邂逅
沢白班を乗せた捜査車両は、黒川の居宅がある品川区へ入った。
時刻は21時に差し掛かろうとしている。この時間帯なら、恐らく黒川は帰宅しているだろう。万が一、不在ならば、黒川の会社の人間でもなんでも連絡を取って、行方を尋ねるまでだ。
10分後、車はタワーマンションがいくつも建つエリアに到達した。
フロントガラス越しに上を覗くと、マンションは五棟ある。一棟を中心として、その周りに四棟が対角線を成すように建っている。
中央のマンションは他の四棟に比べて、十階以上は高い。各マンションを舗装された道路が繋いでいる。
周りは木々に囲まれ、森のようになっていた。
「あれですね」
助手席に座る蓮井が、中央のマンションを指さすと、沢白はそのマンションのエントランス前に車をつけた。
その刹那。
エントランスの自動ドアが開き、黒ずくめの人間が走り出してきた。
黒の野球帽に黒のジャンパー、黒いズボン。分かりやすく不審者だった。
帽子の下から覗くその人物の顔に見覚えがあった。
能味俊だ。
その顔に浮かぶ感情が動揺だということは、窓越しの沢白でも判別できた。
「俊っ!」
美智の声が聞こえたのか、能味俊は顔を車に向けて、驚愕の様をさらに大きくした。
ほぼ同時に沢白と蓮井が車から飛び出し、銃を構えて警告する。
「止まれ!」
ちょうどエントランスを背に、能味は車を挟んで沢白と対峙している。
蓮井の方が、助手席側にいて距離の上でアドバンテージがあった。
能味は沢白らの警告に一瞬怯んだかのように見えた。
しかし、彼は素早く右ポケットに手を突っ込むと、赤い筒のようなものを取り出し、上部のふたを開いて、地面に叩きつけた。
それが何か、沢白にはすぐには分からなかった。だが・・・。
パンッ! と大きな音がして、辺り一面が白いモヤのようなものに包まれた。
「発煙筒だ」
沢白は煙から顔をかばいながら、能味の姿を探そうとしたが、満足に視界が効かない。
少しして煙がようやく晴れたころには、能味は既にいなかった。
「追え」
蓮井に命じる。
彼は、能味が消えたであろう森に向かって駆けていった。
いつの間にか車を降りていた美智も後に続こうとしたので、彼女の腕を掴んで引き止めた。
能味と特別親しい間柄だった美智を追跡に向かわせるのは、得策ではない。
血走った目で振り向いた美智に首を振ると、ややあって彼女の体から力が抜けていった。
エントランスの自動ドアが再び開き、緑色の制服のようなものを着た女性が、恐る恐るといった感じでこちらに出てきた。
美智から手を放し、女性に顔を向ける。
「大きな音が・・・。そ、その何があったのでしょうか」
おずおずと聞いてくるその女性は、恐らくこのタワーマンションのコンシェルジュだろう。
沢白はジャケットの内ポケットから、バッジを取り出し、彼女に見せた。
「広域捜査庁です。危険ですから中に入ってください」
バッジを見せられた彼女は、沢白が指示するとそそくさと中に入っていく。
沢白と美智もその後を追った。
中には広々としたホールがあり、その後方にコンシェルジュが普段待機していると思われるカウンターがあった。女性はその脇に立っている。
向かって左側に、らせん状の大きな石段が緩やかに上へと向かっている。恐らくエレベーターホールであろう。
早足で彼女に近付き、改めて自己紹介した。
「沢白と言います。彼女は貴島、です。単刀直入にお伺いしますが、黒川数樹さんはご在宅ですか?」
「え、あぁ、そ、の」
コンシェルジュは沢白の問いにしどろもどろになった。
先ほどの衝撃と、住民のプライバシーを守らなければならないという職業上の倫理意識が彼女を混乱させているのだろう。
いつもなら穏やかに進めるが、いまはそれどころではない。
事件関係者住んでいるマンションから、別の関係者が出てきたのだ。
沢白にはそれが不吉な予兆に思えてならなかった。
「黒川さんの身に危険が及んでいるのかもしれないんですっ! 彼は今このマンションにいるんですか?」
沢白が声を荒げると、コンシェルジュはビクッとした。
「はっ、はい。黒川様でしたらご帰宅されています」
すると、美智が訝し気に尋ねた。
「部屋に電話もしないで帰宅してるって、どうして分かるの」
今度は沢白が眉をひそめる番だった。
「どういう事だ」
「だって、こういうタワーマンションて地下駐車場があるでしょ。
で、黒川・・・さんは車持ちなんだから当然そこを使ってるはず。
ということは、そこからエレベーターで部屋のあるフロアまで直接行くわよね。このエントランスは使わない。
それなのに、勤務時間中は終始ここにいるであろうコンシェルジュが、黒川さんの帰宅を知ってるのが、不思議だなぁと思って」
言われてみれば確かにそうだ。
「なぜ黒川さんの帰宅をご存じなのでしょう?」
