと同時に、自身の魔力を爆発的に展開した。
不可視の波動が、雨粒を弾き飛ばして森全体へと広がる。
生き物の気配。魔物の殺気。風の動き。
膨大な情報が脳内に雪崩れ込んでくる。
普通の人間なら発狂しかねない情報量だが、歴代最強の聖女である彼女の脳は、それを瞬時にフィルタリングし、たった一つの「魂の波長」を探し求めた。
そして――見つけた。
ダンジョンの入り口から数百メートル離れた、森の茂みの中。
風前の灯火のように揺らぐ、小さな命の灯を。
「レンッ!!」
シルフィーは方向転換し、泥水を跳ね上げながら突っ込んだ。
*
そこには、地獄絵図があった。
大木のエグれた根元。
雨を避けるようにして、その少年は倒れていた。
「……ッ、ぁ……」
レンの体は、原型を留めていないほどに損壊していた。
左腕は不自然な方向に曲がり、皮膚が裂け、白い骨が覗いている。
左足も同様に砕け散り、全身が自身の血で赤黒く染まっていた。呼吸は浅く、今にも止まりそうだ。
シルフィーの頭が、恐怖で真っ白になる。
「嫌……いやッ……! 死なないで、レン!!」
状況を理解するのに、時間はかからなかった。
彼の左腕には、あの「重り」がない。
洞窟の中で魔獣に追い詰められた瞬間、彼は150キロの枷をパージし、軽くなった身体で全筋力を使い、自らを「砲弾」のように射出して脱出したのだ。
着地の衝撃で全身が砕けることすら厭わず。
その壮絶な生存本能が、シルフィーの胸をえぐる。
もう二度と、彼を失うわけにはいかない。私の命に代えても――!
シルフィーは震える手で、レンの血まみれの体に触れた。
泥と血に汚れることなど、1ミリも躊躇わなかった。
「――《上位治癒》ッ!!」
カッッ!!
暗い森の中に、目も眩むような黄金の光が炸裂した。
それは慈愛の光であり、同時に生物の理をねじ曲げる神の御業。
バキバキバキッ……!!
砕けた骨が元の位置に戻り、裂けた筋肉が縫い合わされ、皮膚が再生していく。
本来なら数ヶ月は寝たきりになるはずの致命傷が、数秒の早回し映像のように修復されていく。
「くっ……うぅッ……」
同時に、シルフィーの体が大きく揺らいだ。
視界が明滅し、強烈な目眩が襲う。
魔力は足りている。だが、5歳の幼い肉体が、規格外の出力に耐えきれず悲鳴を上げているのだ。
脳が焼き切れそうな倦怠感。
それでも、彼女は魔法を止めなかった。
レンの呼吸が安定し、苦痛に歪んでいた表情が和らぐまで、魔力を注ぎ続けた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
光が収まる。
レンの傷は、痕跡すら残さず完治していた。
泥だらけの顔に赤みが戻るのを確認し、シルフィーは安堵の息を吐く。
よかった。間に合った。
だが――その安堵は、一瞬で凍りついた。
ゴォォォォォォッ……。
地響きのような唸り声。
シルフィーがハッとして顔を上げる。
雨の向こう。
ダンジョンの入り口から、巨大な「闇」が這い出てきていた。
暴食の黒獣。
本来なら縄張りから出ないはずの魔獣が、鼻をヒクつかせながらこちらを見ている。
その真紅の瞳が見つめているのは、レンではない。
――シルフィーだ。
(あ……しまっ……)
シルフィーは唇を噛んだ。
《上位治癒》は神聖魔法ではなく、普通の魔法。
それは魔物にとって、極上の「餌」の匂いそのもの。
傷ついた獲物を追ってきた捕食者は、より高純度で美味な「光」を見つけ、ターゲットを変更したのだ。
魔獣が、口の端からドロリと涎を垂らす。
距離は50メートル。
あの一撃を見れば分かる。奴の速度なら、数秒で届く距離だ。
シルフィーは魔力切れ寸前の体で、レンを庇うように立ち上がった。




