第24話 王子の初恋と、ラヴィリュージョ
謁見の間を出たシルフィーは、戦利品である「最強のサボり魔」の足元を、トコトコ並走していた。
「……ねぇ、おじさん」
呼びかけても、レグルスは前を向いたままだ。やる気のない返事だけが、肩越しに落ちてくる。
「あ? なんだよ」
「私の足じゃ10歩進む間に、おじさんの1歩でしょ? 効率が悪いの」
そう言ってシルフィーは立ち止まり、短い両手を彼に向けてパッと広げた。
「抱っこして。高いところがいい」
レグルスは数秒、空を仰いだ。
そして「チッ」と、誰に聞かせるでもない舌打ちを落とす。
「……俺は乗り物じゃねぇぞ」
口では拒否しているが、その手は既に伸びていた。彼は軽々と私の脇を持ち上げ、ヒョイッと自分の肩の上に乗せる。
口は悪いが、面倒見はいい。1周目で背中を預けるに足る男だっただけのことはある。
「ほらよ」
視界が一気に高くなる。
ボサボサの、くすんだ赤髪に小さな手で掴まりながら、私は満足げに頷いた。
「ん、いい景色!(よし、これで移動速度確保)」
さて、目的の「足」は確保した。
次は城下へ繰り出し、「彼」の足跡を辿る情報収集だ。まずは闇市の場所と、孤児リスト——
「——お待ちしておりました、聖女シルフィー様」
思考に没頭しかけていた私の前を、キラキラとした光が遮った。
王宮の中庭。色とりどりの薔薇が咲き乱れる小道の中央に、ひとりの少年が立っていた。
金糸のようなサラサラの髪。澄み渡る初夏の空のような瞳。
仕立ての良い純白の礼服に身を包み、背筋をピンと伸ばしたその姿は、絵本から抜け出してきた「王子様」そのものだった。
帝国皇太子、アレイシス。9歳。
1周目における私の婚約者であり、レンの手によって絶望の底に叩き落とされた、光の血統。
(……アレイシス殿下)
私はレグルスの肩を二度、ポンポンと叩いた。
レグルスは「あぁ?」と短く呻きながらも、心得たように私を地面へ降ろす。
トコトコと数歩進み出る。
彼に会うのは、この世界に戻ってきてから初めてだった。
「初めまして、聖女様。アレイシスです。……貴女の護衛騎士候補ではありませんが、ご挨拶に伺いました」
アレイシスは慣れない手つきで、けれど懸命に優雅さを演じながら、私の前で片膝をついた。
その表情は、明らかに硬い。
無理もない。彼は「皇太子」として、幼い頃から過剰な期待と重圧の中で生きてきたのだから。
けれど、今の私にとって重要なのは、彼の家柄でも挨拶でもない。
(——確認しなきゃ)
私は無言のまま、アレイシスの顔を覗き込んだ。
身体を屈ませた彼の鼻先と、私の鼻先が、息のかかる距離まで近づく。青い瞳を、ジロジロと凝視する。
(記憶は? トラウマは? ……あの「地獄」を、覚えている?)
もし彼も、私と同じく記憶を持って戻ってきていたら。
レンに殺されかけた恐怖や、愛する者を失った絶望を覚えていたら。彼は間違いなく、レンを討つ刃を研ぎ始めるだろう。あるいは、心が先に壊れてしまうかもしれない。
偶発的とはいえ、私のエゴで起こした時間遡行に、彼まで巻き込んでしまっていないか——それだけが心配だった。
「あ、あの……? 聖女、様……?」
アレイシスが戸惑ったように瞬きをする。
私の視線が、彼の瞳の奥底まで突き刺さっていることに、ようやく耐えきれなくなったらしい。
(瞳孔に揺らぎなし。魔力の波長にも、あの時の「焦げ付き」はない。……よかった。本当に、ただの9歳の男の子)
彼の瞳に宿るのは、年下の聖女に対する純粋な緊張と好奇心だけだ。あの血塗られた祭壇の記憶は、どこを探しても、ない。
(よかった。貴方は、何も知らなくていい。光の当たる場所で、笑っていて)
汚れ仕事は、すべて私が引き受けるから。
安堵が、ふっと頬の強張りを溶かした。
聖女としてではなく、ホッとしたひとりの人間としての、嘘偽りのない微笑み。
「これからよろしくお願いします、アレイシス様」
丁寧なお辞儀と共に告げる、事務的な挨拶。
用——確認は済んだ。私は、彼を巻き込まない。だからこれ以上の深い関わりは、不要だ。
私はすぐに踵を返し、待っていたレグルスのもとへ駆け寄った。
「ねぇ、行こうおじさん! 早くしないと日が暮れちゃう!」
「はいはい」
レグルスが再び私を肩車しようと、無造作に手を伸ばした——その時。
「——————ッ!!」
背後で、ガシャン、と何かが砕けたような気配がした。
振り返ると、アレイシスが胸を押さえて石像のように固まっていた。
その顔が、耳まで真っ赤に染まり、茹で蛸のようになっている。
(……え? 何? 体調不良?)
私が首を傾げると、アレイシスは喉の奥から絞り出すように叫んだ。
「は、はいぃッ! お、お任せくださいッ!」
その声は裏返り、何かしらの感動と激情に震えていた。
(……? よく分からないけど、やる気になってるならいいか)
私は「うんうん」と適当に頷き、レグルスの肩の上によじ登った。
* * *
一方、その様子を特等席で眺めていたレグルスは、こめかみを指で押さえて顔をしかめていた。
(……あーあ。落ちたな、あの坊主)
レグルスには、はっきりと見えていた。
形式ばった挨拶をしてきた皇太子に対して、地位も名誉も無視して、ただ「その中身(記憶の有無)」だけを真剣に見つめた幼き聖女の姿が。
アレイシスにとって、それは生まれて初めての経験だっただろう。
「皇太子」でも「未来の皇帝」でもなく、ただの「アレイシス」という人間を、真っ直ぐ見つめてくれた瞳(ように、見えた)。そして、安堵と共に向けられた、破壊力抜群の無垢な笑顔。
——ドキュン。
そんな間の抜けた擬音が聞こえそうな、見事な被弾だった。
「……罪な女だねぇ、おチビさんは」
レグルスは呆れ半分でぼやき、肩の上の4歳児を見上げる。
当の本人は、もうアレイシスのことなど記憶の片隅にもない顔で、物騒なことをブツブツ呟いていた。
「よし、安全確認完了。次は……闇市ね。奴隷商人のリスト、どこかで手に入らないかしら」
「……お前、全部聞こえてるぞ」
レグルスは深いため息をついた。
この幼き聖女様、どうやら「光の王子様」には欠片も興味がなく、もっとドロドロした場所へ向かいたがっているらしい。
「ほら、早く! 出発進行ー!」
肩の上の小さな主が、嬉しそうに掌で頭を叩いてくる。
レグルスは肩をすくめ、それでも悪い気はしない顔で、歩を進めはじめた。
「へいへい。……ったく、とんでもねぇ主を引いちまったもんだ」
中庭の薔薇の影で、片膝をついたままの皇太子が、ぎこちなく胸の前で手を握りしめている。
シルフィーは、振り返らない。
振り返らないまま、レグルスの肩の上で、次の獲物(情報)を探し始めていた。