穏やかに聞いたつもりだが、人相の悪さが災いしたのか、彼女は身震いしながら、答えた。
「は、はい。あの、黒川様から30分ほど前に来客があるので、通すように、とこちらにご連絡がありまして、それでご帰宅されていると回答した次第です」
「来客とは、先ほど出ていったあの人物ですか?」
「はい、さようでございます」
「他に来客は?」
「いえ、ございませんでした」
「マスターキーを持ってついてきてください」
嫌な予感が最高潮に達し、自分のこめかみが震え始めるのを感じた。
沢白は石段へと駆け足で向かう。石段を大股で上ると、5基のエレベーターが見えてきた。
《上る》ボタンを押す。
1番右のエレベーターと、左から2番目のエレベーターの入口上部に《下がる》ランプが点灯している。
焦りつつ交互を見ると、右側のエレベーターに、このフロアに到達したことを示すランプがついた。
そちらに乗り込もうと沢白はドアまで一足飛びで向かったが、その基は止まらず、さらに下がっていった。
誰かが地下駐車場に下りたか、あるいはこれから上って来るかだろう。
タイミングの悪さに、顔をしかめる。
すると、涼しげな表情をした美智と息を切らしているコンシェルジュが追い付いてきた。
ほぼ同時に、左側のエレベーターが到達する。今度は1階で止まり、ドアが開いた。中には誰もいない。三人が乗り込み、コンシェルジュが右上端の「102」と書かれたボタンを押す。
「102階に黒川さんがいるの?」
「さようです。1025号室です」
「ひゃぁ」
「マスターキーは?」
沢白がおどける美智を無視して聞くと、コンシェルジュはカードを渡してくれた。
「あなたは彼女と一緒にいて、こちらが合図を出すまでエレベーター内で待機をお願いします」
沢白はコンシェルジュに告げながら、自らの失策に気付く。
1階でマスターキーだけ借りて、彼女は残しておくべきだった。
彼女の証言を信じるなら、黒川の部屋には、もう客人はいない。だが、黒川は自宅に散弾銃を置いているのだ。何かの事故に巻き込まれる可能性もある。
沢白の後悔も知らず、コンシェルジュは首がもげるような速さで何度も頷いた。
102階に到達する。蓮井は能味を確保しただろうか。
エレベーターを降りながら、沢白は携帯を確認した。電話もメールも来ていない。
周りを見回すと、廊下は左右に分かれている。
携帯を背広のポケットに直し、エレベーター内にとどまっているコンシェルジュに顔を向ける。
ぽかんとしている彼女に、左右に指を振る。
こちらの意図を察したのか、彼女は沢白の左の方を指さしながら部屋の場所を教えてくれた。
歩みを進めながら、腰帯から取り出した拳銃を両手で構える。
素早く左右へ視線を向けると、両側にドアがあった。左には1021、右には1022とプレートが張られている。
そのままゆっくりと進む。
ドアがまた一つ左側に見えた。
右側にドアはない。
死を連想させる番号は、未だに日本で忌避されている。
ここまで来るのに、感覚としては数分ほど経っている気がするが、実際は10メートルほどしか進んでいないだろう。
1023号室を過ぎると、もう左右にドアはなく、残るは正面のみだった。
1025号室。
沢白は全神経を集中させ、ドアににじり寄った。
慎重に近づき、インターホンを鳴らす。
返事はない。室内から音を拾おうと耳を凝らす。
だが、何も聞こえない。防音が徹底しているのだろう。
沢白は銃の持ち手を右手のみにして、ドアノブ上部にあるパネルに、マスターキーをタッチした。
ピッという電子音がフロアに響き、鍵が外れる音がした。
ドアノブを回し、部屋へと突入する。
明かりのついた玄関と、その先のリビングへ繋がるであろうドアに続く廊下が目の前に展開された。
「広域捜査庁だ!」
名乗り上げながら入るが、部屋は沈黙したままだ。
すり足で廊下を進み、ドアを開ける。
正面に壁一面の窓がある。カーテンはかかっておらず、都心の夜景が絵画のように一望できた。
左側にはテレビがあり、対する形で円形の黒いカーペット、その上に扇状に広がったソファが置かれている。大人がちょうど八人は座れそうだ。
その時、かすかに硝煙のにおいが鼻腔を突いた。
ゆっくりと室内を見回す。
窓と沢白の間にあるソファが、ちょうど死角になっている。
沢白はゆっくりとソファに向かって進み、窓側に立った。
床を見下ろすと、ぐにゃりとしたスラックスが見えた。
目線を左にずらす。
同時に、携帯の着信音が鳴る。発信者を確認せずに出た。
「沢白だ」
『すみません。逃げられました』
息を切らした蓮井の声が、電話の向こうから聞こえる。
「そうか」
『そちらの状況は?』
「たった今、黒川の部屋に突入。・・・黒川の射殺体を発見した」
沢白の目線の先に、胸から血を流して倒れている黒川数樹と、散弾銃が残されていた。




