第四話 勇者 妄想を形に 下
発火術式の成功をきっかけに、訓練場の空気は明らかに変わった。
それまで悠真へ向けられていた視線は、期待と疑念が半分ずつ混じったものだった。
異界より召喚された勇者。
けれど、見た目はただの少年。剣を握った経験もなければ、戦場の空気も知らない。
魔力量も、王国の宮廷魔導士を圧倒するほどではない。
その時点で、魔導士たちの一部は少し肩透かしを食らったような顔をしていた。
だが、手のひらに浮かんだ豆粒ほどの火は、その評価を微妙に変えた。
火そのものは弱く派手さもない。当然、敵を焼き払うような威力など、欠片もなかった。
しかし、安定していた。
小さな火が、手のひらの上で球形に近い形を保ち、ほとんど揺らがずに浮かんでいた。
それは、初めて魔法に触れた者が行う発火術式としては明らかに異質だったらしい。
悠真には、周囲の空気が少し変わったことが分かった。
「出力は低いが、形が崩れていない」
「魔力供給の波が細い。あれで維持しているのか?」
「初学者なら普通は火柱か煙になる」
「異界人の特性か?」
「いや、本人の想像力かもしれん」
魔導士たちの声が耳に入るたび、悠真の心臓は変な跳ね方をした。
正直、嬉しかった。現代日本では、妄想でしかなかったもの。
それが、ここでは価値を持ち始めている。
自分の中にしまい込んでいたものが、初めて外の世界に触れ、評価されている。
それは、悠真にとってひどく甘い感覚だった。
だが同時に、怖かった。
評価されるということは、期待されるということだ。
期待されるということは、次も求められるということだ。
失敗すれば、落胆される。
役に立たなければ、失望される。
勇者という名前に見合わなければ、いつか誰かに責められる。
現代の教室では、目立たなければそれでよかった。
少し変な奴。
話しかけづらいけれど、害はない奴。
中二病をこじらせた目立たない陰キャ。
周囲の評価は、その程度で済んでいた。
だが、ここでは違う。
悠真は、勇者として見られているというその重さに気づくたび、胸の奥が冷たくなった。
「勇者様」
セレスティアが声をかけてくる。
「次は、光の制御を試しましょう。火よりも危険は少ないですが、拡散しやすい性質があります」
「分かりました」
火を消した手のひらには、まだ微かに熱の残滓がある気がした。
セレスティアは、今度は詠唱を短く区切りながら手本を見せる。彼女の手のひらの上に、小さな光が生まれる。
白く柔らかなその光は、少し揺れながらも一定の明るさを保っていた。
「光は、形を保つことよりも拡散を抑えることが重要です。照らす範囲を広げるなら拡散させますが、一点に留める場合は魔力の膜で包むようにしてください」
「拡散を抑える……」
悠真は右手を差し出し、目を閉じた。
光。
火と違い、燃焼ではない。
熱を生む必要はない。
必要なのは、発光する点と、その光を留める境界。
中心に核。
そこから放射される光。
ただし、全方向へ広げすぎない。
小さな球体の内側で反射させる。
外へ漏れる光量を調整する。
頭の中に、また黒いノートの図が浮かんだ。
発光核。
反射膜。
透過率。
魔力粒子の密度。
自分で書いたはずなのに、今思い出すと恥ずかしい。
だが、恥ずかしさよりも早く、魔力が動い
た。
「……集え」
手のひらに、小さな光が生まれた。
セレスティアの光よりは、弱いけれど、輪郭ははっきりしていた。
光が球形にまとまり、手の上で静かに浮かぶ。
まるで、小さな月のようだった。
魔導士たちがざわめく。
「また形が安定している」
「光量は低いが、拡散が少ない」
「制御型か」
制御型。
その言葉が、悠真の胸に妙に響いた。
圧倒的な火力ではない。
規格外の魔力量でもない。
だが、形を整える。
流れを固定する。
乱れを抑える。
それが、自分の特性なのかもしれない。
現代では、妄想を細かく作り込みすぎて自分で自分に引いた。
設定に整合性を求めすぎて、ノートが無駄に分厚くなった。
魔法体系に矛盾があると気になって眠れない夜もあった。
だが、この世界では、その細かさが力になっている。その事実にどうしようもなく、胸が高鳴った。
