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今日もハムスター少女として生きていく  作者: 酣睡


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17/29

同郷から来た友人は、意外と悪戯っぽい

正午の熾烈なる烈日が生々しく照りつける、遮るもののない広大な演練場。


白亜の石材で組み上げられたすり鉢状の円形観客席には、風聞を聞きつけて群がり集まった生徒や教官たちが、幾重にも重なり合ってすき間なく詰めかけていた。


しかし、その広大なる空間を支配していたのは、人々の背筋を凍りつかせるほどの絶対的な死線と、息を殺した静寂であった。


歓声を上げる者は一人もおらず、互いに顔を見合わせて囁き交わす者すら存在しない。居合わせたすべての者が息を呑み、目を見開いたまま、演習場の中央に広がる異様極まりない光景をただただ凝視していた。


それは決して、マリーズがたった一人の華奢な身でありながら、オーレリア率いる三十余名もの完全武装した精鋭騎士たちを相手に、傲然と対峙しているからではない。


そこに佇む灰白色の髪の少女――その全身から立ち昇る気配そのものが、世界の常理を著しく踏み越えた、奇怪にして不吉な凶兆に満ち満ちていたからに他ならなかった。


その小柄で愛らしい肢体の輪郭を、肉眼で明瞭に捉えられるほどに濃密な漆黒の霧が、生き物のようにうねりながら幾重にも取り巻いていた。


本来であれば咲き誇るライラックの花びらのように澄み渡り、息を呑むほどに美しいはずの双眸。


その双眸の瞳孔のまさに中心には、いつの間にか針の先ほどに凝縮された、深紅の血の光斑が二つ、冷酷に点火されていた。


そこには、人間が持ち合わせるべき微かな温もりも、生命の息吹も、感情の揺らぎすら欠片も存在しない。


あたかも太古の冥府の底から這い出でた無慈悲なる魔神が、あまりにも脆く儚い人の皮を借り受け、愚かな俗世の凡百を冷ややかに睥睨しているかのようであった。


ただその赤い凶芒と視線が交錯したというだけで、観客席に腰掛ける無数の生徒たちは頭皮が痺れるほどの戦慄を覚え、総毛立つ悪寒に襲われていた。


「マリーズ……!」


演練場において、何者かが公然と包囲網を敷いてマリーズに私闘を仕掛けたという報せを耳にした瞬間、イリノーとフェイは取り乱しながら人混みを掻き分け、観客席の最前列の手すりへと駆けつけていた。


しかし、暴虐極まる凶悪な気配に完全に呑まれ、人ならざるものへと変貌を遂げたあの小柄な背中を視界に捉えた瞬間、二人の呼吸は同時に凍りつき、まるで鉛の塊を飲み込んだかのような重苦しい自責と愧疚の念が、じわじわと胸の奥底を侵食していった。


そして、意識を取り戻したばかりのティナもまた、マリーズの異変を知るや周囲の制止をことごとく振り切って、未だ癒えぬ満身創痍の身体を引きずりながら観客席の手すりへと縋り付いていた。


蒼白に乾いたその頬には、隠しようもない焦燥と痛ましさが色濃くにじみ出ている。


イリノーのすぐ背後には、屈強なる体躯を誇る近衛騎士長、フリードが鋼のように直立していた。


鉄の椅子によって臀部に穿たれた重傷はいまだ癒えておらず、激痛が走っていたはずであるが、この老獪なる近衛騎士長は奥歯を噛み締めながら、公爵令嬢に近侍するに相応しい厳格な威儀を寸分違わず保っていた。


彼は音もなく身を低く屈めると、声音を極限まで押し殺し、先刻医務室において自分が如何に巧妙極まる虚言の網を張り巡らせ、フェイが最初から最後まで打算と欺瞞によってマリーズを利用していたのだと信じ込ませたかを、一言一句漏らすことなくイリノーの耳元へと密やかに囁きかけた。


