異世界の民よ、貴様らは『鬼』を見たことがあるか?
午後の陽光が帝都の上空に揺らめく半透明の防護結界を透かし、淡い金と薄紫の柔らかな光となって、薄絹のように魔導学院の中庭へと降り注いでいた。
四方を白亜のゴシック様式の回廊に囲まれたこの広大な中庭は、帝国皇室の厳格さと超自然的な魔法の静謐さを兼ね備えていた。
その中央には、一個の浮空曜石を丸ごと削り出して作られた噴水が鎮座している。
泉水は下から湧き上がるのではなく、理を無視して逆向きに宙へと浮かび上がり、無数の透き通った水滴となって空中でゆっくりと旋回して虹の光彩を屈折させ、やがて古の魔導ルーンが刻まれた環状の水池へと静かに落ちては、微弱な燐光を放つ青い波紋を幾重にも広げていた。
中庭の両脇には温もりのある灰白の石畳が敷かれ、道沿いには帝都の温室でしか育成できない「星屑銀杏」が植えられている。
折しも微風が吹き抜け、金箔で鍛造されたかのような葉が擦れ合い、風鈴のように澄んだ涼やかな音を立てる。
時折ひらひらと舞い落ちる数片の葉は、地表に触れる前に淡い光の粒となって消え、足元を覆う幽藍の苔の養分となって溶け込んでいった。
各系統の金銀の刺繍が施された制服に身を包んだ生徒たちは、白石の彫刻ベンチに三三五五腰を下ろしている。
指先に揺らめく不安定な火花を操りながら小声で呪文を詠唱する者もいれば、煉瓦のように分厚い羊皮紙の典籍に没頭し、手紙を運ぶ数羽の光る魔導ハチドリが髪の合間を軽やかに飛び交うのに任せている者もいた。
時折、杖を手にした高位の導師が音もなく回廊を通り過ぎ、法衣の裾が石段をかすめるたびに、乾燥した薬草と星砂の微かな冷香が漂う。
中庭の風景は一見すると穏やかで静謐に見えたが、その随所に高等魔法の秩序が織りなす厳格さと高貴さが色濃く息づいていた。
長廊の曲がり角にある白石のベンチで、マリーズは背もたれに力なく両腕を預け、結界越しにこぼれる淡い金色の光を虚ろな目で見上げていた。
微風が額にかかる灰白色の巻き毛を揺らす。しかし、現在の彼女の気分は地表を突き破り、地球の核の最深部まで叩き落とされたかのように最悪を極めていた。
彼女は今になって、ようやく痛感していたのだ……。あの世界のどこかを放浪している間抜けな小倉鼠のリリーが、かつてこの学院に残した「やらかし」が、一体どれほど破滅的な災厄であったのかを。
前世では文明社会で三十年間を泥臭く生きてきた平凡な人間であった八重にとって、「公爵」という二文字の認識は歴史の教科書に載っている型通りのイメージに過ぎなかった。しかし、先ほど頭が完全に冷えたことで、彼女は不意に背筋を凍らせたのだ。
いわゆる「公爵」とは、身も蓋もない言い方をすれば皇室の宗親、皇帝の実の兄弟、あるいは代々皇室と血の濃い婚姻を結び続けてきた中核の血統ではないか!
言い換えれば、全校生徒から高嶺の花として崇められている公爵令嬢イリノーの体には、紛れもない本物の皇族の血が流れているのだ。
それなのに、学院で初歩的な生活魔法すら碌に扱えなかった落ちこぼれの小倉鼠が、白昼堂々と臆面もなく、目を血走らせて皇親国戚のお嬢様を追い回していたというのか?
