献身
マジックミラー越しに映る能味俊はうつろな表情だった。
生気が削がれている。
モニタールームから取調室の様子を見ている沢白は、能味に生きる気力がないことを見て取った。
沢白班が能味俊とパックこと進藤大祐の身柄を本部へ移送したのは、午後8時を回ったころだった。
二人はそのまま取り調べをうけることになった。
取調室には、蓮井と美智もいる。
二人は能味に相対して、つまり、モニタールームにいる沢白に背を向けている。
能味の取り調べを蓮井に指示した時、彼は美智を補佐に指名した。
美智は驚いた様子だった。
終始反目していた蓮井が、自分を補佐につけたのだ。当然の反応だろう。
沢白も意外だったが、蓮井は自分の判断に自信を持っているようだった。
取調室に美智が入ってきたとき、能味は何の反応も示さなかった。
気付いていないのか。いや、あの距離で元恋人を見て気付かないことはないだろう。
能味の考えが、沢白には分からなかった。
しばらくして、蓮井が口を開いた。
「何があったか、すべて話してくれますね?」
男は憔悴しきっている。
そして、これまでの筋読みを正とするならば、一連の事件の実行には関与していない。
策を弄するよりも、直球で挑むことを蓮井は選んだようだ。
美智を指名した彼の判断は、やはり正解かもしれないと、沢白は思った。
直球勝負で彼女の右に出る者はいないだろう。
能味は相変わらず生気のない顔で、ぼんやりと蓮井を見ていたが、机に視線を落とし、話始めた。
2年前の事故。
病死した刑事のノートを手掛かりに東京に来たこと。
黒川に近付くため、『考える会』に参加したこと。
ネット上で、集権派をかたる「パック」という人物と知り合ったこと。
その人物に言われるまま、永田町のホテルで黒川を襲撃し、翌日、品川のタワーマンションで彼を連れ去るつもりが、黒川の死体を目撃したこと。
能味は訥々とすべて話し終えると口をつぐみ、取調室の隅の方を見たまま動かなくなった。
それまで黙ったまま能味の話を聞いていた美智が口を開く。
「あんた、どうしちゃったのよ。
よく知りもしない人間の言う事聞いて、犯人だって疑われて私たちや警察にまで追われて。
昔のあんたなら、そんな奴のいう事無視してたはずでしょ」
呆れ、怒ったような美智の言葉に、能味は首をぐるりと彼女に向けた。
「兄を死なせた人間が、のうのうと生きている。
ましてや、政治家になろうとしている。どんなことをしたって止めようとするさ。
何故、それが分からない」
そう言って、冷たい目で美智を見た。
能味の反論に、美智は何も言い返さない。
次に口を開いたのは蓮井だった。
「あなたこそ何故分からないんですか?」
能味がまたぼんやりと首を動かし、蓮井を見た。
「今度の事件、私はあなたの関与を疑った。
だが、彼女は断固としてあなたが犯人でないと訴え続け、捜査にあたった。
一度は外されても、彼女は食らいつき、あなたを信じ続けた。
捜査官と貴島美智一個人の間で大きく揺れながらね。
何故、あなたには彼女の苦しみが分からないんですか?」
蓮井の言葉はしかし、能味の無表情を崩すには至らなかった。
尚も沈黙を貫く能味に、再び美智が語りかける。
「お兄さんのひき逃げ事件を調べていた刑事さんが亡くなって、途方に暮れた。未亜さんがそう言ってた」
美智が未亜の名前を出した時、能味の顔にわずかだが色味がついた。
「それでも真実を知りたいと願った未亜さんのために、あなたは大嫌いなグループ行動をやってまで、黒川に近付こうとした。
本当、人間変わるもんね。
・・・あんたは未亜さんを愛していた。違う?」
「違うっ!」
能味が今にも美智に飛びかからんばかりに立ち上がろうとした。
だが、蓮井がそれを抑えた。
能味の顔は真っ赤で、額から汗がにじみ出ていた。
それは、この部屋に入って初めて、能味俊が感情を見せた瞬間だった。
ふいに沢白は、蓮井が何故美智を補佐に指名したのか分かった気がした。
今朝、勉強会に参加してまで黒川に近付いた能味はかなりの労力を使っている、と蓮井は指摘した。
その時、美智の顔に影が差して、蓮井は気まずそうな顔になった。
あの瞬間、蓮井は気付いたのかもしれない。
美智が考えていることを。能味が未亜を愛していることを。
それとも、仕事を辞めてまで未亜を支える道を選んだことから、能味の想いを推し量ったのか。
いずれにせよ、その点に気付いたから、この取り調べに美智を同席させたのだろう。
能味の心を乱す爆弾を美智ならば持っていると思ったから。
思いがけない部下の能力に、沢白は苦笑した。
モニタールームにいる取り調べ監督官には見えないように。
「そっちの変わりようの方が、私には安心できる」
美智の優しい声音に、能味はうつむき、やがて嗚咽を漏らし始めた。
その声を聞きながら、沢白はモニタールームを後にする。
この事件の最後の取り調べが、彼を待っていた。