「……恐れながら申し上げますに、伯爵令嬢の現在のただならぬ異常さは、信じていた感情が不実に塗れていたことへの吐き気を催すほどの嫌悪感と、裏切りの衝撃に打ちのめされたがゆえのものかと愚考いたします」


その報告を耳にした瞬間、イリノーの艶やかな紅唇が微かに、極めて冷酷かつ優美な弧を描いて吊り上がった。


彼女は振り返ることなく、フリードに対してこの上なく深い賛賞の眼差しを投げかけた。


普段は戦場で剣を振るうことしか能がないと思っていた武骨な護衛が、まさか陰でこれほどまでに完璧な立ち回りを演じ、最大の恋敵であったフェイをいとも鮮やかに排除してのけたのだ。


これぞまさしく、天が自分に授けたもうた千載一遇の好機であった。現在のマリーズは、いかなる者の目から見ても精神の絶対防壁が跡形もなく崩壊し、狂気の淵で暴走しかけている脆く哀れな状態にある。


この茶番じみた演習が終わりを迎えたその時、自分が公爵令嬢としてのこの上なき慈愛と温もりを湛えて歩み寄り、その引き裂かれ血を流す心を甘やかに包み込んでやればよいのだ。


かつてホーエンツォレルン家がヴァレンシュタインの暴威に脅かされていた事実をマリーズが知悉していようと、愛に飢え、孤独に苛まれる少女の閉ざされた心房など、その瞬間に跡形もなく融解させることができるはずであった。


だが、観客席において張り巡らされていた醜悪な打算と謀略を他所に、演練場の中央に佇むマリーズは、緩慢にその顎を持ち上げた。


少女の柔らかな赤い唇がわずかに開き、白く華奢な指先が、見る者の正気を疑わせるように己の口内へと深々と差し入れられた。


骨肉が擦れ合い、冷徹なる金属が軋みを上げるおぞましき摩擦音とともに、彼女は自身の頬と喉の最奥から、分厚く重厚極まりない中世の騎士用ロングソードを一本、力任せに引きずり出したのである。


幅広にして無骨な刀身。十字の鍔と柄頭のポメルは、純然たる冷徹な鋼の光沢を鈍く放っている。それは到底、か弱き少女の腕力で振るえるような生易しい代物ではない。


戦場において鉄壁の重装甲に身を包んだ重装歩兵や騎兵を、その質量をもって叩き潰し、両断するためだけに鍛え上げられた殺伐たる巨刃であった。


転生者であるマリーズの魂の深奥には、前世において親しみ、憧憬を抱いた日本武士の優美にして鋭利極まる日本刀の軌跡が刻まれていた。


しかしながら、純粋なる質量と破滅的な破壊力こそが至上の理として君臨するこの過酷な異世界において、薄刃の刀が繰り出す斬撃の質量は、強固な重装甲と対峙した際にはあまりにも頼りなく、脆すぎる。


斬撃の破壊力、刺突の貫通力、そして甲冑そのものを歪ませて粉砕する打撃力――そのすべてを高次元で兼ね備えたこの両手長剣こそが、彼女が前世において修め培った東洋武術の変幻自在なる体捌きと、冷酷無比なる中世騎士の近接格闘術を完璧に融合せしめる、唯一無二の得物であったのだ。


剛剣を手中に収めたマリーズは、再び桜色の艶やかな舌先を覗かせると、乾ききった唇の輪郭を病的なまでに緩慢に舐め上げた。


涼やかな微風が、彼女の灰白色の長髪をふわりと梳き抜けていく。


白磁のごとく精緻を極めた美貌と、全身から吹き荒れる血腥い凶気とが同居したその退廃的な仕草は、純真無垢さと冒涜的な妖艶さとが残酷にすり潰され溶け合った、息を呑むほどの美しさを醸し出していた。


観客席のあちこちから、思わず生唾を飲み込む渇いた音が漏れ聞こえ、高みの見物を決め込んでいたはずのイリノーすらも、不意に胸の鼓動を激しく跳ねさせていた。


かつて己の後ろを怯えながら盲目的に追い縋っていた、あの愚鈍で無能だった前身の姿――その卑屈な殻を脱ぎ捨てた途端に、これほどまでに人の魂を根こそぎ奪い去る魔性の相貌を秘めていたとは、夢にも思わなかったのだ。


