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悪戯の終わり

 神楽峠は既に暗く、車の通りも全くと言っていいほど無い。


 ここへ着いて何時間経っただろうか。いや、一時間も経っていないのかもしれない。

 

 既に、能味俊の中から時間の感覚は消えている。


 体が震える。寒さのせいと考えたが、我ながら無理があると感じていた。

 恐怖が、能味の心身をむしばんでいる。



 昨夜、黒川を捕えようと意を決して、彼の自宅に踏み込んだ。

 だが、家に入っても反応はなく、リビングまで来て、死んでいる彼を見つけた。

 慌てて外へ出ると、自分の名前を呼ぶ女の声が聞こえて、広域捜査庁を名乗る二人の男に出くわした。


 電気街で調達した発煙筒を捜査官たちに投げつけて、脇目もふらずとにかく走った。


 何とか逃げ切った後で、自分の名を呼んだ声の主が、何年も前に別れたかつての恋人だと思い出した。

 

 貴島美智。大学院を卒業する直前、京都で就職すると告げて別れて以来の再会だった。


 遠距離恋愛は無理よ。


 彼女の言葉で破局が決まった。

 その時、彼女は関東圏で警察官になることを目指していたのだ。

 彼女の言葉に、安堵したことは覚えている。自分も遠距離恋愛は億劫に感じていた。


 何より、彼女から心が離れていた。


 広域捜査官と一緒にいたということは、彼女は警察ではなく、RIOに入ったのだろうか。


 品川を走り回った後、とりあえずPuckにメールした。


 《明日の夜、神楽峠に来い》


 Puckの指示は簡潔だった。


 だが、一昨日からの出来事で、もはやPuckの指示に従う気が失せていた。

 能味はこれを拒否した。

 すると、Puckは、未亜を引き合いに出して、

 《彼女に危害を加えられたくなければ、言う通りにしろ、そうすれば、君の無実を証明してやる》と返してきた。


 もはやただの脅迫だが、未亜の安全を考えれば、従わざるを得ない。

 能味は、Puckが用意した車に乗り込み、この神楽峠まで来たのだった。



 峠を上りきったところにある、何かしらの記念碑の前でPuckを待ちながら、能味はもう一度過去に意識を戻す。



 得体の知れない何かが、自分の人生をぶち壊そうとしている。


 一体どこで間違えたのか。

 Puckの言いなりになった瞬間か。

 彼から来た連絡に返事をした瞬間か。

 未亜の頼みを聞いて、慣れもしないグループ行動なんか始めた瞬間か。


 自分の不幸を呪う場に未亜の存在を引きずり出したことに、自己嫌悪を覚えた。


 彼女には何の落ち度もない。すべて脇の甘かった自分のせいだ。

 黒川の罪を暴くことに躍起になるあまり、とんでもない相手と関わってしまった。


 自分はこれからどうなるのだろうか。


 Puckたち集権主義の過激派にとことん利用されるのだろうか。


 くそっ。何が集権派だ。何が分権派だ。

 徒党を組みたいだけの連中が集まって、政治家ごっこをしているだけだろうが。


『日本のシステムを考える会』で分権論争を熱っぽく語る連中を見るにつれ、治りようがない日本人の病に自らも罹った錯覚に陥った能味は、気分が悪かった。


 足元からどんどんせり上がって来ていた危機が、自分たちの喉元近くに来て、日本人はようやく騒ぎ出す。

 いつもそうだ。こんなはずじゃない、政治家は何をやっているんだ。と喚き散らす。


 この国の未来など今更論じて何になる。


 変われるチャンスは、この数十年に何度もあったろう。


 何故、年寄りどもが払ってこなかったツケを、俺たちが払わなきゃいけないんだ。


 能味から見れば、分権論争に夢中になっている連中は、語っているだけで未来を変えている自己陶酔に酔っているだけだ。


 いつの間にか恐怖は消え、怒りが湧いてくる。

 冷静になろうと、深呼吸をする。だが、怒りは消えることがなかった。


 血走った目で辺りを見回すと、記念碑の後ろの方から明かりが漏れ出てくる。


 明かりは徐々に増してきて、それと一緒にコンクリートを蹴る足音も聞こえてくる。


 よく目を凝らすと、懐中電灯を持った人影が一つ現れた。


 Puckだ。確信した能味は、たまらず突進し、ソレに掴みかかった。


 掴んだ感触でずっしりとした印象を受ける。

 だが、能味が掴んだ拍子に揺れた光が、ソレを照らすと、正体が小柄な男だと分かる。


「お前誰だよ。どうして黒川の情報を俺に送り続けたっ?」


 能味が迫ると、男はものすごい力で能味を抑え込んだ。

 反撃してくる力と裏腹に、どことなく気の抜けたような明るい声で、男が答えた。


「ひどいことするなぁ。やっと会えたのに。あぁ、初めまして。Puckです」


「ふざけるな。質問に答えろっ!」


「助けてあげたかったんですよ。だって、黒川のこと、殺したかったでしょう?」


「ふざけるな。あいつはもう死んでたぞ!」


 Puckに抵抗しながらも、言い返した能味だが、その瞬間、Puckが掴んだ手を放してきて、前につんのめった。


「それなんですよぉ。あなたとやり取りしてて気付いたんだぁ。あなたに人は殺せない。でも、こっちは彼に死んでもらわなきゃいけない。だから、僕が手を汚すしかなかった。最悪の一手ですけどね」


 能天気な口調で語られる事実に、能味は倒れたまま後ずさりした。


「集権派はそうまでして黒川を・・・」


 そう言うと、Puckはにわかに立ち止まり、そして声を上げて笑い始めた。



「集権派? フフフ、そんなもの最初から関わっていませんよ」



 Puckの放った一言に、能味の呼吸が一瞬止まった。

 だが、Puckは構うことなく言葉を続ける。


「でもまぁ、あなたにはもう関係のない話です」


 言いながら、Puckは俊敏な動きで能味の背に座り、彼の首を絞め始めた。


「さよなら」


 Puckの言葉が耳に届き、首に痛みが走り、気道が狭まっていくのを感じる。

 意識が遠のき始める。


 このまま死ぬのか。

 黒川の罪も暴けず、何者とも知れない奴に利用されて俺は死ぬのか。


 もはや抵抗する気も起きなかった。


 死を間近にしたその時、懐中電灯の比にならないほどの明かりが上空から降り注ぎ、二人を照らした。

 二人は同時に光の方を見上げる。


 空中自動車が着陸態勢をとっている。


 車体が陸地につくや否や、3つのシルエットが車から飛び出した。


「広域捜査庁だ!」


 明かりの中から聞こえる男の声に合わせるように、峠道からも何台ものパトカーが隊列を組んだように乗り込んできた。


「あぁ。ゲームオーバーか」


 その様子を見ていたPuckが呟く。

 

 だが、その声は悪戯がばれた子どものように、明るかった。

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