第八話 幼なじみは誤魔化せない 上
翌朝。
レオンは、昨夜の事を思い返していた。
悠真と話し、いくつかの重要情報は得られたが、一番の問題は一ノ瀬舞の事だ。
舞は避けると余計に疑う。
舞には変な嘘を重ねない方がいい。
舞は怒っても最後まで話を聞いてくれる。
舞は、神代悠真本人より神代悠真のことを知っている。
王宮においても、幼なじみという関係は軽視できない。
長い時間を共有した者は、言葉では説明しにくい違和感を拾う。姿勢、息遣い、返答の間、目線の動き。そういう些細なものを、理屈より先に感じ取る。
だが、一ノ瀬舞の場合は、その精度が高すぎる。
体育で、偽貌の指輪が一瞬乱れた。
彼女はそれを見逃さなかった。
そして言った。
――「あんたが、悠真じゃないって説明」
あの言葉は、レオンの中に重く残っていた。
今すぐ正体を明かすべきではない。
だが、このまま誤魔化し続ければ、舞の信頼を壊す。
神代悠真の帰る場所を守るという約束には、彼女との関係も含まれている。
昨夜、レオンはそのことを改めて理解した。
しかし、理解したからといって対処できるとは限らない。
レオンはベッドから起き上がり、近頃聞き慣れてきたスマホのアラームを止めた。
視界の端に《バイブル》が浮かぶ。
本日の警戒対象:一ノ瀬舞
状態:疑念上昇中。
推奨:不自然な回避を避け、対象人物・神代悠真の通常距離感を維持してください。
注意:個人記憶に関する質問には対応不能です。
「通常運転だな」
レオンは小さく呟いた。
個人記憶。
そこを突かれたら終わるだろう。
そして、舞はおそらくそこを突いてくる。
部屋の中は朝の光に照らされていた。机の上には教科書、スマホ、黒いノート。
黒いノートは、今朝も閉じたままだ。
昨夜の夢通信で、神代悠真は改めて「見ないでください」と言った。
あれほど必死に頼まれた以上、今すぐ開く気にはなれない。
もっとも、そのせいで舞対策に必要な情報が不足している。黒いノートが全てを解決するとは思っていない。しかし重要な事が書かれている様な気がしてならないレオンだった。
実に面倒だ。
レオンは制服に着替え、鏡の前に立った。
神代悠真の姿。
神代悠真の顔。
しかし、瞳の奥にいるのはレオンハルト・アルヴァレイン。
言動には、注意を払っている。そのお陰か、最近は少しずつ調整できるようになってきた。様な気がする。
だが、舞には足りない。
彼女は外見ではなく、内側のズレを見ている。
階段を下りると、いつものように味噌汁の匂いがした。
この家の朝には、もう少しだけ慣れてきた。
リビングでは美琴が食卓に座っていた。
眠そうな顔で箸を動かしながら、レオンを見る。
「おはよ」
「おはよう」
美琴は数秒レオンを見た。
「うん。今日の挨拶は普通」
そう言うと美琴は、視線をはずして朝食へと戻る。
沙織が台所から顔を出した。
「悠真、おはよう。昨日はよく眠れた?」
「ああ」
言いかけて、レオンは少し柔らかく言い直す。
「うん。寝られた」
沙織は微笑んだ。
「そう。よかった」
美琴がじっとこちらを見る。
「お兄、最近ちょっと返事の仕方研究してない?」
鋭い。
「気のせいだ」
「出た。気のせい」
美琴は味噌汁を飲みながら言う。
「舞さんにも言われてるでしょ。最近気のせい多いって」
「……情報共有が早いな」
美琴にブツブツと言われながら朝食を食べ終わるとレオンは、足早に玄関へ向かう。
それに合わせるように沙織が見送りに来る。
「行ってらっしゃい、悠真」
「行ってきます」
その言葉も、以前より自然に出るようになった。
玄関を出ると、朝の空気が肌に触れた。
見える景色は、いつも通りだ。上を見上げると空は薄い青で、雲がゆっくり流れている。そして通りの角には、舞が来ていた。
いつも通りの制服姿で鞄を片手に、こちらへ歩いてくる。
ただし、今日の表情はいつもと少し違った。
「おはよ、悠真」
「おはよう」
レオンはできるだけ自然に返した。神代悠真の真似事をやめて、接すると決めたのだ。
舞は一瞬だけこちらを見て、それから隣に並んだ。
「今日は普通だね」
「そうだな。普通だ」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
「今のも変。って言うか固い」
舞は小さく笑った。
だが、その笑いはすぐに消え二人は並んで歩き始める。
住宅街の道を、他の学生たちが同じ方向へ進んでいく。
しばらく、沈黙が続いた。舞は、どう踏み込むか考えているのだろう。レオンは、警戒していた。
そして、彼女は言った。
「ねえ、悠真」
「何だ」
「小学校の時のこと、覚えてる?」
来た。
個人記憶。
レオンの視界に、即座に《バイブル》が表示される。
警告:個人記憶領域への質問
対象人物固有の過去情報は取得不能です。
推奨:曖昧な返答/聞き返し/話題転換。
バイブルは、今日も役に立たない。
「どの件だ」
レオンは慎重に返した。
これは逃げではなく確認だ。
相手に詳細を言わせ、少しでも情報を得たい。
舞は横目で、ちらりと見る。
「ほら、四年生の時。私が校庭で転んだ時のこと」