観客席の正面、手すりに優雅な立ち居振る舞いで寄りかかるオーレリアは、その瞳の奥底に名状しがたい狂熱と愉悦の光をギラギラと宿しながら、よく通る美声で朗々と声を張り上げた。


「伯爵令嬢、どうぞご随意に存分にお暴れあそばせ。我がヴァロワ家が誇る騎士たちは、すでに準備万端でしてよ?」


「そう?」


マリーズの唇から紡ぎ出された声は、極めて低く、感情の起伏を一切欠いた平坦なものであったが、それはまるで場内にいる全員の頭蓋骨の芯へ、直接楔を打ち込むかのように響き渡った。


「――なら、遠慮なく散らしてさしあげますわ」


その冷ややかな言葉の余韻が空気に溶け切るよりも早く、天地を覆す異変が爆発した。


少女が大地を蹴り、跳躍する予兆などどこにもなかった。


ただ直立していたはずのその華奢な姿が、何の前触れもなく墨汁を撒き散らしたかのような漆黒の凶気へと崩壊し、全員の眼前から文字通り掻き消えて蒸発したのだ!


「警戒せよ! これはマナによる術式ではない――ッ!」


先頭に立っていた騎士長は、修羅場を幾度も潜り抜けてきた歴戦の直感によって、喉が裂けんばかりの咆哮を轟かせ、仲間に向けて迎撃の号令を下そうとした。


しかし、その絶叫が大気を震わせて仲間の耳へ届くことすら、神は許さなかった。


ジュウッ、ビチャッ――!


布地と肉繊維が一瞬にして両断される、湿り気と熱を帯びた凄絶なる断裂音。


一条の灰白色の残影が、あたかも冥界の亡霊のごとき速度で騎士長の真横を擦れ違っていた。誰一人として、彼女が如何なる軌道で抜剣したのかを視認することすら叶わない。


分厚い硬革と鋼を重ねた特製の胸甲ごと、騎士長の腹筋と肋骨の隙間が左から右へと一文字に深々と切り裂かれ、骨が白く露出するほどの深紅の血溝が刻まれていた。


激痛が神経系を焼き尽くし、絶叫を上げる暇すら与えられない。すでにその背後へと滑り込んでいたマリーズの動きには、微塵の迷いも停滞もなかった。


流れるような手首の返しとともに、水平に薙ぎ払われた剛剣の切先が、寸分の狂いもなく騎士長の両脚の腱を同時に両断する。


ドサリ――ッ!


支えを瞬時に奪われた巨大な体躯が、重力の命ずるままに石畳へと無様に跪いた。


そして、その両膝が大地に激突したまさに同一の刹那、マリーズの紫丁香色の双眸の奥に燃え盛る二筋の紅い凶芒が、絶対零度の冷酷さをもって眇められた。


彼女は両手で柄を流麗に逆手へと持ち替えると、腰の爆発的な捻転に合わせ、全身を駆け巡る漆黒の鬼気を刃先の一点へと凝縮。垂直に落下する破滅の鉄杭のごとく、騎士長の無防備に晒されたうなじへと、全体重を乗せて真下へと突き立てた!


ズドォォン――ッ、メキョッ!


凄まじい衝撃波が炸裂する。重厚なる十字剣は頸椎を粉砕してその深奥へと貫通した刹那、体内に凝縮されていた荒れ狂う鬼気と破壊のエネルギーが一挙に臨界点を突破した!


肉体が泥臭く破片を撒き散らすのではない。長剣が骨を穿ち貫通したまさにその瞬間、騎士長の屈強なる肉体と強固な甲冑は、内側から激しく炸裂したエネルギーによって無数の深紅の光の粒子と鋼の破片へと美しく解体され、まるで正午の烈日の下で咲き誇る、あまりにも凄絶で華麗な「血色の大輪の花火」となって、四方八方へと眩く爆散したのである!


