第八話 幼なじみは誤魔化せない 下
レオンは、舞を見る。
ここで真実を話すべきか。
今なら、まだ誤魔化せるかもしれない。
記憶が曖昧だ。体調が悪い。気のせいだ。疲れている。適当な言い訳は、いくらでも言える。
だが、その全ては舞を傷つける嘘になる。
悠真は言った。
変な嘘で傷つけないでください。
レオンは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「今は、答えられない」
舞の表情が変わった。
それは否定ではなかったからだ。
「今は?」
「ああ」
「じゃあ、いつなら答えるの」
「必要になった時だ」
「それ、逃げてるだけじゃない?」
「そうかもしれない」
舞は唇を噛んだ。
「悠真は、そんな言い方しない」
「だろうな」
「……っ」
彼女の目に怒りが宿る。
レオンはそれを受け止めた。
逃げない。
目を逸らさない。
それでも、正体を明かすのは……
真っ直ぐにこちらを見つめる神代悠真の幼なじみは、レオンが出会ってからずっと真摯に向き合ってきている。
心配しているのだ。
そんな彼女に、これ以上隠すべきでは、ないのかもしれない。
神代悠真も言っていた。「舞なら聞いてくれる」と。
レオンは、思い悩む自分に、らしくない自分に気付いていなかった。家族、幼なじみ、神代悠真を取り囲む優しい世界に当てられたのかも知れない。
そしてポロリと言ってしまった。
「一つだけ言える」
「何」
「神代悠真は、無事だ」
舞が息を呑んだ。
言ってから、レオンは自分の失言に気づいた。
だが、もう遅い。
少女の瞳が大きく揺れ怒気が強まる。
「……何、それ」
「……」
「悠真が無事って、どういう意味?」
舞の声が低くなる。
「何で、あんたがそんな言い方するの?」
安心させたいと、つい口が開いてしまったレオンは、言葉の訂正が上手く出来なかった。
否定すれば、また嘘になる。
その時、チャイムが鳴った。
鋭い電子音が校舎に響き、生徒たちが慌てて教室へ向かい始める。
舞は動かなかった。
レオンも動けなかった。
数秒間の沈黙の後、舞は深く息を吸った。
「……分かった」
声は静かだった。
「今は聞かない」
レオンは少し驚いた。
舞は続ける。
「でも、逃げないで。私、絶対聞くから」
「ああ」
「あと」
舞は、レオンを睨む。
「悠真に何かあったら、許さない」
その言葉は、軽い脅しではなかった。
本気だった。
レオンは静かに頷く。
「肝に銘じる」
「ホントに何なのよ……」
舞は靴を履き替え、先に廊下を歩いていった。
その背中は、いつもより少し硬い。
レオンは靴箱の前に立ったまま、左手の指輪に触れた。
完全に崩れたわけではない。だが、レオンの失言もあり隠し通す段階は終わりに近づいている。
レオンは教室へ向かった。
廊下には朝の光が差し込み、生徒たちの声が反響している。
いつも通りの学校。
いつも通りの朝。
だが、レオンにとっては、世界の輪郭が少し変わったように感じた。
午前の授業は、頭に入らなかった。
教師の声。
黒板に書かれる文字。
ページをめくる音。
周囲の生徒の小さな私語。
それらが少し遠かった。
昼休み。
レオンは弁当を広げた。
今日も丁寧に詰められている。
すると前の席の田崎が振り返る。
「神代、今日も弁当じゃん。弁当派に転向?」
「……そうかもしれない」
「何その曖昧な転向」
田崎は笑った。
「てか、今日舞と何かあった? 朝から空気変じゃね?」
レオンは箸を止めた。
田崎は軽い調子だったが、周囲は意外と見ているらしい。
「何もない」
「何もないやつの顔じゃねーけど」
「君は人の顔をよく見るんだな」
「いや、神代に言われると怖いわ」
田崎はそう言って前を向いた。
レオンは小さく息を吐く。
舞を避けてはいけない。
だが、近づけば疑われる。
嘘をつけば傷つける。
真実を話せば日常が壊れる。
王宮の政争よりも厄介だ。
放課後。
レオンは教室を出ようとしたところで、舞に呼び止められた。
「悠真」
教室にはまだ数人の生徒が残っていた。
舞は周囲を確認し、短く言う。
「ちょっと来て」
その瞳に、拒否権はないと言われているようで、レオンは黙って頷いた。
連れて行かれたのは、校舎裏に近い人気の少ない渡り廊下だった。
夕方の光が斜めに差し込み、床に長い影を作っている。
遠くのグラウンドからは運動部の掛け声が聞こえ、吹奏楽部の音が途切れ途切れに響いていた。
舞は立ち止まり振り返った。
「朝の続き」
レオンは静かに彼女を見る。
「何を聞きたい」
「全部」
「それは困る」
「こっちも困ってる」
舞は拳を握った。
「昨日からずっと考えてた。今日、いろいろ試した。昔のことも、話し方も。あんた、悠真のことを知ってるようで知らない」
レオンは黙っていた。
「でも、完全な別人って感じでもない。悠真の家族を大事にしようとしてる。おばさんを喜ばせて、美琴ちゃんのこともちゃんと見てる。だから余計に分からない」
