第二話 第三王子入城する 下
夕食後、美琴は風呂へ向かい、沙織は食器を片付け始めた。
一人椅子に座るレオンは、少し居心地の悪さを感じ反射的に立ち上がった。
「手伝おう」
沙織が振り返る。
「え?」
これも不正解なのか。
廊下から美琴の声が飛ぶ。
「お兄が皿洗いを申し出た!?」
「美琴、お風呂入りなさい」
「いや事件でしょ! 今日のお兄、やっぱり絶対変!」
「成長期なのよ」
「成長期って便利な言葉すぎない!?」
レオンは静かに椅子へ戻った。
「……座っている」
沙織はくすくす笑った。
「いいのよ。気持ちだけもらっておくわ」
レオンは頷く。
神代悠真として善行をしすぎるのも危険らしい。
悪く振る舞えば不信を招く。
良く振る舞っても不信を招く。
神代悠真という人物の再現難度は、予想以上に高かった。
しばらくして、レオンは神代悠真の部屋へ向かった。
階段を上がり、廊下を進む。
壁には写真が飾られていた。
幼い悠真と小さな美琴。そして若い沙織がそこにはいた。
三人とも、少しぎこちなく笑っている。
レオンは足を止めた。
その写真には飾られていない時間が詰まっていた。
この家には、この家の歴史があり自分はそこへ、突然入り込んだ異物に他ならない。
それでも、彼の戻る場所を守らなければならない。
王命とはいえ、嫌々来た割には真面目に向き合ってしまっている自分に肩をすくめた。
レオンは扉の前に立ち、深く息を吸った。
そして、神代悠真の部屋を開けた。
「……これは」
部屋の中は、それ程広くはない。置かれている家具も、ベッドにテーブルと本棚。
しかし本棚は、様々な書籍で埋められていた。
漫画、ライトノベル、神話辞典、軍事雑学、魔術関連の怪しげな本。それらがところせましと、ねじ込まれている。
机の上には教科書と黒いノート、筆記具、幾何学模様が描かれた紙。そして指ぬきグローブが、無造作に置かれていた。
壁際にはゲーム機。ベッドの下には、明らかに何かを隠している気配がある。
好きなもの、隠したいもの、捨てられないものが詰まった部屋。
ここに、神代悠真という少年の内側があった。そして机上の、黒いノートへレオンの視線は、注がれる。
――黒いノートは見ないでください。
神代悠真はそう言った。
見ては、いけない。約束は守るべきだ。だが、潜入任務としては情報が必要だ。
このノートには、神代悠真の言動や思考などヒントになり得る事が記されている可能性が高い。
見ない方が倫理的。
見る方が実務的。
王族として、約束は重い。だが、任務を遂行するために少しでも情報が欲しい。
レオンはしばらく無言で立っていた。
その瞬間。
机の上の黒い板が震えた。
「っ……!」
規則正しい間隔で振動音を発するそれにレオンは反射的に身構えた。
振動を続ける黒い板には、文字が表示されている。
一ノ瀬舞
神代悠真が「かなり鋭い」と言っていた人物。
早すぎる。まだ現代に来て数時間も経っていない。にもかかわらず、重要警戒対象が接触してきた。
視界に《バイブル》が表示される。
スマートフォン
遠隔地の相手と音声で会話する現代の通信手段。
応答時は自然な声色で「もしもし」と言う。
親しい相手の場合、「どした?」「今ヒマ?」「しもしも〜」なども有効。
画面を指で滑らせるように操作する。情報量過多の為その他使用方法は、割愛する。
直感でなんとかなる。
レオンは額に汗をかきながら深呼吸した。
「なんだこのフワッとした説明は」
つい言葉が出てしまった。だが少なくとも「しもしも〜」では、無いだろう。対応しないわけにもいかない。
自然な声色。
神代悠真らしい対応。
どちらも難題だ。
スマホは震え続ける。
レオンは画面を押し、耳に当てた。
「もしもし」
通話の向こうで、一瞬の沈黙。
『……え?』
すでに違ったらしい。
『あんた、今、もしもしって言った?』
「電話では、そう言うものだろう」
『いや、そうだけど。あんたがそんな普通に出る?』
神代悠真。
君は電話で何と言っていた。
「少し疲れている」
『それも変』
「疲れているのがか?」
『言い方が』
神代悠真の評価は正しかった。この幼なじみは、危険だ。いや、いつもの普通を再現できていないレオンが悪いのか。
普通とは。
『ねえ、今日さ。ちゃんと美琴ちゃんにプリント渡した?』
レオンは神代悠真が持っていた鞄の中から美咲に預かったものを探した。
鞄の中には、紙の束があった。
おそらく、これだろう。
「……ああ。渡す」
『まだ渡してないんじゃん』
「これから渡すところだった」
『絶対忘れてたでしょ』
「忘れてはいない。優先順位を整理していただけだ」
『何その言い方』
レオンは口調を修正する。
「……悪い。渡しておく」
通話の向こうで、美咲が少し黙った。
『悠真』
「何だ」
『今日、何かあった?』
その声は、先ほどまでと違い、からかいではなく、疑いでもない。レオンが、感じ取ったのは心配だった。