次は風だった。
セレスティアが言う。
「風は形が見えにくい分、制御が難しいです。まずは手元で小さな流れを作るだけで構いません」
悠真は頷く。
風。
空気の流れ。
圧力差。
方向。
速度。
渦。
手のひらの上に、風を通すイメージ。
魔力を広げすぎない。
線にする。
糸にする。
流路を作る。
呼吸を合わせる。
「……走れ」
手のひらの上を、細い風が走った。
目には見えにくい。だが、手のひらに微かな圧を感じる。
風は乱れず、手の上で安定した。
魔導士の一人が思わず前に出た。
「弱い風だが、流路が安定している」
「出力が低い分、無駄が少ないのか?」
「いや、これは意図的に絞っている」
悠真は少しだけ肩をすくめた。
意図的というより、怖いだけだった。
暴発させたくない。
誰かを傷つけたくない。
自分でも制御できない大きな力を出したくない。
だから、小さく作る。
細くまとめる。
形を保つ。
それが結果的に評価されている。
最後は、水。
水球を作るのではなく、セレスティアが用意した小さな器の水を浮かせる訓練だった。
悠真が、器を見下ろすと水面が揺れている。
水。
形を持たない。
器に合わせて形を変える。
水の生成は必要ない。光魔術と同様に魔力で境界を構築し、器を作る。
後は球体をイメージし、器に水を留める。
悠真は指先を水面に向けた。
「……留まれ」
水滴が一つ、器から浮き上がった。
小さい。
親指の先ほどの水滴。
だが、それは空中で崩れず丸いまま、ゆっくりと浮いている。
周囲の声が、また少し大きくなる。
セレスティアは、驚いたように悠真を見ていた。
「勇者様……あなたは本当に、今日初めて魔法を?」
「はい。少なくとも、本物の魔法は」
「本物の?」
「いえ。なんでもありません」
また余計なことを言いかけた悠真は、慌てて水滴を器へ戻す。
水が小さく跳ね、器の中で波紋を作った。
魔導士たちはしばらく話し合っていた。
悠真には専門的な内容の全ては分からないが、評価の方向は分かった。
魔力量は突出していない。
威力も低い。
しかし、制御が異常に安定している。
それが、今の自分の特徴らしい。
「勇者様」
セレスティアが穏やかに言った。
「今日の測定で分かったことがあります」
「何ですか?」
「あなたは、破壊力に優れた魔導士ではありません。少なくとも、現段階では」
「……はい」
分かっていても、少し刺さる。
規格外の魔力で全部吹き飛ばす展開ではなかった。
だが、セレスティアは続けた。
「ですが、制御能力は非常に高い可能性があります。初めて魔法を扱う方が、ここまで魔力の形を整えられる例は多くありません」
「制御能力」
「はい。戦場では、必ずしも大きな力だけが役に立つわけではありません。小さな魔法でも、正確に扱えば人を救えます」
人を救える。
その言葉が、悠真の胸に残った。
自分の妄想が、誰かを救う力になるかもしれない。
けれど同時に、責任の重さも増した。
役に立てるかもしれない。
なら、役に立たなければいけない。
そう思ってしまう。
悠真は手を握りしめる。
剣を握ったことも、魔物を倒したこともない手。
その手に、初めて魔法が宿った。
訓練の後、悠真はセレスティアに案内され、神殿の書庫へ向かった。
召喚術式や魔法体系について、簡単な資料を見せてもらえることになったのだ。
書庫は、訓練場とはまるで違う静けさに包まれていた。
高い棚に、分厚い本がぎっしりと並んでいる。
古い紙と革の匂いが漂い、窓から差す光の中に細かな埃が舞っていた。
悠真にとっては、宝物庫に近かった。
胸が躍る。
魔法体系の本。
召喚術式の資料。
この世界の歴史。
魔族との戦いの記録。
属性分類。
神殿魔法。
古代文字。
全部読みたいと思ってしまう自分がいる。
「こちらが、今回の召喚儀式に使用された基本術式の写しです。ただし、重要部分は秘匿されています」
「見てもいいんですか?」
「勇者様には、ご自身の状態を知る権利があります」
セレスティアはそう言って、羊皮紙を広げた。
そこには、神殿の床に刻まれていたものと似た魔法陣が描かれている。
