あなたのそれは『決心』であって、『真心』ではないの
穏やかに晴れ渡る微風が中庭を撫で、本来であれば窓辺に寄り添って微睡みを誘うような、長閑な午後であるはずだった。
しかし今この時、帝都魔法学院の長く続く石造りの回廊には、骨の髄まで凍てつかせるような死寂が静かに立ち込めていた。遠巻きに窺う生徒たちは息を呑むことすら忘れ、背筋に走る悪寒に身を竦ませている。
真実の愛を、一切の計算なき純粋な偏愛を渇望する魂にとって、近づいてくる者の誰もが腹に一物を抱え、打算という名の切符を握りしめていると知った以上、愛想の良い顔などできるはずもなかった。
ましてや、今のマリーズの傍らには、すでにドウバオという存在がいるのだ。
あのアホなわんこは、「権謀術数」などという小難しい言葉の書き順すら知りはしない。
その頭の中を満たしているのはただ、「リリを守ること」と「今日もお肉にありつけるかどうか」、それだけなのだから。
その透き通るほどに純粋な愛情をひとたび知ってしまえば、目の前に立つ者たちが寄せる情が本物か偽りかなど、白黒の碁盤を眺めるように一目瞭然であった。
回廊の落とす陰の下、マリーズの華奢で愛らしい身体の周囲から、極めて微弱でありながら息の詰まるような「マナ」が無言のうちに立ち昇り始める。
それはこの世界の体系に連なる通常の元素魔力などでは断じてない。
太古の、未知の、そして死の冷気を纏ったおぞましい威圧――目と鼻の先に立つフェイの双眸には、その不可視の気配がまるで昏い深淵に蟠る巨大な黒蛇のように映っていた。今にも冷たい舌先を這わせ、己の骨肉を跡形もなく呑み込みかねないほどの異形として。
「マリーズ……さん」
突き刺すような冷気を受け止めながら、フェイは深く息を吸い込んだ。膝に走りそうになる微かな震えを力づくでねじ伏せ、顎をわずかに持ち上げて、その底知れぬ氷の深淵をまっすぐに見据える。
「あなたが私を疑い、警戒していることは分かっています……。けれど、私があなたに向けている想いが、生涯を共にする本気の『決心』ではないと、どうして言い切れるのですか?」
フェイには痛いほど伝わっていた。この一見すれば揺るぎなき強者の内に、どれほど荒れ狂い、張り詰めた防衛本能が渦巻いているかということが。
だが、だからこそ――彼女の眼差しは、今この瞬間において誰よりも率直で、揺るぎない光を宿していた。
否定はできない。初めに近づいた動機は、確かに浅ましく打算に塗れたものだった。
しかし、至近距離でこの少女と対峙して初めて、フェイはその刺々しい虚勢の裏側に広がる「真空」に触れたのだ。それは極冬の吹雪よりも孤独で、愛を欲するあまり枯れ果ててしまいそうな、粉々に砕け散った魂の残骸だった。
もっとも、自分自身が本当にこの少女を「愛する」ことができるのかと問われれば……フェイの胸中にも一片の確信もなかった。
白髪の少女が奥歯を噛み締め、泥水を啜るようにして底辺から這い上がってきたこれまでの人生において、「同性の女と白頭を契る」などという選択肢は、思い描いた人生の図面のどこにも存在しなかったのだから。
けれどフェイは知る由もない。目の前にいるこの小さく無力な、運命に押し潰されたはずの少女の皮膜の内側に、遠き異郷の地で孤独のまま息絶えた大人の男の魂が蹲っているなどとは。