ヒュゥゥゥン――ッ!


その刹那、演練場の石畳に刻み込まれた絶対防護の術式が悲鳴のような励起音を轟かせ、濃密にして眩い高位治癒の白光が瞬く間に噴き上がった。それは半空へと飛び散った紅蓮の花火と散華の残影を優しく呑み込み、光の繭となって肉体を再構成し、彼を即座に場外の安全圏へと転送した。


全観客席が、凍りついたように静まり返る。


手合わせ? 切磋琢磨?


ふざけるな。これは訓練などではない。ただの冷徹にして華麗極まる、生きた人間の「処刑演舞」だ。


最強の隊長が、武器を構える暇すら与えられず、開戦の一瞬で咲き誇る花火へと変えられたのだから。


マリーズはその治癒の光膜を一瞥した。だが、その瞳には路傍の小石を踏み砕いたほどの感情すら宿っていない。


死ぬことのない特製の演練場であることなど、百も承知。


――なればこそ、彼女が抜剣したその瞬間から、放たれる一撃、繰り出される挙動のすべては、相手を最も効率よく、最も確実に粉砕せしめる「必殺の絶招」にのみ捧げられていた。


「公爵令嬢、この程度の小手調べでは……いささかわたし、退屈でしてよ?」


透き通るほどに冷え切った、感情の宿らぬ平坦な声音が場内に響き渡る。


観客の誰もが肌で感じ取っていた。以前のマリーズがどれほど苛烈な反撃を見せようとも、そこには貴族としての節度と矜持が存在していた。


しかし今の彼女は、人間をただの「美しく解体されるべき標的」としてしか見做していない。


「やはり、貴女こそが私の探し求めていたその人でしたのね」


オーレリアの瞳の奥底に、狂気にも似た知的好奇心と歓喜が爛々と燃え上がる。彼女は豪奢な手巾を握る優雅な手を払うと、氷のように冷酷な下知を飛ばした。


「全員、構いません。あの者を叩き伏せなさい!」


残された騎士たちの心臓が、恐怖でぎゅっと鷲掴みにされた。


たとえ死なずとも、肉体を粉々に砕かれ、血の花と散る激痛は正真正銘の本物なのだ!


しかし下された主命に抗う術はなく、眼前では漆黒の瘴気を引きずりながら、灰髪の凶神が沈黙のまま大地を爆ぜさせて肉薄していた。


大気を切り裂く、四条の鋭利な風切り音。


東西南北の死角を完璧に塞ぎ、互いの呼吸を知り尽くした四名の精鋭が瞬時に挟撃の陣を敷いた。


長槍の鋭利なる刺突、グレートソードの豪快なる両断――幾重にも重なり合う蒼き闘気の輝きが、逃げ場を完全に圧殺する十字の鋼鉄嵐となってマリーズの頭上へと殺到した。


だが、眼前に迫り来る破滅の嵐を前にしても、マリーズは歩調を緩めることすらしない。


踏み込まれた足が演練場の青石を粉々に爆砕した。


彼女は身を極限まで低く滑り込ませると、漆黒の鬼気で覆われ鋼鉄と化した左肩を衝角のごとく構え、真っ向から振り下ろされた大剣の懐へと、一切の躊躇なく真正面から突進した。


――『ショルダーバッシュ』。


ドスゥゥゥンッ――!


城門が巨大な破城槌によって打ち砕かれたかのような、重苦しい衝撃音が炸裂した。


板金鎧を纏った巨漢の騎士が、まるで全力疾走する装甲車と正面衝突したかのように闘気を四散させ、くの字に吹き飛んで体勢を完全に粉砕される。


がら空きになった、その一瞬の致命的な間隙。


マリーズの手中の長剣が、地を払う軌道から垂直に跳ね上がった。


ガギィィンッ!


重厚な剣の峰が、正確無比に相手の顎の装甲を粉砕し、頭部を天へと強制的に跳ね上げる。


無防備に晒された喉元へ、切先が毒蛇の牙となって滑り込み――鎖帷子の網目を突き破り、喉頭を深々と貫通した。


その肉体を貫いた瞬間、刃先に込められた鬼気が爆発する!


