盲信者
四十分後、空の旅を終えた沢白が取調室へ入ると、島根知世が足を組んで座っていた。
その顔は紅潮し、こめかみが小刻みに痙攣している。
二度も連行されたことに怒っていることは容易に想像がついた。
知世のいら立ちが増すことを狙って、ゆっくりと座り、IMPで資料をいくつか眺めながら、5分ほど何も喋らなかった。
それから、向かいに座る人間にたった今気づいたとばかりに知世を見る。
「弁護士を呼んで」
目が合った瞬間に、知世の冷たい声が室内に響く。
知世の言葉を、沢白は鼻で笑って受け流した。
すると、彼女の眉間に皺が寄り、まるで邪悪なものかのように睨んできた。
知世が売られた喧嘩を買う性格だというのは、前回の聴取で把握している。
ここは徹底的に怒らせるのがベストだ。
そのまま彼女の言う事を無視して、沢白は唇をゆがめる。
「進藤大祐とぐるになって、黒川数樹から金でもせびろうとしたのか?」
「ふざけないで。私は黒川さんを尊敬していた」
「尊敬、か。黒川のおとぎ話のような分権移行の説に踊らされて、この国を変えられるのは彼しかいない、と錯覚していただけだろう」
「馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ。私たちは本気でこの国を変えようとしていたの。そのために、今の錆びついた政府を壊して、新しい体制を作ろうとしていたの。
黒川さんのカリスマ性とリーダーシップがあれば、それができる。私たちが黒川さんを支える。それなのに、あなた達政府の人間は黒川さんの失脚を狙って、私たちを攻撃している!」
知世が早口でまくしたてる。
彼女の目には、何かに追いすがっているような必死さが宿っているように、沢白には見えた。
知世の言うようなカリスマ性を黒川が持っていたならば、彼が死んだ今、勉強会は空中分解するだろう。
輝きを持ったリーダーに惹かれて集った〝同志〟は、そのリーダーを失った途端に、ただの〝烏合の衆〟に成り下がる。
では、黒川がそもそも勉強会をただの道具としか思っていなかったら、どうなのだろうか。
経済犯罪部の解析を待つよりないが、黒川は勉強会を利用して、裏金を作っていた可能性がある。
一企業の経理課長だった小向もその運用に関与していたかもしれない。
知世たちが何の考えも無しに黒川という神輿を担ぎ続けていたら、そのうち潰されていただろうか。
「私たち、と言ったな。その中に、進藤は含まれていないのか?」
「彼は、国を変える活動には興味がなかったから」
そう答える知世の顔が少し曇った。
「なんだ?」
「・・・別に」
進藤と勉強会について何か隠しているのだろうか。
その時、机がかすかに震える。
震源地は、沢白のIMPだ。
知世に見えないよう、手に取ってみると、家宅捜索中の美智が押収品の数々をアップロードしている。
通知を一つずつタップしていく。
まず出てきたのは、動画ファイルだ。
再生すると、何やら話し込んでいる黒川と合田南巳の映像だった。背景を見る限り、東大島ミュージアムの一画のようだ。
続いて、どこかのマンションのエントランスを撮影している映像が出てくる。
少しして、小向顕造がマンションに入っていく様子が映し出された。
スワイプしていくと、深浦物産の川崎倉庫に入っていく白のスポーツカーと、そこから降りて倉庫に入っていく黒川数樹の姿が収められた映像もアップされている。
さらに、2年前の神楽峠での事故について書かれた記事や、能味俊と浜尾未亜のSNSを検索した履歴が出てくる。
そして、フリーメールの送信履歴が出てきた時、沢白は驚いた。
そこには2通のメールがあった。
《国外へ出ます。合田さんの事を警察へ通報されたくなければ、資金を用立ててくれませんか? 川崎の弊社倉庫で23時にお待ちしています。小向顕造》
《今後のことを話し合いたい。人目に付くとまずいので、川崎にある御社の倉庫で会えないだろうか。黒川》
メールの文章をじっと見ていると、美智からチャットが届く。
《今アップしたデータは、全て進藤大祐のPCから押収した》
沢白は、IMPを知世に向け、今しがた押収したばかりの証拠の数々を見せた。
知世の顔が凍り付く。
「進藤は、勉強会に本当に興味がなかったのか」
知世の顔に浮かぶ敵意の色が薄まっていく。
それに反比例して、戸惑いの表情が表に出てきた。
ややあって、彼女は観念したように話し始めた。
「私、家に帰ったらその日の出来事を大祐に話すのが日課になってるんです。
彼は適当に相槌を打つだけなんですけど、そこは別に気にしてなくて。
それで、南巳さんが誰かと口論した日も、その事を話したら、いつも通りの反応で終わって。
ただ、それからすぐに、勉強会のあった日は、彼の方から質問してくるようになったんです。
しばらくして、あなたが小向さんの話を聞きに来た日、大祐が私に言ったんです。
『RIOは分権派の黒川さんと勉強会をターゲットにしている。しつこく話を聞いてくるだろう。また話を聞かれたら、能味俊の名前を出すんだ』って。
理由を聞くと、『合田さんが誰かと口論したって聞いて、ちょっと気になって調べてみたんだけど、能味って男は集権派と繋がってるみたいなんだ。だから、合田さんと口論していた相手は、能味だと思う。だって、合田さんは普段は穏やかな人なんだろう? そんな人が言い争うなんて、集権派に決まってるじゃないか。だから、RIOに合田さんの事を聞かれたら、能味俊と口論していたって教えてあげなきゃ』。彼はそう教えてくれたんです」
沢白は呆れて首を振った。
「恋人の話をそのまま信じたのか。何の根拠もないのに?」
「だって彼が調べたって言うから」
涙ぐんで答える知世は、今もなお恋人の妄言を信じているようにしか見えない。
ネットの情報を追うだけで事実関係を洗い出せるなら、自分たち捜査官はとっくにその仕事を民間に明け渡しているだろう。
冷静に考えれば、進藤の話は不審な点しかない。
だが、彼女はそれを疑うことなく、信じた。いや、盲信した。
最初は黒川数樹、次に進藤大祐。
彼女は、思考を他者に委ね、その結果、委ねた相手に利用されたのだ。
伝聞で事実を歪曲して認識し、盲信するのは、人間の性だ。
ある者は理性を持ってその性を飼いならし、ある者はその性に飼われる。
技術やシステムがどれだけ変わろうが、人間の本質までは変わらないということか。
呆然とした様子で涙を浮かべる知世を見ながら、沢白はうすら寒さすら覚えた。
その時、取調室のドアがノックされた。
沢白は知世を残し、廊下に出た。そこには蓮井が立っていた。
「どっちを見つけた?」
沢白は気を急かして尋ねた。
「能味です。首都高を盗難車で走る様子をNシステムが捕らえました」
「・・・行き先は?」
聞きながら、沢白には既に答えが分かっていた。
「静岡方面です」
やはり、か。
すべての始まりは、神楽峠だ。彼がなぜそこへ向かっているのか。
進藤に呼び出されたか、あるいは追い詰められて自殺する気か。
後者ならば、何としても止めなければならない。
いずれにせよ、決着の場は神楽峠だ。
根拠はない。だが、長年捜査官をやっていると、犯人確保のタイミングが読める時がある。
そして、今がその時だ。
「貴島を呼び戻せ。それから、空中自動車の手配と中部センターに応援要請。神楽峠に急行する」




