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第三話 王子の初陣 下


「おはよ、悠真」


 声は自然だったが、レオンを観察している。昨夜の電話で、すでに違和感を持たれていることから、ここで失敗すれば登校前に追及が始まる。


 レオンは、できる限り自然な声を出した。


「おはよう、一ノ瀬」


 舞の足が止まった。


「……一ノ瀬?」


 しまった。


 幼なじみを名字で呼ぶのは不自然だったか。

 レオンは即座に修正する。


「……舞」


 舞はさらに目を細めた。


「何、その間」


「寝起きで少し頭が回っていない」


「いつも寝起きみたいな顔してるけどね」


「なるほど」


「そこで納得する?」


 舞は隣に並んで歩き出した。どうやら一緒に登校する流れらしい。


 レオンは内心で警戒を強める。幼なじみとの登校は、会話時間が長くなる分過去の話題が出る可能性がある。


 危険度は高い。


「昨日、ちゃんとプリント渡した?」


「ああ。渡した」


「美琴ちゃん、何か言ってた?」


「別に何も」


「……ホントに?」


 舞は、レオンを覗き込むように問い返した。


「ねえ、本当に何かあった?」


「なぜそう思う」


「あんたが、朝ちゃんと起きて、普通に挨拶して、妹と会話して、靴もそろえたから」


「イメチェンってやつだよ」


 舞がぴたりと立ち止まる。


「ホントにどうしたの?」


「設定いじったの?」


 捲し立てる舞が発した「設定」に反応しそうになったレオンだったがなんとかこらえた。


「まぁ気にするな」


「誰!?」


 舞は、納得していない顔で再び歩き出した。レオンは彼女の横顔をそっと観察する。


 神代悠真は言っていた。幼なじみはかなり鋭いと。確かにその通りだった。


 舞は、ただレオンの言葉を聞いているのではない。声の間、視線の動き、反応の速さ、過去との違いを拾っている。


 王宮の尋問官ほどではない。


 だが、神代悠真に関してだけなら、それ以上かもしれない。


 偽貌の指輪は、顔と声を似せ《バイブル》は、現代知識を補助する。だが、神代悠真個人の情報は、ない。そこが一番厄介だった。


「今日、小テストあるの覚えてる?」


「ああ」


「勉強した?」


「した」


「本当に?」


「数学に関する現代学問の概要を確認した」


 舞が頭を押さえた。


「あんた、寝不足?」


「睡眠は取った」


「じゃあ何でそんなに言葉が変なの」


「元からでは?」


「元から変だけど、種類が違う」


「くっ」


 美琴も舞も同じような反応を示した事からいつもの神代悠真のキャラクター像とかけはなれているのだろう。


 レオンは押し黙るしかなかった。


 学校が近づくにつれ、同じ制服を着た生徒が増えてきた。笑い声が混じり、誰かが自転車を押しながら友人と話している。


 数人の女子が肩を寄せ合い、何かの画面を見て笑っている。男子の一団は、眠そうな顔で昨日のゲームの話をしている。


 現代高校生。


 レオンにとっては未知の社会集団だった。

 王宮の貴族たちとは違う。

 騎士団とも違う。

 神官たちとも違う。


 階級らしきものは見えにくいが、完全に平等でもない。

 歩く集団の大きさや声の大きさ。制服の着崩し方には、個人差がかなりあり誰が誰に話しかけ、誰が誰を避けるか。


 そこには、目に見えない序列と距離感がある。


「なるほど」


 レオンは小さく呟いた。


「こちらにも派閥はあるのか」


 舞が横目で見る。


「今度は何?」


「いや。学校も宮廷と大差ないと思ってな」


「宮廷?」


「比喩だ」


「美琴ちゃんの言う通りあんたホントに変」


 舞のジトっとした視線をいなしているうちに校門が見えてきた。


 学校:

若者たちが集められ、学び、競い、交友を築き、時に孤立する場所。

学業、交友、部活動、試験、青春、恋愛感情の処理を行う現代の教育機関。

学園テンプレイベントが条件次第で発生する。 

オタクに優しいギャルがたまに顕現する。


 最後二つは、なんなんだ?


