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微笑の応酬

 黒川が襲われたホテルに沢白が到着したのは、事件発生から1時間も経っていないころだった。


 パトカーや救急車が地下駐車場入り口を固め、その周りを報道陣が囲んでいる。



 こうも早く沢白が現場に到着できたのは、第一発見者の通報のおかげだった。

 黒川が襲われる現場に通りかかった女は、大手新聞社の政治記者だった。

 駐車場で助けを求めてきた男は黒川だと気づき、110番通報の際に、彼の名前を出した。


 CCICは、警察への通報も常時モニターしている。

 更に、沢白は今回の事件の主だった関係者、例えば黒川や能味俊の名前を広域捜査庁のデータベースに登録していた。


 通報に黒川の名前が出たため、CCICは沢白に事件を連絡した。ちょうど唐村部長と話を終えたばかりの沢白は、すぐさまホテルへ向かったのである。



 地下駐車場に入ろうと、ひしめく記者たちをかきわけ、必死に防波堤の役割を果たしている警官にバッジを見せる。

 普段なら露骨に拒否反応を示されることが多いが、それどころでないのだろう。

 警官は、バッジを一瞥しただけで、沢白を現場に通した。


 規制線の向こうを進むと、後ろのドアを開け放った状態で止まっている救急車が見えた。

 そこには救急隊員2名と、治療を受けている黒川の姿があった。


 周りに警察官はいない。みな、犯行現場と思しき車のあたりにいる。


 白のスポーツカー。


 東大島で見た黒川の車だ。

 犯人はそこで待ち伏せしていたのだろうか。

 だとすれば、黒川の愛車を把握するほどに、彼のことを調べ上げていることになる。


 今がチャンスだと、沢白は迷いなく救急車の方へ足を進めた。


 CCICは、黒川の襲撃を連絡しただけで、捜査指令を出していない。

 よって、今この現場において、沢白に捜査権はなかった。


 刑事に見つかればかなり分が悪い。


 さらに、警視庁捜査一課のある刑事とは、できれば顔を合わせたくなかった。


 救急車に近寄ると、黒川の顔がはっきりと見えた。


 襲われたことで多少なりともショックを受けたのだろう。

 前回見た表情の余裕さはなく、茫然としているようだった。


「黒川さん、大丈夫ですか」


 沢白が話しかけると、治療にあたっていない方の隊員が、黒川の盾になるかのように間に立った。


 沢白はもう一度、バッジを掲げた。

 しかし、隊員は意に介さない様子で、無表情で沢白に宣告した。


「治療中です。事情聴取は後に・・・」


「いえ、構いませんよ」


 救急隊員の言葉を遮ったのは、黒川だった。


 その声には、思っていたより生気があった。

 隊員は表情を崩さず、後ろにいる黒川の方を振り返った。黒川はもう一度同じ言葉を繰り返す。


「構いません。大丈夫です」


 その最後通告が効いたのか、隊員は脇によけた。

 沢白は改めて黒川に問い直す。


「お怪我はないんですか」


「ええ、おかげさまで。

 首を絞められて死にかけましたがね、通りかかった記者さんに助けられましたよ。

 まぁ、通報してくれた後に、取材させてほしいと頼まれた時は少し笑えましたがね」


「ご無事で何よりです」


「しかし驚きました。まさかあなたが来てくれるとは」


「まさにその記者さんのおかげですよ。

 あなたほどの有名人だ。通報時に名前が出ましてね。それでうちのシステムが反応したわけです」


 黒川の皮肉交じりの言葉に、沢白も皮肉で返した。


「なるほど。広域捜査庁は思った以上に優秀らしい」


 やはりどこか癪にさわる。

 私情で動いた美智を一喝しながら、自分も私情交じりになっているのではないか。


「単刀直入に伺います。犯人に心当たりはありますか?」

「心当たり? ええ、もちろんありますよ」

 平然と言ってのける黒川。


「・・・今なんと」

「私を襲った人間に心当たりがある、と」

「誰です」


「能味俊。『日本のシステムを考える会』のメンバです」


 沢白は驚きが顔に出ないよう、自らを律しなければならなかった。

 だが、沢白の沈黙に何かを察したのか、訝しむように見てくる。


「能味俊をご存じなのですか」

「・・・」

「・・・まあいいでしょう」


 黒川は嘲笑めいた笑みを浮かべながらも、それ以上の追求をしてこなかった。


