第16話 消される慈悲と、グレイスイーター
言葉による断罪は、どんな攻撃魔法よりも深く、シルフィーの心を抉っていた。
反論など、できるはずがない。
彼が語った地獄は、——彼女が享受してきた平穏の、裏返しなのだから。
けれど。
だからといって、ただ立ち尽くしているわけにも、いかない。
彼の痛みを知ってしまったからこそ、放っておくことなど、できなかった。
「……ごめんなさい」
シルフィーの大きな瞳から、大粒の涙が、ぼろりと零れ落ちる。
それは、恐怖からの涙ではない。
目の前の青年が味わってきた孤独への、張り裂けそうな共感と、懺悔だった。
「ごめんなさい……っ! 私が、何も知らなかったせいで……貴方を、独りに、して……!」
嗚咽と共に、両手を、ふっと、合わせる。
今、できることは、ひとつだけだ。
せめて、その凍てついた心を溶かしたい。その身に刻まれた傷を、癒やしたい。
それは、戦意ではない。——純粋な、慈愛だった。
「——《聖光》」
掌から、暖かな光が溢れる。
闇を切り裂く刃ではなく、子を抱きしめるような、ふっと優しい質の極光。
祭壇の空気が浄化され、絶対的な「善」の力が、青年へと降り注いだ。
——だが。
青年は、動かなかった。
防御結界を展開する素振りすら、ない。逃げもせず、隠れもせず。
ただポケットに手を突っ込んだまま、降り注ぐ慈愛の光を、真正面から、受け止めた。
光が、彼を包み込もうとした、その瞬間。
「……目障りだ」
漆黒のロングコートが、生き物のように、ざわりと蠢いた。
バチチチチッ!!
黒に近い紫の稲妻が、外套の表面を走る。
それは、あらゆる魔力干渉を強制的に剥ぎ取る、紫電の拒絶。
——《龍装剥離》。
パァンッ!!
硬質な破砕音が、祭壇に響く。
シルフィーが放った渾身の浄化の光が、——薄いガラス細工のように、粉々に、砕け散った。
光の粒子がキラキラと舞い、そのまま、虚しく、消えていく。
「あ……」
シルフィーは、呆然と、自分の手を見つめた。
弾かれた、のではない。
「無意味」だと、——存在ごと、消し飛ばされたのだ。
光の残滓が消えた後、そこには、傷ひとつない青年が、立っていた。
底冷えするような瞳で、シルフィーを、見下ろしている。
「今、何をした? 『浄化』か? 『癒やし』か?」
青年が、ひと足、踏み出して、嘲るように鼻を鳴らす。
「救済? 赦し? ……笑わせるなよ。それは、俺のためじゃない」
ふっと、唇が歪む。
「お前自身の、薄汚い罪悪感を洗い流すための、——『洗剤』だろうが」
「ちが……私は、ただ、貴方を……」
シルフィーの否定を、青年は、唇のひと動きで遮った。
「『ごめんなさい』と言って光を浴びせれば、俺が救われるとでも思ったか? ——俺が『ありがとう』と涙を流して、改心するとでも?」
声に、物理的な重さが乗っている。
「思い上がるな、聖女。——お前のその慈悲深い行動は、傷ついた可哀想な俺を救うことで、『自分はやっぱり善側の人間だ』と再確認したいだけの、——自慰行為だ。吐き気がする」
「————っ!」
シルフィーの膝から、力が、抜けた。
ガクリ、と冷たい石畳に、崩れ落ちる。
その指摘は、彼女自身さえ無自覚だった、心の柔い部分を、——的確に、貫いていた。
彼を救いたいという想いは、本物だったはずだ。
けれど、その奥底に「救うことで、この居心地の悪い罪悪感から逃れたい」という想いが、ひとかけらもなかったと、——言い切れる、だろうか。
(私の力は……届かないの?)
かつて、付与魔法をかけた時、青年は強くなった。
彼女の「愛」は、彼に力を与えることは、できる。
けれど、彼女の「正義(光)」は、——彼には、決して届かない。
癒やすことも、救うことも、彼という闇の前では、無力。
彼女が光であればあるほど、彼の影は、濃くなる。
シルフィーという存在そのものが、——青年という怪物を完成させるための、最後のピースだったのだ。
「立てよ。聖女ごっこは、終わりだ」
冷たい声と共に、青年の手のひらに、どす黒い魔力が、ゆっくりと渦を巻きはじめた。
「お前の偽善が、通用しないことは、もう分かっただろ? ——なら、次は」
ふっ、と。
青年の唇が、わずかに、形を変える。
「俺の、番だ」