舞の声は震えていた。
「何なの、あんた」
レオンは、答えを探した。
これ以上、彼女をただの勘違いで片付けることもできない。
「俺は」
言いかけた時だった。
校舎裏の方から、誰かの荒い声が聞こえた。
「だから、ちょっと来いって言ってんだろ」
舞が振り向く。
レオンも視線を向けた。
渡り廊下の向こう、校舎裏へ続く角のあたり。
数人の男子生徒が、一人の小柄な男子を囲んでいた。
雰囲気が良くない。
王宮で見慣れた種類の空気だ。
立場の強い者が、弱い者に圧をかける空気。
レオンの目が細くなる。
舞もすぐに気づいた。
「ちょっと、あれ」
男子たちの声がまた聞こえる。
「金貸してって言ってんじゃん」
「無理だって……」
「は? 財布持ってんだろ」
レオンは小さく息を吐いた。
くだらない事を。
非常に面倒だ。
ここで動けば目立つ。
神代悠真として不自然なことをすれば、彼女の疑念はさらに深まる。
これ以上、余計なことは避けるべきだ。
だが。
囲まれている男子の肩が震えている。
舞が一歩踏み出そうとした。
それより先に、レオンの足が動いていた。
「悠真?」
「少し待っていろ」
「待ってって、あんた――」
レオンは振り返らずに向かっていく。
ゆっくりと。
囲んでいた男子の一人が、レオンに気づいた。
「あ? 何?」
レオンは足を止める。
「それくらいにしておけ」
声は低くなりすぎないようにした。
だが、少しだけ本来のレオンが出た。
男子たちが顔を見合わせる。
「お前、関係あんの?」
「あるかどうかは関係ない」
「は?」
苛立ちを覚えた相手が、一歩近づいてくる。
腕を伸ばし、レオンの襟元を掴もうとするが。
遅い。
レオンは半歩だけ体をずらした。
相手の手は空を切る。
その勢いで男子は少しよろめいた。
「……あ?」
レオンは相手を見た。
「人の財布を当てにするほど困っているなら、教師に相談した方が早いぞ」
「てめぇ舐めてんのか」
「いや。合理的な提案だ」
「マジでムカつくな、お前」
更に別の男子が掴みかかってきた。
レオンは動こうとして、寸前で抑えた。
ここで投げ飛ばせば終わるが、怪我をさせるのは得策ではない。それに神代悠真は、やらないだろう。
最小限の動きで、相手の手首を軽く受けると力の方向をずらした。
男子は自分の勢いでよろけ、たたらを踏むと壁に手をついた。
「何だよ、今の」
「自分で躓いただけだろう」
「躓いてねえよ!」
舞が唖然とした表情でこちらを見ている。
だが、もう止まれない。
レオンは囲まれていた男子に視線を向ける。
「行け」
「え、でも」
「今のうちに」
男子は一瞬迷いを見せたが、弾かれたように走り去った。
残された三人は、明らかに面白くなさそうな顔をしている。
「お前さ、何なんだよ?」
「見過ごせなかっただけだ」
「気に入らねぇんだよ! その態度」
「そうか」
男子の一人が舌打ちする。
「マジでムカつく」
男子生徒達が拳を握る。
レオンは、ほんの少しだけ、ため息を吐いた。
相手の動きは、すべてが読める。
避けて、転ばせるだけなら簡単だ。
だが、その瞬間、舞が叫んだ。
「先生呼ぶよ!」
男子たちの動きが止まった。
舞はスマホを手にしていた。
「今の、録音もしてるから」
実際に録音しているかは分からない。
だが、効果はあった。
男子たちは舌打ちしながら離れていく。
「だる」
「行こうぜ」
「お前覚えとけよ」
ありきたりな捨て台詞を残し、彼らは校舎裏へ消えた。
レオンはその背を見送り、ようやく肩の力を抜いた。
振り返ると、彼女はスマホを握ったまま立っていた。
表情は硬い。
「今の」
舞の声は震えていた。
「悠真じゃない」
レオンは何も言えなかった。
「悠真は、あんなふうに動けない。あんなふうに人の前に立てない。怖いことがあったら、たぶん一回固まる。でも、あんたは迷わなかった」
舞は一歩近づく。
「ねえ、もう誤魔化さないで」
夕方の光が、彼女の髪を淡く照らしている。
グラウンドから聞こえる掛け声が、遠くなる。
「悠真は、どこにいるの?」
彼女は、ほとんど真実の扉に手をかけている。
そして自分は、もうこれ以上その扉を閉じ続けることができない。
レオンは静かに息を吸った。
「……話す」
舞の目が揺れる。
「本当に?」
「ああ」
レオンは、神代悠真の顔で、しかしレオンハルトとして答えた。
「約束する」
舞は、しばらくレオンを見ていたが、やがて小さく頷く。
「分かった」
その声は、怒りと不安と恐怖をどうにか押し込めたものだった。
レオンは思った。
神代悠真。
君の幼なじみは、本当に厄介だ。
だが、悪い人間ではない。
むしろ、君の帰る場所を守るためには、きっと必要な人間だ。
夕暮れの渡り廊下に、二人の影が長く伸びていた。
神代悠真の姿をした王子と、真実を求める幼なじみ。
隠し続ける時間は、もう終わろうとしていた。




