5 【ジークフリート】
エルヴィーラの背中を見つめ、ジークフリートは奥歯を噛んだ。
「どうして僕があんなやつのこと……」
最初は祖父に言われただけのお飾りの許嫁だった。いや、きっと今もそれは変わらない。
なのに最近は妙に気になってしまうのだ。
「クソっ」
そんなことを言ったあとで公爵邸の書庫に向かうのだった。
今日、書庫で探す内容は決まっている。この世に存在する〈特別な魔法〉もしくは〈特別な能力〉についてだった。
ここ最近のこと、ジークフリートはその件について頭を悩ませていた。
「未来予知、未来予知っと」
書物の題名を一つ一つ確認していく。探している理由は単純明快で、ここ最近未来予知のようなものに目覚めたからだった。
しかしそんな魔法は確認されていない。そもそもジークフリートは風属性の自然魔法使いであり、それ以外の魔法を使うことはできない。
だからこそ気になる。どうして自分にこんな能力があるのか。
それらしい本を何冊か取ってテーブルに向かった。誰もいない大きな書庫に一人、イスに座って本を読み始める。
嘘か真かは別として、未来予知についていくつかの記述が見られた。
この世界において特別な能力を持つものは極稀ではあるが存在する。死んだ人の魂を自分に宿したり、生まれる前の記憶があったり、傷の治りが異常に早かったり、未来を見ることができたり。
未来予知にはいくつかある。未来の夢を見ることや、触れた人間の未来が見えたりする。
ジークフリートの能力は本に載っていなかった。未来予知ではあるのだが、該当するものが見つからなかったのだ。
彼が持つ未来予知はジークフリートと目が合った人間の未来が見えるというものだ。十日後の未来であったり、一年後の未来であったりと見る未来を選ぶことはできない。それに自由に未来を見ることもできず、十回目にしてようやく見えることもある。だが間違いなく言えるのは能力が発現したこの状況で初めて目が合った人物の未来を必ず見るということだ。幼い頃から何度も目が合っていても必ず一回は関係なく未来を見る。
けれど、例外が一人だけいたのだ。
「これじゃあ参考にならない」
頭を抱えて机に突っ伏した。そしてエルヴィーラの顔を思い出す。
「どうして僕があんなやつの顔なんか……」
それでも思い出してしまうのだ。
この能力を授かったのは最近だ。であれば、最近見た人間の未来は全員見てもおかしくない。その中で未来が見えない少女が存在した。
「エルヴィーラ=ローゼンハイム」
それからというもの、彼女のことを目で追ってしまうのだ。ヴェンデルと仲良く話をする姿を何度も目撃したが、その度になぜかイライラしてしまう。自分でもなぜイライラしているのかわからなかった。
「僕といるときは嫌そうな顔するくせに」
考えるだけで腹が立つ。けれどその矛先はヴェンデルのみに向けられており、エルヴィーラに対しての憎しみなどはなかった。
それを自覚して、思わず机に突っ伏した。
「僕はどうしてしまったんだあああああああ!」
両手で頭を抑えてその場でのたうち回った。こんなことは今までになかった。基本的に人に興味がなく、自分の能力を高めることばかりを考えて生きてきた。けれど自分の意思のみでそういう生き方をしたわけではない。
高慢で見栄っ張りな父、グスタフ=クライシェはジークフリートにだけ厳しかった。娘のイルザを甘やかす反面、ジークフリートには辛く当たり「当主になるには必要なことだ」と、ひどいときには一日中イスに縛り付けて勉強させた。領地管理はもちろんのこと、税金の計算法や物価の抑制方法など、十歳にしてありとあらゆる知識を詰め込まれた。
グスタフには魔法の才能がなかった。代償であるかのように商才はあったが、グスタフは魔法の才能がないことをコンプレックスとし、それが原因で座学に精を出すようになる。が、自身の幼少期の経験を是とし、それをジークフリートにも強要した。ジークフリートに魔法の才能があるとわかると、さらに締め付けをきつくしたのだ。
『誰よりも万能であれ』
父にはそうやって言い聞かされてきた。自分ができなかったことを、グスタフは息子に託したのだ。伯爵という中途半端な爵位もまた拍車をかけていた。