 舞がふとこちらを見た。


「もしかして緊張してる?」


「少しな」


 正直に答えると、舞は意外そうな顔をした。


「あんたが学校で緊張?」


「おかしいか?」


「いつもは、世界から半歩ズレてます。みたいな顔で来るから」


「神代悠真への評価が毎回ひどいな」


「神代悠真が自分で言う?」


 危ない。

 また主語を間違えた。

 レオンは咳払いで誤魔化し、校門をくぐった。

 通路を進むと、複数の視線を感じた。

 同級生なのだろうか神代悠真を知っているらしい。

 敵意は感じない。好奇心や違和感を感じているようだ。


 「なんか雰囲気違くない?」


 「髪型変えた?」


 「姿勢よくなった?」

 

 同級生も違和感を感じている。


 原因は姿勢か。

 歩き方か。

 舞と並んでいることか。

 おそらく全部だ。


 レオンは意識して少しだけ姿勢を悪くする。


 舞が横でぼそっと言う。


「何してんの?」


「調整が難しい」


「何の?」


「姿勢だ」


「普通に歩きなさいよ」


 普通。

 現代で最も難しい概念である。


 昇降口に着くと、生徒たちは靴を履き替えている。


 外と内で履物を分けるのは、神代家だけではなく学校でも同じらしい。


 レオンは周囲を観察し、靴箱を探した。


 神代。


 見つけた。

 外靴を入れ、上履きを取り出す。ここでも、揃えすぎないよう注意する。


 その様子を舞が隣で見ていた。


「何だ?」


「いや。あんたが靴箱で迷わないか見てた」


「迷うわけがない」


「ちょっと迷ってたよ」


「配置確認だ」


「はいはい」


 廊下へ進む。


 床は磨かれているが、王宮の石床とは違う。歩くたびに、上履きが軽い音を立てる。壁には掲示物が並んでいた。


 廊下を走らない。

 

 スマホの使用は決められた場所で。


 服装を正しましょう。

 

 レオンは少しだけ安心した。

 教育機関というものは、世界が違っても似たような苦労を抱えるらしい。


 やがて、教室の前に着いた。


 二年三組。


 扉の向こうから、ざわめきが聞こえる。

 

 舞が先に教室へ入った。


「おはよー」


「おはよ、舞」


「おー」


「今日小テストだるい」


 自然に返る声。


 レオンは一拍置き、教室へ入った。

 

 規則正しく並ぶ机。

 大きな黒板に残る白いチョークの跡。

 掲示板に貼られたプリント。

 窓から差し込む朝の光。

 制服姿の生徒たち。


 昨日の神殿とは違う。

 ここにいる者たちは、王族も勇者も知らない。

 ただ、神代悠真を知っている。

 だからこそ、怖い。


 レオンは自分の席へ向かう。


 窓際の後ろから二番目。


 掲示板に配置図があり助かった。


 席へ向かう途中、男子生徒の一人が声をかけてきた。


「お、神代。今日なんかシャキッとしてんな」


 誰だ。


 名前が分からない。

 レオンは瞬時に選択肢を並べる。

 一、名前を呼ばずに返す。

 二、曖昧に頷く。

 三、《バイブル》に頼る。

 四、逃げる。


 一が妥当。


「ああ。少しな」


 男子生徒は笑った。


「何それ。キャラ変?」


「そんなところだ」


 男子生徒は面白そうに続ける。


「神代がそんな普通に返すの珍し。明日雪降る?」


 教室の何人かが笑った。


 レオンは考える。


 これは侮辱か、軽口か。それとも親しい相手の冗談か。


 敵意は感じられない。

 ならば、軽く返せばいい。


「降るなら傘を持ってくる」


 沈黙。


 男子生徒が首を傾げた。


「……真面目か」


 美咲が残念なものを見る目でこちらを見ている。どうやら失敗らしい。


 レオンは、席に着くと鞄を机の横にかけ、教科書を出す。


 そしてそれとなく周囲を観察する。


 隣の席の女子がちらちらとこちらを見ている。

 前の席の男子はスマホに夢中のようだ。


 斜め前の女子二人も小声で話しているが内容は、聞こえてくる。

 

「神代くん、なんか雰囲気違うね」


「ちょっと垢抜けた?」


「いや、姿勢が王子」


 レオンは動きを止めた。


 姿勢が王子。

 的確な発言だ。

 現代高校生もなかなか侮れない。


 美咲が自分の席からこちらを見ている。

 

 何か探るような視線を向けてくるがかなり怪しまれていようだ。

 