それは性癖が狂暴だとかいう生半可な話ではない。文字通り、天に風穴を開けかねない命知らずの暴挙だった。
さらに厄介なことに、マリーズが全身の警戒を解き、神経が異常なまでに研ぎ澄まされたことで、これまで聞き流していた周囲の微かな囁き声が、潮の引いた後の暗礁のように次々と鼓膜へ飛び込んできた。
少し離れた中庭の噴水のそばで、普段は鼻持ちならない貴族の生徒たちが身を寄せ合い、顔を青ざめさせながら声を潜めて噂話に興じていた。
「……聞いたかしら? さっき医務室でまた一悶着あったらしいわよ……」
「しっ! 声を落として! 気でも狂ったの?! あの目覚めたばかりの凶悪な怪物が、長廊のすぐそこにいるのよ!」
「イリノー様は本当に地雷を踏んでしまわれたわ……貴女たち、少し前に公爵邸で何が起きたか忘れたの? ヴァレンシュタイン家のあの当主――アルブレヒト公が、例の斬魔巨刃を片手に単身で公爵邸の正門へ乗り込み、公爵様の鼻面に刃を突きつけて怒鳴り散らしたのよ。愛娘が学院で涙の一滴でも零そうものなら、公爵邸ごと地図の上から消し去ってやると……」
「近衛騎士団ですら誰一人として剣を抜くことすらできず、最後は宮廷司祭が這いつくばって皇帝陛下の直筆の慰問状を届け、ようやくあの生ける天災を宥めて引き取らせたっていうじゃない……」
ベンチに座るマリーズの口元が、激しく引き攣った。
アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン。
この体の、名義上の安い父親。
……公爵家の満門を皆殺しにする勢いで、刃物を提げて乗り込んだだと?!
マリーズは激痛の走るこめかみを押さえ、前世で築き上げてきた常識と倫理観が、現実の手によって無残に粉砕されていくのを感じていた。
この瞬間、彼女はようやく骨の髄まで理解したのだ。この過酷で理不尽な異世界の社会において、爵位の上下など、一族の真の底力を推し量る指標には微塵もなり得ないということを。
ヴァレンシュタイン家は名目上こそ「伯爵」に甘んじているが、それは脳内が殺戮と闘争だけで満たされた狂人どもが、宮廷の夜会で繰り広げられる虚飾に満ちた出世遊戯に付き合うのを端から毛嫌いしているに過ぎない。
純然たる私兵の武力、そして幾世代にもわたり高位の魔獣を屠り続けて培った底知れぬ力において、ヴァレンシュタイン家は帝国全土における最も理不尽な決戦兵器そのものなのだ。
あの老怪物どもを本気で激怒させれば、相手が公爵だろうと皇帝だろうと知ったことではない。大剣を提げて皇宮に殴り込み、物理的な意味での「一族鏖殺」を演じることなど、彼らにとっては朝の鍛錬でひと汗流す程度の感覚でしかない。
虚礼を重んじる貴族の法度からすれば、それは言語道断の大逆無道である。だが、有史以来、拳の大きさこそが揺るぎない絶対の真理なのだ。
前世の歴史における群雄割拠と同じである。無数の小国が相争い、自軍の壊滅を前にした一方の君主が、城壁の上から敵の総大将に向かって「私のほうが家格が上であるぞ」と叫んだところで、敵の刃が引っ込むとでもいうのか?
滑稽の極みだ。
絶対の武力こそが、絶対の発言権なのだから。
さらに荒唐無稽なことに、マリーズは思考を巡らせ――自分の後ろを始終尻尾を振ってつきまとい、頭の中が肉の塊で埋め尽くされているあの豆宝の生家すら、決して温厚な連中ではないことに思い至った。
ケンペス家は名目上、辺境の防衛線を預かる「侯爵」である。通常であれば、辺境侯とは砂塵の中で乾パンをかじり、手勢の兵力で泥臭く国境を守る苦労人のはずだった。
しかし、あの天賦の怪力を誇るケンペス家の獣人戦士どもは、国境警備の暇を持て余した挙句、一族総出で香辛料の開墾を始めたのだ!
