3 【ヴェンデル】
侯爵邸に帰ると、穏やかな笑みを浮かべる母が待っていた。
「エルヴィーラの様子はどうだった?」
「大丈夫みたいだよ。少し、雰囲気は変わったみたいだけど」
「池に落ちたときにすぐに助け出されたって聞いたけどね」
「俺もそう聞いたよ。話もちゃんとできるし問題もないと思う」
「こら、自分のことは「ぼく」って言わなきゃダメって言ったでしょ」
「呼称なんてそのうち変わるんだから気にしないでよ」
「どうしてこんなふうに育ってしまったのかしら」
なんて言いながら頬に手を当てる母を横目に屋敷の中を進んでいった。
ヴェンデル=リールフェルト。リースフェルト侯爵家の長男で、騎士を目指す姉が一人いる。剣術や槍術、拳術などは姉に教わりながら模擬戦などもしている。基本的には負けっぱなしであるが、少しずつ体ができてきたおかげか前よりも勝負になってきている。
十歳のときに魔法が覚醒して火属性の魔法が使えるようになった。まだ小さな火しか扱えないが、こちらも少しずつ上達している。
自室に戻ろうかというところで、姉と遭遇した。ヴェロニカ=リースフェルト、社交界デビューもまだだというのに貴族の中でも有名な少女だ。騎士になることを夢見てそこに向かって突き進んだ結果、個人で犯罪者を捕まえるというお転婆少女になってしまった。父は頭を痛めているが、母はそこまで気にしていなかった。ヴェンデルもまた「好きにさせておけばいい」と思っている。
「帰ってきたな。訓練所に行くぞ」
と、ヴェロニカが歯を見せて笑った。豪放磊落、大胆不敵、勇往邁進。そんな言葉が当てはまる、ヴェンデルにとって自慢の姉だった。
「いいよ」
今日もまたボコボコにされるのだろう。そんなことを考え、鼻で笑いながらも応えた。強制されたことはないし、これが強くなるのに必要だとわかっているから模擬戦に同意するのだ。
着替えを済ませて訓練場にやってきた。お互いに木剣を持って、五メートルほど距離をとった。二人の間にヴェロニカの専属メイドが立つ。
「それでは、始め!」
メイドがすぐさま後退り、それと同時に木剣同士がぶつかり合う。
「このっ……!」
この年令の四歳差というのはかなり大きい。どうやってもがっしりとした筋肉が付かないため、力で押さえつけられるとどうすることもできないのだ。
逃げ回りながら、ときにヴェロニカの木剣を受け止める。体の小ささを利用して懐に潜り込むがすぐに突き返されてしまう。そんなことを何度か繰り返すうちに腕が上がらなくなってきた。
「今日はこれくらいにしとくか?」
「そうだね。一人で訓練もしたいし」
「いつの間にか嫌われたみたいだな」
「そんなことないよ。姉さまのことは好きだ」
「本当か?」
「嘘なんてついてどうするのさ」
「それじゃあ、はいここ」
ヴェロニカが屈んで左頬に人差し指を当てた。
「はいはい」
ため息をついたあとで、ヴェンデルはその左頬にキスをした。
「お返しな」
そうすると今度はヴェロニカが頬にキスをしてきた。
「それじゃあ、あんまり無理するなよ」
なんて言いながらヴェロニカが去っていく。その背中を見つめながらヴェンデルは木剣を強く握りしめていた。
まだこんなにも弱いのかと、自分を蔑んでいた。そしてそのまましばらくの間木剣を振り続けた。
一時間以上そうしていただろう、ヴェンデルは訓練用の木剣を置いてからタオルで汗を拭いた。
「坊っちゃん、そんなに頑張らなくてもいいのでは?」
メイドのリリーが心配そうに言った。年齢は十五歳とまだ若く、十五歳の中でも非常に小柄である。しかしながら父である執事のシモンの娘であるからなのか、年齢よりもずっとしっかりしており、二年前からヴェンデルのお付きメイドとなった。
「これくらい大丈夫だ」
差し出されたコップを受け取り水を一気に飲み干した。
汗を拭きながらバスルームへと向かった。汗を流して部屋に戻り、すぐさま勉強を始めた。だがその勉強の間に考えてしまうことがある
『エルヴィーラにバレなかったかどうか』である。
十八歳のあのとき、ヴェンデルは間違いなくこの世を去った。王都にサラマンダーの群れが押し寄せた。それを止めるために前線赴いたエルヴィーラを守るために戦い、サラマンダーを先導した者に殺された。自分と共にエルヴィーラが殺されたのも目撃した。首を切られ、血しぶきが飛び散る様を死に際に眺めていた。けれどその直後にここにいた。どうしてこうなったのかはわからないが、間違いなく過去に戻ってきていた。
「次こそは助けてみせる」
強く拳を握り込んだ。
つい先日、気がつけば子供に戻っていた。最初こそ困惑したけれど、これも運命だと思って受け入れることにした。
今の状況を受け入れてからすぐに思いついたのは「エルヴィーラを助ける」ということだった。
前回の人生のエルヴィーラは幼少期こそ自分勝手であったが、年齢を重ねるにつれて性格も落ち着いてきた。それでも魔法学園では悪女などと呼ばれていた。なんとなくその理由はわかっていたため、ヴェンデルはエルヴィーラを守り、庇い続けてきた。
エルヴィーラが悪女と呼ばれていたのは彼女の性格が悪いわけではなかった。いうなれば「とにかく運が悪かった」のだ。
誰かが誰かを蹴落とそうとするたびにエルヴィーラがそこにいる。しかも容疑者として一番近い場所にいるのだ。結局誰が事件を起こしたのかは有耶無耶になり、彼女が罪を被せられてしまう。それを知っていたから、いつもそばにいて守り続けた。
ヴェンデルは知っている。いや、自分だけが知っていればいいと思っていた。エルヴィーラという少女が誰よりも優しく、誰よりも勇敢であることを。
今回こそは死なせるわけにはいかないのだ。そのためには剣術も魔法を勉強も、なにもかもで成績を維持し続けなければいけない。そうすれば「ヴェンデルが味方をするのだから、きっとエルヴィーラはなにもしていない」と言われるようになるはずだ。
そしてこの人生で伝えたいことがある。胸に秘め続けたこの気持ちだ。第一王子と婚約したせいで言えなかった。だからこそ、今度は婚約する前に自分が名乗りを上げるつもりである。
「俺が幸せにするんだ」
そんな気持ちを胸に、ヴェンデルは今日も自分を磨き続けている。