もっとも、かつての弱々しく怯えてばかりだったちっちゃなハムスターのリリが、学園中から「高貴な先輩の背中を執拗に追い縋る異常者」として白眼視されていたことを思えば、誰もこの肉体の内に起きた魂の変貌という荒唐無稽な真相に辿り着けぬとしても、無理からぬことではあったが。
「あなたって、本当に面白い方ね。肝心なことを半分しか仰らないのだもの」
マリーズはわずかに首を傾げ、薄い唇の端に冷淡極まりない嘲笑を浮かべた。
「真心と決心――この二つの言葉の重みには、天と地ほどの隔たりがございますのよ」
心の底に潜む欺瞞を一撃で暴かれたフェイの白磁の頬に、隠しようのない狼狽と屈辱が走った。
否定など、できるはずもなかった。
もし、単に「マリーズの傍らに寄り添い、その平穏、あるいは危険に満ちた生涯を共に歩むこと」を代償として、力の限界を突破できるというのであれば、彼女はとうに一生を賭ける覚悟など完了させていた。
しかし、その魂の深奥において、一片の濁りもない「情愛と真心」が芽生えているかと問われれば……彼女には頷くことができなかった。
己を騙すことすら、敵わなかった。
結局のところ、二人の間に横たわっているのは、この世界の過酷で重苦しい生存法則なのだ。
魔獣の蹂躙に怯え、人類がいつ滅びてもおかしくないこの広大すぎる世界において、世俗は「同性愛」に対して倫理的な排斥を行わないし、帝国の法もまた同性婚を寛容に認めている。
しかし、「種の存続と絶滅への抗い」が絶対の正義として君臨する社会の底流において、傑出した天賦を持つ一握りの血筋には、子孫を残し力を継承させるという血塗られた枷が否応なく嵌められるのだ。
イリノーが宿す天を裂くほどの黒喰魔法であれ、フェイが塗炭の苦しみの果てに覚醒させた高位の精霊術であれ――帝国における暗黙の了解として、彼女たちのような類稀なる異才は、果てなき血戦の中でその実力を極限まで研ぎ澄まし、然るべき齢に至れば等しく優れた血統の剛勇と結ばれ、双方の天賦を兼ね備えた強靭な次世代を産み落とさねばならない。
それは酷薄極まりなく、個人の尊厳を強者を育むための「道具」へと貶める思想に他ならない。
だが、これこそが無慈悲な爪牙の前でかろうじて生き延びてきた人類社会の、剥き出しの真実だった。
滅国の魔獣が荒野に目を光らせ、いつ都市を焦土に変えてもおかしくない以上、力を得た者は、この傾ぎかけた文明のために「次なる神殺しの刃を産み落とす」という義務を背負わされるのだ。
ゆえに、フェイにとってマリーズを選ぶということは、単なる打算の豪賭に留まらない。
それは自らの天賦に課せられた世界の理への叛逆であり、自らが思い描きもしなかった破滅的な未来へと身を投じる、自傷にも似た「決心」であった。
これまで誰かに心奪われ、恋い焦がれたことなど一度もないフェイであったが、その乾いた人生にあって、自らの命に代えても守らねばならぬ存在が一人だけいた。
あの生死の境において、己を庇い、血肉をもって致命の一撃を受け止めてくれた、かけがえのない女性の親友――。
そしてその瞬間、フェイは己の心の裡にある、醜悪なまでの狡猾さと我欲を冷酷に見せつけられることとなった。
もしも……もしも今、己の前に立ち、生涯を共にせよと不条理な条件を突きつけているのがマリーズではなく、いまだ昏睡の淵に沈むあの親友であったなら?