耕しに耕した結果、あろうことか帝国の国境沿いに数多の大陸を跨ぐ「香辛料王国」なる巨大な商業帝国を築き上げてしまった。
中央集権の国家の鼻先で、辺境の分際で堂々と「王国」を僭称すること自体、傲慢極まる不敬と挑発である。
にもかかわらず皇室がこれに見て見ぬ振りを決め込み、愛想笑いすら浮かべて盲目を装っているのは――他でもない、帝国の底なしの財政赤字が、ケンペス家の香辛料帝国から吸い上げる天文学的な税収に完全に依存しているからだった。
ということは、つまり……。
マリーズは虚脱したように天を仰ぎ、魂が口から抜け出たかのような乾いた吐息を漏らした。
何ということはない。この学院において最も奇異な二人の「孤立者」――自分自身と、あの愚鈍な犬の豆宝は、弱すぎて見下されていたから腫れ物扱いされていたわけでは断じてなかったのだ。
周囲の誰もが、死に物狂いで地雷を避けていただけなのだ。
一方は些細な口論ひとつで、親父が刃物を振り回して一族を皆殺しにしかねない「爆弾の起爆信管」。
もう一方は帝国の経済の命脈を握り、機嫌を損ねれば皇室の国庫を一撃で破綻させかねない「財閥の御曹司」。
これのどこが虐げられた弱者だというのか?
歩く国家滅亡級の災厄そのものではないか!
そして哀れなイリノーお嬢様は、かつて小倉鼠のリリーにしつこく言い寄られていた間、いつ一族もろとも道連れにされるか分からない底知れぬ恐怖と絶望に、どれほど怯えていたことだろうか。
「……道理でね。」
マリーズは熱を持つ顔を両手で覆い、喉の奥から泣くにも泣けない悲鳴を絞り出した。
「道理でみんな、私たちから逃げるわけだわ……私だって逆の立場なら、あの二つの疫病神の姿が回廊に見えた瞬間、全力で這々の体で逃げ出すに決まってるもの。」
力を至上とするこの帝国において、「強者こそが正義」の鉄則は人々の骨の髄まで刻み込まれている。
ここでマリーズの脳裏に、以前帝国の年代記をめくっていた際に目にした奇妙な記述が蘇った――万年の歴史を誇ると豪語するこの大帝国は、確かに国脈こそ長きにわたるが、数百年の周期で玉座に就く皇族の姓氏が、跡形もなく綺麗さっぱりと入れ替わっているのだ。
以前の彼女なら首を傾げていたかもしれない。だが、ヴァレンシュタイン家の生態を当てはめてみれば、その真相はあまりにも明白だった。
功高ければ主を脅かす。歴代の君王が夜も眠れぬほどの恐れを抱くのは当然の理だ。
帝国の頂点に君臨するこの軍神の一族に恐怖を抱いた皇室が、暗裏に死士や暗殺者を送り込み、憂いを断とうと画策するたび……ヴァレンシュタイン家の返答は常に粗暴かつ直接的だったのだ。
暗殺が露見して間もなく、帝国の皇族の姓はことごとく新しい顔ぶれへとすげ替えられてきたのである。
すなわち、いわゆる「王朝交代」とは、あの殺戮者どもが逆鱗に触れられた際、物理的な手段で皇宮を血祭りに上げた結果に過ぎないのだ!