レオンは返答に迷う。何かあったかと言われると、あった。ありすぎだ
神代悠真は異世界に召喚され、自分は神代悠真としてその身代わりに現代へ送られた。偽貌の指輪で顔を借り、怪しい術式を頼りに、彼の家族を騙している。
だが、言えるはずがない。
「少し、考え事をしていただけだ」
『……そっか』
美咲はそれ以上追及しなかった。
しかし、納得していないことは声で分かった。
『明日、ちゃんと学校来なよ』
「ああ」
『あと、変なノート学校に忘れてない? 今日、慌ててたから』
レオンの視線が、机の黒いノートへ向く。
「……ある」
『ならいいけど。あれ見られたら困るんでしょ?』
「そんなにか」
『そんなにでしょ』
レオンは黒いノートを見る。
ますます気になる。
『じゃあ、プリント忘れずにね』
「ああ。任せてくれ」
また沈黙。
『任せてくれ?』
レオンは目を閉じた。
「……任せろ」
『うん。そっちの方がまだマシ』
通話が切れた。
レオンはしばらくスマホを見つめていた。
薄い板の中から、声が届く。距離を超え、相手の息遣いまで伝える。これが現代の通信具か。
王国であれば国家機密級の魔道具だが、問題はそこではない。
一ノ瀬舞。
声だけで、こちらの違和感を拾った。挨拶、言葉遣い、間、返答。
レオンは深く息を吐いた。
「これは……強敵だな」
王宮の潜入任務であれば、相手の身分、派閥、利害関係を調べればある程度対応できる。
だが、神代悠真の生活は違う。
小さな癖。
言葉の選び方。
過去のやり取り。
家族の記憶。
幼なじみとの距離。
そして普通じゃない普通。
それら全てが、神代悠真という人間を形作っている。
外見だけでは足りない。レオンは黒いノートを視界にいれた。
開けば、何かが分かるかもしれない。だが、約束した。
王族として約束したのは、帰る場所を守ることだけではない。神代悠真という少年を、雑に扱わないことも含まれている。
レオンはノートに触れず、椅子に座る。その時、扉がノックされた。
「お兄、プリント」
美琴の声。舞が連絡したのだろう。レオンは鞄から紙の束を取り出し、扉を開けた。
「これか」
「うん」
美琴は受け取りながら、じっとレオンを見た。
「さっき、舞さんと何話してたの?」
「プリントの事だ」
「何か言われた?」
「特には」
「ふーん」
どうもこの受け答えも違うらしい。レオンは慎重に尋ねる。
「美琴」
「何?」
「俺は、そんなにいつもと違うか」
美琴は少し驚いた顔をした。
そして、数秒考える。
「違う」
「具体的には」
「まず、目を見て話す」
「それは悪いことか?」
「悪くないけど、お兄っぽくない」
「他には」
「姿勢がいい。言葉が変。ご飯を褒めた。靴をそろえた。魚を綺麗に食べた。なんか、全体的にちゃんとしてる」
「ちゃんとしているのに問題があるのか」
「お兄の場合はある」
レオンは軽く衝撃を受けた。
神代悠真の人物像が、想定以上に厳しい。
美琴は少しだけ視線を逸らした。
「でも」
「でも?」
「……悪い感じじゃない」
それだけ言って、美琴はすぐに背を向けた。
「まあ、急に変わると怖いから、ほどほどにして」
「ああ」
「あと」
美琴は廊下の途中で振り返った。
「お母さん、嬉しそうだった」
レオンは黙った。
「だから……まあ、そこは別にいい」
美琴はそれだけ言って、自分の部屋へ戻っていった。
レオンはしばらく廊下に立っていた。
神代悠真の妹。
口は悪く疑い深いが、母親をよく見ている。そして、兄のことも。
レオンは静かに扉を閉め、部屋へ戻った。
窓の外には、夜の住宅街が広がっている。
王都の夜とは違う。魔石灯ではなく街灯。馬車ではなく車。
遠くから、聞き慣れない電子音と人の声が混じって届く。
見知らぬ世界。
見知らぬ家。
見知らぬ人間関係。
だが、この家の温かさは、少し理解できた。
神代悠真が守りたがった理由も。
「神代悠真」
レオンは誰もいない部屋で呟いた。
「君が行方不明を拒んだ理由、少し分かった」
視界の端に、淡く表示が浮かぶ。
翌日の予定:登校
注意:高校生活では遅刻、提出物忘れ、不自然な言動により信用値が低下する可能性があります。
追加警告:数学小テストあり。
「……数学小テスト?」
聞き慣れない言葉に、嫌な予感がする。検索を念じると、表示が切り替わった。
数学:数・式・図形・関数等を扱う現代学問。
多くの高校生に精神的損傷を与える強敵。
理系は恋も数値化する。
対策には日々の積み重ねが必要。
レオンは無言で表示を見つめた。
日々の積み重ね。恋も数値化? 意味が解らん。
現代に来た初日に言われても困る。
彼は椅子の背にもたれ、深くため息をついた。
「初日から詰んでないか?」
王命による現代生活。
その最初の夜は、家族の温かさと、数学という未知の強敵を抱えて更けていった。