導き出された答えは、己の血を凍りつかせるほどに残酷だった。――彼女は迷うことなく頷き、むしろ狂喜して、その手を握り締めて誓約を交わしただろう。
行き場を失い、自らマリーズの元へ押し掛けておきながら。
「私にできることなら、どんな代償でも支払う」と、自らの口で豪語しておきながら。
それならば、同性の少女と添い遂げることなど、死すら覚悟した己にとって「できぬこと」であるはずがなかった。
それなのに、マリーズが打算なき真心を求めた途端、彼女は怯懦にも足を引き、逃げを打ったのだ。
親友の求めであれば喜んで差し出すものを、マリーズ相手には出し惜しむ。
それは矜持の守護などではない。ただ単に、目の前にいるマリーズが、己の心にとって特別な存在ではないからに過ぎないのだ。
魂の籠もっていない空虚な「決心」を差し出し、親友を救うための霊薬をせしめようとしただけの浅ましさ。
フェイの視線は、無意識のうちにマリーズのドレスのポケットへと吸い寄せられた。
あの透き通るような白さを宿し、瑞々しい生命の息吹を放つ万年人参が、そこに眠っている。砕け散った生脈を修復し、親友をあの永遠の微睡みから呼び戻すことのできる唯一の蜘蛛の糸。
そして、屈強な騎士を紙切れのように屠ってみせたマリーズの未知なる体術こそは、二度と他人に己を庇わせぬために、喉から手が出るほど欲してやまぬ唯一の希望。
己の欲望を直視すればするほど、フェイの背筋を這う悪寒は色濃くなっていく。
マリーズは一度たりとも、彼女を脅したことなどないのだ。
初めから終わりまで、鬱陶しいハイエナのように何度も執拗に擦り寄ったのはフェイ自身だった。
昨夜の野営の篝火の傍らで、打算と気まずさに塗れて近寄った己に対し、この小柄な伯爵令嬢は侮辱するどころか、香ばしく焼き上がった貴重な肉を鷹揚に分けてくれさえしたのだ。
勝手に付き纏ったのは自分であり、いざ対価を求められるや言い逃れを図ったのも自分。
何度も目的を隠して擦り寄り、「真心と決心」の詭弁を弄して言葉遊びに逃げ込んだ。その無比の武技に目を眩ませ、あまつさえあの天文学的な価値を持つ霊薬にまで手を伸ばそうとしたのだ。
(……私という人間は、これほどまでに浅ましく、醜かったのか)
逃げ場のない恥辱の念が、錆びついた刃となってフェイの誇りを容赦なく削り取っていく。彼女は震える長い睫毛を伏せ、耐え難い自己嫌悪のままに、誇り高かったその頭を深く、深く垂れ下げた。
マリーズの置かれた境遇など、誰よりも知悉していたはずだった。
特権貴族が支配するこの冷酷な学院において、あの気弱な少女は誰もが玩具のように嬲り、泥の中に踏みにじってきた異端の存在。
フェイは初めから、「傷を分かち合える心優しい先輩」という仮面を被って近づき、あの孤独な心の防壁を内側から溶かして崩す算段を立てていたのだ。
精霊の愛し子たるフェイは、ずっと昔から、漂う風や草木の微精霊たちが囁き交わす秘密を耳にしていた。
あのヴァレンシュタイン家の小さな娘は、真夜中の暗闇の中、いつも一人で膝を抱えて声を殺して泣いているのだと。誰よりも冷たさに怯え、誰よりも受け入れられる温もりを渇望している、救いようのないほど寂しがり屋で無力な子なのだと。
弱点など、初めから知り抜いていたのだ。
それどころか、己が企てた欺瞞の接近はすべて、あの哀れな少女の最も致命的な急所を正確に突き刺すために仕組まれたものだった。
回廊を吹き抜ける風が肌を冷やし、マリーズは己の心境がいつの間にかこの騒劇に侵食されていたことに気づかされていた。
生まれついて虚飾を嫌悪している。それなのに、昨夜から今朝にかけて、公爵令嬢が精緻な笑みを貼り付けて迫ってきたかと思えば、今度はこの俊英が爪を隠して探りを入れてくる。
誰も彼もが損得の帳面をめくりながら己の周りを旋回している現実に、ただでさえ擦り減っていた心には、底知れぬ倦怠が広がるばかりだった。