それでもジークフリートは父を恨んだ覚えはない。父が言っていることを正しいと考え、誰にも馬鹿にされないように、舐められないように精進してきた。他の貴族など関係ない、自分はこの道を歩いていくのだと心に強く決めた。
そんなジークフリートが一人の少女に翻弄されている。なにかをされた覚えはない。ただ、無性に気になってしまうのだ。
そうやって、気がつけばまたエルヴィーラのことを考えてしまう。
そんな気持ちを覚ますように、頬を強く叩いたあとで勢いよく立ち上がった。そして手早く本を片付けて書庫を出る。心のどこかで残念な気持ちがあるのは、きっと目当ての情報がなかったからだろう。決して公爵邸を離れなければいけないからではないはずだ。
公爵邸の入り口には二台の馬車が止まっていた。片方はクライシェ伯爵家のものだが、もう一つの馬車には違う家紋が掲げられていた。
「リースフェルト侯爵家……ヴェンデルか」
ジークフリートが呟くと、ちょうど馬車から人が降りてくるところだった。ヴェンデルと妹のイルザだった。ヴェンデルの妹ではない、ジークフリートの妹だ。
「なんでアイツがここにいるんだ」
それはヴェンデルとイルザの両方に対しての疑問だった。
ジークフリートは速度を緩めることなく馬車へと向かう。ヴェンデルたちもまた速度を落とすことなく公爵邸の敷地を歩いてくる。
そうして、二人の距離が二メートルほどに近づいて同時に足を止めた。ジークフリートは顔をしかめながらも胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「こんにちは、クライシェ伯爵令息」
頭上から挨拶が飛んできた。そう言われてからジークフリートが顔を上げる。
「ご機嫌麗しゅう存じます、リースフェルト侯爵令息殿」
視線が交わると、お互いに口を噤んでにらみ合う形になった。
「ねえ、火花が散ってるみたいですわよ」
そんな空気を切り裂いたのはイルザの一言だった。
毛先にいくに従ってふわふわと大きくなっていく髪の毛は彼女の性格を象徴しているようだった。おおらかでマイペース、けれど誰のことも怒らせることはなく自分が怒ることもないそんな少女だ。
「いいから黙ってろ」
「もう、そんなんだからお兄さまは嫌いよ」
「そういう話は家でしろ。というかなんでコイツと一緒にいるんだ」
「お屋敷にいたらヴェンデルさまが来たましたの。あとでローゼンハイム公爵家に行くっていうからついてきただけですわ」
「お前ってやつは……」
右手で頭を押さえる。
「兄妹喧嘩は終わったかな? それじゃあ俺は行くけど」
「はーい、終わりました。それじゃあね、お兄さま」
ヴェンデルが涼しい顔をして通り過ぎようとしたことが、どうしてか異様なほどに腹が立った。
「ヴェンデル」
気づけば名前を呼んでいた。
「そう呼ばれるのは久しぶりだな、ジーク」
「最近は顔を合わせてなかったからな」
「それで、どうして呼び止めたんだ?」
「最近、リースフェルトの馬車がここによく来るってメイドが話してたんだ」
「ああ、そういうことか」
と、ヴェンデルは薄く笑った
「キミには関係ないさ。帰るならさっさと帰れ。俺はこれからエルとお茶をするんだ」
「エル? 公爵令嬢を気安く呼ぶなよ」
「俺は幼なじみだから大丈夫。それじゃあ、元気で」
会話を無理矢理切り上げて、ヴェンデルはイルザを連れて屋敷に向かっていった。
エルヴィーラと会話をしたあともそうだった。こうやって、自分から離れていく背中を見ていることしかできなかった。きっとこれ以上声をかけてもあしらわれるだけだ。
それならば、あしらえないようにしてやればいい。もっと自分を磨いて、誰もが振り向く存在になればいい。自分から声をかけるのではない、相手が自分を引き止めるように。
ヴェンデルの背中を睨んだあとで、ジークフリートは馬車へと向かった。エルヴィーラへの気持ちやヴェンデルへと気持ちが一体なにであるかはわからない。けれど思考して地団駄を踏む気もなかった。
「覚えてろ、リースフェルト」
そう独り言ちてから馬車に乗り込むのだった。




