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第21話 神脈の決意と、ベービーライド

挿絵(By みてみん)

白い光が収束し、世界の色が、戻ってくる。


「……ん、ぅ……」


温かい。

鉄の臭いも、焦げた臭いも、しない。

日向の匂いと、柔らかい高級リネンの感触。


シルフィーは、ゆっくりと、重い瞼を開けた。

そこに広がっていたのは、崩れ落ちた祭壇でも、絶望の夜空でも、ない。

見覚えのある、高い天井。揺れる、豪華なモビール。

そして、窓から差し込む、穏やかな朝の光。


「あ……ぅ……(戻った、のね)」


体を起こそうとして、うまく力が入らないことに気づく。

自分の手を、見る。

そこにあるのは、血にまみれた大人の手でも、生まれたての赤い手でも、ない。

ふっくらと丸みを帯びた、紅葉のような、1歳の幼児の手だった。


(記憶がある。……あの地獄の、記憶が)


脳裏に焼き付いているのは、冷たい祭壇と、彼の慟哭。

そして、彼を救うために世界を書き換えた、あの瞬間の、熱量。

すべてが、鮮明だった。夢では、ない。


シルフィーはベビーベッドの柵にしがみつき、よろめきながら、立ち上がる。

周囲を見渡す。

ここは、ルーヴェル帝国、聖女管理区画の最奥にある、育児室だ。


(今の私は、1歳。……彼が世界を憎み、剣を握るまで、まだ、数年の猶予がある)


安堵で、膝が震えそうになる。

間に合った。

まだ、誰も、傷ついていない。

あの人も、世界のどこかで凍えているかもしれないけれど——まだ、その手は、汚れていない、はずだ。


「……っ!(そうだ、今の状態は!?)」


感傷に浸っている場合ではない。

シルフィーは小さすぎる拳を、ぎゅっと握りしめ、自分の魂に刻まれた魔力回路へと、意識を集中させた。


まずは、最大の武器であり、彼を救うための命綱である、固有権能。


——《神脈直結(ディバイン・コネクト)》。


……応答、あり。感度、良好。

それどころか、一度目よりも「パイプ」が、太く、強靭になっている。

神の理すらねじ伏せた【上位裁定権】の影響だろう。

今の自分なら、前世以上の奇跡を引き出せる。


(魂の器は、至高。……問題は)


シルフィーは、ふにふにとした自分の太ももや、未発達な腹筋、そして小さな掌を、見下ろした。


(身体の器が、あまりにも、貧弱すぎる)


愕然と、する。


例えるなら、城壁を砕く「巨大な鉄球」を、「薄い紙袋」に入れて振り回そうとしているようなものだ。

あるいは——荒れ狂う大河の奔流を、たった1本の麦わらに通そうとしている、ような。


魔力回路は、極太。なのに、それを受け止める肉体タンクが、あまりにも脆く、小さい。

今、この状態で本気の魔法を行使すれば、どうなるか。

出力されるエネルギーの圧力に耐えきれず、この小さな体は、一瞬で、内側から弾け飛ぶ。自壊する。


(……魔力欠乏(ガス欠)。これじゃ、結界どころか、微光を一発撃つのも、命がけ)


最強の武器を持っているのに、それを振るう、腕がない。

もどかしさに歯噛みしそうになった、——その時。


「あらあら……。シルフィー様、もうお目覚めですか?」


ガチャリと扉が開き、ひとりの女性が、入ってきた。

慈愛の滲んだ穏やかな顔立ちと、質素だが気品のある、修道服。

帝国教会の象徴であり、孤児院の運営も取り仕切る聖母——マリア・クラネルだった。


(マリア様……!)


懐かしさに、胸が詰まる。

一度目では、彼女もまた、世界の崩壊に巻き込まれ、消息不明になってしまった、ひとりだ。

だが今は、こうして、優しく微笑みかけてくれている。


「どうなさいました? お顔が少し、赤いですけれど……怖い夢でも、見ましたか?」


マリアがベビーベッドに歩み寄り、シルフィーを覗き込んだ。

その眼差しは、聖女を見るものではない。

——ただ、ひとりの赤子を愛でる、母親のそれだった。


「あー、うー……(なんでも、ないわ)」


シルフィーは必死に、頭を振った。

今はまだ、誰にも、悟られてはいけない。

自分が「2周目」であることも、この国が隠している世界の歪みを知っていることも。


(急がないと、いけない)


あの人が、今、どこにいるのか、まだ分からない。

けれど、彼が「親に捨てられ、泥水を啜った」と語っていた過去を考えれば——今この瞬間も、彼はどこかで、飢えに苦しんでいるかもしれない。


15歳で聖女として認定されてから動くのでは、遅すぎる。

彼が心に氷の壁を作る前に。

彼が世界を憎む「怪物」になる前に——自分が、彼を見つけ出し、その手を、取らなければならない。


(待っていて。絶対に、迎えに行くから)


そのためには、この「聖女」という立場も、周囲の期待も、すべて利用する。

英才教育でも何でも受けて、最短最速でこの貧弱な身体を仕上げて、この管理区画を飛び出してやる。


「あーい!(やってやるわ!)」


シルフィーが、決意を込めて小さな拳を天に突き上げると、マリアは「まぁ、元気なこと!」と、嬉しそうに目を細めた。


「お腹が空いたのですね? さぁ、特製の離乳食ですよ」


差し出されたのは、栄養満点のペースト状の食事。

一度目の自分なら、嫌がったかもしれない。

だが、今のシルフィーにとって、これは、ただの食事ではない。

彼を救うための肉体を作る、重要な資源だ。


(まずはこれを完食して、ハイハイを卒業するところからよ!)


シルフィーはスプーンを睨みつけ、戦地に向かう者の眼差しで、大きく、口を開けた。

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