9
「それでは今日の授業はこれくらいにしましょうか」
「はい、ありがとうございました」
クルト先生はお香の火を吹き消した。適正検査の次の授業から焚かれているお香だが、内功のめぐりをよくしてくれるものらしい。昨日はウッド系で今日はラベンダーのようないい匂いがする。エルヴィーラは好きな匂いなので問題はない。
授業を受けるたびに魔法が上達しているのがわかる。当然魔法師からしたらまだまだだとは思うが、先生の手を借りることで魔力をちゃんとコントロールできるようになってきていた。
「エルヴィーラ様の魔法、穿孔魔法はその特性上相手に接近して使うことが多いので、体を鍛えてもいいかもしれませんね」
「確かに、汎用性もなさそうですしね」
自然魔法であれば、戦闘以外でも使い道は存在する。しかし穿孔魔法は基本的に戦闘以外で使われない。必然的に戦闘をする可能性が増え、当然のように強靭な体が必要になるということだ。
「今度騎士さまたちに鍛え方を教えてもらおうかなと思います」
「少しずつやっていくといいかもしれませんね」
クルトがニッコリと微笑みかけてくれた。この笑顔があれば、また次の授業まで頑張ろうと思える。今のエルヴィーラにとってクルトが一番の癒やしだ。年齢のせいもあるが、やはり大人の男の余裕みたいなものには惹かれてしまう。
クルトは勉強道具を片付け、バッグを持って立ち上がった。
「それでは失礼します。エルヴィーラお嬢様、お元気で」
エルヴィーラはイスから飛び降りてクルトの前に立った。
「はい、先生もお気をつけて」
そう言ってから礼をした。
クルトが部屋を出ると、室内にいた騎士も一緒に外に出た。おそらくクルトに対しての監視なんだろうが、エルヴィーラにはクルトがなにかをするとは思えなかった。
二人が出ていくと、交代するようにしてエマが入ってきた。
「お疲れみたいですね」
「ずっと魔法を使ってるからね、さすがに疲れちゃった」
深く長いため息を吐いた。体力の中を痛感し、なにか運動が必要なのかもしれないともう一度ため息を吐いた。
「そうだ、体を鍛えたいんだけど暇な騎士っていないかな?」
「暇かどうかはわかりませんが、お嬢様が言えば旦那様がなんとかしてくださるとは思いますよ?」
「そっか、今度お父さまにお願いしてみようかな」
できれば子供でも邪険にせず格好良くて優しくて格好良くて頭が良くて格好良い人が望ましい。そんなことを考え、エルヴィーラは少しだけニヤけていた。
「それまでは自分でできることをしようかな」
「と、いいますと?」
「散歩かな。庭園をぐるっと回ってこようかな」
「それなら一緒にどうだ」
そんな声がドアの方から聞こえてきた。
「どうしたんですかお兄さま。学校の方はいいんですか?」
ケヴィンは今年から魔法学園に入学して学寮で暮らしている。魔法学校は全寮制で、王族貴族平民関係なく平等である。エルヴィーラが目覚めたときも、あのあとすぐに寮に戻ってしまった。一般教養の勉強もあるが、魔法師や騎士になるための勉強や訓練も行わなければいけない。本来であれば魔法師か騎士のどちらかを選択すればいいのだが、兄であるケヴィンは選択をしないという選択をした。それでもきっちりとこなしているという。
「別に戻ってきちゃいけないなんて規則はない。たまにはお前の顔でも見ようかなと思って戻ってきた」
「本当は?」
「少し生活費がな」
ケヴィンは歯を見せて笑っていた。記憶の中のケヴィンもこういう人で、きっといつまでもこういう人なんだと思う。ローゼンハイム家の人間なので当然顔も良く、それでいて明るくて軽めの性格だ。学園でも好意を寄せる女性も多いだろう。
ケヴィンの前まで歩き、手を出しながらエルヴィーラは言う。
「それで、一緒に行くの?」
「エスコートしますよ、お嬢様」
彼はそんなことを言いながら手を取った。歩き出すと、エルヴィーラの歩幅に合わせてくれた。