騎士の背後から深紅の衝撃波が花弁のように吹き荒れ、鮮血の閃光が弾け飛ぶと同時に、昏倒した騎士は術式の光に包まれ場外へと弾き飛ばされた。


ヒュンッ――!


初撃のわずかな硬直を狙い、側背から二人目の騎士が両手斧をマリーズの首筋目掛けて振り下ろしていた。


振り返る素振りすら見せない。


刺突の前傾姿勢を保ったまま、マリーズは独楽のように鋭く身を旋回させた。両者の絶望的な身長差を逆手に取り、遠心力を乗せた雷霆の『回転肘打ち』を、装甲の継ぎ目である相手の脇腹の軟隙へとめり込ませる!


ゴキリと鈍い骨鳴りが響き、騎士が激痛に息を詰まらせてよろめいた。


マリーズの掌中でロングソードが流麗に逆手へと回転。腰の爆発的な捻転とともに、水平を描く旋風の大横薙ぎが放たれる!


キィィン――ッ!


首を刈り取る断頭台の一閃が、無防備な頸部を深々と抉り飛ばす。


その刃が通り抜けた瞬間、圧縮された血霧が扇状に広がり、まるで夜空に打ち上げられた紅蓮の枝垂れ柳のごとく美しく散華し、二人目の身体を光の粒子へと消し飛ばした。


瞬きの間に二人が蒸発し、挟撃を試みた残り二人の瞳に、底なしの絶望が走る。


だが、マリーズは構え直す猶予すら与えない。


逆手から正手へと瞬時に切り替え、地を這うような歩法で間合いを詰める。三人目の騎士が剣を交差させて防御姿勢を取るよりも早く、電光の如き刺突が胸甲の中央を無慈悲に貫通した。


ズブリと肉を裂いた瞬間、マリーズの空いた左手が電撃のように相手の肩甲を掴み、その場へ磔にする。


そして右手で握る柄を、テコの原理で上方へ強烈に跳ね上げた!


鎧と肋骨が内部から強引に引き裂かれ、悶絶の絶叫を上げる騎士。その胸元から紅い光が牡丹の花のように四方へと弾け飛ぶ中、マリーズはその巨躯を盾代わりに前方へ投げ捨てるように突き飛ばし、同時に刃を滑らかに引き抜いた。


背後から最後の騎士が、決死の形相で背骨を狙い突きを繰り出していた。


振り返る必要すらない。


背中に目がついているかのごとく、マリーズは長剣を脇腹に添え、腰のラインに沿って後方へ鋭く突き刺した――『ブラインドスラスト』!


ドスッ!


切先が背後の敵の腹甲を正確に捉え、その突進を強制停止させる。


前のめりによろめいた相手に対し、マリーズは反動を利用して体を滑り込ませ、振り返りざまに腹部を横一文字に切り裂いて火花を散らした。


崩れ落ちる猶予すら与えず、彼女は幻惑のような足捌きで男の背後へと回り込み、背中と背中が密着するゼロ距離の体勢を完成させる。


次の瞬間。


マリーズの自由な左手が、己の首筋越しに後方へ伸びた。


兜から零れた騎士の長髪を鷲掴みにし、頭部を後方へ力任せに反らせる。


同時に、右手の刃が反対側の脇の下から這い寄り――三日月のような冷たい弧を描いて、無防備な喉笛を一閃した!


サァッ――!


