第五話 王子と小テスト 中
「小テスト、どうだった?」
舞は弁当箱を開きながら、何気ない調子で聞いてきた。
卵焼き、ミニトマト、焼き鮭、小さなハンバーグ。
神代家の弁当とは少し違うが、こちらも丁寧に詰められている。
レオンは一瞬だけ視線を落とし、慎重に答えた。
「最善は尽くした」
「それ、できなかった人の言い方よね」
「手応えは不明だ」
「普通に『微妙』って言いなさいよ」
「微妙だ」
「素直すぎるんだけど」
舞はため息をついた。
そして、レオンの弁当箱を見る。
「今日、お弁当なんだ」
「らしいな」
「らしい?」
レオンは箸を持つ手をわずかに止める。
「……そうだ」
舞の目が細くなっていく。
これは、獲物のわずかな動きを見逃さない狩人の目だ。舞は、冒険者なのか。
いや、王宮で言えば、失言を拾う書記官に近い。
「おばさん、喜んでた?」
おばさん。
おそらく沙織のことだ。
「喜んでいたと思う」
「思う?」
「……喜んでいた」
舞は、じっとこちらを見ている。
その視線は、朝よりもさらに鋭い。
レオンは平静を装いポーカーフェイスをきめる。宮廷であれば、相手の視線を正面から受け止め、必要に応じて笑みで返す。
視線を逸らせば弱みと取られる。
黙れば、裏を読まれる。
だからこそ、王子としてのレオンは、視線を扱うことに慣れていた。
だが、神代悠真はおそらくそんなことをしない。
幼なじみにじっと見つめられれば、居心地悪そうに目を逸らすはずだ。
レオンは、意識して目を少し逸らした。
舞がさらに眉を寄せる。
「目、逸らした」
「逸らすと不自然か?」
「悠真っぽいけど、今のは意識して逸らした感じ」
そこまで分かるのか。
レオンは内心で舌を巻いた。
この幼なじみは、本当に危険だ。
舞は卵焼きを口に運びながら、何気ない調子で言った。
「昨日から、変だよね」
「美琴にも言われた」
「でしょうね。美琴ちゃんの方が私より気づくの早そうだし」
舞は箸を止めた。
「でも、悪い変わり方じゃない」
レオンは少し驚いた。
「そうか」
「うん。おばさんにちゃんとお礼言ったんでしょ?」
「……なぜ知っている」
「今朝、美琴ちゃんからメッセージ来た」
神代悠真の妹は、すでに情報共有していた。彼の周囲には、思ったより監視網がある。
王宮で育ったレオンにとって、情報網というものは本来、貴族や官僚、騎士団、神殿に張り巡らされるものだった。
だが、この世界では違う。
妹と幼なじみのメッセージ。
それだけで、兄の異変は即座に共有される。
「美琴は何と?」
「『お兄がおかあさんの料理を褒めた。怖い』って」
「怖いのか」
「まあ、あんたなら怖い」
神代悠真への評価が厳しすぎる。
舞は少しだけ笑った。
「でも、おばさん嬉しそうだったんでしょ?」
「……そうだな」
「なら、そこはいいんじゃない」
その言葉に、レオンは一瞬黙った。
舞は、違和感を覚えている。
だが、レオンが神代悠真ではない事を疑っている訳ではないだろう。変わり方が唐突過ぎてどちらかというと心配しているように見える。
ただ疑い深い少女ではないのだろう。
神代悠真の家族を、ちゃんと見ている。
「一ノ瀬……舞」
「何で言い直したの」
「いや」
「ほんと変」
舞は小さく笑った。
その笑いは、警戒を完全に解いたものではないが、少しだけ柔らかかった。
レオンは、神代悠真の人間関係を少しだけ理解した気がした。
ここには、王宮のような明確な忠誠や契約はない。
誰かが誰かに臣従しているわけではない。
命令と義務で成り立っているわけでもない。
だが、もっと小さな信頼がある。
昨日のプリント。
今朝の挨拶。
母の料理。
妹のメッセージ。
幼なじみの心配。
どれも些細だ。
だが、それが積み重なって、神代悠真の日常を形作っている。
それを壊さないこと。
それは、思っていたより難しい。
レオンは、内心で本日何度か目の苦笑をするのだった。
昼休みが終わり、午後の授業が始まった。
現代文。
この授業は、まだマシだった。
文章を読み、登場人物の心情を答える。
王宮で人の顔色を読み続けてきたレオンにとって、心情を推測すること自体は難しくない。
むしろ、言葉の裏を読むことは幼い頃から叩き込まれてきた。
表情。
間。
言葉の選び方。
視線の逃げ方。
沈黙の長さ。
そのすべてが、王宮では意味を持つ。
ただし、現代文の問題文は厄介だった。
――この時の主人公の気持ちとして最も適切なものを選べ。
選択肢を見る。
一、喜び。
二、不安。
三、怒り。
四、諦め。
レオンは、本文を読み返したがどう見ても喜びと不安と怒りと諦めが混ざっている。
人間の感情を一つに絞るな。
そう思いながら前を見ると、教師と目があってしまった。
教師は、ニヤリと笑うとレオンを指名した。
それに対してレオンは無難に答えてしまった。
「この場面では、主人公は相手を責めたい気持ちがありながらも、自分の立場を考えて言葉を飲み込んでいるのだと思います」
教室が静かになり、教師が驚いた顔をした。
「……神代、よく読めてるな」
また褒められた。
だが、周囲がざわつく。
「神代って現代文できたっけ?」
「急に覚醒してない?」
「今日どうしたんだマジで」
舞が、なんとも言えない顔でこちらを見ている。
レオンは静かに視線を落とした。
手を抜くべきだったのか。
だが、教師に問われてわざと外すのは不自然だ。
しかも、人の感情を読む問題で適当に答えるのは、王宮育ちとして何となく負けた気がする。
次の英語は、厄介だった。
アルヴァレイン王国周辺の複数言語ならば扱えるし古代語も基礎は学んでいる。
だが、英語は初見に近い。
《バイブル》が、最低限の補助をするため文字は読める。
しかし、発音と文法が独特だった。
「神代、この文を読んで」
今日は、よく当てられるなとレオンは思いながらも立ち上がった。
視界に《バイブル》が表示される。
英語音読:
発音の正確性が評価されます。
カタカナ読みは回避推奨。
ただし過度に流暢な発音は対象人物との差異を生む可能性があります。
「どっちだよ」
小声で呟く。
「神代?」
レオンは覚悟を決め、英文を読んだ。
できるだけ自然に。
できるだけ神代悠真らしく。
できるだけ姿勢を悪くして。
しかし、王族教育で培った発声のせいで、やたらと声が通った。
読み終えると、教室が静かになった。
「……発音はともかく、声はいいな」
声だけ褒められると、隣の女子が小さく笑う。
前の男子が振り返って親指を立てた。
「神代、今日キャラ濃いな」
レオンは座った。
もう何が正解か分からない。
数学では敗北し、現代文では勝ちすぎ、英語では声だけ評価される。
現代高校生活。
やはり王宮より手強い。
続く




