第五話 王子と小テスト 下
放課後。
ようやく今日の授業が終わり、レオンは精神的にかなり消耗していた。
戦闘もしていなければ、魔法も使っていない。それなのに、この疲労具合。精神干渉魔法を受けたんじゃないかと錯覚を覚える。
高校生活とは恐ろしい。完全に侮っていた。
教室では、生徒たちがそれぞれに支度をしている。
部活へ向かう者や友人と遊びに行く者。
バイトへ向かう者もいれば、机に突っ伏して動かない者まで放課後を過ごしている。
レオンは鞄をまとめ、早々に帰り支度をしていく。
この場に留まる事は、リスクでしかない。変に誰かに絡まれても困る。そもそも名前を舞以外覚えていないのだ。
神代家に帰り、沙織に不審がられすぎない程度に挨拶し、美琴の追及を避け、数学の結果を忘れる。それが今日の残りの任務だ。
そう思っていると、背後から声がした。
「神代くん」
振り返ると、見知らぬ女子が立っていた。
肩まで伸びる明るめの髪を軽く巻き、大きな瞳をぱちくりとし明るい表情をしている。
制服を、少し着崩して今風と言うのだろうか校内にも似たような女子生徒を見たことがある。
誰だっけ?
レオンは内心でボヤく。
女子は笑顔で言った。
「なんか雰囲気違うよね。変わったって言うのかな? そっちの方がいいじゃん」
《バイブル》が表示を出した。
陽キャ女子:
社交性が高く、距離感が近い女子生徒。ギャル。
クラスカーストの、上層に位置していることが多く対応を誤るとクラス内注目度が乱高下する可能性があります。
時々オタクに優しいギャルも存在する模様。
推奨:軽い返答で流してください。
オタクに優しいギャル? なんだそれは。
レオンは、深く考えるのを止めて軽い返答へと、思考をシフトする。
「そうか。評価に感謝する」
「評価に感謝?」
周囲が笑った。
「神代くん、何それ。面白」
女子は楽しそうに続ける。
「ねえ、明日もそのキャラで来てよ。前より話しやすいし」
「前より?」
レオンは思わず聞き返した。
「以前の俺は、そんなに話しにくかったのか」
「え? うーん、悪い意味じゃないけど、何考えてるか分かんない感じ?」
女子は悪気なく言った。
「あと、たまに闇属性っぽいこと言うし」
この世界にも闇属性があるのか。
神代悠真。
君は本当に何をしていた。
「じゃあまた明日」
女子は手を振って去っていった。
それを見届けると舞が近づいてくる。
「今の、七瀬凛花だよ。クラスの子だけど覚えてる?」
覚えていない。
だが、神代悠真なら当然知っているはずだ。
「ああ」
レオンは曖昧に答えた。
舞は目を細める。
「今の絶対怪しかった。ホントに覚えてる?」
「ああ、気のせいだ」
「昨日から気のせい多すぎ」
舞は鞄を肩にかけた。
「帰るよ」
「一緒にか?」
「何その確認。家、途中まで同じでしょ」
「そうだったな」
「……ほんとに大丈夫?」
舞の声が少しだけ低くなった。
朝や昼の探るような声ではない。
心配する声だった。
レオンは、嘘をつくことに少し疲れていた。だが、ここで真実を言うわけにはいかないのだ。神代悠真が異世界にいてレオンが、彼の代役としてここにいる。
言えば、すべてが壊れる。
「大丈夫だ」
レオンは答えた。
舞はしばらくレオンを見ていた。
「……そっか」
納得していないが、それ以上は追及しなかった。
廊下を歩く。
夕方の学校は、朝とは違う顔をしていた。
窓から入る光は橙色に変わり、廊下の床に長い影を落としている。
部活動へ向かう生徒たちの声が遠くから聞こえ、グラウンドからは笛の音が響く。
教室のざわめきは少しずつ薄れ、校舎全体が一日の終わりへ向かっていた。
レオンはその景色を見ながら思った。
この世界にも、日々がある。
王国のような戦火はない。
魔王軍もいない。
騎士も魔導士も見当たらない。
だが、この世界の人間にも、それぞれ守りたい日常がある。
その意味が、少しずつ実感として分かってきた。
昇降口で靴を履き替える時、舞がぽつりと言った。
「ねえ、悠真」
「何だ」
「あんたさ」
舞は少しだけ迷ったように見えた。
そして、軽い調子を装って言う。
「自分が“漆黒の断罪者”だった時のこと、まだ覚えてる?」
レオンの手が止まった。
漆黒の断罪者。
何だそれは。
《バイブル》が反応する。
検索結果なし:漆黒の断罪者
対象人物固有の黒歴史用語である可能性があります。
統計的に、片目に力が宿っていたり、何かしらの痛い文言を口走ったりする模様。
注意:反応を誤ると正体疑惑が上昇する恐れがあります。
統計的にとは?
いつも通り役に立たないな。
レオンは顔を上げると、舞がこちらを見ているがその目には、冗談の色が薄い。
試している様に感じたレオンは答えを探す。
覚えていると言えば、詳細を聞かれる。
忘れたと言えば、不自然かもしれない。
茶化せば、神代悠真らしくないかもしれない。
沈黙が続く。
レオンは静かに言った。
「……その名は、封印した」
賭けだった。
舞は一瞬、目を丸くした。
そして、吹き出した。
「何それ。微妙に悠真っぽいのムカつく」
助かった。
レオンは内心で息を吐いた。
だが、舞の笑いはすぐに収まった。
「でもさ」
彼女は靴を履きながら言う。
「今の、ちょっと考えてから言ったよね」
レオンは答えなかった。
舞は、立ち上がる。
「やっぱり、変」
舞の横顔は、笑っていなかった。
舞は、何かに気づき始めているが、まだ踏み込んでこない。
神代悠真の日常が、壊れるのを恐れているのだろう。
レオンは思う。
この少女もまた、神代悠真の帰る場所の一部なのだ。
「帰ろ」
美咲はそう言って歩き出した。
レオンはその後ろ姿を見つめる。
神代悠真として馴染もうとすればするほど、周囲は違和感を覚える。
真面目に振る舞えば、沙織は喜び、美琴は怪しみ、教師は驚き、クラスメイトは騒ぎ、舞は疑う。
神代悠真の生活は、単に彼の顔をしていれば維持できるものではない。
彼の不器用さ。
彼の沈黙。
彼の黒歴史。
彼の家族への照れ。
彼の幼なじみとの距離。
そのすべてが、神代悠真の日常なのだ。
夕暮れの校門を出る。
空は橙色に染まり、雲の端が金色に輝いている。現代日本の街並みが、その光を受けて静かに沈んでいく。
レオンは小さく息を吐いた。
王命で来た。
イヤだった。
今も面倒だ。
だが、雑には扱えない。
神代悠真の帰る場所は、思ったよりずっと繊細で、温かく、壊れやすい。
そして今、その場所を守る役目は自分にある。もう一度確認して、レオンは歩き出した。