 レオンは、これまでの情報を元に神代悠真の普通の再現を試みる。


 自然な動きを意識して机に肘をつき、少し猫背になり、視線を下げる。


 すると、前の男子が振り返った。


「神代、腹痛いの?」


 ……普通とは。


 レオンは心の中で《バイブル》を罵った。


 その時、教室の扉が開き担任らしき男性教師が入ってくる。


「はい、席つけー。ホームルーム始めるぞ」


 生徒たちがそれぞれ席に戻っていく。


 レオンは姿勢を直しかけて、途中で止めた。正しすぎず、崩しすぎず。


 中間。


 これが今の限界だ。


 教師が出席を取り始める。


「相川」

「はい」

「石田」

「はい」

 順番に名前が呼ばれていく。

 やがて。


「神代」


 レオンは答えた。


「はい」


 教室が一瞬、静かになった。


 教師が名簿から顔を上げる。


「……いい返事だな」


 周囲がくすくす笑う。


 また失敗したようだ。


 神代悠真は、もっと小さく、曖昧に、半分寝ているような返事をするべきだったのだろうか。最早考えるだけ無駄では、ないのかとも考えてしまうレオンだった。


 出席確認が終わり、教師は教卓に手を置いた。

「一時間目の前に、昨日配った数学のプリント回収するからな。小テストもその範囲から出す。出席番号順に前へ回せ」


 レオンは固まった。

 昨日配ったプリントだと?

 そんなものは知らない。

 鞄を探る。

 教科書。

 筆箱。

 ノート。

 現代文。

 英語。

 世界史。

 謎のプリントは何枚かある。だが、どれが数学の回収対象なのか分からない。


 視界に《バイブル》が表示される。

警告:提出物要求

高校生活における重要イベント。

未提出の場合、教師からの叱責、評価低下、周囲からの視線などが発生する可能性あり。

推奨対応:正直に謝罪する/友人に確認する/家に忘れたと申告する。

非推奨対応:異世界の陰謀と主張する。


 最後の項目は何だ。


 レオンは机の中も探すが見つからない。

 

 前の男子が振り返った。


「神代、プリントやった?」 


「……確認中だ」


「やってないやつの返事じゃん」


 レオンは選択を迫られた。


 正直に言うのか忘れたふりをするか。


 隣の誰かに見せてもらうかも考えたが、隣の女子の名前が分からない。


 このままでは、神代悠真としての初日が、提出物忘れから始まる。


 そんなレオンを察してか、教師の声が飛んだ。


「神代、どうした?」


 クラスの視線が集まる。


 レオンはゆっくり顔を上げた。


 王宮の会議であれば、いくらでも言い訳はできる。


 資料の不備、伝達の齟齬、前提条件の確認、担当者の責任。


 だが、ここは高校の教室だ。余計な理屈は、おそらく通じない。


 《バイブル》が表示を更新する。


推奨:簡潔に謝罪してください。


 レオンは息を吐いた。


「……すみません。家に忘れました」


 教室が少しざわつき、教師は意外そうな顔をした。


「神代が素直に謝った」


 そこに驚かれるのか。


「まあいい。明日出せよ。小テストは受けろ」


「はい」


 今度は小さめに返事をした。


 教師は満足そうに頷いたが、周囲はまだ少しざわついている。


「神代、今日マジで変じゃね?」


「でも謝れるの偉くね?」


「いや、それ普通だから」


 レオンは机に視線を落とした。


 初登校から数十分しか経っていないが、すでにかなり目立っている。


 更に、この後控えている数学小テストである。


 小テスト用紙が配られた。

 白い紙。

 黒い文字。

 数字と記号が並ぶ。

 レオンはその紙を見下ろした。

 問一。因数分解。

 問二。二次関数。

 問三。文章題。


 《バイブル》が控えめに表示を出す。


数学小テスト:

現在の成功率:不明。

推奨:落ち着いて解答してください。


「そこは具体的に助けろ」


 小声で呟いた瞬間、隣の女子がビクりと、こちらを見た。


「神代くん?」


「何でもない」


 レオンはペンを握った。


 剣を握るより、緊張するとは思ってもみなかった。


 王宮の剣術試合であれば、相手の重心や呼吸を見ればいい。


 魔法戦であれば、魔力の流れを読めばいい。


 貴族との交渉なら、表情と利害を分析すればいい。


 だが、この紙の上の数字たちは、何を考えているのか分からない。


 これが現代高校生の戦場。


 「容赦がないな」


レオンはようやく理解した。


 初登校は、確かに戦場だった。


 しかも、かなり理不尽な部類の。


 チャイムが鳴る。


 小テスト開始の合図だった。


 レオンは静かに息を吐いた。


 王命なので、受けるしかない。


 イヤだが。

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