第13話 敵を癒す光と、アイロニクスヒール
シルフィーが目を見開いた。
呼吸すら忘れて、見つめる先。
瓦礫と化した祭壇の中央に佇む、黒衣の青年。
彼は、だらりと下げた両手に、身の丈に届く2振りの巨大な剣を握っている。
その刃は、魔族が纏うような禍々しい邪気ではなく、もっと根本的な、無機質な「破壊」の概念そのものを形にしたかのような気配を、ふっと放っていた。
——だが、シルフィーが戦慄したのは、その剣ではない。
彼が纏っている「光」のほうだ。
フワッ……キラキラキラ……。
夜の闇のような漆黒の外套に、無数の黄金の光の粒が、纏わりつくようにふわふわと舞っていた。
それは天使の羽のようにやわらかく、優しく、男を抱きしめている。
その光に、見覚えがないはずがない。
「……う、そ……」
シルフィーの唇が、恐怖とは別の何かで、震えた。
見間違うはずがない。
それは、彼女が、いま、この瞬間も、血を吐きながら紡ぎ続けている魔法だ。
自分の命を削り、王都の傷ついた人々を守るために、放っている、聖女の最終奥義。
——《天使の抱擁》。
なぜ。
どうして、その光が、「彼」を守っているの。
シルフィーの頭の中で、ガラガラと、理屈の音が崩れていく。
聖魔法は、魔族や邪悪な存在には「浄化の炎」として焼くはずだ。
これほどの惨劇を引き起こし、魔神を招き入れた元凶。
彼は間違いなく、人類の敵で、悪魔のような存在のはずだ。
なのに、聖女の光は、彼を焼くどころか、その傷を慈しむように癒やし、魔力を回復させていく。
光は——彼こそを「守るべき愛しい子」と、もう決めてしまっている。
(あぁ、そうか。……この魔法は)
残酷な理解が、彼女の頭の真ん中を、ふっと通り抜けた。
《天使の抱擁》に、善悪の区別は、ない。
術者であるシルフィーが「誰も死なせたくない」と願って、無差別に撒いた慈愛の光だ。
対象が「人間」で、傷ついているなら。
それがたとえ、世界を滅ぼす大罪人であろうとも——聖女の祈りは、平等に、降りそそぐ。
「ぁ……あ、あぁ……ッ!!」
シルフィーは、魂を引き裂かれるような悲鳴を漏らした。
なんという皮肉。
なんという冒涜。
私が、守りたかったのは。
こんな、世界を壊す人ではない。
泣き叫ぶ子供たちを守るはずの力が。
必死に剣を握る騎士たちを癒やすはずの力が。
あろうことか、それらを殺戮した張本人に活力を与え、彼を「最強」の状態に保たせている。
目の前の光景は、聖女シルフィーという存在そのものに、ひと言、「敗北」と書き付けていた。
「……嘘よ。どうして、貴方に『抱擁』が掛かっているの……?」
よろめきながら、シルフィーはアレイシスの腕を振りほどこうとする。
口の端から、ツーッと新しい血が流れる。
魔法を止めなければ。彼への供給を断たなければ。
でも、魔法を解けば、王都でかろうじて生き延びている数千人の命も、同時に尽きる。
「私の魔法が、貴方を守っている……? 嫌、やめて、なんでよ……!!」
止まらない。止められない。
彼女の魂が叫ぶほどに、皮肉にも、その「愛」の光は輝きを増し、黒衣の青年を、いっそうやわらかく彩っていく。
月光と黄金の粒子を背負ったその姿は、堕ちてきたばかりの、最後のひとりの天使に見えた。
——そして、青年は、何も言わない。
ただ、その透き通るような黄金の瞳で、パニックに陥るシルフィーを、静かに見下ろしていた。
その瞳には、嘲笑も、殺意さえ、ない。
あるのは、底知れぬ「虚無」と、微かな哀れみ。
——それが、何よりも、シルフィーの心の芯を抉った。
「うああぁぁぁぁッ!! 消えて! 私の光、消えてよぉッ!!」
自分の存在意義そのものに裏切られた聖女が、半狂乱で叫ぶ。
細い体が、過呼吸で崩れ落ちかけた、その瞬間——。
「下がっていろ、シルフィー!!」
鋭い声と共に、アレイシスが二人の間に割って入った。
彼はシルフィーを背に庇い、腰の魔剣を一気に抜き放つ。切っ先が、青年の心臓へとまっすぐ向けられた。
アレイシスの背中も、冷たい汗で濡れていた。
本能が告げている。
——目の前の青年は、底が見えない。
構えひとつ取らず、ただ立っているだけなのに、どこから斬り込んでも、視界の奥に「死」の輪郭しか浮かばない。
それでも、彼はルーヴェル帝国の第1皇子で。
そして何より——シルフィーを守ると、誓った男だ。
「これ以上、彼女を辱めるな……ッ!」
アレイシスは奥歯を噛み、王城の床を強く踏みしめる。
理屈ではなかった。
今、シルフィーの心を壊しているのは、あの男の存在そのものだ。
ならば、自分のすべきことは、ひとつしかない。
最強の聖女の加護を受けた、最凶の敵。
その絶望的な矛盾を断ち切るために、皇子は、——吼えた。
「そのふざけた光ごと、僕が貴様を、討ち祓う——ッ!!」




