罠(1)
地下駐車場に沢白が臨場した頃、藤原祢佳はホテルのパーティー会場を回って、招待客らに頭を下げていた。
事件発生後、警察からの捜査協力依頼があり、パーティーの参加者は残らず事情聴取を受けることになったのだ。
主催者である祢佳に対して、ホテルの支配人は最上階のスイートルームを待機場所に提供した。
しかし、祢佳はこれをやんわりと断った。
他の招待客が会場に足止めされているのに、自分だけが特別扱いを受けると、評判を落とす恐れがある。
それよりも、皆とともに会場に残り、客を不快に思わせている事態を謝罪し、捜査に協力する毅然とした姿勢を示す方が、よほど印象が良い。
選挙前のこの時期だからこそ、いつも以上に世論や評判を気にかけなければならない。
祢佳が周囲をまわって挨拶をしていると、秘書が近付いてきた。
警察は捜査協力だけ依頼してきて、事件の概要は話さなかった。
そこで、祢佳は秘書に命じて警察から情報を聞き出そうとしたのだ。
秘書は客から離れた壁の方に目線をやり、そちらに進んだ。祢佳もついていき、小声で尋ねる。
「何か分かった?」
「はい。刑事部の参事官が来ていましたので、彼に尋ねました」
「参事官が? なんでまた」
祢佳が驚いて尋ねる。現場に警視庁刑事部のナンバー2が出てくるとは珍事だ。
「このホテルでの異常ということで、副総監が我々のために派遣してくれたようです」
参事官は、祢佳と昵懇の間柄である副総監の後輩にあたり、その縁で祢佳とも面識があった。
「聞いたところでは、地下の駐車場で暴行未遂が起きたとのことです。それで、襲われたのは黒川氏とのことで・・・」
黒川の名前を聞いた瞬間、祢佳は思わず唸ってしまった。
「黒川・・・さんが、襲われた?」
「えぇ」
「他に情報は」
「警察も調べ始めたばかりですので、後は何も・・・」
「そう。分かったわ。ご苦労様。わざわざありがとう。あ、そうだ、私の携帯、いま持ってるかしら?」
「はい、こちらに」
秘書はスーツの内ポケットから、祢佳の個人用携帯を取り出して渡した。
祢佳は受け取った携帯を手に会場を出たところで、支配人に出くわした。支配人は、祢佳の姿を見るなり、すごい勢いて頭を下げた。これで何度目だろうか。
「藤原先生、この度は大変なご迷惑を・・・」
「支配人が謝ることじゃありません。お気になさらず。
ところで、先ほど言っていただいたスイートルームなんだけど、やっぱり使わせていただける? 電話をしたいのだけど、会場ではちょっと・・・」
支配人の謝罪を遮り、祢佳はスマホを振りながら聞いた。
会場を出て5分後には、祢佳はスイートルームに入っていた。
秘書には、支配人を通じて居場所を伝え、こちらが連絡するまで会場で招待客の相手をするよう命じてある。
部屋に入るなり、祢佳は黒川に電話をかけた。
『黒川です』
襲撃を受けたと聞いたが、黒川の声は普段通りだった。
「・・・藤原です。事件のことは聞きました。けがの具合は?」
本当は黒川のけがなどどうでも良かったが、一応聞いておく。
『ハッハッハ、ご心配には及びません』
黒川の気取った笑いが、祢佳の不快感を高めたが、何とか胸の内で押し殺す。
「そう、良かったわ。では、単刀直入に伺います。
あなたが襲われた件、先ほど私たちが話したことと関係しているのかしら」
秘書から報告を受けた時、真っ先に頭に浮かんだのは、黒川襲撃と広域捜査庁が捜査している連続殺人の関連性だった。
時代の寵児・黒川数樹が永田町で襲撃されたというトピックは間違いなく世間の注目を集める。
そして、党の公認はまだ正式に出ていないが、黒川は今度の選挙に与党候補として出馬することが内々に決まっている。
その最中に黒川が刑事事件に巻き込まれることは、与党、ひいては黒川の公認獲得に動いた自身のイメージにも影響を及ぼしかねない。
事態は既に政局の範疇にあるとみるべきだった。
もし、ここで打つ手を誤れば、私の政治生命も終わる。
祢佳にはこの一点が大きな懸念だった。
『実は、私を襲撃してきた犯人なんですが、例の勉強会のメンバでして・・・。
既に例の事件を調べている広域捜査官も私の元にやってきましてね。先生、どうにかお力添えをいただけませんか』
黒川の能天気な口調に、祢佳は持っている携帯を壁に投げつけそうになった。
つい先ほど、問題ないと請け負ったばかりの口で、今度はどうにかしろと言ってきたのだ。
本当にこの男は私の神経を逆なでする。
IT業界を改革した功績と国民からの人気がなければ、絶対に関わりたくない人間だ。
しかし、次の選挙で与野党に楔を打ち込む〝刺客〟として、黒川ほどうってつけの人間はいない。
祢佳の影響下にある候補者は多いが、黒川ほどの戦力は正直期待できない。
腹立たしいが、背に腹は代えられない。
「どんな助けがいるの」
『私が襲われた件、広域でなく警察が担当するようしていただけませんか』
「・・・なぜ?」
『広域は私を目の敵のように扱ってましてね。そんな連中に近寄られたくないんです』
祢佳は頭を抱えた。
警察とRIOの管轄権に首を突っ込むとは、最悪の一手だ。
黒川が一連の事件に関与している場合、今まで築き上げたものが崩れ去るだろう。泥をすするかのように、永田町を生き抜いてきた人生が終わる。
だが、悲観していても始まらない。
目の前に迫る絶望を感じながら、祢佳はどこかに光明を見出そうと、部屋から見える都会の夜に視線を落とす。
今夜の襲撃への関与を黒川は依頼してきた。
彼自身は被害者の立場だ。その一件のみに関わるならば、殺人事件の捜査に口出しするよりもたやすいではないか。
広域捜査庁が殺人と今回の黒川襲撃の関連性を見つけ出した時は、黒川を切り捨てればいいだけだ。
問題はそのタイミングだ。
万が一、選挙期間中、いや候補者発表の段階で、事が露見すれば万事休す。
黒川の公認発表は、かなり慎重にやる必要がある。そこは、幹事長との駆け引き次第だろう。
最善とまでは言えないが、怪我をする可能性が小さい手を思いつくと、しばし頭の中を整理して黒川に告げる。
「分かりました。警視庁にはこちらから連絡する。あなたはしばらく大人しくしていて。良いわね」
『承知しました。先生』
祢佳は電話を切り、すぐさま秘書に連絡を入れる。
「あぁ、もしもし。すぐに参事官を捕まえて、スイートルームに来るよう伝えて。
それから幹事長の予定を抑えてくれる? 明日の午前中。なるべく早く。えぇ、よろしく」




