8 【フェリクス】
フェリクスはここ最近、あることに悩まされていた。誰にも相談できず、部屋にこもる生活が続いていた。
そこに救いの手を差し伸べたのはアルブレヒトだった。共に寄り添い、事情を訊くこともなくただ一緒にいてくれた。
本来であれば、フェリクスは誰とも一緒に行動したくなかった。それは突然目覚めた特殊能力が原因だった。
〈読心能力〉
人の心を読むことができる力。しかしフェリクスはその力を制御することができなかった。ある一定の距離に人が近づくと勝手に心を読んでしまうのだ。
フェリクスを中心にして半径約十メートルに入ると心を読んでしまう。フェリクスのことを面倒だと感じているメイドの声も、第一王子と第二王子を争わせたい貴族の声も、裏で武器の売買をしている騎士の声も聞こえてきてしまう。
聞きたくもない声が耳に飛び込んできても耳を塞ぐことしか出来ない。しかし耳を塞いでも脳内に直接流れ込んでくる。
いきなりそんな力に目覚めてしまったせいでパニックに陥るのは当たり前だった。まだ子供だ、未知の力に恐怖し、対処もわからないまま閉じこもるという手段を取る以外に考えが及ばなかったのだ。
体調不良ということで医者には診てもらっているが、心を読んでしまうので診察は短時間で済ませていた。
そうやって人を避けて生活しているところにアルブレヒトがやってきた。
不思議なことにアルブレヒトの心の声は聞こえてこなった。それどころか、アルブレヒトが近くにいるときは他人の心の声は一切がほとんど聞こえなくなったのだ。心の声が極端に小さくなる、という方が正しい。今まではっきりと声として聞こえていたものが、ぼそぼそと遠くでなにかが聞こえるくらいまで小さくなるのだから雲泥の差だ。
少し前までは近くを通るだけで睨まれていた。兄のことを怖いと思っていたし、できれば関わり合いになりたくなかった。
そんな兄アルブレヒトが変わった。ちょうど読心能力が備わったあたりからだろう。アルブレヒトが部屋に来たとき、顔立ちも、纏う空気も前とはまったく違って見えた。
アルブレヒトは言った。
「体の方は大丈夫か? なにか欲しいものはないか?」
その声は柔らかく、温かかった。
フェリクスはベッドから降りて兄を見た。見た目はまったく変わらない。少しばかり目元が優しくなったような気がする程度だ。しかし、雰囲気がまったく違う。おそらく、少し前までであれば手を伸ばしたらはたき落とされていた。そんな兄に向かって、フェリクスは右手を伸ばした。
アルブレヒトは不思議そうにしながらもフェリクスの手を握った。
「なんだ? どうしたんだ? トイレか?」
触れてみても心の声は聞こえてこなかった。
急に涙が溢れてきた。安堵が一気に溢れてきたのだ。メイドが慌てて入ってきたが、アルブレヒトが手で制した。
それからしばらく泣き続けた。その間、アルブレヒトはフェリクスを抱きしめて背中を擦っていた。
何年間も冷え切っていた二人の関係は一瞬にして氷解した。これがアルブレヒトの策なのかもしれないという考えがなかったわけではない。持ち上げて落とす可能性は十分ある。フェリクスも王族であり、そういった「裏切り」や「陰謀」に対しての教育は受けている。
けれど、もし裏切られたらそれでもいいかもしれないと思ってしまった。同時に信じたいとも思っていたのだ。今ここにいる兄を、信じたいと思った自分を。
それからアルブレヒトと行動をすることが多くなった。部屋から出るようにはなったが、すぐにアルブレヒトの部屋に向かうという生活が始まった。アルブレヒトはなにも言わなかった。第一王子として割り振られた仕事も、勉強も、魔法の訓練もフェリクスと一緒にするようになった。文句など一つも漏らさなかった。それどころか、こちらを見る目がいつでもどんなときでも優しかった。
何日もそうやって過ごすうちに王宮の中も明るくなっていった。第一王子が作っていた殺伐とした空気はなくなり、仲睦まじい兄弟がそこに残った。
そして、久しぶりに公爵令嬢とのお茶会がやってきた。
エルヴィーラがこちらに歩いてくるのが見えた。少しずつ近づいて、読心能力が発動する範囲に彼女が入った。ここで予想外のことが起きた。
(声が、きこえない……?)
聞こえづらいわけでも声が小さいわけでもない。兄と同じく「完全に聞こえない」のだ。
今にも涙が出そうだった。また一人、心置きなくおしゃべりができる存在が増えたのだ。もしかすると彼女もまた、兄と同じように周囲の心の声を中和してくれるのかもしれない。そう考えるとなおのこと嬉しかった。ただの期待でしかないが、希望があることが嬉しかった。
楽しいお茶会はおしゃべりをしながらお菓子を食べていたら終わってしまった。エルヴィーラが帰ったあとは思わずため息が出てしまった。
自室に戻ったフェリクスは胸に手をあてて服をギュッと掴んだ。
「すごい……!」
胸の高鳴りを抑えきれず、ベッドに飛び込んでじたばたと手足を動かした。
嬉しかった。この〈読心能力〉が通用しない人がまた一人現れたことがとてつもなく嬉しかったのだ。もしかしたら他にもそんな人がいるのかもしれない。そう考えるともっと嬉しくなる。
エルヴィーラの顔を思い出すと、どうしてか顔が熱くなって胸が高鳴っていく。読心能力が通用しないからというのもあるが、エルヴィーラの顔をまじまじと見て話したこと自体が初めてだった。彼女もまた、兄のように人間的に柔らかくなっていたのを肌で感じたからこそちゃんと話ができたのだ。
「きれい……だったなあ」
目が大きくてまつ毛は長く、鼻はツンと上を向いて微笑みは常に優しさが溢れていた。年は一つしか違わないはずなのに大人びていたというのもフェリクスの心をくすぐっていた。
またあの微笑みを向けて欲しい。たくさんおしゃべりをして、自分のことを知ってもらいたい。なによりもエルヴィーラのことをもっともっと知りたくなった。
天井を見上げて、フェリクスは考えを巡らせる。どうしたらエルヴィーラに近づくことができるだろう。どうやったらお互いのことを理解できるようになるだろう。
「うん、動かなきゃ」
出した結論は「自分が公爵邸に赴く」というものだった。なにかしらの理由をつけて公爵邸に行き、エルヴィーラとの時間を作る。これしかないと鼻息を荒くした。
これがどんな結果になるのかは、このときのフェリクスはまだ知らない。