……だが、考え直してみれば、目の前で項垂れる白髪のエルフとて、二十歳そこそこの若い娘に過ぎないのだ。不倶戴天の仇敵でもない相手の浅慮に対し、目くじらを立てて大人気なく荒れ狂うなど、あまりに無粋ではないか。
「万年人参が、お入用かしら?」
マリーズはおもむろに口を開いた。その声音は、波紋一つ立たない澱んだ水面のように平坦だった。
あまりに感情の削ぎ落とされたその響きに、フェイの心臓はきゅっと縮み上がった。この小柄で愛らしく、それでいて底知れぬ怪異を秘めた貴族令嬢が何を考えているのか、彼女には一片たりとも読み解くことができない。
「お望みであれば、差し上げますわ。どうせ私にとっては、どうしても使わねばならぬような代物でもありませんもの」
マリーズは静かに視線を上げ、冷徹でありながらどこか俗世を離れた光を宿して見つめ返した。
「ですがその代わり――二度と、そのような思惑に満ちた浅ましいやり口で私に近づかないでくださる? あなたが仰る、人生を賭けたという『決心』など、私の欲するものでは毛頭ございませんの」
彼女の姿勢は、極めて明確だった。
彼女が渇望しているのは、どこまでも濁りのない真情ただ一つであり、いかなる形の妥協も、自己犠牲による道徳的な縛り首でもないのだ。
他人の目から見れば、愛という形のないものにこれほど執着する姿は、ある種の滑稽な焦燥に映るのかもしれない。
けれど胸に手を当てて問うてみれば、そもそも初めから一方的に距離を詰め、絡みついてきたのは向こうの方ではないか。
そちらからこの盤上に踏み込んできたというのなら、打算の絡まぬ真心だけを対価として要求することの、一体何が過分だというのだろう?
ましてや、演習場での軽薄な口説き文句など、彼女自身はとうに潮時を見極めて打ち切っていたのだ。
それにもかかわらず、日頃は雲の上の存在であったはずの学園の美姫たちが、我先にと尻馬に乗って擦り寄り、果ては「奥様」などという破廉恥な呼び名まで躊躇いなく口にする始末。
どう客観的に見返してみても、分を弁えず自制を失っているのは、断じてマリーズの方ではなかった。
茫然自失となり、信じられないものを見るように固まっているフェイの表情を見つめながら、マリーズはふっと興が醒めていくのを感じていた。
彼女は億劫そうに制服のポケットへと指を滑り込ませ、先ほど仕舞い込んだ万年人参を無造作に取り出した。
そもそも、この世界の理など彼女にとっては絶対の檻ではないのだ――
己の目で観察し、脳内でその構造と本質を解き明かした物質であるならば、あの口の中に潜む摩訶不思議な『頬袋』の空間から、いつでも同じものを無尽蔵に生み出すことができるのだから。
目の前にある、いつでも手に入るただの死物一本で、この鬱陶しい悪縁を断ち切る解毒剤が買えるというのなら。耳の痛む茶番から綺麗さっぱり解放されるのだから、これほど都合のよい取引もあるまい。
愛を渇望してはいる。だが、仮面を貼り付けて踊らねばならぬような泥濘の関係など、死んでも願い下げだった。
「お受け取りなさい。もう私の前で、知恵を絞って芝居を打つ必要はありませんわ――」
マリーズは手首を軽く払った。幾千万の権力者が血で血を洗って奪い合うであろう万年の至宝が、軽やかな放物線を描き、咄嗟に差し出されたフェイの掌の中へと無造作に転がり落ちる。
「それが、私への相応の報い(報酬)ですことよ」
それだけを言い捨てると、マリーズは相手が浮かべる狼狽の表情を一瞥することすら惜しむように、身を翻した。朝の微風に灰白色の髪とドレスの裾を揺らしながら、未練のかけらもなく歩み去っていく。
人気のない回廊を歩むにつれ、胸を塞いでいた息苦しい鬱屈が、ようやく僅かに晴れていくのを感じていた。
今の彼女にとって、打算と損得が充満する空気はあまりに耐え難かった。
それにしても……なぜ自分はこれほどまでに性急に、この見知らぬ異界の地で、この肉体のために運命の伴侶を見つけ出そうと焦っているのだろうか。