さらに彼女は、自身の安い父親が轟かせる名高き称号――「殲滅卿」を思い起こした。
マリーズは息を呑み、引き攣る口元を押さえた。
なんのことはない。天下に知れ渡るその「殲滅」とは、辺境の魔獣を駆逐した功績などでは断じてなく、ヴァレンシュタインの歴代当主が、幾つもの皇朝を一族郎党残らず皆殺しにしてその血で両手を染め上げてきたからこそ、世襲されてきた戦慄の凶名だったのだ。
荒唐無稽。どこまでも荒唐無稽だ。
前世では法と秩序を守って生きてきた善良な人間にとって、八重はただただ頭皮が痺れるほどの戦慄を覚えていた。
自身は先ほど感情の面で手酷く刺されたばかりで心身ともに擦り切れ、その上、あの臆病な倉鼠が残した負の遺産の背後には、いつでも反乱を起こしかねない実父が控えている。
今の彼女の唯一の望みは、一刻も早く羊皮紙を引っ張り出して実家に手紙を書きつけ、あの老怪物に向かって「これ以上イリノーの家を刃物で脅すのはやめてくれ」と懇願することだけだった。
「あら、そこにいらっしゃるのは、今をときめく伯爵令嬢様ではありませんこと?」
ねっとりと語尾を引き伸ばした、言い知れぬ作為と奇妙な響きを孕んだ呼び声が、マリーズの乱れた思索を容赦なく引き裂いた。
マリーズはズキズキと痛むこめかみを押さえながら、冷ややかな視線を持ち上げた。
視界に飛び込んできたのは、豪奢なドレスを身に纏った若い女の姿だった。
公平に見れば、その目鼻立ちは十分に整っていると言えた。だが、イリノーが放つ皇族の威儀を帯びた輝くばかりの高貴さや、フェイの持つ冷徹にして世離れした精霊の美しさと比べるならば、その差は歴然としていた。
女の装いは豪奢を極めていたが、その全身からは堅苦しく生硬な書生じみた陰気さが漂い、隠しようもない野暮ったさが滲み出ていた。
「風の噂に聞きましたわ。伯爵令嬢様は近頃、演習場で目覚ましいお力をお見せになったとか。類稀なる技巧のみならず、そのお手元には宮廷ですら滅多にお目にかかれない至宝を幾つも隠し持っていらっしゃるとか。」
女は口元を手巾で覆って薄笑いを浮かべたが、その視線は遠慮会釈もなくマリーズの小柄な身体を舐め回すように這い、露骨な挑発と探りを隠そうともしなかった。
「わたくしの側に控える不甲斐ない護衛や取り巻きたちが、どうしても興味を抑えきれないと申しましてね。ぜひとも伯爵令嬢様にお手合わせを願いたいそうなのですが……まさか、お断りにはなりませんわよね?」
その眼差しは極めて攻撃的であり、あたかも値踏みされる品物を品定めするかのような、居丈高な計算高さに満ち満ちていた。
ただでさえ精神的な疲弊と道徳的な罪悪感に苛まれ、神経を極限まで尖らせていたマリーズの胸中に、一瞬にして昏い怒りの火が灯った。
「あなた方と、そんなに親しい間柄でしたかしら?」
マリーズは完全に瞼を持ち上げることすらせず、端麗な小顔を絶対零度の冷気で覆い尽くし、社交辞令の欠片もない平坦な声音で言い放った。
「命が惜しくなくて死に場所をお探しなら、ついでに冥土へ送って差し上げてもよろしくてよ。」
彼女の現在の気分は、最悪の極みに達していた。
実家の安い父親は外で刃物を手にイリノーを恫喝し、医務室では己の生涯を芝居に捧げると誓ったフェイの背後に、命を投げ出してまで彼女を守り抜いた最愛の友が横たわっている。
あの二人の類稀なる少女に対して、己の心が微塵も揺らがなかったかと言えば、それは嘘になる。
だからこそ、吐き気を催すほどの自己嫌悪と悲哀が込み上げるのだ。あの熱烈に見えた屈従やすがりつくような献身は、その本質において、強権の圧迫が生み出した歪な産物に過ぎない。
鈴木八重がその生涯において最も唾棄したのは、他人の尊厳を踏みにじって掠め取った偽りの情愛だったのだから。
胸の内に渦巻く出口のない苛立ちと鬱屈が張り裂けそうになっているその時に、あろうことか死に損ないの愚か者が自ら銃口の前に躍り出てきたのだ。
「あら、失礼いたしましたわ。名乗るのを失念しておりました。」