レオンは表情を動かさないよう努める。
小学生。
校庭。
美咲が転んだ。
情報が少なすぎる。
「……ああ」
レオンは曖昧に頷いた。
舞の目が細くなる。
「どうしたんだっけ?」
これは、完全に試している。
レオンは内心で舌打ちした。
ここで適当に答えれば終わる。
だが、黙っても終わる。
「君が転んだ」
「それは私が今言った」
「そうだったな」
「で?」
舞は立ち止まった。
すぐ横を自転車の学生が通り過ぎていく。
遠くで踏切の音が鳴っている。
朝の日常の中で、舞だけがまっすぐレオンを見ていた。
「覚えてないの?」
レオンは短く息を吸った。
嘘を重ねるか。
逃げるか。
それとも……
「細部までは、曖昧だ」
舞の表情が少し変わった。
「ふーん」
納得していない。そう顔に書いてある。
「悠真は、私が転んだのを見て、保健室に連れて行こうとしたんだよ」
舞は、歩き出す。
そして、レオンも隣に並んだ。
「でも、私が泣きそうなのを見て、何も聞かずに隣に座った。先生呼ぶでもなく、無理に立たせるでもなく。ただ、隣に座ってた」
その声は、少しだけ柔らかかった。
「あとで聞いたら、『負傷兵を無理に動かすのは悪手だから』って言ってた」
神代悠真らしいなとレオンも感じた。
舞は小さく笑う。
「あの時から変だったよね、あんた」
レオンは答えなかった。
それは、神代悠真の記憶で自分が持っていない時間だ。
中二病。
不器用。
けれど、相手の痛みに気づく。
舞が悠真を放っておけない理由が、少しだけ分かった。
「覚えてないなら、別にいいけど」
軽い声で、そう言いながら歩を進める。
「忘れたわけではない。ただ、今はうまく思い出せない」
嘘ではない。
レオン自身は、最初から覚えていない。
だが、神代悠真という人間の記憶をうまく思い出せない、という表現なら、完全な嘘ではない。
舞はしばらく黙っていた。
「……変な言い方」
「そうか」
「うん。でも、嘘っぽくはない」
そうこうしているうちに校門が見えてきた。
朝の学校は、いつも通り騒がしかった。
制服姿の生徒たちが流れるように校門をくぐり、友人同士で笑い合い、誰かが眠そうに欠伸をしている。
その中で、舞はさらに言った。
「じゃあ、もう一つ」
「まだあるのか」
「あるよ。今日は確認したいことが多いから」
堂々と宣言され、レオンは頭痛を覚えた。
「中学の時、あんたが作った設定。覚えてる?」
黒歴史方面。
レオンの視界に《バイブル》が震えるように表示を出す。
警告:黒歴史領域への接近
対象人物固有の創作・妄想設定と推定。
対応難度:高。
推奨:封印/忘却/恥ずかしさによる拒否反応を演出。
バイブルの中に、珍しく使えそうなワードがあった。
「封印した」
レオンは即答した。
前回、「漆黒の断罪者」で成功した対応だ。
舞は一瞬止まり、ぷっと笑った。
「それ、ちょっと便利に使ってない?」
「封印とは便利な概念だ」
「悠真が言いそうで腹立つ」
舞は、すぐに続けた。
「じゃあ、“灰色の王国”は?」
なんだよそれ。
次々に出てくる解読不可のワードに、頭を抱えるレオン。誰か治癒魔法を掛けてくれと言いたいが顔には、出さない。
灰色の王国。
王国という単語には反応しそうになったが、ここで反応しすぎると危険だ。
「それも封印した」
「全部封印するじゃん」
「危険なものほど、封印される」
「何そのもっともらしい言い方」
舞は笑っているが、目だけは笑いきっていない。
「悠真」
「何だ」
「本当に、覚えてないの?」
昇降口の前で、二人は立ち止まった。
周囲を生徒たちが通り過ぎていくが、誰も二人の会話を気にしていない。
世界は平然と動いている。
だが、レオンにとっては王宮の尋問室よりも緊張する時間だった。
「最近、少し記憶が曖昧なところがある」
レオンは言った。
これも完全な嘘ではない。
神代悠真の記憶は最初からない。
舞は目を見開いた。
「それ、病院行くやつじゃない?」
「そこまでではない」
「何で自分で判断するの」
「大げさにするほどではない」
「大げさかどうかは、あんたが決めることじゃないでしょ」
その声には、怒りが混じっていた。
いや、怒りというより、心配だ。
レオンは返答に詰まった。
舞は、神代悠真の異変を見つけようとしている。
だが、それはただ疑っているからではない。
心配しているからだ。
「……悪い」
レオンは思わず言った。
舞は一瞬、固まった。
「謝った」
「謝ると不自然か」
「不自然。最近のあんた、すぐ謝るし素直だし、妙に人の目見るし、言葉が硬いし、運動できるし、昔のこと曖昧だし」
彼女は一気に捲し立てる。
「それで、昨日一瞬、髪と目が変に見えた」
レオンは黙る。
「私、見間違いだと思おうとした」
舞の声が少し震えた。
「光の加減とか、砂埃とか、そういうのだって。でも、今のあんた見てると、やっぱりそうじゃない気がする」
朝の昇降口。
靴箱の前。
生徒たちが笑いながら通り過ぎていく中、美咲の声だけがレオンに届く。
「悠真」
彼女は、真っ直ぐに言った。
「あんた、誰?」
その問いは、予想していたより早かった。




