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第14話 届かぬ刃と、アビスギャップ

挿絵(By みてみん)

理屈は、もう、吹き飛んでいた。


アレイシスの胸にあるのは、王族としての義務でも、騎士としての矜持でもない。

ただ、愛する女性の心が、目の前で、ひと粒ずつ砕けていくのを止めたい——その一心だけだった。


「う、あぁぁぁ……ッ!」


背後でシルフィーが、自分の髪を掻きむしり、過呼吸に喘いでいる。

彼女の魔法が、彼女自身を、追い詰めている。

その悪夢を断ち切るために、アレイシスは床を蹴った。


「その汚い体から、彼女の光を、外せッ!!」


王城の石畳が、爆ぜる。

身体強化(ブースト)》を限界まで発動し、文字通り「神速」と呼ばれる領域まで自分を引き上げる。


彼の実力は、帝国騎士の中でもヴァルガに並ぶ。15歳にしてSランク冒険者の領域へ踏み込み、戦鬼ヴァルガと背中合わせで魔獣の群れを薙ぎ、剣帝レグルスから「悪くねぇ筋だ」と毒づかれた、紛れもない「人類側」の精鋭だ。


踏み込みと同時に、ルーヴェル流抜刀術『華凛(カリン)』が完璧な軌道で抜き放たれた。

切っ先が描いたのは、横薙ぎではない。限りなく直線へ絞った、点への高速刺突。

狙うは、男の首。慈悲も躊躇いもない、5連撃の初動。


——勝てる。

相手は構えすら、取っていない。この距離、この速度なら、反応される前に、首を、落とせる。


確信が、あった。

刹那の時間が引き伸ばされた世界の中で、魔剣《白亜》の輝きが、男の喉元へ、まっすぐ迫る。

自分の人生で最も完璧に近い一撃を放った——そんな自覚さえ、あった。


——だが。


その瞬間、アレイシスは、見てしまった。

黒衣の青年の、黄金の瞳が、退屈そうに、こちらへ流れたのを。


流れた、——ただ、それだけだった。


「————ッ!?」


ブンッ。


金属音ですらなかった。

男は、右手の巨大な剣を、ハエでも払うように、片手で軽く横へ振った。

技術も、剣技も、ない。ただの暴力的な「振り」。


しかし、その速度は、アレイシスの神速すら止まって見えるほどに、異常だった。

速度だけ、ではない。

刀身が空気を裂いた瞬間、半径数メートルの空間そのものが、重力ごと、ひしゃげたように歪んだ。

それは「斬撃」ではなく、ただの「振り回し」が、周囲の物理法則を引きずり倒しただけ——概念的な暴力、それそのものだった。


ドォォォォォォォォンッ!!!!!


剣の刃が触れるより早く、圧倒的な「風圧」と「衝撃波」が炸裂する。

『華凛』の2撃目以降は、世に出ることすら、許されなかった。

アレイシスの魔剣《白亜》が、飴細工のように、へし折れる。

「硬度支配」を司る古代遺物が、初めて「自分より硬いもの」に出会った悲鳴を、甲高く上げて砕けたのだ。

続いて、オリハルコン製の鎧が、紙屑のように弾け飛ぶ。


「が、はっ……!?」


アレイシスの体は、砲弾のように吹き飛ばされた。

祭壇の床を削り、石柱を2本へし折り、ようやく壁に叩きつけられて、止まる。


「ごふっ……ぅ……」


壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、アレイシスは血反吐をぶちまけて、崩れ落ちた。

全身の骨が、悲鳴を上げている。

肋骨が何本折れているのか、もう、数える余裕すらない。


——1撃。


たった、1振り。

しかも、刃が届く前の「風」だけで、帝国の次期皇帝にして、最強の若手騎士が、虫けらのようにあしらわれたのだ。


霞んでいく視界の隅で、現実が音もなく組み直されていく。

《剣帝》レグルスの剛剣も、《戦鬼》ヴァルガの三本爪も、——この男の前では、同じ「人類最強組」という棚に並んでいるに、すぎなかったのだ。

そして、その棚ごと、たった片手で、薙ぎ払われた。


(……これは、戦争じゃない)