鮮血の半月が半空に浮かび上がり、最後の紅い花火となって散華する。


鮮やかで、無慈悲な処刑の完遂。


わずか数秒のうちに、四名の精鋭が完全に沈黙した。


最後の防護の白光が弾け、地面に崩れ落ちた騎士を運び去る中、マリーズは長剣をだらりと垂らし、紅い瞳を観客席のオーレリアへと静かに突き刺した。


「ヴァロワ家の精鋭……随分と脆くていらっしゃいますのね?」


冷ややかな呟きが、静まり返る演練場に重く落ちる。全校生徒が冷汗を流し、イリノーもフェイも、その異形じみた強さに戦慄していた。


ただ一人、オーレリアだけが優雅に手すりへ寄りかかり、余裕の笑みを浮かべていた。


中央のマリーズは長剣を持ち上げ、左腕の肘の関節の内側に刀身を挟み込むと、そのまま外側へと滑らせた。


チュルリと粘つく金属音が響き、刃に付着した血糊が、純白のドレスの袖口へと一筋の赤い染みとなって拭い去られる。


前世の倫理観なら眉を潜める振る舞いだが、この身体と鬼気に支配された今の彼女にとって、泥や血など些末な問題に過ぎなかった。


正規の戦闘服すら纏わずに演練場へ降り立ったこと自体が無作法であるならば、敗者の血で純白のレースを彩ることなど、むしろ相応しい野蛮さというものだ。


「おっしゃる通り、私の騎士たちは貴女の足元にも及びませんでしたわ」


オーレリアは見下ろしながら、楽しげにドレスの裾を払った。


「ですが……私の目的は、すでに達せられました」


マリーズの紫眸が僅かに眇められた。これほどの圧倒的な戦力差を見せつけられながら、なぜこの女はこれほどまでに平然としていられるのか。


この場の全員を叩き潰すことなど容易い。未知の鬼気と前世の技量を持つ自分が、この世界の何者かに遅れを取る道理などないはずだ。


だが、マリーズが口を開くより早く、オーレリアは首を傾げ、どこか懐かしむような戯れの口調でこう囁いたのだ。


「――ところで貴女。ご自分のその太刀筋、中世ヨーロッパの半剣術やシールドバッシュと、日本の武士の体捌きを混ぜ合わせたものだとは思いませんこと?」


トクン、と。


心臓が跳ね上がった。


マリーズの氷の仮面が、音を立てて粉砕された。紅い光を宿していた瞳孔が激しく収縮し、思考が凍りつく。


中世ヨーロッパ。日本の武士。


この世界の住人が、口にしていい単語ではない。


呆然と立ち尽くすマリーズを見つめ、オーレリアの笑みは悪戯っぽく深まった。彼女はすっと背筋を伸ばし、衆人環視の中で右手の親指と人差し指を立てて、簡潔な『拳銃』の形を作った。


そして悪戯っぽく片目を閉じ、赤い唇を小さく動かした。


――『バァン(Bang)』。


「実は……私たち、同類なんですのよ」


風に乗って届いたその声は、魂を直接揺さぶるような響きを伴っていた。


「真の意味で……『あちら側』から来た、同類ですの」


マリーズの思考が真っ白に染まり、全てのピースが一瞬で噛み合った。


なぜ勝ち目のない騎士を差し向けたのか。なぜあの奇怪な構えを見抜けたのか。


泥臭い肩の体当たり、喉や装甲の隙間を抉る半剣術、抜刀の理を応用した間合いの破壊――闘気とマナが支配するこの異世界において、それらは未知の怪異でしかない。


だが、同じ文化圏の知識を持つ者から見れば、それはゲームや歴史武術で擦り切れるほど見慣れた、明白すぎる「名刺」そのものだったのだ。


オーレリアも最初は偶然を疑い、確信を得るためにあえて嫌われ役を買って出て、実戦という舞台で「検分」を行ったに過ぎなかったのだ。


ふう、と。


目に見えぬ風が吹き抜けた。マリーズの四肢を暴れ狂っていた禍々しい黒い鬼気が、潮が引くように体内へと沈降していく。瞳に宿っていた血の赤光も霧散し、元の上品なライラック色の光彩を取り戻していった。


階級と血統、理不尽な武力と政治の鎖に縛られたこの異世界において――


仮面を被り、孤独に喘いでいた転生者は、自分一人だけではなかった。


張り詰めすぎて切れかけていた心の弦が、あの悪戯な指鉄砲の一撃によって、ようやく静かに解かれていった。

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