女は気圧されるどころか優雅に顎をしゃくり、勝利を確信したような傲慢な笑みを浮かべ、その言葉のひと針ひと針に重々しく力を込めた。
「わたくしはオーレリア・ド・ヴァロワ。我が家が戴く爵位は、正統なる『公爵』でしてよ? 下位貴族たる伯爵令嬢様が、まさかこの程度の面子すら立ててくださらないはずはございませんわね?」
「公爵」の二文字を耳にした瞬間、マリーズの瞳がすっと細まり、体内の殺意がもはや抑えきれずに荒れ狂った。
爆発寸前だった感情の導火線に、容赦なく火が放たれる。
公爵? またしても爵位を笠に着て目の前で偉そうに吹聴するドラ息子か。
ヴァレンシュタインの剣の重みをその身をもって測りたくてたまらないというのなら、今日のところは貴様らの骨という骨をすべてへし折り、組み直してやらねば、こちらの三十年間の鬱憤も収まりがつくというものだ。
マリーズは僅かに首を傾げ、病的なまでに蒼白な舌先を覗かせると、乾いた唇を緩慢に舐めた。
次の瞬間、骨髄の最深部から滲み出た純粋な殺念が、彼女の周囲の大気を一瞬にして絶対の死線へと変貌させた。
それは騎士が幾万の鍛錬を経て練り上げる灼熱の闘気ではなく、魔導士が天地と交歓する万象の魔力ですら断じてない。
それは地球の東洋神話に深く根ざし、幾重もの黄泉と冥府を越えて語り継がれる古の伝承――「鬼」と呼ばれる凶兆の怪物そのものだった。
現在のマリーズの全身を覆っているのは、実体化せんばかりに濃密な、禍々しい鬼気であった。
純粋なる殺戮と破滅のためだけに紡ぎ出された、忌まわしき禍威。古き言い伝えにおいて、悪鬼に身をやつした者は温もりや慈悲、理性に至るすべての正の感覚を剥奪され、その代わりに、魂の底に沈む憤怒、憎悪、狂気、そして純粋な殺意が、数万倍の烈度をもって際限なく増幅されるという。
そしてその暴虐とともに顕現するのは、鋼を素手で引き裂き、巨岩を粉砕してあまりある、荒ぶる怪力であった。
鉛の塊のように重苦しい威圧感が、回廊に居合わせる者たちの脆い神経へ無慈悲に叩きつけられた。
オーレリアの背後に控えていた数名の精鋭護衛や取り巻きたちの顔から、傲慢な冷笑が一瞬にして完全に凍りついた。
彼らの瞳孔は制御を失って収縮し、剣柄を握りしめた指の関節は、激しい痙攣のあまり鈍い軋みを上げている――
おかしい。
あまりにも異常だ。
いまにも折れそうなあの小柄な灰白色の少女の体内から、一体何が吹き荒れているというのか?
いかなる既知の魔獣が放つ生臭い暴虐さとも異なり、人間としての情緒の温度など微塵も感じられない。彼女がそこに佇んでいるだけで、世界の理の外側から空間を無理やり引き裂いて這い出てきた、名状しがたい異形そのものに見えた。
人類の最も根源的で古老なる感情とは恐怖であり、その恐怖の源泉とは、常に「未知」に対する絶対の無力さである。
護衛たちの歯の根はガチガチと音を立てて震え、全身の細胞が狂乱の中で「逃げろ」と絶叫していた。彼らの視界において、眼前の華奢な伯爵令嬢の姿はとうに掻き消え、無数の白骨の山に胡坐をかいた漆黒の怪物が、血塗られた大口を開けて己たちの脆弱な喉笛を冷酷に見下ろしている幻影へと塗り替えられていた。
しかし、この窒息せんばかりの未知の恐怖の只中にあって、嵐の中心を真正面から見据えるオーレリアの瞳の奥にだけは、狂気を孕んだ病的なまでの熱狂がギラリと閃いた。
「見つけたわ……」
極めて微かな、蚊の鳴くような囁きが、公爵令嬢の引き結ばれた歯の隙間から滑り落ちた。
彼女にとって、己の矜持を投げ捨ててまで挑発に及んだその背後には、決して白日の下に晒すことのできぬ至高の秘密が隠されていた。自らの目で確かめるまでは、決して警戒されるわけにはいかなかったのだ。
だからこそ、あえて浅薄な挑発者の仮面を被り、もっとも耳障りな言葉でこの人皮を被った怪物を煽り立てたのだ――あの演習場へ引きずり出し、その神秘のヴェールをその手で剥ぎ取ることさえできれば。
そうすれば、ヴァレンシュタイン家の末娘が、果たして己の知る「あのお方」であるのかどうかを、完全に確信できるのだから。




