第25話 爆買い聖女と、マナソナー
帝都の煌びやかな大通りから一本外れた、淀んだ空気の漂う裏路地。
そこは、法の目が届かない「闇市」への入り口だった。
「……レグルス。これからする事、何も聞かず付き合ってくれる?」
肩の上から囁かれた言葉に、レグルスは目線だけを上へ流した。
くすんだ赤髪が、夕闇の風にわずかに揺れる。
「あぁ。乗りかかった船だ」
無造作な返事。
彼の肩の上には、4歳後半になったシルフィーが鎮座していた。この数ヶ月、彼女は最強のサボり魔を「足」として使い倒し、帝都中の暗部を一軒残らず巡っていた。
——すべては、探し求めている「彼」を見つけるためだ。
「ありがとう。……ここに『ある』かもしれないから」
シルフィーは眼下の巨大なテントを、目だけで撫でた。
奴隷商人の拠点。
彼女の目的は「彼」を見つけること。そのために、あらゆる可能性を、ひとつずつ潰していく必要があった。
「い、いらっしゃいませ……! おや、レグルス様!? そちらの可愛らしいお嬢様は……?」
商人が揉み手で近づいてくる。
シルフィーはレグルスの肩からひらりと飛び降り、愛想笑い一つ浮かべずに言い放った。
「商品を見せてください。全員です」
商人の喉が、ひゅっと音を立てた。
案内されたのは、薄暗い地下の檻だった。鉄格子越しに、数十人の子供や亜人たちが詰め込まれている。痩せこけ、泥にまみれ、瞳から光を失った者たち。
「…………」
シルフィーは無言で檻の前に立った。
息を細く、長く、整える。
そして即座に《魔力探知》を最大出力で展開した。
(スキャン開始)
脳内を、膨大な情報量が駆け巡る。魔力の波長、色、質。
探しているのは、記憶の中の彼に特有の——凍てつくような虚無の魔力だ。
(……違う)
ひとり、またひとりと、候補が頭の中から消えていく。
(この子でもない。あの子でもない)
(黒髪の子はいる。でも、魔力の形が違う)
数秒の静寂。やがて、彼女の中で結論が出た。
——ここにも、いない。
(……また、見つけられなかった)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
本来なら、ここはもう用済みのはずだ。
それでも、シルフィーは踵を返さなかった。
檻の中の子供たちの瞳。
それは、かつて彼女が救えなかった「彼」がしていた瞳と、同じ色をしていた。
絶望。諦め。世界への拒絶。
見過ごせるはずがない。
たとえ彼ではないと分かっていても、目の前の悲劇を見なかったことにして帰るなど、シルフィー・エリオス・ルーメリアという存在には、できなかった。
「……いくらですか?」
商人が首を傾げ、間の抜けた声を返してくる。
「へ?」
シルフィーは振り返らず、檻の端から端までを、短い指でビシッと指し示した。
「だから、ここからここまで。……全員でおいくらですか?」
「ぜ、全員ですか!? しかし、中には病気のものや、怪我をしている者も……」
商人が値踏みするように頭を撫でた瞬間、シルフィーの瞳が、すっと温度を下げる。
「関係ありません。言い値で構いませんから、今すぐ鍵を開けてください」
彼女は懐から、金色の印章が押された羊皮紙と、ずっしりと重い金貨袋を取り出した。
ジャラッ、と石畳の上で重い音が跳ねる。
《世界聖教会・救済福祉基金》。
本来は教会の修繕や祭事に使われるはずの、莫大な予算だ。
シルフィーは聖母マリアに向かって「迷える子羊たちを救いたいの……」と、上目遣いひとつでこの許可証をもぎ取っていた。まさかマリアも、その神聖な寄付金が、人身売買の現場で湯水のように使われるとは夢にも思っていないだろう。
「全員、私が引き取ります」
商人は袋の重さを掌の上で確かめると、卑屈な笑みを浮かべて、慌てて鍵束を取り出した。
* * *
その日の夕方。
テントの外には、奇妙かつ事務的な「解放作業」の光景が広がっていた。
「いいですか? 貴方のお家はあちら。お母様の魔力波長を辿ったら、隣町のパン屋さんに反応がありました。これを使って馬車にお乗りなさい」
シルフィーは、解放された獣人の少年に地図と金貨を渡していた。
彼女の《魔力探知》は、人探しのレーダーとしても超一級品だ。帰るべき家がある者には、家族の魔力を逆探知して居場所を特定し、路銀を持たせて送り出す。
「ありがとう……! ありがとう、聖女さま……!」
少年は泣きながら何度も頭を下げ、走り去っていった。
その小さな背中を一拍見送ってから、シルフィーは振り返る。
「で、貴方たちは帰る場所がないのね?」
そこには、親に捨てられたり、故郷を焼かれたりした、十数人の子供たちが不安そうに立っていた。
「レグルス、この子たちを教会へ」
「……はぁ? 俺がかよ」
レグルスがあからさまに嫌な顔をする。
シルフィーは涼しい顔で羊皮紙を取り出し、サラサラとサインを書き加えた。
「マリア様に手紙を書いたわ。『未来の神官候補を見つけました。衣食住の提供と、職業訓練をお願いします』って」
差し出された羊皮紙を、レグルスは渋々受け取った。
教会の大人たちは大慌てするだろうが、聖女の「慈悲深い決定」を無下にはできない。文句を並べながらも、確実に子供たちを保護する。シルフィーの権力が、彼らの生活を裏側からそっと支える。
「……みなさん、もう自由ですよ」
シルフィーは子供たちに向かい、穏やかに告げた。
それは彼女にとって、彼を見つけられなかった贖罪であり、同時に「当たり前のこと」をしたに過ぎなかった。
けれど、その行動によって救われた子供たちにとっては、違ったのだろう。
「聖女さま、ありがとう……!」
「お姉ちゃん、大好き!」
子供たちが、いっせいに駆け寄り、シルフィーに抱きついた。
泥だらけの手でドレスが汚れても、彼女は身じろぎひとつせず、ただされるがままになっていた。
(……ごめんなさい。私が本当に探しているのは、貴方たちではないの)
心の中だけで、静かに謝罪する。
それでも、その温もりを払いのけることは、しなかった。
「……おい、おチビ」
すべての処理を終え、夕焼けに浸る石畳を歩き出した時、レグルスが低い声を落とした。
「お前、本当は何を探してやがる?」
ただの善意ではない。
そこには、特定の「誰か」を探し求めるような、痛切な響きがある。
レグルスの鋭い指摘に、シルフィーは歩みを止めなかった。空を見上げ、夕陽に瞳を細める。
「……私の、果たすべき責任よ」
その横顔は、4歳児とは思えないほどに大人びていて、痛々しいほどに決然としていた。
レグルスは、それ以上は問わなかった。
咥えた歯間から低く息を吐き、肩を竦めて、また小さな主の前を歩き始める。
夕焼けに長く伸びる、大人と幼児、ふたつ分の影。
影の先には、まだ、当てもない裏路地が幾本も枝分かれしていた。




