10 【ヴェンデル】
ジークフリートの姿はすでに見えないが彼が公爵邸で行く場所など限られている。一度人生を終えているからこそ、この年齢のジークフリートの行動は手に取るようにわかる。
ヴェンデルも本心ではエルヴィーラと同じ時間を過ごしたかった。それがきっと自分のためだとも思っていた。しかし、エルヴィーラがジークフリートを追いかける姿を見るのが嫌だった。
「まだまだ子供だな」
自分の方が明らかに精神年齢が上だ。本来の十歳の男の子よりも余裕も包容力もあると自負している。それでも嫌だった。
前回の人生とはありとあらゆる事象が変動していることに疑問はある。その変動によって上手く立ち回れないことに歯がゆさを感じているのも事実だった。現に、前の人生ではアルブレヒトやフェリクスがエルヴィーラに会うために公爵邸に訪れるなんて話は聞いたことがなかった。それに前回のアルブレヒトよりも優しくなっている。この先、アルブレヒトがエルヴィーラの婚約者になる可能性も考えると、あまり仲良くはしてほしくない。
だがそれ以上の懸念があった。ジークフリートとエルヴィーラを二人きりにすることで仲が発展してしまうことだ。まだ十歳と言っても、ここで胸に深く刻まれるような思い出になってしまえば、いつかそれを思い出して、恋愛感情に転移してしまうかもしれないと恐れたのだ。
結果、面倒でも自分で動くことを選んだ。同時に、ワガママで人を突き放すような言動をするジークフリートを見ていられなかった。悪い人間ではない。少しばかり口が悪く、一度口を衝いて出た言葉を訂正できない性格なのを知っている。そうやって後悔した姿を何度も見た。
エルヴィーラの運命を変えたいのは当然だが、同時に他の人の人生も良くなればその限りではない。
損をする性格だな、などと思いながらもジークフリートを追いかけた。
書庫に入って、机の下や棚の間などを探していく。
十分ほど探し回り、うずくまるジークフリートを見つけた。二階の一番奥の角。棚と棚の間にすっぽりと収まっていた。
「おい」
声をかけると、恨めしそうにこちらを見上げてくる。
「なんだよ」
「なんだよって、自分がやったことわかってて言ってるのか?」
「別に悪いことなんかしてないじゃないか」
「本当にそう思うのか」
イスを引いて飛び乗った。
「わかってるんだろ。あの状況で自分が一番悪かったって」
「うるさい。お前に僕のなにがわかるっていうんだ」
「お前の気持ちなんて知ったことか」
「じゃあなんで追ってきたんだ」
「決まってるだろ」
ヴェンデルが薄く笑う。
「エルヴィーラのためだよ」
「アイツの? お前、アイツのことが好きなのか?」
ジークフリートは目を見開いて息を飲んだ。まるで信じられないとでも言いたげだった。
「正直わからない。でもエルヴィーラが悲しそうな顔は見たくないんだ。困った顔は嫌いじゃないけどな。お前は好きなのか?」
「僕があの女を? ありえない」
「ありえないのに、エルヴィーラが他の男と仲良くしているのは嫌なのか」
「嫌なものは嫌なんだ。それに好きだとか好きじゃないとか、そんなものは関係ない。僕とあの女は婚約者なんだ」
「婚約者とは名ばかりのお遊戯みたいな関係だけどな」
「お前!」
ジークフリートが勢いよく立ち上がった。怒りの目つきでヴェンデルの胸ぐらを掴もうと手が伸びる。
が、その手が服を掴むことはなかった。
ヴェンデルの眼光に射抜かれて体が硬直した。これ以上近づいてはいけないと体が拒否反応を起こしたのだ。
「なんだよ、お前……」
ジークフリートはそう言ってから生唾を飲み込んだ。
ヴェンデルの眼差しには力が込められていた。志という名の気高さと、獣のような暴力的な圧力だった。
「エルヴィーラも否定してたはずだ。祖父が決めただけの関係だと。正式に決定された婚約じゃないのはお前だってわかってるはずだ。俺はお前が勤勉なのも知ってるし、頭がいいのも知ってる。そんなお前が、この婚約には意味がないことを理解してないはずがない」
ジークフリートの腕が重力に抗うことをやめた。だらんとぶら下がり、その上で拳を強く握り込んだ。
「僕にだってわからない、なんでこんな気持ちになるのか。正式な婚約じゃないって言われるたびにもやもやする。他の男と仲良くしているのをみるたびにイライラする。なんでだ、なんなんだよ!」
ヴェンデルは一つため息をつき、イスから飛び降りた。二人の視線が、今ようやく同じ高さになった。
「それは俺が教えるようなことじゃない」
「じゃあ誰が教えてくれるんだ」
「そもそも誰かに教わることじゃない。お前が自分で気づかなきゃ意味がないことだと思う」
「お前に言われると腹が立つ」
「逆の立場だったとしても、俺も同じことを思っただろうな」
「一緒だって言いたいのか? お前と同じなんてゴメンだ」
「同感だ。ただ、助言だけはできる」
「断る」とは言われなかった。
「婚約者って言葉で縛り付けたいなら、本当の婚約者になる努力をした方がいい。それができないなら、婚約者でなくても近くにいられる存在にならないと、お前の問題は一生解決しないはずだ」
「人はいつかは離れていくだろ。どんなに近くても」
ジークフリートの母が他界していることをヴェンデルも知っている。ジークフリートがなにを言わんとしているのかは容易に察することができた。
「離れていくときは離れていく。でも、いつかは離れていくからって手放したら、欲しい物は一生手に入らない」
「欲しい物なら、自分で掴めか」
「そういうことだ。それにはまずエルヴィーラに謝らないとな」
「あと、殿下にも」
「わかってるならいい」
ヴェンデルがジークフリートに背中を向ける。
「行くぞ」
するとジークフリートは舌打ちをした。
「なんでお前が主導権を握るんだ」
ジークフリートがヴェンデルの隣に並ぶと、二人一緒に、同じ速度で歩き出した。前の人生では芽生えることがなかった「少年時代の絆」が生まれた瞬間であった。