突き詰めてしまえば、それは己の魂の深奥に巣食う、微かな執着ゆえなのかもしれない。
もしもいつの日か奇跡が起き、理不尽に追い詰められてすべてを投げ出してしまったあのちっちゃなハムスターが、この身体へと戻ってくる日が訪れたなら――。
かつて悪意と冷気しか与えてくれなかったこの世界で、生殖隔離の壁に阻まれたあのアホなわんこなどではなく、心から慈しみ、唯一無二として寄り添ってくれる優しい女の子が温かく待っていてくれたなら、どれほど救われるだろうか、と。
もちろん、あの怯える子ハムが男を望むというのなら、それを受け入れる吝かさはない。だが、かつてあの子が身の程知らずにもイリノーの背中を無我夢中で追い縋っていた姿を思い返せば、マリーズは思わず苦笑を禁じ得なかった。
どうやらあの子の好みは実に純粋で、豊満で妖艶な曲線美を誇りながら、氷のように清らかで高嶺の花たる絶世の美女に、本能レベルで抗えない質らしかった。
(……まったく、どこまでも本能に忠実な、裏表のないハムちゃんなんだから)
マリーズは胸の内で静かに嘆息を漏らした。
いつの日か己が去り、この器の主権を返還する時が訪れるのかどうか、八重自身にも分からない。けれど、自分がこの暖かな肉体に宿っている間くらいは、傷つき疲れ果てたあの少女のために、少しでも風雨を凌げる傘を広げてやりたいのだ。
たとえこの先、打算と茨の敷き詰められた道の果てに待
つ結末が、思い描いた通りにはいかないのだとしても。
長廊の角を曲がり、柱の陰へと身を滑り込ませたところで、マリーズはふと歩みを緩めた。
完全に立ち去る前に、彫刻の施された石柱の隙間から、そっと背後を盗み見る。――そこには、まるで長い悪夢から弾かれたように我に返り、全身を激しく震わせるフェイの姿があった。
次の瞬間、普段ならば誰よりも背筋を伸ばし、涼やかな理性を崩さぬはずの白髪のエルフ術師が、周囲の生徒たちの驚愕の視線など爪の先ほども意に介さぬ様子で動き出した。
彼女は両手で抱え込んだ純白の万年人参を狂おしいほどに胸へと押し当てると、まるで暗夜の海で唯一の浮木を掴んだ溺者のように、ローブの裾を乱雑にたくし上げ、学園の奥深くへと我を忘れて駆け出していったのだ。
石畳の回廊に響き渡る、乱れた切迫した足音。あまりの焦燥に、その細い脚は幾度ももつれ、転倒しかけていた。
日陰に佇むマリーズの双眸に、名状しがたい微かな動揺と、抑えきれぬ好奇の光が宿った。
白状すれば、彼女は確かに仮面を被った打算と虚飾に辟易としてはいたが、だからといってフェイやイリノーという少女そのものを心の底から憎んでいるわけではなかった。
前世の三十年、社会の最底辺を這いずり回って生きてきた八重だからこそ、生きることの残酷さも、人が何かの執念のために頭を垂れねばならぬ時の苦渋も、痛いほど理解できてしまうのだ。
一体、いかなる理由があれば、あの誇り高い平民の俊英をあそこまで追い詰めることができるというのだろう?
身分という名の天を衝く壁が立ち塞がるこの帝国学院において、フェイは類稀なる才気と血のにじむような鍛錬のみを武器に、底辺から自力で這い上がってきた数少ない異端の一人だ。
あの雪嶺の白百合のように潔癖で、強くなることだけに青春のすべてを捧げてきた少女には、本来であれば鋼よりも強固な矜持が備わっていたはずなのだ。
それなのに今日、彼女は己の誇りをかなぐり捨て、あらゆる矜持を無残に引き裂き、かつて学園中から無能と嘲笑されていた伯爵家の落ちこぼれ令嬢の前に膝を屈してまで、縋るように霊薬を求めてみせた。
マリーズは視線を戻し、フェイが消え去った回廊の彼方へと静かに目を細めた。
気になって、仕方がなかった。
一体いかなる過酷な絶望が、あの白百合の決して折れぬはずだった誇り高き傲骨を、根元からへし折ってしまったというのか。




