影の記憶
冷たい空気が、肺の奥までしみわたる。
落ちたのではない――沈んだのだ、と美咲は気づいた。
祠の下は空洞になっていて、かすかに灯る明かりが足元を照らしている。
どこからともなく、水が滴る音。湿った土の匂い。
「ここ……なに?」
目の前には、木でできた小さな扉があった。
まるで“もう一つの家の入口”のよう。
扉の上には古びた札が貼られている。
墨で書かれた文字は、かろうじて読めた。
――“影ノ者、出スベカラズ”
背筋が凍る。
震える手で扉を押すと、軋む音とともに中へ。
そこは、古い畳と木の柱でできた狭い部屋。
壁一面に、祖母の筆跡で書かれたお札が貼られていた。
部屋の中央には祭壇のような台があり、その上に写真立てが一つ。
懐中電灯の光が、写真の中の顔を照らす。
それは、あの祠で見た“顔の塗りつぶされた少女”。
だが、ここではその顔が――はっきりと見えていた。
美咲は息を呑む。
そこに写っていたのは、幼い日の“自分”にそっくりな少女だった。
「……なんで?」
声が震える。
その瞬間、部屋の隅から音がした。
ザリ……ザリ……と、何かが畳を這う音。
光を向けると、影が動いた。
柱の陰に、誰かが立っている。
顔は見えない。
ただ、髪が長く、動くたびに影が壁に溶けるように広がった。
――“戻ってきたのね”
耳の奥で声がした。
祖母の声とも、少女の声ともつかない。
「あなた……誰?」
問いかけると、影はゆっくりこちらを向いた。
その瞬間、光がふっと消える。
闇の中、冷たい息が頬をかすめた。
そして、美咲の耳元で囁く。
――“私を、忘れたの?”
光が戻ったとき、そこには誰もいなかった。
ただ、祭壇の上の写真が一枚、床に落ちていた。
裏には、震えるような文字でこう書かれていた。
「影の子は、身内」
その言葉の意味がわからぬまま、美咲の背中に鳥肌が立った。
遠くで、誰かが畳を歩く音が、また始まる。