屋敷の中を歩いて庭園に出た。たくさんの花が咲いているが、黄色やくすんだ赤や茶色なんかが多い。この世界はファンタジーではあるが、四季は日本と同じようにやってくる。時間の進み方も一緒なのだが、ようやく秋らしくなってきたなというところだ。最近は肌寒い日も増えたため、用意されるドレスも長袖が多い。
庭園を歩いて公爵家の出口の方へと近づいていく。このとき、誰かが言い合っている声が聞こえてきた。
歩調を上げて出入り口の方へと向かってみれば、とんでもないことになっていた。
「どうしてこうなった……」
ヴェンデル、ジークフリート、フェリクスが三人で睨み合っていた。ちなみにヴェンデルの横にはイルザ、フェリクスの隣にはアルブレヒトがいる。避けたいと思っている、もしくは逆に過剰に仲良くなっておきたい人たちが勢ぞろいしているわけだ。
「行かなくていいのか?」
ケヴィンが呆れながら言った。
「行くわよ。放っておけないし」
「そりゃそうだろ、うちの敷地内だし。お前の幼なじみだしお前の婚約者だし。あとこの国の王子だし」
「言わないでよ、頭痛くなりそう……」
エルヴィーラが近づいていくと、全員揃ってこちらを向いた。なにが原因でこじれたのかはわからないが、とりあえずなんとか収拾させなければならない。
「どうしたの? なにかあった?」
とりあえず一番接しやすいヴェンデルに話しかける。
「ジークフリートが通してくれないんだ」
たしかに、ジークフリートの対面に他の四人がいるように見える。
視線を送ると、彼は睨みをきかせてきた。
「ジークフリート、どういうこと?」
「お前が悪いんだろ」
「なにかしたっけ?」
「僕の婚約者なのにコイツらとばっかり仲良くしてるからだろ!」
一瞬だけ頭が真っ白になった。
「もしかしてそんなことを気にしてたの?」
よく見ると少しだけ目端に涙が浮かんでいるような気がする。
「そんなことってなんだよ」
「でも正式な婚約者じゃないでしょ? お祖父さまが勝手に決めたことなんだから」
するともっと涙ぐんでしまった。
よくわからないが、ジークフリートはエルヴィーラとの婚約を望んでいるように聞こえる。元々異性に対しての興味が薄く、魔法に傾倒していたタイプの男だったはずだ。
「もういい!」
そう叫んで走り出したジークフリート。走り出した場所が書庫の方なので、たぶん混乱してるんだろうなと容易に想像できる。
この状況で説得できるのは私だけだろう。もしも彼が少しでも気持ちがあるのであれば、エルヴィーラ以外に収拾できないのは間違いない。
エルヴィーラが駆け出そうとすると誰かに肩を掴まれた。振り返るとヴェンデルが呆れ顔でこちらを見ていた。
「俺がなんとかする」
「なんとかするって、今のジークフリートには何言っても意味なさそうだけど」
ジークフリートは男主人公の中では面倒な方で、なだめるのも苦労するなんていうのは想像に難しくない。ヴェンデルが行くくらいならエルヴィーラが行った方がまだ可能性があるはずだ。
「エルが行くよりはずっといい。それに殿下たちも来てるんだ、公爵令嬢が相手をしなくてどうする」
「お兄さまがいるわ」
「でも殿下たちはお前に会いに来たらしいぞ」
そう言われるとぐうの音も出ない。
「まあ任せておけ。上手く解決する」
そう言ってヴェンデルは駆け出していった。これ以上話し合いをしていてもいたちごっこになるだけだと考えたのだろう。でもあの二人の仲がいいとは思えない。いったいどうやってなんとかするつもりなのか、そんなことを思ってしまった。
「で、では残った方々は私が案内いたします。私に用事がある方は?」
アルブレヒト、フェリクス、イルザがエルヴィーラを見て笑った。
「お兄さま、殿下たちを庭園に案内してもらえる? 私はお茶の用意をしてもらえるように言ってくるから」
「わかった。早く戻ってきてくれよ」
全員に一礼をしてからキッチンの方に向かった。その間、エルヴィーラの頭の中はジークフリートとヴェンデルのことでいっぱいだった。