口の端から、自嘲とも嘲笑ともつかない吐息が、ふっと漏れる。


(最初から、戦いになっていない。これは……「処分」だ)


     †


「あ……アレイシス、様……?」


シルフィーが、呆然と呟いた。

何が起きたのか、理解できない。

ただ、黒衣の青年が、悠然と剣を降ろしたことだけが、分かった。


彼の身体に纏わりつく、黄金の粒子——《天使の抱擁》が、いっそう強く輝いている。

皮肉なことに、シルフィーが世界を救うために放っている祈りが、いま、彼の中で「リミッター解除」の許可証として、機能していた。


青年は、自分の手のひらを、ゆっくり、握ったり開いたりして、冷ややかな笑みを浮かべた。

動作確認をしている、職人の手つき。

だが、その指先からこぼれる魔力の質量は、もはや人類の規格には、収まらない。


「……なるほど。便利な魔法だ」


その声は、祭壇の冷たい空気に、すっと溶けた。


「疲労はおろか、筋肉の断裂すら、瞬時に修復される。魔力の枯渇もない。おかげで、出力のリミッターを外して暴れられる」


彼はアレイシスを、一瞥もしない。

ただ、その力を与えてくれているシルフィーを見据え、淡々と言い放った。


「痛みも疲れも、恐怖さえも消してくれる。……お前らの『正義』ってやつは、敵にも、随分と優しいんだな」


その言葉は、どんな罵倒よりも鋭く、シルフィーの心臓を抉った。


「あ……あぁ……」


(私の、せいだ)

(私が彼を癒やしているから。私が彼を強化しているから)

(だから、アレイシス様が負けたの? 私の「愛」が、大切な人を傷つける凶器に、なったの?)


「が……ッ、ま、待て……!」


瓦礫の中で、アレイシスが血まみれの手で、床を掻いた。

立てない。視界が、霞む。

天使の抱擁が、もう発動しなくなっている。身体の、本物の限界。

それでも、彼は這ってでも、シルフィーの前へ行こうとする。


「まだだ……僕は、彼女を……守らな、くちゃ……」


血の泡が、唇からこぼれる。

青年は、わずかにアレイシスのほうへ目線を流し、ふっと冷たく息を吐いた。


「馬鹿だな。1撃で、理解できなかったのか?」


侮蔑すらない。

ただ「事実」だけを述べるような、無関心の声。

彼はアレイシスに背を向け、祭壇の中央——シルフィーの方へ、ひと足、踏み出した。


「動くな。そこで、見ていろ」


這いつくばる英雄の背中に、青年は、振り返らずに告げた。

それは、勝者の驕りではない。

痛みを与えるのではなく、痛みの「席を割り当てる」、——処刑者の温度だった。


「特等席だ。お前が命を懸けて守ろうとした『象徴(聖女)』が、どれだけ薄っぺらいか……その目で、よく焼き付けておけ」


アレイシスは、その背中を見つめながら、理解した。

この男は、自分のことを、もはや「敵」ですらないと、見なしている。

殺すまでもなく、折れた骨と引きちぎれた誇りを抱えて転がしておけば、それで十分だと。

英雄と怪物の間に横たわっていたのは、強さの差ではない。

——「格」の、差だった。


コツ、コツ、コツ。


足音が、祭壇に響き渡る。

邪魔者は、もう排除された。

残されたのは、絶望に震える聖女と、彼女の祈りを糧にする怪物だけ。


逃げ場のない、空の下。

黄金の光を纏った黒い影が、シルフィーの目の前まで、——ゆっくりと、歩み寄った。

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― 新着の感想 ―
アレイシス圧敗泣 絵の男がカッコ良すぎるんよ
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