悠真は息を止めた。
円形の基礎陣。
外周を巡る古代文字。
内側の三重構造。
中央の座標固定式。
魂紋同調らしき記号。
肉体保護。
精神緩衝。
魔力干渉の緩和。
世界間座標の固定。
すべてが分かるわけではない。
文字も読めないものが多い。
記号の意味も推測にすぎない。
だが、構造の意図は何となく読めた。
黒いノートに描いた召喚陣とは比べものにならないほど精密だ。
線の密度も、階層の数も、意味の重ね方も桁違い。
けれど、考え方そのものは近い部分がある。
対象を定める。
魂の波長を合わせる。
世界間の距離を仮想的に短縮する。
肉体を保護し、精神の崩壊を防ぐ。
悠真は、羊皮紙に顔を近づけた。
胸が高鳴っている。
すごい。
純粋にそう思った。
現代日本では誰にも理解されなかった魔法陣の妄想。
それが、ここでは本物の体系として存在している。
だが、悠真は外周の一部で目を止めた。
「……これ」
セレスティアが反応する。
「どうされましたか?」
「この外周式。召喚対象を保護するためのものに見えますけど、流れが内向きすぎる」
「内向き?」
「保護なら、衝撃を外へ逃がすか、対象の周囲で緩衝するはずです。でもこの線は、対象を中心へ留める方向に組まれている」
悠真は羊皮紙を指でなぞった。
線の流れ。
魔力の向き。
結界の閉じ方。
「これ、保護というより……拘束に近い」
セレスティアの表情が驚きと動揺に染まる。
それは、ほんの一瞬だった。
だが、悠真は見逃さなかった。
「勇者様」
セレスティアの声がわずかに低くなる。
「その件は、ここでは」
ここでは。
つまり、何かある。
悠真は喉が乾くのを感じた。
異世界に召喚された。
魔法が使え、自分の妄想が役に立つ事がわかり胸が躍ることばかりのはずだった。
だが、その裏側にあるものが、少しだけ見えた気がした。
王国は、自分を歓迎している。
勇者として期待している。
しかし、それは本当に善意だけなのか。
召喚式に拘束が混ざっていた理由は何だ。
自分が召喚を拒否したら、どうするつもりだったのか。
帰還方法は本当にあるのか。
レオンは大丈夫なのか。
考えるべきことが、一気に増えた。
セレスティアは周囲を確認した。
書庫には他にも神官がいる。
奥の棚の向こうには、年配の魔導士らしき男が書物を整理していた。
彼が聞いているかどうかは分からない。
セレスティアは、悠真にだけ聞こえるほど小さな声で言った。
「後ほど、私からお話しします。今は、その疑問を他の者の前では口にしないでください」
「……分かりました」
悠真は頷いた。
胸の中に、異世界への高揚とは違う緊張が生まれる。
これは、ただの勇者召喚ではない。
少なくとも、自分が妄想していたような、都合のいい物語ではない。
戦いの中、王国は追い詰められ勇者を必要としている。
そして召喚式には、何か隠された意図がある。
悠真は羊皮紙の魔法陣を見つめた。
怖い。
不安だ。
逃げたい気持ちもある。
けれど、知らなければならない。
この世界で何が起きているのか。
なぜ自分が呼ばれたのか。
召喚式に何が仕込まれていたのか。
そして、レオンに預けた自分の居場所を、無事に取り戻すためにも。
悠真は拳を握った。
王国には何か隠し事がある。
そして、自分の妄想は、どうやら本当に武器になる。
ならば、やるしかない。
勇者ごっこではない。
本物の異世界で、本物の責任を背負うことになるのだとしても。
神代悠真は、静かに息を吸った。
「……まずは、知るところからだ」
その呟きは、誰にも聞こえないほど小さかった。
だがその声には、現代で机の隅に魔法陣を描いていた少年とは少しだけ違う響きがあった。
その夜。
悠真は神殿内に用意された客室で、一人ベッドに腰掛けていた。
ベッドは大きく、布団は驚くほど柔らかい。
けれど、落ち着かない。
自分の部屋が恋しかった。
これまでの日常が、今は全部遠い。
悠真は自分の手を見た。
昼間、この手の上に火が灯った。
光が浮かび、風が走り、水滴が留まった。
夢のようだった。
だが、夢ではない。
この手は、これから誰かを守るために使われるかもしれない。