 沢白は、今の会話をなかったように続けた。


「なぜ、勉強会のメンバである能味俊があなたを襲うんです?」


「さあ、それは分かりませんね。ただ・・・」


「ただ、なんですか?」


「いえ、以前にも申し上げたが、集権派は我々のことを快く思っていないようでね。

 国制を蔑ろにするけしからん奴らだ、というのが彼らの言い分だ。

 ひょっとしたら、能味俊は集権派のスパイ、だったとか。なんてことをふと思いましてね」


 あまりにも大仰な口調に、沢白は思わず鼻で笑いそうになった。


「実際はもっと小さな話かもしれませんよ」


「・・・は?」


「能味、という名前に聞き覚えは?」


「ですから、うちの勉強会の・・・」


「いえ、勉強会に参加している能味俊、以外で心当たりがないか伺っています」


 話の腰を折られ、不服そうな表情を浮かべたまま黒川はしばし押し黙った。

 だが、やがて沢白の顔を見ながら声を上げて笑い始めた。


「ハッハッハ。なんてことだ。あんた、2年前の事故のことを言っているのか。有り得ない、いや有り得ませんよ」


「なぜ?」


「なぜって。あの事故は当時の警察の調べで、私とは無関係だと証明されたんです。

 まさか、あなた方がそんな件まで掘り返すとは・・・。よほど私を捕まえたいらしいな」


「それこそ被害妄想ですよ。我々は一般市民を罠にかけることなどしません」


「さぁ、どうだか。権力者は暴虐をふるうのが常ですからね」


「能味というのは珍しい苗字です。

 勉強会に参加した時点で、彼が事故の関係者だとは思わなかったのですか。

 現にあなたは、私と話していてすぐに、能味尊氏の事件を思い出したようですが」


「2年も前の、それも私とは関係がない事故の関係者の名前なんていちいち覚えていられませんよ」


「せっかくなのでお伺いしますが、能味俊の兄・能味尊の交通事故にあなたは本当に関わっていないんですね」


「・・・は?」


「あなたは事故とは無関係?」


「当たり前でしょう」


 そう答える黒川の口元にさきほどまでの軽薄な笑みはなく、驚くほどの無表情だった。


 黒川の変わり身を目の当たりにして、沢白はようやくこの男に感じてきた不快さの理由を理解した。

 黒川数樹という男は、自分と対極にいるのだ。


 対極。つまり、自分が犯罪者を追う立場だとすれば、この男は俺に追われる立場だ。


 2年前にしろ、今回の一連の事件にしろ、この男は絶対に何かを隠している。その噓を何としても暴く。沢白の捜査官としての闘志に火が付いた。


 だが、まずは今回の暴行事件に関して、もう一つはっきりさせなければならない。


「話は変わりますが、黒川さんはこのホテルにどんなご用件があったのでしょう」


 急に話題が変わったので驚いたのか、黒川は面食らった顔になり、それからいつもの軽薄な笑みを浮かべた顔に戻った。


「あぁ、今日は藤原祢佳議員を囲む会に招待されましてね」


 藤原祢佳、の部分にかなり力がこもっている。本人なりに圧力をかけているつもりなのだろう。


「あぁ、黒川さんは藤原先生の支援者でしたね」


「えぇ。良くして頂いております。なにより、分権移行を実現せんとする同志ですからね」


「同志・・・ですか、なるほど。ちなみにですが、黒川さんの今日の予定、ご存知の方は何人ほどいらっしゃいますか」


「予定ですか。秘書と、あぁ勉強会のメンバは皆知っていますね。随分前から、先生の話はしていますから、その流れで展開しています」


「随分前とおっしゃいますと、具体的にはいつぐらいでしょう」


「確か・・・、1、2カ月前かな」


 1カ月以上前なら、能味俊が姿を消すよりも前だ。

 あらかじめスケジュールを知っていれば、能味がこの場所で待ち伏せすることも可能だろう。


 だが、ここは永田町だ。警視庁も近い。

 犯行に及ぶには悪条件ではないだろうか。


 沢白が黙考していると、スポーツカーのそばにいた刑事が二人こちらに向かっていた。どうやら、現場検証を終えたらしい。


 さっさと引き上げないと、かなり分が悪い揉めごとになる。

 沢白はこの辺が潮時だと思い、笑みを浮かべたままの黒川に向き合った。


「近々またお会いするかもしれません。その時はよろしくお願いします」


 沢白も精一杯の微笑みを浮かべ、会釈して現場から離れた。


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