あるいは、誰かを傷つけるために使われるかもしれない。
その重さに、悠真は息を詰まらせる。
「勇者、か……」
口にすると、やはり少し恥ずかしい。
だが、もう笑って済ませられる言葉ではなかった。
扉が控えめに叩かれた。
「勇者様。セレスティアです」
「どうぞ」
扉が開き、セレスティアが入ってきた。
昼間と同じ白い法衣。
だが、表情は少し硬い。
「夜分に失礼します」
「いえ。例の話ですか」
セレスティアは頷いた。
彼女は部屋の中を確認し、扉を閉める。
それから、声を落とした。
「昼間、あなたが気づかれた召喚式の外周構造についてですが」
「はい」
「あれは、公式には召喚対象の保護式と説明されています」
「公式には」
悠真が繰り返すと、セレスティアは目を伏せた。
「私も、全てを知っているわけではありません。ただ、王国上層部の一部は、勇者召喚を単なる協力要請とは考えていません」
悠真は、背筋が冷える感覚を、覚えた。
「つまり、俺が拒否した場合でも、逃がさないための仕組みがあった?」
「可能性はあります」
セレスティアの声は重かった。
「ただし、あなたが代役の件を条件として提示し、王がそれを受け入れたため、召喚直後の強制措置は行われませんでした」
「……やっぱり、あの時条件を出してよかったんだ」
悠真は小さく呟いた。
家族を守るためだった。
しかし、それは結果的に自分自身を守ることにもなったのかもしれない。
「セレスティアさんは、なぜ俺にそれを?」
「あなたが気づいたからです」
「気づかなかったら?」
セレスティアは答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
しかし悠真はセレスティアが、気付いて欲しくて見せたのでは、無いかと感じた。
そして、苦笑した。
「異世界、思ったより厳しいですね」
「申し訳ありません」
「セレスティアさんが謝ることじゃないです」
「ですが、私は神殿の人間です。召喚に関わりました」
彼女の声には、罪悪感があった。
悠真は少し迷ってから言った。
「俺は、まだあなたを完全に信じているわけじゃありません」
セレスティアは静かに頷いた。
「当然です」
「でも、今の話をしてくれたことは、覚えておきます」
セレスティアは少しだけ目を見開いた。
それから、深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「お礼を言われることじゃないです」
悠真は窓の方を見る。
「俺は、知りたいです」
「この世界のこと。魔法のこと。魔王軍のこと。召喚式のこと。帰る方法のこと」
セレスティアは、真剣に悠真を見ていた。
「そして、俺に何ができるのかも」
責任なんて背負いたくない。
勇者なんて、妄想の中では楽しいだけだったのに現実になれば、ただ重い。
それでも。
レオンに預けた自分の居場所を取り戻すために。そして、この世界で実際に苦しんでいる人たちを、見てしまった以上知らないふりは、もうできない。
「だから、教えてください」
悠真はセレスティアを見る。
「俺が、本当に勇者になれるかは分かりません。でも、何も知らないまま使われるのは嫌です」
セレスティアは、しばらく悠真を見つめていた。
やがて、静かに頷く。
「分かりました。私に話せる範囲で、全てお話しします」
その言葉に、悠真は小さく頷いた。
ここからだ。ここから、自分の異世界は始まる。
机の上には、セレスティアが持ってきた薄い魔法入門書が置かれている。
表紙には、古い文字で何かが書かれていた。
悠真には、まだ読めないが必ず理解する。
自分の妄想を、この世界で本物の知識へ変える。
悠真は、そっと本の表紙に手を置いた。
怖い気持ちもあるけれど、少しだけ楽しみでもある。
そんな自分に呆れながら、神代悠真は異世界の夜に向かって、小さく呟いた。
「……戦いは、まだ全然これからだな」
その声は誰にも届かなかった。
けれど、確かにそこには、現代で目立たない陰キャだった少年が、初めて自分の黒歴史を力として受け入れ始めたのだった。




